すっかり肌寒くなり、不思議な冬独特の匂いを鼻で感じる。
 年の終わりが近づいてきたことを感じ、寂しい気分に包まれる。
 だけど残りの時間をそんな寂しい時間で過ごすわけにはいかない。
 無数の竹林の中で、永遠とも言えるほどの時間が経過した建物が一つ建つ。
 年季の入った日本家屋、永遠亭の庭先で私は物干し竿に洗濯した兎たちの衣服を干していた。
「鈴仙様ー、私たちの分は全部干しましたー」
 ぴょこぴょこと頭に可愛らしい白い耳を二つ生やした娘が二匹、私へと聞いてくる。
「うん、あとこれだけだから残りは私だけでやるわ、もう遊びに行っていいわよ」
 洗濯籠の中に入った衣服もあと数枚。
 これだけなら私一人だけでも問題ないだろう。
「はーい、判りました。じゃあ行こうか」
「うんー」
 兎たちが駆け足で永遠亭の中へと帰っていく。
 一人になった私は、何も気にすることなく洗濯物を干す。
 肌寒い風に吹かれて干している洗濯物たちが大きく揺らめく。
 靡く音が幾つも重なり一つの音のようになって私の耳の中に入る。
 冷たい風に吹かれて早く永遠亭の中へと戻りたい気持ちが半分と、早く洗濯物を干して出かけたい気持ちが半分。
 バサバサと洗濯物が風に靡く。
 乾いた空気が早く洗濯物を乾かしてくれそうだ。
 それならば出かけて帰ってきたら十二分に乾いているだろう。
「これで最後……」
 残った洗濯物を全て干し、空っぽの洗濯籠のみが残った。
 私は腰を左右に捻り、固まった体を解す。
 腰の骨が清々しく音を鳴らして幾分か体が楽になった。
 周囲を見渡すと、そこにはほぼ全て同じ彩色やサイズ、そして形をした衣服が何十個も風に吹かれて靡いている。
 これは全て永遠亭にすむ妖怪兎たちの衣服……の半分より少し少ないぐらいである。
 永遠亭の妖怪兎たちは数が多く、衣服も予備などがあるので一気に干すことができず、日を置いて分けて干すことにしているのだ。
 しかし、妖怪兎たちはかなりお転婆であるため、よく服を汚してくるのだ。
 前なんか酷かった時には二十匹ぐらいが泥だらけになって帰ってきたのだ。あれは洗濯するのが大変だった。
 とにかく今日の目標は達成されたから、さっさと今日の目的を行なおう。
 私は空っぽになった籠を持って、永遠亭の縁側へと向かう。
 永遠亭からは微かだが、はしゃぎまわっている声、爆笑しているような声など色々な妖怪兎たちの声が聞こえる。
 この時間は特に家事の当番などがなく、暇を持て余している兎が多いのだ。
 そして私も今は暇。
 洗濯籠を縁側の奥へと置いて、私はあと何か残っていないか考える。
 洗濯も今終らせ、掃除も今日は簡単に行い、食事当番でもないから問題ない。
 庭園の手入れも午前中に終らせ、薬の勉強も今日は師匠の都合でなしになっている。
 すると縁側の床が軋む音。
 視線を移動させた先に立って居たのは今、私が頭の中で思い浮かべていた人だ。
 青と赤が入り混じった服装、頭に赤の十字の入った帽子を被り、腰より長い銀髪を三つ編で結んだ女性。
 女性の私からでも絶世の美人と言える顔立ちをしておられるその方は、私の師匠――八意永琳師匠が紙袋を片手に、現れた。
「ウドンゲ、どうしたの、そんな悩んだ顔して?」
 透き通るように妖艶な声で師匠がこちらに向かってくる。
 師匠は私のことを『ウドンゲ』と呼ぶ。
 本当は『優曇華院』なのだが、別に気にしていない。これは私が師匠からもらった大切な名前なのだから。
「いえ、あと何か残っている家事がないか考えていたのです」
「あら、そうなの」
「そういえば師匠、この時間に部屋の外に居られるのは珍しいですね」
 師匠はこの時間は大方自室で新薬の研究や定期的に来る人間や妖怪の患者の診察をしているので、滅多に師匠の部屋以外では見ないのだ。
「いえね……緑茶の茶筒を知らないかしら、朱色の蓋の」
「茶筒ですか? いえ、私は見ておりませんが」
「そう……」
 師匠は顔を顰めて握り拳を口元に当てる。
 緑茶が至急必要なのだろうか。
「師匠、緑茶くらいなら私が買ってきましょうか?」
「ん、そういうことじゃないからいいわ」
「そうですか」
 なんだろう、恐らく師匠の反応から推測するには、朱色の蓋の茶筒に何かあるのだろう。
 さらに師匠のことを考えると、その茶筒に薬を入れている可能性がある。
 師匠は茶筒などの丁度いい大きさの入れ物によく薬を入れる癖があるのだ。
 まぁ、実際に茶筒のお蔭で部屋はかなり整理整頓がされているが。
 もちろん、薬が入っている茶筒は殺菌済みである。
 恐らくその茶筒を誰か妖怪兎が悪戯で持って行ったに違いない。
 この落ち着いた行動の反面、きっと内心焦っているに違いない。それが師匠なのだから。
「……まずいわね」
 ボソッと師匠が何か呟く。
 兎である私の耳はその言葉を聞き逃さなかった。
 やっぱり何か重要な薬を入れたのをなくしたようだ。
 管理はしっかりしてくださいよ……。
 そういえば、師匠の実験室で何回か朱色の蓋の茶筒を見たのを思い出す。
 最近まで結構無造作に置かれていたし大丈夫だろう。
 そんな危ない物を無造作に置いているわけないし。
「……それでウドンゲはどこか出かけるのかしら?」
 顔を顰めていた師匠が私へと問いかける。
「はい、ちょっと出かけようと」
「あの人形遣いの家にかしら?」
「ブフッ!!」
 師匠の的確すぎる問いに思わず噴出してしまう。
「あら、当たりのようね」
 くすくすと面白がるように笑う師匠。
 うう、師匠はなんでこうも私の行動を言い当てるのだろうか……。
「ふふ……そんなことだろうと思ったから、いい物を持ってきたのよ」
「え? なんですか?」
 なんだろう。
 私が疑問に思っていると師匠は片手に持った紙袋を手渡した。
「これ持っていきなさい、いい茶葉が手に入ったのよ。あの人形遣いと一緒に飲みなさい」
 受け取った紙袋には何か堅い筒状の物が入っているのが判る。
 恐らく師匠の言葉から考えると茶筒だろう。
「はい、ありがとうございます」
 最近師匠は私がアリスの家に行く際、たまに今のように何か物を持たせてくれるのだ。
 本当に最近の師匠は不思議だ。
 それでも前と変わらない優しい師匠。私はそんな師匠が大好きだ。
 師匠が居るから私が居る。師匠が居なければ今の私が存在しない。
 私は妖怪だから親というのが判らない。
 だからもし親という存在がいるならば、それは師匠以外ありえない。
 ん、茶筒……?
「……まさか師匠、この紙袋の茶筒が探している茶筒じゃないですよね?」
 まさか師匠に限ってそんなミスするわけがない。
「違うわよ。心配なら確認してみたら?」
「じゃあ……」
 疑うわけではないが、やっぱりそんな話題が出た後だから少し心配になる。
 ガサガサと音をたてて紙袋を開ける。
 中には黒い茶筒が一個だけ入っていた。
「どうかしら?」
「あー……疑ってしまって申し訳ありません」
 うぅ、やっぱり自分はバカだ。
 師匠が入っていないって言ったら信じればよかったのに。
 自分の行動に情けなさを感じる。
「いいのよ。それより早く出かけたほうがいいわよ、すっかり陽も傾いてきたし」
 師匠が私の頭をポンポンと撫でてくれる。
 すると私の中に安堵のような気持ちが膨れ上がっていく。
 師匠は本当にお優しい。こんな抜けている私をずっと弟子として育ててくれる。
 感謝の気持ちが量れないほど大きい。
「はい、じゃあ行ってきます」
 私は師匠に一言継げて、足早に出かける。
 今日は何かいい日になりそうな予感がする。
 私は心を浮かばせながら永遠亭の庭先を歩く




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