晩夏の清々しい暑さも徐々になくなり、薄着では肌寒さを感じる秋へと季節が移り変わる。幻想郷に広がる木々の葉は、ちらほらと紅葉が混じり始めていた。
 野生の動物たちは冬眠に向けて動き出し、人間たちも冬の用意を着々と進めている。
 妖怪たちは冬の寒さをどうするかと考えているが、人間や動物たちと違ってあまり気にならないので、ついで程度としか考えていない。
 人間たちが棲む里の周囲にある田んぼの稲穂が稔り、綺麗な黄金の草原を作り出し、秋風に揺れて、さらさらと稲穂が大合唱を奏でる。
 稔っていることを喜んでいるのか、それとも人間たちに収穫されてしまうことを嘆いているのか。聞き方によっては悲しい合唱である。
 春とはまた違う眠気が幻想郷を覆い、私がいる命蓮寺にももちろん漂っていた。
 見た目は帆船のようだが、舟の上に寺がそのまま乗っているという不思議な構造。内部は舟というよりは居住することを目的とした作りであるため、快適な環境である。
 それにこの舟は水上を走るのではなく空を飛ぶため、舟としての機能はほとんど必要ないと言っても差し支えがない。
 木材でできた床は秋風に冷やされ、湿気がまったくないため前よりもザラザラとした表面をむき出しにしている。
 干していた衣服や布巾などを、あまりシワが出来ないよう丁寧に畳みながら年期の入った木製の籠に入れていく。
 陽の光や外気に晒されていた洗濯物たちは、含んでいた水分をすべて蒸発させ、ふかふかで肌触りが気持ち良い。抱きしめながら横になると、ぐっすりと眠れそうである。
 前まではこの舟も空を飛んでいたのだが、最近は改装されてしまい飛ぶ機会がなくなってしまった。まぁ、お蔭で洗濯物を干せる時間帯が増えて満足なのだけど。
 命蓮寺に住んでいる者は、ほとんどが女性であり、一応身の回りのことは気にしているので、頻繁に洗濯の時間ができて物干し竿の空き待ちということもやらなくて良くなった。
 ネズミの妖怪である私も身だしなみには気をつけ、清潔にしている。
 肩まで伸びた淡い灰色の髪が風に揺られ、前髪が少し視界を塞ぐ。乱れた髪を人差し指で整える。
 まん丸で大きなネズミの耳を二つ、ピクピクと揺らしながら夏の終わりを感じる。
 長い尻尾の先に引っかかっている小さな籠から顔を出すネズミも、小さな体を震わせる。
 足下にいるネズミたちも陽の光を吸収して暖かくなっている洗濯物が入っている籠へと侵入していく。ネズミたちはそこまで汚れている訳ではなく、むしろ清潔に生活しなさいと注意を促しているので綺麗である。お蔭で私の周りにいるネズミたちは命蓮寺の住民たちに可愛がられている。
 洗濯物の布団に飛び込もうとしているネズミたちを無視して、甲板の床に置いていた籠を持ち上げる。
 当たり前だが籠は取り込む前よりも重量感を増している。取り込んだ洗濯物や潜り込んだ何匹かのネズミの重量が洗濯物を取り込んでいるという実感をくれる。
 足下ではふかふかの簡易布団に飛び込めなかったネズミたちがチョロチョロと駆け回っている。
 ここで甘やかして籠に入れると、今後増長してワガママを言い始める可能性があったので、心を鬼にして命蓮寺内へと歩を進める。
 足下から、入れさせてー、布団ー、ナズーリン様ー、などの叫びが聞こえてくるがとにかく無視をする。何より風が少し冷たかったし、現在の体調が長く外にいるのはいけないと告げてくる。
 季節の変わり目とは気をつけないと体調を崩すことがある。きちんとした生活を送っていれば健康に生活できるはずなのだが、どこで間違えたのか風邪を引いてしまった。
 風邪とは人間にだけ起きる病気かと思われがちであるが、体が丈夫な妖怪でも風邪を引くことはある。
 だけど大人しく寝て休んでいればすぐに治るので、今日はもう寝床に着いて安静にすることに決めた。
 熱でボーッとする意識の中、命蓮寺内へと歩を進める。
 風がない分、外より少し暖かい屋内の廊下を歩くと、足の裏に冷たくなっていた廊下の硬い感触が伝わってくる。
 ペタペタと床板を踏む音が一定間隔で繰り返される。
 足下で群がっているネズミたちも籠の中に入るのを諦めたのか、大人しく私の後をついてくる。
 恐らく籠を置いたら潜り込むつもりなのだろうが、その前に洗濯物を衣装箪笥に閉まってやろう。
 ネズミたちの考え読みとり、先手を打とうと考えていると、正面から一人の女性がやってくるのに気づいた。
 体調不良な今の状態であまり彼女には会いたくなかったのだが……ここは上手く誤魔化すしかないようだ。
 表情に風邪を引いていることが出ないように気合いを入れる。
 正面から来る女性は、紅色を基調とした衣服に虎柄の前掛けを着け、体に巻き付く一切の汚れがない羽衣が宙に浮く。袖も羽衣と同じく真っ白で衣服の紅色と混ざって綺麗に見える。
 身長は私よりも頭一つ分以上は大きく、衣服で詳しくは判らないがほっそりとした体つきをしているかのように思える印象を持てる。
 金色に輝く髪は肩にかからない程度まで伸びており、その頭には鮮やかな華がとけ込むようについていた。
 細いまっすぐとした眉、無駄な肉がついていない整った顔つき、相手を優しく見つめる眼。
「ナズーリン、洗濯物を取り込んでいたのですか?」
 毘沙門天様の代理を務める妖怪――寅丸星がなんとも落ち着いた、というよりも脱力したような表情で話しかけてきた。
 とても神様の代理を務める者とは思えない表情や覇気であるが、毘沙門天様が許可したのだから仕方がないし、一応私のご主人として何百年も一緒にいたので、この妖怪が代理にふさわしいことは判っている。
 だけどそんな間抜けで平和ボケしているような表情をされると、何百年も一緒にいて判った感覚が覆りそうである。
 実際のところ今は命蓮寺の者はすべて揃っているので、平和ボケをしているのも仕方がない。と頭の中で判っていても、自然と口が動いてしまう。
「ご主人、その締まりのない顔をなんとかしたらどうだい?」
「え? そんな表情をしていましたか?」
「ああ、とても間抜けな表情だったよ。毘沙門天様の代理ならもっと威厳を出したらどうなんだい?」
「そうですか……気をつけてみます」
 そう言うと、ご主人は表情に力を入れてきっと本人的には威厳のある表情を作ろうとしているのだろうが、今作っている表情は威厳があるというよりは、悩んでいるような表情だった。
「こ……こんな表情ですか!?」
 表情がまた変化して、むしろひょっとこのような間抜けな顔になり始めた。
 恐らく、いや、きっと彼女は真面目なのだろう。
 真面目だと信じたい。
 真面目であって欲しい……。




前のページに戻る


TOPへ戻る