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☆ ――――メリー。 誰かが私の名前を呼ぶ声がして、意識が睡眠の底から上ってきた。 遮光カーテンから差し込む光と、窓の隙間から侵入してくる朝の冷気に身を震わせながら、私は毛布を頭から被り肌を刺すような寒さから逃れる。 温もりが残る毛布のお蔭で一瞬覚醒した意識はすぐさま眠りの世界へ落ちようとしていた。 しかし、つい今しがた頭から被った毛布が、私から逃れるように離れていく。 背中が毛布からむき出しになると、すぐに冷気が撫でてきた。 この寒さに眠りに落ちそうになっていた意識が再び覚醒し始め、私は重たい瞼を何度か瞬かせた後、奪われたと思われる毛布の所在を確認する。 寝ぼけ眼のせいで、視界がはっきりしない。 少しすると不確かな周囲の輪郭が姿を露わにする。 自室のベッドの上というのは判る。 だが、隣で毛布にくるまっている謎の存在がなんなのか判らなかった。 恐る恐る毛布をめくると、なんとなく予想がついていた女性がいた。 少し茶色がかったボブカットの黒髪を乱し、至福の表情で眠りこけている彼女は、なぜかその体に下着しか身につけておらず、そりゃ寒いわよ、と内心ツッコミを入れる。 無駄な贅肉がついておらず、引き締まってもいない。ぱっと見、スタイルが良い訳でもなく世に言う中肉中背な体つきをしているが、親しみのある見慣れた体。 私のような若干白い肌とは違い、健康的で綺麗な体。 私と同じ大学に通う友人の宇佐見蓮子がなぜか隣で眠りこけていた。 一応彼女とは住まいが別々のはずなのだが、なぜ彼女がここにいるのだろうか。 二日酔いにも似たような頭痛が頭をかけ巡り、いまいち思い出せないが恐らく昨日は一緒に呑んでいたのだろう。 ベッドの横の床へと視線を移動させると、彼女の真っ赤なネクタイや真っ白なカッターシャツに、真っ黒なケープとロングスカートに帽子、靴下やらが無造作に散らばっていた。蓮子の残骸。 「う~ん……メリー……むにゃむにゃ」 間抜けな寝言を漏らしながら蓮子が寝返りを打った。 先ほど聞こえてきたのは蓮子の寝言か。 よく見てみると私も紫色のワンピースや真っ黒なベルトに、ソックスなど普段着を身に着けたまま眠っていたようだった。 蓮子のことをあまり言えないわね……と思いながらため息を吐き、ベッドの横に置かれている時計を見ると携帯端末のアラームがそろそろ鳴り響く時間でもあったため、二度寝を貪る訳にもいかなかった。 眠気の残る体を真上に伸ばし、意識を覚醒させると、毛布を被る蓮子を揺らす。 「ほら蓮子、朝よ、起きて」 「……う~ん」 彼女が小さく唸った。しかし、起きる気配がまったくない。 「今日は午前の講義があるんでしょ? 早く起きないと間に合わないわよ」 「あと一日……」 「それ、今日の講義はすべてサボるということかしら?」 問い返すと蓮子は毛布をさらに被ってしまう。 いくら粘ってもあまり効果がないようにも思えた。 はぁ、とため息を吐きながら諦める。 朝食を作っていれば勝手に起きてくるだろうと、長い付き合いの相方の行動を予測しながら、蓮子を蹴飛ばさないようにベッドから降りる。 今度は腕を使って全身を伸ばし、残った眠気を吹き飛ばす。「ん~」と声が自然と漏れ出てしまう。 今の声で蓮子が起きたかな、と淡い期待を持ちながらベッドへと振り返る。だが、彼女は微動だにしておらず、饅頭のように丸まっていた。 その光景に苦笑しながら、私はさっさと着替えてしまおうとクローゼットへと歩を進める。 「おはよう……」 こんがり焼いたトースト二枚を乗せた皿と白い湯気が出ているコーンスープの入ったマグカップ、輪切りの真っ赤なトマトやひと口で食べられるように切った瑞々しいキャベツが盛られた大皿をリビングに置かれた透明なガラステーブルに置き、だいたい朝食の用意が終えて淡い水色のソファへと腰を下ろした時に、蓮子の覇気のない声が聞こえてきた。 先ほど見た下着姿とは違い、床に散らばっていた服を着たようで、白のカッターシャツの袖や腰回りのシワが目立っていた。 狙い済ませていたとしか思えないようなタイミングでの登場である。 「あっ、なんて美味しそうな朝食かしら! メリーの作る料理は美味しいから楽しみだよ!」 私の考えに気づいたのか蓮子は露骨に話題を逸らそうと大袈裟なリアクションを取った。 しかもずうずうしく私の料理を狙っているではないか。 まぁ、どうせこうなることは判っていたのだから、二人分の量を用意していたんだけどね。 「眠りこけていた誰かさんが手伝ってくれればとても楽だったんだけど」 皮肉混じりに言葉を投げつけてみると、「ん~、今度ね今度。さぁいただきます!」とはぐらかしながら蓮子は私の隣へと腰を下ろし、置かれているトーストに手をつけた。 絶対手伝う気がないわね。 そう思いながらも、これ以上問いつめても仕方がないという答にたどり着き、ため息を吐きながらマグカップへと手を伸ばし、火傷しないよう慎重にひと口分だけ飲む。 コーンの甘い味が口の中に広がり堪能していると、隣にいる蓮子はなぜここにいるのだろうかと疑問に浮かぶ。 起きた時にも一応考えたけど、未だにはっきりとした記憶が蘇らない。ここは直接彼女に聞いたほうが早いだろう。 そう思いながらコーンスープを飲んでいる蓮子へと顔を向けて問いかける。 「というか、なんで蓮子が私の家にいるのよ?」 「なんでって、昨日一緒にお酒を呑んでいたじゃない。つい呑みすぎてベロベロになっちゃったのが失敗だったけどね」 当たり前といった様子で蓮子は答えながら、手を休めずせっせと朝食を口に運んでいった。 やはりそうか、と思いながら私も焦げ茶色のトーストを口に運び、焼きたてのサクサクした触感を楽しむ。 「そういえば、ちょっと寂しい食事ね」 ふと、蓮子が言葉を漏らした。 人の朝食を食べておいてなんていう物言いなんだろうか。 カチンと頭に来たので眉間にシワを作りながらむすっとした表情を蓮子に向けながら、「勝手に食べていて酷い言い種ね」と呟く。 「違うわよ、とっても美味しいわ。寂しいって言ったのは静かだからってことよ」 しかし、蓮子は私の感情に気づいているのかいないのか判らないような声色で、瑞々しい真っ赤なトマトを食べていた。 言われてみると確かに静かではあるが、別に気になるようなことでもない。朝は静かに過ごすほうが私としては好きだし、今の状況になんの不満もない。 むしろ蓮子と二人っきりなのだから、二人でお喋りをしたほうが良いように思える。 「別に良いじゃない。静かなのも良いわよ」 さりげなくこの会話を続けようと告げる。 蓮子なら判ってくれるよね、そんな淡い期待を一心に向けて彼女の言葉を待つ。 「なんかBGM代わりにテレビでもつけましょう」 「私の意見を少しは取り入れてよ」 しかし、淡い期待は虚しくも無視されてしまう。 なんで読みとってくれないのよバカ蓮子! 私は貴女と話をしたいだけじゃないの、この鈍感! そう怒鳴りたかったが、さすがに早朝から叫ぶような気力も元気もなかったので、ため息を小さく吐いて諦める。 脳天気な蓮子はテーブルに置かれたリモコンを掴み、正面に置かれたちょっとお高めな液晶テレビへと向け、電源ボタンをポチッと押した。二、三秒の間を置いた後、私たちの姿が映る真っ暗な液晶画面が徐々に明るくなり色を持つ。 映った番組は朝のニュース番組。ニュースキャスターが昨日あったニュース内容を読み上げていった。 蓮子はそこからリモコンのボタンを押すことはなく、元の場所へと戻す。 このニュース番組を見るつもりのようだ。 喧しいコメンテーターが叫び、お笑い芸人が司会を勤めるような朝からうるさい番組よりはマシだった。 『――――昨日、また被害者のいない事件が発生致しました』 テレビの男性ニュースキャスターが淡々とニュース内容を読み上げていく。 そのニュース内容が耳に入り手が止まる。 蓮子も気になったようで、テレビ画面を静かに注視し「最近多いね、この事件」と投げかけてきた。 短く「そうね」と答えてニュース内容を聞き入る。 せっかく蓮子と会話できると思ったのに、嫌なニュースのせいでそんなところではなくなってしまった。 被害者のいない事件……最近京都内で多発している事件だ。老若男女問わずに悲鳴が聞こえ、声の元へと駆けつけてみると声の主と思われる人間の姿がない事件である。 最初はイタズラの類かと思われていたが、ここ数日何件かは悲鳴が聞こえた場所で、人間の体の一部が落ちていることがあったようで、猟奇事件として今のニュースのように大きく取り上げられるようになった。 しかし、不思議なことに体の一部が落ちていても、行方不明になっているような被害者は見つかっていないようで、捜査は難航しているようだ。 蓮子は神隠しに違いない、と断言していたが、私はなんだか違うように思えた。彼女のように断言はできないが、長年の感覚がそう告げていた。 感情を見せないニュースキャスターは事件の概要を淡々と読み上げていった。 事件は昨日の夜、私と蓮子が呑んでいる辺りの時間に交通事故が発生し車の運転手から歩行者を轢いたという通報が警察にあった。運転手は最初、怖くなり逃げてしまったがすぐに自ら通報して自首するつもりだったらしい。だが、いざ現場へと警察が駆けつけてみると被害者の姿はなく、人間の血液がひとつコンクリートを濡らしていなかった。運転手から詳しく事情を聴取するとのことだ。 被害者のいない事件と類似している事件。 もう最近では被害者がいないだけですべて類似とされているから、報道数も増えている。無駄に市民の不安を煽るのはテレビの悪い癖。 そしてテレビ画面へ映し出されるのは現場と思われる場所と、現場検証をしている警察官や鑑識と思われる人の姿。 ふと、その映像を眺めているとあることに気づいた。 なんだか身に覚えのある風景がそこに映っている。 「あれ、ここから結構近い場所じゃない?」 蓮子も気づいたのか、言葉を漏らした。どうやら私の思い違いではないようだ。 勘違いではないことが判った瞬間、肌が粟立つような感覚が広がる。 正体の判らない怪奇事件が身近で起きているという事実。普段そういうことを多く体験している癖に、未だに張り付くような恐怖に慣れていない。 むしろそのような事件に、非常に多く巻き込まれているせいで恐怖の形が色濃くはっきりしていくようにも思えていた。 恐怖が慣れるなんてことはありえない。 できれば関わりたくない。そう願っても世の中上手くはいかない。命運とはこういうことなのだろうかと悲観してしまう。 だが、こんな暗い気持ちを隣にいる彼女に悟られてはいけない。私は気丈に振る舞い震えている唇をゆっくりと動かした。 「そうね、歩いても行ける距離ね」 「なんか昨日サイレンが聞こえていたけど、これだったみたい」 小さく頷きながら蓮子が呟くが、私は「鳴っていたっけ?」とあまり記憶のないことを聞く。 「鳴っていたわよ、メリーも聞いていたじゃない」 「あー……そういえばそんなこともあったような」 言われてみると記憶の片隅が蘇ってきた。 確かに昨日、蓮子と呑んでいる時にサイレンは遠くから聞こえてきていた。 何かあったとは気にしていたが、その時は蓮子が酷く酔っていた時なので詳しく考えることはなかった。 怖いな。そんな素直な気持ちが胸の内に広がる。 だけどその気持ちを隣にいる友人にさらけ出す訳にもいかない。だって恥ずかしいし。 ここは適当に話して暗くなる気持ちを吹き飛ばそう。 「もしかしたら私が次にこれの被害者になるかもね」 と、勢いで口に出してしまったが、こんな言葉は悲劇のヒロインになりたい頭の弱い女か、ただの怖い物見たさなバカだけしか言わないだろうと思い、自分もその仲間に入ってしまったのではないだろうかと急に恥ずかしくなってきてしまった。 蓮子もその突拍子もない言葉に「なんで?」と訝しむような視線を向けている。 うわっ、恥ずかしい。理由なんて特になかったし、言葉の意味なんて度外視していたし。 恥ずかしくなってきてしまい、頬が紅潮することを感じながら平静を装い言葉を続けた。 「……ヒロイン的な立場で考えると、かしら?」 「意味判んない」 ええ。私も言っていて判らないわ。 もう言ってしまったのは仕方がない。勢いでこのまま続けてしまおう。 「私がヒロインだから、蓮子は主役よ、良かったわね」 「まぁ、確かに物語の主役ってヒロインに振り回されているのが多いから私にぴったりね」 うんうん、と頷く彼女だが、なんだか酷くバカにされているようにも思えた。 どっちかというと貴女のほうが行動的で私のことを引っ張り回しているじゃない、と真面目にツッコミを入れようかと思ったが、余計話がこじれるに違いないと喉まで出かけていた言葉を飲み込んだ。 とりあえず蓮子が乗ってきてくれたお蔭で赤っ恥をかかなくて済んだと胸をなで下ろす。 今後は言葉を考えないとなぁ……、と考えながら止まっていた朝食を再開しようとした時、蓮子が棒を握っているような形で握り拳を作り、自分の口元に近づけた。 その姿はテレビに映っているマイクを持つリポーターだった。 「では、宇佐美蓮子さんがメリーさんを護ったら、何かご褒美をお考えで?」 そう言い、マイクを持っている手を私に向けてきた。 ここで乗っておかないとなんだか後々面倒そう、と思い私は口元に小さく笑みを作りながら答えた。 「いいでしょう、美味しいご飯を作ってあげましょう」 「それいつもと変わらないんだけど」 「贅沢は敵よ」 蓮子と互いに笑いながら、なんとも楽しい朝食を過ごせて、私としては満足であった。 ニュース番組は先ほどの暗い内容とは打って変わって、なんとも明るい動物園の赤ちゃんの話題に変わっていた。 |
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