「もーみじっ!」
 遠くを眺めて警戒していた時、高い声が鼓膜を振るわせ、背後から誰かが抱きついてきた。
 遠くばかりを注視していたので突然のことに驚き、呼吸が一瞬止まってしまう。
 全身が硬直するが、聞き覚えのある声に背後の者が誰なのかすぐに判った。
 早くなる鼓動を落ち着かせながら、眉を寄せて不機嫌な表情を作り、頭を動かし相手の相手を見る。
 そこには腰に抱きついている天狗が一匹。
 ボブカットの黒髪に大きくまん丸な薄茶色をした双眸、引き締まっている顔立ちだがあどけなさも若干あり若々しく見え、人間と言っても疑われないが、先の尖った耳が髪の間から出ていた。
 私と同じ頭禁を被り、白のシャツに黒い膝上スカート、脹ら脛までの長さの黒の靴下を履き、その間の露出している太股の肌は健康的な色をしていた。
 履いているのは革靴に一本歯という組み合わせだが、全体的に洋風な服装なので悪目立ちはしていない。
 白狼天狗の上司でもある烏天狗――射命丸文が私に抱きついているのだ。
「……最近暑くなってきているから迷惑なんだが」
「ああ、つれない態度ですね」
 冷たくあしらうがまったく気にしていない態度で文は離れ、宙に浮きながら私の隣に立つ。
 露出している腕や足は無駄な肉がついていないため、すらっとしており、体型は細く引き締まっている。
 胸の膨らみもそこそこあるので、女性としてはかなりできあがっている存在でもある。
 ああ、私の鍛えた体と違って羨ましい。
 まぁ見た目は同姓の私から見ても良い。
 問題は中身だ。
「天狗界一美しい射命丸文様に抱きつかれて喜ばない男性はいないのに!」
 なんの恥じらいもなく大声でそう叫んだ文は、面白がるような表情を作り、片手を私のほうへ差し出してきた。
 本気で言っている訳ではなく、どうも私の反応を楽しんでいるようにも見えて、ここで変に反応しても面倒だと思い適当に返す。
「私は女だ」
「本当ですか?」
「ひゃうっ!?」
 しかし、油断をした瞬間、文が私の胸を正面から揉んだ。
 突如の感触に我ながら奇妙な声を上げてしまい、寒気を感じてその文のいやらしい手から逃げるように腕で胸を護る。
 頭に血が上り、文を怒鳴る。
「何するんだ!!」
「おっと、一応胸はあるみたいですね。ただほんの少し膨らみがある程度……のわっ!」
 まったく反省の色を見せない文は、片手で宙を揉むような動きをして口元に笑みを作っていた。
 あまりにもその態度が頭に来た。
 それはもうとんでもなく。
 上がっていた血が一気に爆発した時には、腰に携帯していた刀に手が行き、引き抜きながら文の腰に向かって振る。
 すると文は宙で転ぶように上体を反らし、一回転しながら一段下に高度を下げた。
 刃のほうで斬る訳ではなく、峰で殴り飛ばすつもりだったが、避けられてしまい残念に思う。
 避けた文は目を見開き、声を荒げる。
「本気で斬りに来ましたよね!? ね!?」
「大丈夫、峰だ、斬れないぞ」
「上司である私になんていう行為を! クーデターって奴ですね? これは妖怪の山に革命の時がやってくるんですね!?」
 透明な涙を流しながら胡散臭く芝居めいた行動。
 面倒くさい上司だなぁ……と思いながらため息を吐く。
 文は『文々。新聞』という新聞を作っている記者なので、むしろそういうネタには喜んで食いついてきそうだなぁと思った。
 仕事中なのに面倒なのに絡まれたと憂鬱になる。
 烏天狗は先ほども述べたように私たち白狼天狗の上司である。
 文も私によく雑用を頼んでくることが多い。
 それだけなら良いのだけど、なぜか彼女は妙に馴れ馴れしいのだ。
 最初は私だって文に対しては上司だからと礼儀はしっかりしていた。
 そう、最初は。
 だけど、文が何度も私をからかってきて上司とは思えない言動を繰り返し、積み重ねた結果が現状である。
 長年上司と部下の関係を続けているはずなのだが、今の会話を見る限りはどうみても知己の会話としか思えない。
 癖と思えるほどの文に対しての言動は注意しないと他の天狗の前でも出してしまうことが多い。
 文本人は特に気にしていない様子だが、私が他の白狼天狗や烏天狗に何を言われるか判ったものではない。
「まぁ、そんなことは良いとして」
 感情の籠もっていない演技をやっていた文が何事もなかったように話題を変える。
 良いって今までの会話はなんだよ、とツッコミを入れたくなる衝動に駆られるが、話が面倒になるので止めておこう。
「貴女はこんなところで何をやっているのですか?」
 何もなかったように話題を変えた文は小首を傾げながら訊いてきた。
 意外にまともな質問内容に拍子抜けしてしまう。
 また変なことを訊かれるかと思っていたのだから。
 普通に訊かれたのなら普通に答えるか。
「白狼天狗としての仕事だよ」
「あら珍しい、それは最近の窃盗事件ですか?」
 文はすぐになんのことか判ったようだ。
 最近妖怪の山では天狗の自宅に忍び込み、貴重品が盗まれる事件が多発している。
 手口が巧妙で、犯行現場を押さえることができずに窃盗犯が誰なのか判っていなかった。
 しかし、盗んだ物を人間の里で売りさばいたことが判り、犯行に及んだ者はすぐに特定された。
 窃盗犯は同じ天狗で、人間の里で賭事により金に困っていたらしい。
 今は姿を眩ましており、どこにいるかも判っていないので私たち白狼天狗が出向いて捜索をしている。
 しかし、残念ながらまだ見つかってはいない。
 だが、幻想郷は広さに限界があるのでそう時間はかからないだろうと思っている。
「まぁそうだな、目下捜索中だ」
「早く捕まえることを期待していますよ。あっ、もし椛が捕まえたら私に教えてくださいね、記事にしたいので」
「あることないこと書きそうだから嫌だ」
「え〜」
 新聞記者というのは読者を楽しませるために記事を誇張表現して煽ることが多々ある。
 変なことを書きそうだし、絶対に文だけは近づけないでおこうと心の内で決めた。
 まぁそのためには早くどこか行ってくれないかなと、若干邪魔に思ってしまうが、口には絶対に出せない。
「ところで、あれは不審者じゃないですかね?」
 理由をつけて他の場所に移動しようかと考えていた時、文が声を発した。
 彼女は眼下の森を見つめながら、細い人差し指を伸ばし何かを示している。
 示している方向を目で追いながら視線を下げると、木々の隙間から地面が見える。
 そして地上に誰かがいた。
 片手に何か細長い物を持ちながら周囲をキョロキョロと見回している。
 挙動不審な女性。
 文と似ている服装だがスカートは黒と紅の市松模様が描かれ、髪型は茶色の髪の毛を頭の左右でそれぞれ纏めているのが判る。
 どこか見覚えのある後ろ姿。
「あれは……」
「私の知己ですね。椛、話しかけてきてください」
「なんで私が? お前がいけば良いだろ」
「いやー、私が近づくと逃げるので」
「なんだ、それ」
「まぁ、良いから良いから、もしかしたら逃亡中の天狗かもしれませんよ」
 さっき知己と言わなかったか?
 とにかく文は下にいる者に直接話しかけたくないようだ。
 ろくでもないことを考えているな、と思いながら仕事中に挙動不審な相手を見つけたので放っておく訳にもいかない。
 文は警戒したくなるほどの怪しい笑みだったので面倒ごとにならないと良いな。




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