☆


 年の瀬が近づき、寒く凍える空気が舞い散り、外を白銀の雪化粧が広がる。
 幻想郷は年末の雰囲気で全体が静寂に包まれているような気がするけど、私が住む永遠亭は迷いの竹林の中にあるので異様な静けさからそう思えるのかもしれない。
 大掃除を残して、後は年越しを待つだけというなんとも言えない落ち着いた日々が続いた。
 妖怪兎である私にとって寒さはあまり酷くは感じられないけど、やっぱり限度を超えると寒いものは寒い。
 だけど、お気に入りである長袖で淡い桃色のワンピースは保温性が抜群で、なんとかこの冬を乗り越えられそうでもある。
 ただ冬以外の季節は裸足であるのだけど、この時季の縁側は木目の床が痛いほど冷たいので、衣装箪笥の奥底に眠っていた足首まですっぽり入る足袋を履きながら、家事などの仕事をこなしている日々。こちらも保温性は抜群。
 床を踏む音が軽快に鳴り、静かな世界に響く。
 冷えた手をわき腹と二の腕の間に挟んで暖めるけど、気休め程度であまり効果はないように思える。
 冬のイタズラな風が縁側を駆け抜け、私の大福のように大きくてまん丸な二つの兎耳と、癖が強いけど毎朝手入れはかかさない肩まで伸びた黒髪を揺らし、お尻にある白い毛が生えたまん丸な尻尾も寒さを感じる。
 今度は顔が冷えてきたので、暖めた手を頬に当てて寒さを紛らわす。頬は柔らかく暖かい手が気持ちよかった。
 今年も終わりか、と年末の寂しさを感じる。
 ……いや、この寂しさはそんな恒例行事のようなものではない。
 もっと根本的な寂しさ。
 私はそれが何か知っている。
 知りたくはないけど、知っている。
 私がその現実を受け入れたくないだけである。
 あんな夢を見てせいで今朝は最悪の目覚めだった。
 最近あんな夢ばかり見る。
 私に受け入れろと言っているのだろうか。
 嫌だ、そんなのは嫌だ。
 認めてしまったら私は……。
「てゐ隊長〜」
 胸が苦しくなった時、背後から声が聞こえてきた。
 私は広がっていた暗い気持ちをかき消すように頭を振り、声が聞こえた方向へと振り返る。
 すると縁側の離れた位置に三羽の妖怪兎がいた。
 私と似たような衣服だが、ひらひらのフリルや、リボンをいくつも腰につけたり、青色で模様が描かれていたりと装飾がつけられており若干見た目が違う。
 三羽はゆっくりと歩きながら私と手の届くほどの距離まで近付いてきて止まり、衣服に真っ白なフリルをつけた子が話しかけてくる。
 えっと、確かこの子の名前は、きぬ、だったかな。
「あら、アンタたちどうした?」
「私たちは部屋に戻ろうとしていたんだよ。てゐ隊長もこんな場所で何をやっているの、風が吹いて寒いよここ」
「あ、うん。ちょっとね」
 聞いておいてこんな場所に突っ立っている私のほうが変なことに気づいた。
 妖怪兎でも寒いものは寒い。
 縁側はただでさえ吹きさらしの場所が多いので、この季節にここに居座ろうと思う者は少ない。
 しかし、先ほど思い浮かべていたことをそのまま口にすることができる訳はなく、言葉を濁して誤魔化してみる。
 私の容姿は背が低く、顔に丸みがあるので兎耳や丸い尻尾以外は人間の子供に非常に酷似しているが、これでも結構長生きをしているほうだ。妖怪兎の中では一番の長寿であるので、自然と周囲から責任者として扱われてしまい、いつの間にか妖怪兎のまとめ役的存在になってしまっていた。
 別に他の者の面倒を見るのは嫌いじゃないし、妖怪兎たちはまとめ役がいないと自由気ままに行動するので、結構危なっかしいところもあり、仕方なくその立場を受け入れて今に至った。
 今では永遠亭という安全な空間の中で、習慣に近い決められた家事という仕事を行っているだけなので、私が指示することは少なくなり、この立場は必要ないんじゃないかとも思える。
 だけど、私はいつまで経っても隊長のようで、たまにもめ事とかの仲裁役になったりもしている。
 一応頼られているので、私が落ち込んでいる姿を見せて周囲を不安にさせる訳にはいかない。
 私はイタズラと嘘は大得意。暗い気持ちを隠して目の前の妖怪兎たちに笑顔を向ける。
「……ねぇ」
「ん?」
 すると青い模様が描かれた衣服に肩まで伸びた黒髪、前髪が長めで瞳が見え隠れする子が恐る恐ると言った雰囲気で話しかけてきた。
 えっとこの子は……誰だろう。顔を見ても名前が判らなかった。
 永遠亭に住み着いている兎は相当な数がいるので、はっきり言って名前を覚えきれていないのだ。
 だって、私の知らない間に住み着いていることが多いのだから、全部覚えるのはひと苦労である。
 しかし、この子はどこかで見たことがあるような気がする。だけど名前が判らない。
 とりあえず服が判りやすいから、青い子、としよう。
 今更「誰だっけ?」なんて聞ける空気でもないので、ここは聞かずに思い出すまで待つか。
 だが、その子はなんでそんな雰囲気なんだろうか、そんな表情をして何かあったのだろうかと首を捻っていると、彼女の唇から言葉が弾かれる。
「最近、元気がないようだけど、何かあったの?」
 ドクッと胸が鳴った。
 上手く隠しているつもりだったけど、気を抜いた時に見られたのだろうか。
 しかし、ここで動揺を顔に出す訳にはいかない。
「……そうかな? 私はいつも通りだけど。この私がそんなことある訳ないわよ」
「そう……」
 青い子が納得できないような表情で頷いた。
 私の発言で他の妖怪兎を不安にさせてしまうとはなんてダメな隊長だろうか。以後気をつけなければ。
「どうしました? てゐ隊長?」
 するときぬの隣にいる腰や肩に真っ赤なリボンをつけている兎が不思議そうに声をかけてきた。
 この子は落ち着いた様子を持っていて兎の中では結構信頼できる子――あかりだったわね、一瞬不安が顔に出てしまったのだろうか、気をつけなければ。
「んー、なんでもないよ」
「そう? 変な隊長」
 あかりは首を捻りながらも、特に疑っている様子はない。良かった。
 そう思っているとまた背後から物音が聞こえた。
 縁側の床が軋む音。
 誰かまた来たのだろうかと振り返り姿を確認する。
 刹那、胸が高鳴り全身が硬直する。
 私の髪と違い流れるように癖っ毛のまったくない膝裏まで伸びた薄紫色の髪が靡き、シワの入った特徴的な二本の兎耳が揺れている。夢で見た姿とまったく同じ造形物のように美しい女性。
 私の憧れでもある月兎――鈴仙様がこちらに向かって歩いてきていた。
 姿を見ただけで胸が熱くなり、思考が彼女のことでいっぱいになってしまう。
 鈴仙様だ、鈴仙様だ。
 子供のようにはしゃぐ気持ちが膨れ上がる。
 鈴仙様は口元に笑みを作りながら、優しく声をかけてきた。
「あら、皆こんなところでどうしたの?」
「あ、鈴仙様! ちょっと話をしていただけですよ」
「そう? でも寒いし、体調を崩すかもしれないから部屋の中のほうが良いわよ」
「はい、お心遣いありがとうございます」
 ああ、なんて優しい方なのだろうか。
 妖怪兎である私たちにとってはこんな寒さはあまり気にならない程度であり、人間じゃあるまいし気温の変化で体調を崩すなんてことは滅多にない。
 それを判っているのに気を使ってくれるなんて、本当に鈴仙様は天女のように美しく優しい方である。
 ひと言ひと言が私の気持ちを明るくする。
 先ほどまでの暗い気持ちもどこへ行ったのか。
 鈴仙様は月からやってきた妖怪兎。最初は余所者だと思って私は毛嫌っていた。
 だけど、彼女と接していく内にその優しさに触れて、私は恋心を抱いたのだ。数十年も前の話だけど。
 今ではすっかり子供のように鈴仙様を慕っている。
 もっとこうやって鈴仙様と話していたい。
 もっと鈴仙様と一緒の時間を過ごしたい。
 鈴仙様、鈴仙様、鈴仙様、鈴仙様、鈴仙様。
 何度も何度も彼女を求める。
「そうだ鈴仙様、もしお暇でしたら買い物へ出かけませんか?」
 何気ない、自然なお誘い。
 だけど、鈴仙様は首を縦に振ってはくれなかった。
「ん……ごめんね、ちょっとアリスと約束があるから」
 その名前が耳に入った瞬間、今まで暖かかった胸がチクリと痛んだ。
 背筋が冷たくなり、頭が凍り付いたように鈍くなるのが判る。
 気持ちが現実に戻される。
 アリス――――鈴仙様と恋仲の相手。
 初めての出会いはこの永遠亭で敵同士。
 人形みたいな容姿の癖に大人びた言動が頭に来る。
 大嫌いな相手だった。鈴仙様も同じ気持ちだと思っていた。
 だけど、それは違った。
 ひょんなことから出会った二人はいつの間にか一緒にいる時が多くなっていた。
 まるで磁石のように引き合っているような関係。
 それから鈴仙様は私を見てくれなくなった。
 永遠亭ではいつも通りの優しい方なのだけど、アリスのことになるとそちらばかりを見ていた。
 その時から鈴仙様が遠くに行ってしまうような感覚が少しずつだが襲ってきていた。
 危機感を覚えた私は幾度か邪魔をしてきたが、結果的にはまったくと言って良いほど意味がなかった。
 そして、鈴仙様とアリスは結ばれた。
 本人たちは隠しているつもりだけど、いつも見ている私には判ってしまった。
 鈴仙様は本当に幸せそうにアリスと話す。
 私は彼女が幸せだったらなんだって良い。
 私なんて鈴仙様から見たら妹程度の存在でしかない。
 さっさと諦めてしまえば良かったのだ。
 元々恋仲になるのは無理だというのは判っていた。
 判っていたけど、諦めたくはなかった。
 そしてこの事実を認めたくなかった。
 認めてしまったら、鈴仙様がどこか遠くへ行ってしまいそうだから。
 そんな確証はどこにもない。だけど、胸の内で不安が不快に蠢きながら増えていく。
 私は鈴仙様を心の底から求めている。
 姉妹のような関係なのに、女同士なのに。
 変なのは判っている。この恋心は憧れの延長なのも判っている。それでも、私は狂おしいほど鈴仙様を愛している。
 彼女は私にないものを沢山持っている。
 容姿や美貌はもちろん、相手を思いやる優しい気持ち。言動の一つ一つに憧れる。もっとその笑顔を見せて欲しい。
「そうですか、はい、すみません用事があったのに誘ってしまって」
「こっちこそごめんね、じゃあ、私は行くね」
 鈴仙様は眉を八の字にしながら謝った。
 良いんです。私が我慢すれば鈴仙様は幸せなんですから。私は鈴仙様が幸せならそれで良いんです。
 鈴仙様が申し訳なさそうな表情をしながら、その場を後にした。私は感情を表に出さず、笑顔を作って見送る。
「はい、お気をつけて」
 彼女を止める理由は今の私にはない。
 ただ楽しそうに出かけていく鈴仙様を見送ることしかできない。
 感情を表に出せないなんて、他人から見たら私はなんて滑稽な姿なのだろう。
 いつまでもこんな現実を直視しないことをするのだろうか。いつかは必ず直視をしないといけないのに。鈴仙様はもう私を見てくれないと。
 だけど、今の私にはそんな勇気はない。
 今の私ではきっと壊れてしまいそうだから。緊張の糸が切れてしまいそうだから。
 怖い。
 私が私でなくなってしまう可能性。
 それを考えると不安に押しつぶされそうになる。
「てゐ隊長……」
「……じゃ、私は部屋に戻るわね」
 妖怪兎の誰かが私を呼んだ。
別に誰が話しかけてこようが関係なかった。
 逃げたかった。
苦しくって、このまま嘘をついていられるか自信がなかった。一刻でもこの場を早く離れたい。
 そうしないと、弱い私を見られてしまいそうだから。
 兎たちに顔を向けず逃げるようにその場から離れた。
 陰った気持ちを振り払うように自室へと向かう。
 途中、誰かとすれ違った気がした。
 誰でも良いや。
 そんなことを考える余裕は私にはない。
 ただこの気持ちを紛らわせたかった。ため込むと感情が崩れる気がしたから。
 冷たい床を何度も踏みつけ、肌を指す風が何度も私の体を撫でた。
 自室に戻った時には呼吸が乱れ、肩が上下に動いていた。静寂に満ちた部屋に私の呼吸だけが虚しく響く。
 畳の柔らかい感触、嗅ぎ慣れた部屋の臭い。心落ち着く永遠亭で唯一の場所。
 私は障子を閉めて縁側と自室を隔離する。そして障子を背にするように床に力なく座り込む。
 緊張の糸が切れてしまい、自然と嗚咽が漏れ始める。
「う…………ひぐっ……」
 泣いちゃいけないのに、感情を抑えられない。
 鈴仙様と接していると前までは楽しかったのに、今ではこうやってすぐに辛く苦しくなってしまう。
 自分自身が脆く弱くなっていることが手に止まるように判る。
 判るだけに、いつか壊れてしまうのではないかと不安が日に日に増えていく。こうやって隠れて泣かないと、いつか誰かの前で泣いてしまいそうだ。
 私は地上の兎たちのまとめ役。
 そんな者が他者の前で泣いてしまったら示しがつかない。先頭に立っている者が泣き虫なんて、妖怪兎たちが不安がるに決まっている。
 だから私はいつでも明るく、気丈に接しなければいけないのだ。
 こうやって泣いていればいつかはおさまる。
 そうすればいつものように対応ができる。
 私さえ我慢すれば、周囲の者は幸せなんだ。
 私さえ…………。

 ――――キッ

 嗚咽とは別の音が耳に入った。背後から微かにだが聞こえた。それと同時に誰かの気配を感じた。
 背筋がゾクリとする。
 私は涙を慌ててふき取り、振り返る。
 障子で区切られた縁側。そこに誰かが立っている影がうっすらとだが映し出されている。
 その影は通りすぎることもせず、まるで中を伺っているように静かに立っていた。
 秘密を知られてしまったことによる焦りと、盗み聞きという趣味の悪い行動に対する怒りが同時に生まれる。
 眉間に深いシワを作りながら、私はその盗み聞きをしている者の正面の障子を乱暴に開く。
 障子が柱にぶつかり耳をつんざく鈍い音が響いた。
 そして目の前にいる兎が体を大きく揺らして目を見開いて驚く。
 その姿を見た瞬間、私はさらに眉間のシワを深くし、表情を険しくせざるおえなかった。
 紺色のブレザーと雪のように白いカッターシャツに真っ赤なネクタイ。薄い青色のショートカットに私の兎耳とは形が違うが丸みの帯びた兎耳を二本生やし、若干幼さの見える顔。
 憧れの方と同じ服装と同じ双眸を持ちながら、私と身長はあまり変わらず似ても似つかない兎。
「アンタ……何やっているの?」
「あっ……す、すみません……」
 私の憧れの方と同じ場所で生まれて、同じ名前の月兎――レイセンを睨みつけながら威嚇するように低い声で問いかけると、酷く狼狽した様子で謝ってきた。
 おどおどした挙動と、コイツに私の秘密を聞かれたということが合わさり、非常に頭に来た。
 頭に血が上り、乱暴にレイセンの胸元を掴む。
「盗み聞きとは良い度胸ね、アンタはやって良いことと悪いことの分別がつかないのかしら?」
「すみません……てゐさんが走っていったので気になって……」
 怯えた様子でレイセンは言った。
 先ほど誰かとすれ違ったと思ったけど、どうやらコイツだったようだ。嫌な奴とすれ違ってしまった。
 いや、逆にコイツで良かったかもしれない。
 コイツは永遠亭に住む兎とはちょっと違う。
 なんでも月のお姫様で鈴仙様が前に仕えていた綿月姉妹という方のペットらしく、何度かこの永遠亭にも使いとしてやってきていた。
 その割には地上の兎よりも華奢で、貧弱に見えて大丈夫かと今も思っている。
 見た目通り物静かで臆病な兎。そしてさらに愚図で鈍感で面倒な奴だったので、今までは全然気にしていなかった。
 だけど最近、コイツは永遠亭で生活を送るようになっていた。
なぜかと言うと、コイツのご主人の姉妹は相当しっかりした性格なのようで、コイツのオドオドした性格を直して一人前になれるよう永遠亭での生活を命令したらしい。
 力任せのような方法ではあるけど、こういうはっきりしない性格の持ち主には効果的かもしれない。
 だけど最近やってきた部外者であるコイツは永遠亭内では余所者として孤立しており、臆病な性格は余計酷くなっているようにも思えた。
ある意味噂が広がらないから良かった。
 しかし、念には念を入れておかなければいけない。私はレイセンの胸ぐらを掴んだまま引き寄せる。
「アンタは何も聞かなかった、良いわね?」
 脅すように言いつけると、レイセンは無言のまま首を縦に振った。気の弱い奴はこういう時には素直で助かる。
 用件は全て終わったので乱暴に突き放すと、レイセンはよろめきながら「あうっ」という声を漏らして尻餅を着く。
 先ほどまで私が掴んでいた胸元のネクタイやカッターシャツにはシワが濃く残っている。
 それでも私はコイツに対して怒りしか感じられない。
 余所者という簡単な理由だけじゃない。
 コイツを見ていると鈴仙様を思い出すからだ。
 顔や髪、背や声、ありとあらゆるものが違うのに、なぜかコイツを見ていると酷似しているようにも思えるのだ。似ている箇所なんて双眸と身に纏っている衣服ぐらい。
 全然違う。それなのに……。
 とにかく見ていると苛立ちを隠せなくなる。最近それがより一層強くなっているのも判る。
 きっと鈴仙様に対する思いが不安定だからだろう。
 だから私はコイツが嫌いだ。最悪の気分だ。




前のページに戻る


TOPへ戻る