いつから此処にいるだろうか。
 昨日? 一年前? 十年前? 百年前? 千年前?
 そんなことは誰にも判らない。
 私はずっと此処に居るのだから。
 人の目に触れることもなく、ただ毎日を此処で過ごす。
 生きているのか、死んでいるのかも判らない。
 いや、私はもう死んでいるのかもしれない。
 私という形の人形が勝手に動いているだけかもしれない。
 昔の私はもうとっくの昔に死んでしまった。
 幾日もここで過ごしていた。感情なんてその幾日の間に無くしてしまった。
 真っ暗なランプの中ではいつも一人ぼっち。
 ランプの中で起きていても一人ぼっちなのだから私は眠り続ける、誰かがランプを擦って私を目覚めさせてくれるまで――――


          ☆


 数千年も遥か昔。砂漠の中に聳える大国。
 この国は商業が栄え、魔術も世界でも指折りになるほど発達していた。
 砂が吹き荒れる砂漠の大国。この国を纏める一人の男がいた。
 その男は若くして国の王となり、国のために尽くし、国民のために身を粉にした。
 国王は魔術に長けており、他国との争いの場に置いても先陣を切っていた。
 人々は国王を愛し、国を愛した。

 ある日、国王に吉報が届いた。
 それは国王が愛する妻が子を生んだとの知らせであった。
 国王はすぐさま妻がいる寝室へと駆けつけた。
 そこには妻の細く美しい腕に包まれるように眠る小さな小さな命があった。
 その命は黒髪が美しい赤子だった。
 国王は大層喜び、国務の合間を作っては赤子に会いに行くのであった。
 国は国王の赤子の誕生に喜び、祭りを行い祝した。
 赤子はすくすくと育ち、国王は赤子が何か行うたびに喜びになった。
 その赤子も十五歳となり、国で一番美しい少女と称されるほどになっていた。
 国も次第に巨大になり、さらなる富と国民が増えていった。
 国王も国務が増え、忙しくなったものの娘への愛は忘れなかった。
 母も病弱な体を持ちながらも娘と国王へ愛を注いだ。

 幸せだった。

 娘は父親の血を受け継ぐほど強力な魔力の持ち主だ。同年代の子供とは比べ物にならず、大の大人並の能力を持っていた。
 娘は人が好きだった。街が好きだった。国が好きだった。全てが好きだった。

 ある時、娘は恋をした。
 それは城の近衛兵の男だった。
 男は若く美しい顔立ちであり、聡明で魔術の技術力は国の中では優秀だった。
 何より男は他人に優しく、心が温まる感じがあった。
 娘は毎日のように男に会いに行った。
 男は娘のことを国王の娘としか見てくれず、一人の女と見てくれなかった。
 彼女は男へと思いを様々な形で告げようとするが、男は鈍く、その思いに気づかなかった。
 娘の思いは次第に大きくなり、男もその思いに気づいていった。
 そして娘の思いは男へと届いた。
 娘と男は結ばれ、幸せの絶頂にいた。
 娘は男に会いに行く。男も娘を待っていた。
 しかし、ただの近衛兵の男が国王の娘と恋愛関係にあると知られればただでは済まない。二人は誰にも気づかれず、互いに夜な夜な愛を確かめ合っていた。
 男へと思いが伝わった日に娘は生まれて初めて接吻をした。
 唇が他人の唇へと当たり、温かいぬくもりが伝わる。
 体が近づき服の上から絡み合う。体が火照り、唇を何度も、何度も情熱的に重ね合わせた。
 娘は男の口の中へと舌を入れる。
 男の舌と娘の舌は絡み合い、娘の頬は紅色に染まる。
 二人が唇を離すと娘と男の唇が唾液の糸で繋がっていた。
 二人は見つめ合った。お互いを愛しく、熱く見つめた。
 幸せだった。



 ある日、母が病に倒れた。
 あらゆる治癒魔法を駆使したが、病状は良くならず、日々弱まる一方だった。
 国王は母の病を治すために国中から腕利きの治癒魔法使いや医師、薬剤を集めたが、駄目だった。
 娘も毎日のように母の枕元に行き元気付けていた。
 そんなある日、国王が地下の一室に篭った。そして次の日、母親の病が治っていた。跡形もなく不思議なほど綺麗に。
 国王は喜び、娘も喜んだ。国中が喜び、全てが幸せに終わったように感じた。
 しかし、その日から国王は夜な夜な地下へと足を運んだ。
 地下へは国王ともう一人、毎日違う人間が降りて行った。
 娘は不思議に思っていても父のすることだと思い、何も気にしてはいなかった。
 だがある日、娘が愛した男が国王と共に地下へと降りて行った。そして、その日から男の姿は場内から忽然と消えた。
 娘は一日中城内を探し、他の近衛兵に男の場所を聞いたが知る者はおらず、結局男は見つからなかった。
 娘は悲しんだ。しかし、最後に男を目撃した場所を思い出した。
 国王が地下へ行ってはいけないと言ったが、娘は気にせず地下へと降りた。

 冷たい螺旋状の石段を降りた先には硬い鉄の扉があった。
 その重たい鉄の扉の先には全て石で造られた冷たく寒い空間だった。
 部屋の中央には石で造られた台座があり、その上にはこの空間と違う存在のように黄金に煌くランプが置いてあった。
 目を奪われるほど美しいそれを娘は手に取った。
 黄金に輝くランプは部屋の松明により照らされて美しく存在した。
 娘はランプを様々な角度で見たり、擦ったりしてみた。
 するとランプは眩い光に包まれた。
 娘は驚きランプを手放すと。ランプは宙に浮き、ランプの口からもくもくと黒い煙が出てきた。
 娘は驚き、それを注視する。すると黒い煙が形を作り、鍛えられた体躯の男の形となった。
 ――――誰?
 娘は黒き煙へと聞いた。
『我はランプの魔人』
 黒き煙はそう答えた。
 ――――貴方は、何?
 少女が聞いた。
『我はランプの魔人。ランプを擦った者の願いを叶える存在』
 魔人はそう答えた。
『我を擦ったのはお主か?』
 娘は恐る恐る頷いた。
『お主が今日の生贄か?』
 ――――生贄?
『……あの男がおらぬのなら違うか』
 ――――あの男?
『この国の王と称する者だ』
 娘は自分の父、国王だと判った。
 国王が何故、こんなモノ≠ニ関係あるのだろうか。
 娘は嫌な予感を漂わせながら魔人へと聞いた。
 ――――その男と、一緒にここに来た人は?
 魔人の形をした煙は不気味に笑った。
『我をここに留めるための生贄となった』
 娘は目を見開いた。
『王は残りの願いをいざという時に使おうと我を此処へ留めようとしたのだな。しかし、我も意味もなくここに留まる理由もない、王は我に頼んだ、我はこの場所に存在するために魔力を欲した。すると王は我への生贄を用意した、人間一人で一日は我は此処に存在できる。そして昨日、王はより一層魔力が強い人間を連れてきた、その人間は我を一年ほど存在させるのには十分な存在だった』
 娘の心臓が早く打つ。
 信じたくなかった。そんなことあるわけがない。
 優しかった父が、そんなことをするわけがない。自分の願望のために他人を犠牲にするわけがない。
 では、地下に消えた愛しい男や人々は何処へ消えた?


 嘘だ、嘘だ、嘘だ、ウソだ、ウソだ、ウソだ、うそだ、うそだうそだうそだうそだうそだ――――


 娘は力なく膝を冷たい石の床へと着く。
 全身が小刻みに震える。
 頭を掻き毟り、首が?げると思うほどに振る。
 目を見開き、喉が人の声とは思えない声で枯れるほど叫び続ける。
 地下の石部屋から娘の悲痛な叫びが誰にも気づかれることなく響いた。



 いったいどれくらい時間が経過しただろうか。
 娘は泣き疲れ、力なく座り込んでいた。
 叫び続けて喉は潰れて、掻き毟った頭からは鮮やかな真っ赤な血が流れ落ちていた。
 衣服に無数の赤い染みを作り、娘の周りには黒い髪が何本も束になって落ちていた。
 目は虚ろになり、美しい黒髪は乱れている。
 娘はぶつぶつと、ウソだ、と呟き続ける。
 父から裏切られ、愛しい男も死んでしまった。娘は全てを失ってしまった。
 いや、まだ何か残っているかもしれなかった。
 しかし、幼い娘にとっては耐えられないほどのことだった。
『愚かな王の子よ』
 黒き魔人がそこに居た。
 しかし、娘の瞳は何も見ていなかった。
『この世界で、お主は生きられるか?』
 娘は首を静かに左右に振る。
『では、我の変わりにランプの魔人として生きるか?』
 その魔人の言葉に娘の虚ろな瞳が動く。
『我は何万年も魔人として生きた。しかし、我もそんな生き方が疲れた。もう消えたいのだ』
 魔人は静かに、悲しく語る。
『お主が望むなら、即刻この場で契約を行い、お主はランプの中へと閉じ込められ、ランプを擦った人間の願いを三つ叶える仕事が与えられる。我は契約を行った後、跡形もなく消える。それで我は安心して眠れるのだ。……娘よ、お主は、ランプの魔人として生きるか?』
 魔人は問うた。
 少女は頷く。生きる意味を失い、人を信じられなくなった幼い少女には、頷くしかなかった。
『了解した。我と契約した後、お主は即座にランプの魔人となり、ランプは世界のどこかへと飛ぶ。そして、ランプを見つけた人間の願いを叶えるのだ』
 確認するように魔人が静かに喋ると、娘の体が光に包まれる。
 意識が遠のく中で魔人の悲痛な声が聞こえた。
『――――すまない』


          ☆


 夢を見ていた。
 いつも同じ、生まれた時から魔人になるまでの夢。
 あの後、父や母がどうなったか知らない。
 遥か昔に死んでいるのは確実だ。
 しかし、悲しくは無かった。
 魔人として生きてからは感情を無くしたようだ。
 いや……人を信じられなくなったからかもしれない。
 真っ暗な世界では感情は邪魔な存在だった。
 だから悲しくもないし、この闇の世界も怖くない。
 そう思っていても孤独だけは取り除けなかった。
 寂しく、悲しくなってもそこには自分以外なにもいない。
 ランプを擦って外界へと呼び出されても、そこには欲望と願望、恨みに包まれた人間しか居らず、少女を見てくれる人間は居なかった。
 ある者は富を求め。ある者は力を求め。ある者は国を求め。ある者は一人の人間を殺すために願った。
 全ての願いを叶えた。そして人の醜さを全て見た。
 少女は黒き魔人が言っていた言葉を思い出した。
『――――疲れた』
 今になるとその意味が分かる。娘も疲れ始めてきた。
 それでも休めなかった。黒き魔人のように消えれなかった。
 次のご主人様がランプを擦ってくれるまで眠り続ける。
 眠り続けて過去の夢を見続けるしか此処には存在しない。
 少女は見続ける、愛しい男との夢を。それが、少女の支えだった。



 少女は目を覚ました。
 まだ、次のご主人様が来る気配が無い。
 しかし、目の前には不思議なものがあった。
 少女の傍には一人の女性が座っていた。
 栗色の髪に美しい顔立ち、スラリとした体型が目につく。
「あら? 起きた?」
 女性は大人びた声で少女へと言った。
「……貴方は?」
 少女は訝しみながらも女性へと聞いた。
「私は、通りすがりの女性です」
 女性はそう言った。
「…………」
 少女は警戒するように女性から間を開ける。
「はい、そこ。離れない」
 女性は離れる少女を捕まえて無理矢理近づく。
「貴方、名前は?」
 女性に聞かれたが少女は答えられなかった。名前なんてもう忘れてしまった。夢にも名前は出てこないのだから。
 黙ってしまった少女を見て女性は微笑みながら言う。
「そう、言えないならいいのよ」
 少女の頭を撫でる女性。
 少女は懐かしい気持ちになった。こんな気持ちは何千年ぶりだろうか。
 女性は語った。いつのまにかこの場所に居て、そこには眠っていた少女が居たので起きるまで待っていたらしい。
 最初は警戒していた少女だったが、積極的に話しかけてくる女性に次第に心を開いていった。
 こんなに話したのは何年ぶりだろうか。
 少女は久々に楽しく暖かい時間を過ごし、徐々にだが感情を取り戻していった。
 そんなある日、女性が言った。
「……あの人が」
「あの人?」
 鸚鵡返しのように少女が聞き返す。
「ごめんね、もうそろそろお別れみたい」
「え? 何故ですか?」
 突然のことに少女が驚く。女性は少女の頭を撫でながら言う。
「私の恋人が貴方のランプを持ったまま生き埋めになってしまったみたい」
「え……」
「あの人は貴方の力を使って私を蘇らそうとしているの。でも死んだ人間は蘇らせてはいけないの。だから私が今から彼に会いに行くの」
「でも……、もう一人は嫌、一人は怖いの、寂しいの」
 少女が顔を歪ませ、瞳には涙を浮かべる。もう、あの孤独には戻りたくなかった。
 泣きそうになる少女の黒髪を撫でながら女性は優しく言った。
「私とはお別れだけど、彼――サラバンドなら、貴女をこの孤独から救ってくれるわ」
 そう言うと女性の体は砂塵のようにゆっくりと細かく消えていく。
「じゃあね、小さな魔人さん」
 満面の笑顔を作り女性は跡形も無く砂塵となって消えてしまった。
 それと同時に、真っ暗なランプの中へと入り口の光が差し込む。



 ランプの外へと出た少女。
 そこは一面砂しかない丘。砂塵が巻き起こり、少女を包んでいた。
 傍に男が倒れていた。
 その男を見て少女は驚いた。
 数千年前に少女が愛した近衛兵の男と瓜二つの男がそこに倒れていた。
 だが彼は少女が知っている男とは違う。
 愛する男は死んだのだから。
 それでも少女は女性の言った言葉を思い出す。
 女性の言葉を信じよう、この男が少女を呪縛から解放してくれることを。



 少女は泣きながら微笑み、男を細く美しい腕で抱きしめた。





 もしよかったら感想をどうぞ。

前のページに戻る


TOPへ戻る