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     ☆


 誰か、こんな世界を想像しただろうか。

 弱く、儚い人間。
 妖怪に襲われれば一方的に食われ、なぶられる。
 見下され、下の存在としか思われていない。
 それがなぜ、世界を牛耳るような存在になったのか。
 人間は自分より早く動ける乗り物を作り、水の上に浮かび、空も飛んだ。
 妖怪が跋扈すると言われた夜は昼間のように明るくなり、人間が支配し始めた。
 妖怪や神様は古い存在。
 そう誰かが言っていた。
 存在を忘れ去られ、徐々に見えなくなり、そして消えていく。
 世界は変わっていく。
 何もせずに、ただ胡座をかいて生きていた妖怪たちを取り残して。
 時は一九二〇年、大正九年一月。
 世界を巻き込んだ大戦も幾百万の血肉を飲み干し、唐突に終わりを告げた。
 日本は特筆して苦労することもなく、戦勝国の仲間入りをして、輸出業で数え切れない富を生み出す。
 成金という言葉ができ、洋風の建物が帝都を中心に数多く建てられていた。
 洋と和が混ざる帝都は文化の中心となり、様々な人間が様々な思いを抱きながら集まる。
 そして、人ならざる者も光に集まる虫のように帝都へと訪れ、身を隠していった。
 ある者は闇に紛れ、ある者は人の中に紛れた。
 人間と妖怪の距離が曖昧になり始めた時代。
 そして彼女も世界に紛れている存在。
 鼠色の長着の上に若草色の羽織を身に纏い、紺色の袴の下からは桐下駄が地面を叩く。
 服装は端から見れば男性のように思えるが、すらっとした線を描いている顔は女性的な妖艶さを持ち、丸眼鏡の奥に見える琥珀色の双眸は他人を魅了しそうな美しさを持っている。

 彼女の名は――二ッ岩マミゾウ。佐渡の化け狸。
 
 化け狸の誇りを抱きながら、人間社会へととけ込んでいった世渡りが上手い妖怪。
 身の丈と同じような茶色い尻尾や狸の耳を持つ彼女は、普段はそれらを隠し、焦げ茶色の髪を腰辺りまで伸ばし人間へと化けている。
 彼女は、人間が好きだった。
 弱いながら嗜好を変え、満たす数々の物を生み出す発想力が魅力的だから。
 人間との出会いが彼女を暇にさせない。
 和装と洋装が混ざりあう、不安定な時代。
 見える者が少なくなってきた時代。
 そんな時代の中心地である帝都東京から少し離れた地区へ、彼女は足を運び、そして出会った。


     ☆


「ギ……ギギ……」
 鉄と鉄をすりあわせたような鳴き声を漏らすのは、酷く頭が大きい割には腕と足が棒のように細く、胸はあばらが浮き出ているのに腹周りは醜く太った鬼。
 大きさは人間より頭ひとつ分小さい程度だが、それでも巨大な鬼である。
 魚のように飛び出した眼球をせわしなく動かしながら、黄色く不揃いな歯を見せて、知性の欠片もないそれは民家の屋根にある瓦を蹴った。
 周囲には似たような容姿で手のひらに乗りそうな大きさの小鬼が、四匹ほど鬼の周囲を飛び回っていた。
 見た目は鬼そのものだが、実際には鬼ではない。
 知能がない本能に生きる魑魅魍魎の一種。
 死、恐怖などの人間の不安を糧に生まれる有象無象。
 妖怪とも呼べない寄せ集めで赤子のようなそれは、白煙を吐き出し続ける煙突へと向かっていた。
 黄昏時にはまだ遠い時間帯。
 それなのに普段は人間で溢れている通りは、今はまばらで寂しい。
 歩いていても足早に家に帰る者や、口元を白いマスクで覆っている人間ばかり。
 どこか暗く、怯えているかのような雰囲気を出している。
 陰気な空気は町を漂い、それに呼ばれたかのように邪なる者が集まってきたかのようだった。
 実際にそれは間違ってはいない。
 街灯に集まる羽虫のように魑魅魍魎は集まり、親玉の鬼を中心に群を成す。
「ほい、見つけた」
 屋根を蹴り跳ね上がった小鬼たちが、その声に反応し、頭を左右に振って周囲をキョロキョロと見回す。
 それと同時に一匹の小鬼が蹴り飛ばされる。
 何が起こったか判らない様子の小鬼は、地面に落ちることなく空に溶けるように霧散した。
 周囲にいた小鬼は蹴り飛ばした存在へと視線を集中させる。
「こりゃあ、また大きいのう」
 蹴り飛ばしながらそれは体を捻り、周りにいる小鬼を一匹さらに蹴り、手に持っていた小石ふたつを離れた二匹にそれぞれひとつずつ投げつけ、頭を貫く。
 残った三匹が同時に霧散し、一瞬で小鬼が消滅する。
 一瞬の交差。
 親玉がそれへ視線を向ける。
 見た目は男性のような和装。
 しかし、女性のような整った顔立ちと艶やかな髪を靡かせるそれは、舞っているかと思える美しさを持っていた。
 琥珀色の双眸が妖艶に親玉を見据えると、互いに距離を置いて民家の屋根へと着地する。
 親玉は乱暴に瓦を崩しながら着地するが、すれ違ったそれは羽根が地面に落ちるかのように静かに降り立った。
 ずれた丸眼鏡の高さを少し直しながら、二ッ岩マミゾウは親玉を見据える。
 にらみ合いが数瞬だけ続いたが、親玉が屋根を蹴る。
 間合いを詰めて、細い指から伸びる鉤爪をマミゾウへと向かって振り下ろす。
 しかし、マミゾウは涼しい顔をしながら一歩後ろに下がり、紙一重で鉤爪が空を切る。
 彼女の前髪が微かに揺れた。
 マミゾウが口元に笑みを浮かべると同時に、左足を軸に体を回転させ、後ろ回し蹴りを親玉の頭部へ向かって放つ。
 滞空する親玉は避ける術もなく、放たれた踵が空気を斬り裂きながら頭を抉った。
 常人には捉えられない速度で蹴られた親玉は、小鬼と同じように霧散する。
 張りつめていた空気はそれに呼応するかのように消え去り、寂しい時間が過ぎ去る。
 眉ひとつ動かさず、彼女は乱れた羽織を整える。


     ☆


 儂が狩った大きめの妖怪は今ので三匹目。
 電柱の頂点に跳び乗り周囲を見回すが、他にいる気配はない。
 儂を警戒して姿を隠しているのかは判らないが、ひと段落ついたと思われる。
 黄昏時が近づいてくる時間帯。
 空が朱に染まり、空気も一層冷たくなる。
 逢魔時とも言われる光と闇が満ち、妖怪どもが活発に動き出す時間帯なのだが、儂が周囲を掃討してしまったので静かなものだった。
 この季節の夜は非常に寒く、あまり外には出歩きたくないので、静かにして欲しい。
 しかし、妖怪退治が依頼なので出たらやらなければいけない。
 本当はこんな面倒なことはしたくはなかったのだが、知己の神にお願いされては断るに断れなかった。
 儂もお人好しというやつかのう。
 苦笑いしながら、電柱から他の電柱へと跳び移る。
 そして他の電柱へと着地した時、白煙を吐き出し続ける煙突に近づいたことに気づく。
 それは火葬場の煙突だ。
 人間の遺体を焼いて骨だけにする葬儀で、国土の狭い日本では土地の確保と、感染症や何より死肉を求めて集まってくる妖怪どもの対策にもなる。
 これも人間の一種の知恵というやつだろう。
 だが普及率はあまり高くないようで、田舎では土葬のほうが一般的でもあり、それを狙う妖怪も多い。
 火葬場に持ち運ばれた遺体はその日の内に燃やされ、遺骨を骨壺に入れ遺族へ渡される。
 地域によって異なるが人口などを考慮し、その火葬場の一日の許容量は余裕を持って作られている。
 遺体を何日も放置することなんてできないからだ。
 それが一般的。
 ただ、今月に入ってからその常識が崩れてきていた。
 火葬場に運び込まれる棺桶の数は日に日に増していき、今では処理能力が追いつかずに棺桶が山積みになり、棺桶が足りずに茶箱を代用する始末。
 流行病――新聞では流行性感冒と呼ばれる物が原因らしい。
 原因は判らず、朝に高熱を出したと思えば夕方には死んでしまうほどの凶悪な病。
 酷い倦怠感や体の節々の痛み、激しい咳を煩うこの病は空気感染するようで、罹患者を増やしていると新聞に書いていた。
 この町も酷い有様で、周囲を見回してもその病のせいで出歩く者はほとんどいない。
 医者もこの奇病に頭を悩ませ、人体実験まがいの治療を行った者もいたらしいが、結局改善されず、治るのを祈るのみと言われるほどだった。
 元々この病は外国で発生した物のようで、感染した者が国内に知らず持ち運び、広めたとも言われるが真相は謎である。
 連日新聞に取り上げられ、田舎では村が感染して多数の死者を出し、子供を失い心中する輩もいる悲惨な状況が書き伝えられ、不安も日本中に広がっていった。
 実は流行性感冒は以前も国内で流行しており、これは二回目の流行となる。
 前回は多数の感染者を出し、その割に死者が少なかった。
 しかし、今回は感染率が少ないが、死亡率が高く、各地で目の前の火葬場のように処理能力を越えた棺桶が運び込まれている。
 そして先ほどのような生まれたてで知能もない妖怪が、焼かれない死肉を求めて各地で大量発生している。
 遺体を求めて力だけは強い妖怪も現れるようで、坊さんや陰陽師、その地区に住んでいる巫女などはそれらの対応にてんてこまい。
 妖怪が見える者が少なくなってきているので、直接的な被害はあまりないらしいが、いない訳でもないので早めに退治しなければいけない。
 妖怪の儂にとっては関係のないことだったが、見事にこの町に来てその騒動に巻き込まれてしまった。
「――――お疲れさまです、マミゾウ」
 背後から声をかけられ振り返ると、淡い桃色の牡丹が描かれた薄紅色の振袖を身に纏った女性が何もないはずの宙に立っている。
 見た目は人間でいう三十代前半の大人びた女性で、肩まで伸びている赤茶色の髪を後頭部の高い位置でまとめ、赤い花の髪留めで留めている。
 髪と同じ赤茶色の双眸を持つ彼女が儂の古い知己。
 この町の神社で祭られている地主神――名は結月と言う。
「まぁ、雑魚相手だから疲れはしないがのう。これくらい造作もないぞ」
 苦笑しながら結月へ笑いかける。
 儂がこの町に来た理由は『遺体を狙って外から来る妖怪を倒す』という依頼を彼女から受けたからである。
 古くならの知己である彼女の頼みで、帝都へ遊びに行く路銀を求めていたのでちょうどよかった。
「わたくしの神社の巫女も働きすぎでいつか倒れるんじゃないかと心配していたので、貴女には感謝しています」
「まぁ、こんなしょっちゅう沸いていたら人間の体力じゃ無理じゃのう」
 儂にとっては疲れなんて微塵もなく、軽い運動程度。
 結月は頭を下げて「ありがとうございます」と微笑んだ。
「そういえば謝礼のほうだが、帝都で豪遊できるぐらいがいいのう」
「…………現金はあまり期待しないでくださいよ」
「判っているわい、その代わりになる物でいいぞ」
「……とほほ」
 困ったように結月が肩を落とす。
 豪遊は言い過ぎたがある程度滞在するための金は欲しいのが心情だ。
だが、神がそこまで現金を持ち合わせているとは思っていないので、何か代わりになる物を期待している。
 期待の眼差しをわざとらしく彼女に向けるが、困った表情をさらに色濃くして、笑って誤魔化そうとしていた。
 ああ、これはダメだ。
 すると火葬場に新しい棺桶が運び込まれる。
 また誰かが死んだのか。
 人間の世界は大変だな。
 他人事なのでなんの感情もなくその光景を眺める。
 ふと、火葬場の近くの路地に男がふたりいた。
 別にそれだけなら気にするほどでもない。
 ただ、そのふたりの雰囲気が少し奇妙であった。
 コソコソと周囲を気にしているかのような様子。
 年配の男に、スーツ姿の眼鏡をかけた若い男が何かを受け渡している。
 何か怪しい取引だろうか、と興味を抱いて見つめているが遠すぎて何をやっているか判らない。
「マミゾウ、あの方たちがどうかしましたか?」
「いや、特にこれって訳ではないが」
「若い方は判りませんが、年配の方はこの町に住んでいる方ですね」
 そうか、頷いてさらに観察を続けてみると、若い男は首からカメラをぶら下げており、恐らく新聞記者だろうか。
 会話が終わったのかふたり共、別々の方向へ向かって歩き出した。
 どういう悪巧みかは気になるが、あまり面白そうには思えない。
 時間があったら調べるか。
 間もなく、逢魔時。
 闇がやってくる。




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