西暦二千十年、人が空に移住してから早千年。
 人々は天空都市を造り、住めなくなった地上を捨てて、大空での新たな生活を始めた。
 そして世界は、アメリカ、ニホン、チュウゴク、ロシア、フランス、インド、オーストラリアの七大天空都市に別れた。
 それぞれの都市では百万人程度の人口で、それぞれの人種をしている。
 ――そう、学校で学んだことである。
 この世界に住んでいるのなら誰でも知っていることである。
 小さい頃から教えられてきた、それが常識だと思った。



 夕暮れが街を紅く照らしながら、秋の終わりを感じさせる肌を刺す冷たい風を受ける。それぞれ違う玄関の造りを並べる住宅街を突き進みながら家路へと向かう。
 白のTシャツの上に赤いチェックのシャツを着ているという簡単な姿の少年――ツカサ・キリュウは寒さに後悔しながらも家であるアパートへと向かう。
 彼は十五歳で一人暮らしという奇妙な生活を送る。
 生まれた時には既に施設におり、肉親や親戚はまったく謎のまま。
 身元不明の赤子として施設に預けられた。
 そんな生い立ちのせいか、ツカサは人と関わろうとはあまりしなかった。
 さらには生きている意味さえ疑問に思う人生を送っている。
 学校ではあまり喋らない何を考えているか分かりにくい子とされていたが、実は喋れるほうである。ツカサに喋りかけようという人間がおらずに、喋ることが無いのでそのような印象を受けるのである。
 ツカサは明るく元気な子供だったが、親がいない、施設育ちなどの理由で虐めを受けて、自分からは喋らないようにしていた。
 そのせいで友達といえる人は存在せず、クラスからも孤立している。
 現在住んでいるアパートはかなり古く三十年以上前に作られたらしい。
 そのアパートは施設の園長先生が持っているアパートで、施設を出ても暮らせない人に格安での使用を許可している。
 ツカサもそのアパートに暮らし始めたが、学生は働くことも困難なので家賃を滞納している。
 園長先生は施設でまだ暮らしなさい、と言ったがこれ以上人の世話になったら自立する自信が無くなるので、早めに自立の練習とツカサは言っている。
 アパートは音が響く錆び付いたステンレスの階段を上り、一番奥の部屋がツカサの部屋である。
 部屋の中は居間、台所、トイレのみの造りになっており、風呂は近くの銭湯を使用している。
 部屋に帰っても特にすることは無く、時間を割いてやったアルバイトの給料も節約しないと危ない。
 中学を卒業したら高校へは進学せず、仕事先を探すつもりだ。
 園長先生は高校へ行くことを進めてくれたが、あまり乗り気じゃない。
 しかし今日は何か肌寒く感じ、いつもと違う部屋のように感じる。
(さっさと銭湯に入って寝るかな)

 トントン――――

 玄関のドアがノックされる音が響く。
 誰だろう? 園長先生かな?
 そう思い、ツカサが玄関のドアを開ける。
「はい、どちらです――」
 言葉が途中で途切れた。
「ツカサ・キリュウさんですね?」
 ドアの前に立っていたのは、皺一つ無い黒いスーツに調えられた黒髪、汚れ一つ無いカッターシャツに輝く黒塗りの靴、黒の丸渕のサングラスを掛ける、立派な体躯の男が立つ。
「ご同行を、願えますか?」
「え? ご同行って……」
 すると丸渕のサングラスを掛けた男の両脇から同じ姿をした男二人が入ってきた。
「ちょ、ちょっと」
「こちらもあまり時間がありませんので、手荒な真似をさせて頂きます」
 丸渕のサングラスを掛けた男は口だけを淡々と動かす、その間にツカサは床に押さえつけられ、猿轡を咬まされ、手足を縛られて拘束された。
「では、行きましょう」
 そう言うと、丸渕のサングラスの男は玄関からは見えなくなり部屋へと侵入してきた黒服の男たちは、それぞれツカサの両脇を持ち、部屋から連れ出した。
(こいつら一体何者だ? 警察とかそういう類じゃ無さそうだ。やはり何か危険な組織か? だけど、俺を攫う理由が分からない)
 色々思慮していると、いつの間にかアパートの前に止められていた黒塗りの車の横にまで移動していた。
「さぁ、どうぞ」
 丸渕のサングラスの男が車の後部座席のドアを開けて、大げさにお辞儀をする。
 両脇を持った男たちは以外に優しく後部座席へと座らせ、猿轡と手足の縄を外した。丸渕のサングラスの男が横に座る。
 ツカサの両脇を持っていた男たちは、運転席と助手席にそれぞれ座る。
 車のエンジン音が掛かる音が響き、ゆっくりとツカサの不安を乗せたまま走り出した。
「すみませんね、手荒な真似をして」
「…………」
 丸渕のサングラスを外し懐にしまう男。鋭い眼光だが、男は微笑みながらツカサを見てきた。ツカサは目を逸らさず、しかし沈黙を保ったままである。
「ふむ、警戒するのはしかたないですね。まぁ目的地に着くまで外の風景でも楽しんでください」
 そう言うと男は後部座席のシートに深く腰掛け、正面を向いたままツカサに興味を失ったかのように黙ってしまった。
 しかたないのでツカサは車の外の流れる風景を、ただ漠然と眺めている。
 静まり返った住宅街、等間隔に並ぶ街灯、しばらくすると街に出る、すれ違う対向車線の車、イルミネーションが輝く建物、二十四時間営業のコンビニエンスストアやカラオケ店、それが全て流れていく、等間隔に流れる光はツカサの眠気を誘う、そして意識が途切れた。



「――――さい、――さ――」
 深い眠りから、体を揺すられ無理矢理覚醒させられた。
「やっと目覚めましたか。攫われたのによく寝れますね」
 寝ぼけながら声のする方を見ると、丸渕のサングラスを掛けた男が眉を顰めながらツカサを見ている。
「ん――っ」
 伸びようとすると、車内の天井に手が当たる。
「んー……」
 まだ寝ぼけている頭で必死に思考する。丸渕のサングラスを掛けた男を見つめること数秒。
「……あっ! 俺を攫ったやつ痛ッ!」
 男を指差しながら叫んだ。叫んだ勢いで後方に飛び退いたが、天井に頭をぶつける。
「何やっているんですか、自分の身に起きた事ぐらい覚えてください。まったく、なんでこんな少年が神の申し子なのか」
 ツカサが頭部の痛みに耐えていると、男がブツブツ言いながら車外へと出る。
「さ、早く降りてください」
 涙目で車外へと出ると。
「うっ――」
 強烈な光に包まれて、顔を顰めるツカサ。
 徐々に目が慣れるとそこは巨大なコンクリートの道路、滑走路のど真ん中にツカサと車がいた。
 飛行所と思われる場所は滑走路の周りに巨大な照明が等間隔に並び、照明が無い滑走路の先は暗闇に包まれていて見えない。
 滑走路は一つでは無く、さらに向こうにも一本存在するが、そちらの滑走路の照明には灯りが灯っていなかった。
 その灯りが点いていない滑走路と反対側には巨大な四角い箱が見える。その箱の中には飛行機が見える。しかし、その飛行機は普通と違った、翼の下には長細い筒が有り、何より違うのが旅客機の様に先端は丸くなく、尖っており、全体に細い作りの飛行機。
 ツカサはそれを何回かテレビで見た事がある、漫画やゲームでもある。
 戦闘機。軍隊などが持つ戦う飛行機。
 実物を見るのは少し遠目であるが初めてだ。
「軍……施設?」
「その通りです。流石と言うべきか、頭は回る方ですね」
 ツカサの呟きに答えるように、男が答えた。
「ニホンの軍事基地、その滑走路の中央に我々はいます。ではこちらへ」
 男はツカサに背を向けて歩き出した。すると男の歩く先に飛行機の後姿が見えた。
 しかし、その飛行機は初めて見る形をしている。
 全体的に戦闘機を感じさせる造りになっているが、通常の旅客機並の大きさがあり、二等辺三角形の形をし、機体は燃えるように赤い色が照明に照らされて目立たされたいた。
 ツカサの後ろには先ほど自室で両脇を持っていた男たちが無言で立っていた。
 逃げれないと思い。しかたなく丸渕のサングラスの男の後を追う。
 男の後を追うと、男は謎の機体の左側面、その左側面から機内へと階段が続いていた。
「さぁ、どうぞ」
 そう男が言い、階段を上っていく。ツカサも男の後に続くと後方の男たちも続く。
 階段を上りきると中は明るく、飛行機と思えないほど広い廊下が続く。地面には赤い絨毯が広げられて、壁は傷や汚れが無い白、天井には埋め込み式の照明が規則正しく間を空けて煌々と輝いている。
「こちらへ」
 見とれていると男が歩き出していた。
 気を取り直して追いかけると。入り口から機械音が流れて、振り向くと先ほどまで存在した入り口は跡形も無く、そこが元々壁のようにないた。
 今までツカサの背後に居た男たちはツカサが進む方向とは逆の方向へと進み、どこかへ消えてしまった。
「どうかしましたか?」
 男がツカサが動かない事に気づき、呼びかけてきた。
「いえ……」
 ツカサは不安で満たされる。
 しかし、もう後戻りはできない。ここは素直に従ったほうが得策だ。
 ツカサは男がいる道を歩き出す。
 男は笑顔になり、歩き出した。
 ツカサは男の後ろを歩く。何枚か自動ドアを通ると、男は両開き戸の大きめなモダンドアの前で立ち止まる。
「頭首、ツカサ・キリュウさんをお連れいたしました」
 男が扉へ向かって発言する。
(頭首?)
 頭首という事は、こいつらのリーダーという事か。
『どうぞ』
 扉の向こう、いや扉に付いているスピーカーから響く。
 しかし、その声は透き通る少女の声が扉の前に響く。
(女……?)
「では、行きますよ」

 ツカサが疑問に思っていると、男がドアへと一歩近づく。
 すると扉は左右に自動に開き、中の光景が開く。
 皮製のアームチェア、丸テーブル、横幅は自分の身長程あると思われる巨大な壁掛けテレビ、部屋全体を鮮やかにする観葉植物、何故かよく解らないが巨大な角を生やした鹿の頭が壁に張り付いている物、そして床は一面をクラシックのカーペットが一面に引かれていた。
 しかし、何よりも目立った存在が部屋の中央にいた。
 白い蜘蛛が描かれた真紅の着物を着、流れるように美しい黒髪を背中に垂らしている美しい顔立ちの少女が、微笑みながらツカサを見ていた。
「ようこそ、ツカサ・キリュウ」
 ドアの前でスピーカーから流れてきた透き通る声。
「突然、同行してもらってすいません」
 少女の微笑みを見てツカサは見惚れる。
「しかし、神の申し子として目覚めた貴方は早急にこちらに来てもらう事になりました」
「神の……申し子?」
 見惚れていたツカサは、少女の言葉を鸚鵡返しに聞き返す。
「えぇ、神の申し子」
 少女が頷く。
「神の申し子とは私たちの国、ライズラスクで過去に行われていた計画の一つです。遺伝子操作により、特殊能力を持った人間を作り、軍事に役立てようとしましたが、計画は途中で頓挫し、プロジェクトチームは解散しました。しかし、数年経った現在、神の申し子の計画は秘密裏に進み、最近はその力に目覚めた者が数多く確認されています」
 少女は淡々と話す。
「……」
 その話を聞くツカサ。そんな話をいきなりされても困る。
 しかも、こいつらは人を拉致した組織だ。信じるのも危ない。
 ツカサが思考錯誤していると。
「……まぁ、突然こんな話をしても信じろと言う方が無理ですね」
 少女が言う。ツカサは首を縦に振り頷く。
「では、しかたありませんね」
 すると、少女は真横にある丸テーブルの上に置いてある桃色のハンカチを指差す。
 ツカサがハンカチに視線を送る。
「――――ッ!!」
 次の瞬間、驚愕の出来事がツカサの目の前で起きた。
 ハンカチが宙に浮き、空中で畳んでいた形をゆっくりと、丁寧に開いていく。もちろん誰もハンカチに触っておらず、まるで透明人間がハンカチも持っているようだ。
 ハンカチは宙で開ききると、また丁寧に勝手に畳みだした。
 その一部始終を固唾を呑んで見ていると、畳み終えたハンカチは、ツカサへと飛んでいく。
 ツカサはそれを受け取ると、何か仕掛けが施されていないか入念に調べていく。
 しかし、まったくそういう類の仕掛けは無く、ただ普通のハンカチだった。
 しばらくハンカチを調べると、ツカサがまだ調べているハンカチは手の中から抜け出し、また丁寧に畳みながら少女へと飛んで行き、畳み終えると同時に少女がハンカチを受け取り真横の丸テーブルに置く。
「これぐらいで、信じてもらえればいいですが」
 少女が微笑みながら、しかし不安そうな顔で聞いてきた。
「……一応、信じるとして。俺にその力があるのか? まったくそういう能力に心当たりが無いんだが」
 まだ、心の中は混乱しているが、なんとか冷静に対応する。
 しかし、内心まだ信じれない。マジックの類かもしれないし、催眠術の類かもしれない。だが、自分の中では嘘と思えない感じが存在した。
 少女はツカサの質問に困った顔をし、悩んでいる。
 しばらくすると、諦めたようにため息を吐きながら言う。
「……実は、貴方は今日、覚醒したのでどんな能力があるか、不明なのです。神の申し子は覚醒すると一定の波動が出るためそれ専用のレーダーなどに反応して探せるのですが、能力は何かはまったくの不明なのです。実際に能力を使用してもらわないと、どんな能力かも分からないのです」
「人を連れ出しといて、それは何か酷いな」
「すいません……」
 少女が本当に申し訳なさそうに謝る。ツカサは慌てる。
「そ、そういうつもりじゃ……、そういえば神の申し子って他にどんな能力があるの? と言うか、君も神の申し子なんだ」
 無理矢理話題を変えるツカサ。
「えぇ、私も神の申し子の一人です。現在、確認されている神の申し子は三十四人。その中には耐熱効果を持った体や、水の中で生活できる能力、背中に羽根が生えた人、光を吸収する能力など色々です。私は布を自由に動かせます」
「なんか、軍事に利用できるかは分からない能力ばっかだな」
「研究所でも作ったのはいいですが、どんな能力になるかは分からなかったそうです」
「じゃあ、参考にしても意味は無いか……」
 自分の能力が分からず、不安の中にいる恐怖。
「では、そろそろ本題へ……」
 悩むツカサはその言葉に顔を上げる。
「本題? そういえば、ここに連れてこられた理由を聞いていなかったな」
 ここへ連れられてきた理由。
 やはり、今話をした神の申し子に関係するのだろうか。
「貴方たちが住む空中都市。これは地上に住めなくなった人々が空へと住居を移したことを知っていますね?」
「あぁ……」
「実は空中都市はそういう訳で人々が移住した訳では無いのです」
「え? どう言う事?」
 少女の言葉に驚きながらも聞き返す。少女は淡々と返す。
「地上は今でもまだ人が住んでいます。しかし、千五百年前に地上と空との大規模な戦争を起きたのです」
「…………」
「その戦争は地上が勝利し、空の国は文明を大規模に遅らせる事にしたのです」
「遅らせる……?」
「えぇ、空の国の科学力を大幅に削り、大規模な情報操作を行い千年前に文明の退化は成功し、貴方が過ごしている世界は千年前からあの姿なのです。少しでも文明が進むなら、こちらの国が情報操作を行う事を繰り返すのです」
「――――ッ!」
 驚愕の事実にツカサは言葉が出ない。
「しかし近年。我が国ライズラスクで過去に行われた研究が空中都市内で行われていることが判明しました。過去の研究員が空中都市に不法に入国し、今も続けている事が判明したのです」
「……それで俺が神の申し子か」
「えぇ。しかし、空中都市の不法入国者は全て捕まえ、その研究関係の物は全て回収したはずだったのですが……」
「そこに、今の俺が出てきたのか」
「と言う訳です。研究関係は全て跡形も無く消去するのです」
「な……!」
 突然の殺害宣言にツカサは体を硬直させる。
 しかし、少女はそれを見て、クスッ笑いながら、
「いえ、流石に何も知らない人を消すのはどうかと思いまして。の申し子の方々は政府の監視下に置かれるだけで特に問題はありませんよ。政府の上で何名かは神の申し子を消去せよと言う声が出ていますが、保護派が多数いるので保護という方針になっているのです」
 その言葉にツカサは胸を撫で下ろす。少女は言葉を続ける。
「そこで、貴方は覚醒した事を確認したので政府の監視下に置かれる事が決定されました」
「……俺を、その地上に連れて行くのか? ライ……」
 眉を顰めてツカサは少女へと言うが、名前が出てこない。
「ライズラスクです。クアドラプルの首都的存在です」
「クアドラプル?」
 聞きなれない単語を聞きなおす。
 少女は面倒な顔一つせず、ツカサの質問に答えていく。
「この星の本当の名前です。貴方たちはチキュウと教えられていますが、この星は地球、月、火星と人が住める星で一番新しい星です」
「え……?」
「何千年も前、地球は段々と人が住める環境では無くなったのです。そして人は月、火星へと住居を移したのです。しかし、今から二千年前に太陽を間に挟んで、地球と反対側に存在する星があったのです。その星は過去の緑溢れた地球と酷似しており、大気もまったく同じだったのです。それで過去の人々はこちらの星へと住居を移したのです。それが、この星クワドラプルです……大丈夫ですか?」
 あまりにも驚愕の事実が連続で起きて、ツカサの脳は処理能力を疾の昔に限界を迎えていたが、理解しようと躍起になっている。
「大……丈夫……多分」
「そうですか……。話はかなり逸れましたが、貴方は実は他の神の申し子より、波動が少し不可思議なのです」
「……不可思議?」
 鸚鵡返しにしか返せないほど、情報の整理に集中しているツカサ。
「えぇ、でもどう不可思議かはこちらも研究中ですが、今までの三十三人とは明らかに違う波動を出しているのです」
「……なんか、怖いな」
「怖いですね」
 素直に返されても困る。
「実は、そんな貴方に興味を持ちました」
「興味……?」
「実は私は右目が見えないのです」
 少女はそう言うと、右目に人差し指と親指を近づけ、右目を弄っている。少しすると右目から手を離す、人差し指には黒のコンタクトレンズがうっすらと見える。そしてその右目は白く濁っていた。
「この右側の視界を補うために貴方に秘書になってもらいます」
「…………はい?」
 少女が一瞬何を言ったのかは分からかったが、少し考えるとその事の重大さがはっきりしてきた。
「ひ、秘書っ!?」
「そうです」
 慌てふためくツカサと落ち着いてコンタクトレンズを目に戻しながら答える少女。
「な、なんで俺なんだよ! 俺じゃなくてもあの人の方がいいでしょ!」
 ツカサはいつの間にか部屋の隅に移動した丸渕のサングラスを掛けた男を指差す。
「いえ、彼は頭首のボディーガードです。スケジュール関係は頭首自身、自らやっておられますので、私は管轄外です」
 男は手を軽く上げて言った。
「だからって、何で俺なんだ!? 他に適材適所の人がいるだろ!」
「居ますよ、沢山」
 必死の形相のツカサを微笑みながら流す少女。
「じゃあ……!」
「簡単に言ってしまえば、友達が欲しいのです」

 沈黙、ツカサは少女の答えに固まる。
「……へ?」
「だから、友達が欲しいのです」
 少女は至って普通に返す。それが当然と言う感じで。
「私は友達と言える存在が居りません。外に出た事が無く、同年代の子と遊んだ記憶もあまりありません。なので友達が欲しいのです」
 少女は何気なく凄い事を言っているが、これまた普通に言う。
 ツカサは驚き、丸渕のサングラスの男へと顔を向けると、頷いて「本当です」とジェスチャーだけで伝える。
 少女へと向き直り、少女の顔をまじまじと見る。少女は不思議そうに顔を傾げるが、この少女はかなりの美人だ。美しい顔立ちや艶やかな黒髪、着物で体系はあまり分からないがかなり美しいはずだ。そして何よりおしとやかなのがツカサのハートを掴む。こうやって、今首を傾げている仕草も可愛いと言えば可愛い。
 こんな少女と友達になれるのも良いかもしれない、と下心丸見えな自分の意識をなんとか平常にしようと落ち着かせる。
「――――ま、まぁ、良いよ。どうせ巻き込まれちゃったし、空中都市に戻ってもいいこと無い、本当の世界の姿も見てみてみるか」
 偽善者ぽく、正当な理由を付けて無理矢理正しくしようとするツカサ。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
 そんな、ツカサの心の中の葛藤を知らずに、少女は喜色満面になりツカサに抱きついた。
「うわっ! ちょっと!」
 ツカサは慌てて少女を引き剥がそうとするが、一瞬このままでも結構良いかも、とか思ってしまった。
「あっ! す、すいません」
 しかし、少女の方から顔を赤らめて離れた。
「残念……」
「え?」
「……あっ! いや、なんでもないよ」
 心の声が一瞬、口に出てしまったが必死に誤魔化すツカサ。少女は「そうですか」と納得したようだ、ホッと胸を撫で下ろす。
「……と言うか、さっきと喋り方が違うような」
 無理矢理話題を変えようと、少女の喋り方の変化を取りあえず指摘した。
「えぇ、一応説明する時や公式の場では何故か癖で丁寧な喋り方になり、淡々と喋るようになるのです」
 実際に今も淡々と喋っていたが。
「そうなんだ。……そういえば俺はこれから地上に行くんだよね?」
「はい」
「じゃあ、今まで住んでいた国で俺はどうなるんだ? 攫われたとかになって事件になるんじゃないのか?」
 本当に攫われてきたんだ、近所の人間が見ているかもしれないし、いきなり住んでいる住人が消えたら園長先生だって怪しむ。
 しかし、なんとなく少女の答えは予想できた。
「大丈夫です。貴方は都会へと急遽転校をし、都会へと行った事になっています。細かい事はこちらが情報操作しましたが」
 予想通り、そういう事になっていたか。
「根回しが良い事……」
「はい」
 関心していると、少女は微笑みながら返す。ここでの笑顔は何か恐怖を感じる。
 しかし、実際あの世界にいても何もいいことがない。
 他人から無視され、空気のような存在だ。
 そんなのがいなくなっても誰も気にしないだろう。
 でも園長先生は心配するかな。
「まぁ、これからよろしく、えーと……」
 少女の名前を出そうとするが、名前が分からない。もしかして最初に言ったのを聞き逃したのかもしれない。
 ツカサが悩んでいると、それに気がついた少女が自分の胸に手を当てて。
「神無、神無です」
 神無と名乗った少女が笑顔で言う。
「よろしく、神無」
「よろしくお願いします、ツカサ」
 笑顔の二人、ツカサはこれから起きると思われる不安と期待に包まれるが。目の前の少女の笑顔を見ていると何か心が落ち着く、そんな気がしてた。
「それから、あの人は私のボティーガードのフージン」
 神無は部屋の隅に居た、丸渕のサングラスを掛けた男の紹介をした。
 男は部屋の隅からゆっくりと歩き、ツカサに近づく。
「フージンです。これからよろしくお願いします。ツカサ君」
「よ、よろしくお願いします」
 フージンはサングイラスを外すと鋭い眼光でツカサを見ながら微笑んで握手を求めてきた。ツカサは断る理由が無いので握手をする。するとフージンがツカサと口付するかと思うほど顔を近づけた。
「頭首に手を出したら、ただじゃ済みませんよ……」
 かなり低い声で、ツカサを威嚇するように言った。表情は微笑みのままだが、それがまた怖い。多分先ほどの下心はこのフージンには気づかれたのだろう。
 フージンは言い終えると満足したように顔を離し、また部屋の隅へと戻る。
「…………そう言えば、さっきから頭首頭首って何?」
 フージンの恐怖に駆られながら、先ほどから気になっていた事を神無に聞く。
「はい、頭首は私の事です」
 神無は笑顔で答える。
「頭首って事は、何かの家柄とか?」
 ツカサの記憶では頭首とか良い家柄の一番偉い存在という存在と考えている。
「いえ、違いますよ」
 神無はあっさりと否定した。
「じゃあ、何?」
 ツカサは聞く。
「私はライズラスクの現頭首です」
「……え?」
 しばらく思考が停止する。
「――――ええええええええええええええええええええええええええええっ!!」
 ツカサの絶叫が頭首専用機に響いた。
 そして、燃えるように赤い頭首専用機はゆっくりと滑走路を動き出した。





 大変なことになってしまった。
 秘書だからって少女が大きな役職についているとは露にも思わず。
 少女、神無が大げさに秘書と言っていると思われたが、それは大きく間違っていた。
 彼女は一国の首相であることだ。
 たしかに、よく考えればボディーガードが居たり、真偽は兎も角世界の真実をやけに知っていた。よく考えればそれなりの役職に付いているのは予想できたはずだが、ツカサは下心によりその考えることをあまりしなかったのだ。
 あの後、ツカサは神無の部屋を出、頭首専用機内をフージンに連れて行かれ、一室にて休息を取っている。
「まだ、本国に到着までは時間が有りますのでこちらでお休みください」
 と告げ早々に出て行ってしまい、現在はツカサが部屋に一人だけである。
 部屋は神無の部屋とは違い、少し煌びやかさが無いが、ツカサの部屋とは天と地ほど違う。
 自分が今まで寝ていた布団の倍の大きさはあるベッド、床一面クラシックのカーペット、彩を補う観葉植物、そう言えば、神無の部屋にはベッドが無かったがどこで寝ているのだろうか。
 ふと目をやると、そこには窓があった。
「……」
 窓へ近づく、外の世界は高速で雲と空が流れて行き星と月が輝いていた。
 もう戻れないと思い、ため息を吐きながら窓の風景を見続ける。
 そういえば、旅客機とかはどれも外の風景が写っている映像や、窓がまったく存在していないことを思い出していた。これも地上の国の情報操作の内なのかな。
 でもいいや。悩んだり足掻いたりしてもここは空の上、どうにもできないことに変わりは無い。
 今は何時だろうか。ニホンの時間で夜中だろうか、それとも地上の国での昼過ぎだろうか、そんなことはどうでも良い。今日は色々あって疲れた。知るのは明日で良い、寝よう。
 ツカサは重い体を引きずって、ベッドへと倒れこみ深い眠りへと落ちていった。



 ツカサが乗る頭首専用機より上空へ五百メートル。
 全体を頭首専用機より二周り小さい、漆黒に塗り、底辺が長い、二等辺三角形の機体が闇夜を飛行していた。
 その機内は頭首専用機とは違い、暗く壁には無数の配線やパイプが伸びている。
 ある一室、その飛行機の後方にそれはいた。
 そこには無数の人影があった。
 しかし、その人影は人らしい肌は無く、全体を黒光りする金属で覆っており、肩から上は人間なら存在する頭部は存在していなかった。その代わりに胸辺りにカメラのレンズが機内の暗い灯りに反射した。
 その人影は一つも動かず、石像のように動かない。
 感情が存在しない石像は、ただそこに立ち尽くしていた。
 すると突然、機体は傾き急降下した。
 機内は大きく揺れたが、その石像は微動だにしなかった。
 機内のパイプから不気味な振動が響き、配線は大きく揺れた。
 しばらくすると機体の揺れは収まり、安定したと思った瞬間。強烈は衝撃と金属同士が衝突する音が響いた。
 すると石像がいる部屋の中央から機械音が流れ、中央の床がスライドして開く。
 床の下は煙突のようになっており、一番下にはさらに床が存在した。
 しばらくするとその床の周りから火花が飛び散り、その火花が一周すると、その床は外れて真っ赤な絨毯が見えた。
 それを確認したように、無数の石像から無数の鍵が外れる音が響く。
 そして今まで光が無かった胸のレンズから黄色い光がぼんやりと不気味に輝く。
 今まで石像のように動かなかったが、その音を皮切りに動き出した。
 歩くたびにバネが伸びたり縮んだりする音が膝から聞こえる。
 一体が中央の開いた床へと向かう。その前に止まるとそれは躊躇せず、その中へと降りた。
 すぐに着地音が響くと、また一体が中央へと移動した。



「――なんだ!?」
 機体が大きく揺れて、ツカサは深い眠りから目覚めさせられた。
 まず部屋を見回す。そして自分の現状を思い出す。
(そういえば、疲れて眠っちゃったのか)
 ツカサは体を起こし、ベッドから降り入り口の扉へと向かう。
 扉の鍵が開いているか心配だったが、どうやら内側から掛けるタイプらしく、鍵も閉められていなかった。
 ツカサは扉を押し開けると首だけを出して廊下を見回す。
 廊下にはこれといった変化も無く、先ほど案内された廊下のままだ。
 しかし、ここは飛行機だ。それが大きく一瞬だけ揺れるとは何かあると思った。
 だが、勝手に廊下に出て良いのだろうか。まったく分からない場所を歩くと迷子になってしまう可能性もあり、あまり動かない方が良いはずだ。
「……ん?」
 どこからか乾いた破裂音が響く、結構近いようで破裂音が連続で何十も重なって聞こえる。
 それとは別に何かが床を高速で擦る摩擦音が段々と大きくなる、何かが近づいてくる。
 ツカサが音の響く廊下を見ると、通路の先はL字に曲がっており、その先から音が段々と大きくなっていく。
 次の瞬間、通路の先から巨大な人が滑るように現れた。
 その人は通路の先でブレーキ音を響かせながら止まった。そして今まで聞こえてきた摩擦音も聞こえなくなっていた。
 その巨大な人は肩から上、首と頭部が無く。胸元に黄色く光るモノがあった。全身は黒光りする金属のように硬い表面を持っていた。それは人の形をしたモノだった。
 そしてツカサはそれに似ているモノを何回もテレビや雑誌などで見た。
「ロ……ロボット」
 まさしくそれはテレビや雑誌で見る、近未来の機械。
 極限までに人の姿に近づけた機械。
 目の前にいるモノはまさしくそれだった。
 そのロボットの胸元にある黄色い目がツカサの目線と重なる。
(まずい!)
 ツカサは直感的にそれの危険性を感じ取り、急いで扉を閉め部屋の奥へと逃げる。
 ドアから離れると同時に、乾いた破裂音が連続で響き、扉に無数の小さな穴を開けた。
 多分、この破裂音は銃器の音だろう。あのロボットはあの位置のまま発砲したのに違いない。もし正面から撃たれたら、蜂の巣にされていたに違いない。
 ツカサはドアから直線状に居るのは危険と思い、部屋の隅へと移動する。
 案の定、摩擦音が少し響くと、ツカサの部屋の前で止まり、発砲音が連続で響く。扉から部屋へと一直線に無数の銃弾は飛び壁へと当たる。
 次に見えたのは先ほどまで触っていた扉が突風に飛ばされた木の葉ように飛んで、壁に当たる瞬間だった。
 その無残な姿を曝け出した扉を見つめていると、扉が今まで存在していた場所からロボットが室内へと侵入してきた。
 ロボットは部屋を見回し、ツカサを発見すると金属の右腕をツカサに向ける。すると掌の中央が開き、中から小さな筒状の物が現れた。
 ツカサはそれが銃器だと分かった。固まる体を無理矢理動かして射線上から逃げた。
 しかし、ロボットはそれに合わせるように体を動かし、ツカサが移動する一歩手前にどんどん着弾していく。もし一瞬でも止まったら蜂の巣にされる、とツカサは恐怖した。
 だが室内でそう止まらずに移動することは難しく、物が多いため移動しにくかった。
 すぐに壁が近づき、横へ移動しようにも曲がった先にはロボットが待ち構えている。
(だめだ……!)
 諦めの言葉が過ぎった瞬間。
 乾いた破裂音が二発が響く。
 ロボットが銃撃を止め、自分の足を見ようと胸元の光が移動したと同時に、ロボットの両足の膝部分が破裂し爆散する。支えを失った体は力なく倒れ、重量がある体を地面へと叩きつける。
 仰向けになったロボットから黄色い光がギョロギョロと動く。
 さらに乾いた発砲音が響き、ガラスが割れるような音と共に黄色い光は消えてしまし、ロボットそれ以降動かなくなってしまった。
「大丈夫ですか? ツカサ君」
 扉を失った入り口に立っているのは、黒いスーツに調えられた黒髪、黒の丸渕のサングラスを掛ける、立派な体躯の男、フージンが片手に黒光りする銃を持ちながら言った。
 フージンは部屋に入ると、飛び散ったロボットの破片を踏みながらツカサに近づく。
「ここは危険です。こちらへ来てください」
 と言い、ロボットを調べている。
「……あの」
 ツカサが緊迫した声を発すると、ロボットを調べていたフージンが落ち着いた声で「なんですか?」と言った。
「これは……なんですか?」
 視線を動かなくなったロボットへと向けて聞いた。
「答えても良いですが、こいつと同じ物がここに何体も来ますが、よろしいのでしょうか?」
 しかし、フージンはそんな暇が無いと遠まわしに言っていることが分かる。
「いえ、移動しましょう……」
「はい」
 取りあえず諦めたツカサがフージンと共に壊れた入り口から廊下へと出る。



 フージンに連れられ機内を移動する途中、何人もの黒服の男たちが軍隊が持っているような大きさだが見たことの無い未来的な作りの重火器を用いて、行き違う姿が多数見られた。
 早足で神無の部屋へと着くと、フージンは最初のように声も掛けずにそのまま部屋へと入っていった。
 部屋の中には先ほどまで来ていた白い蜘蛛が描かれた真紅の着物では無く。真っ白の和装、寝間着を着た姿になっており、首から下の肌は全て包帯で巻かれていた。皮製のアームチェアに座り、両手を膝の上で重ねていた。
「ツカサ、無事でしたか」
 ツカサの姿を見てホッと胸を撫で下ろす神無。
「う……うん」
 九死に一生を体験したツカサは今日、何度目かの精神集中をしていた。
「頭首。敵は恐らくステルス型強襲用輸送機に乗り、こちらのレーダー外から急速に近づき、無理矢理ドッキングし侵入したようです。現在、部下が対応しています」
「……そうですか」
 無表情に淡々と言うフージン。それとは対し、深刻な顔をする神無。そして、現状がまったく分からないツカサ。
「頭首。どうしますか?」
 フージンが神無へと聞く。神無は暫し沈黙し考えると。
「……なるべく拿捕するようにお願いします。無駄だとは思いますが何か証拠が出るかもしれません」
「分かりました」
 フージンは頷き、部屋の外へと出て行く。
 二人っきりになった部屋では、神無は黙り込んでしまい重い空気が部屋を漂う。
 ツカサは意を決して言葉を出す。
「……あのロボットは、一体なんなんだ?」
 神無は少し考えると、「少し早くなりましたが、お話しましょう」と答え静かに喋りだした。
「……あれは、人造人型機動人形兵器の一つです。簡単に言うとロボットです。私たちは人形と言っていますが」
「人造……人型……? 人造ってことは人なのか?」
 SF作品では人造といえば、半分人で半分機械というイメージがある。
「いえ……それはそちらの国のイメージで、こちらの国での人造とは人の細胞が一つでも組み込まれていれば人造と呼ぶのです」
「細胞一つ……? 何か意味あるの?」
「えぇ。人の細胞には特殊な燃料が存在することがあり、それを活用することで人形は格段に性能が向上するのです。細胞一つでも長時間活動できるのです」
「へぇ……で、なんでそれがいるんだ。そういえばさっきフージンさんが何か言っていたような」
 神無はゆっくりと目を瞑り、座っていたアームチェアから立ち上がる。美しい黒髪が立ち上がった拍子に靡く。
「はい……。その人形が輸送機で約一個小隊を率いてこの機体に侵入したのです」
「……一個小隊っていくつ?」
「そうですねー、大体十体ぐらいですかね」
 笑顔で返す神無。この状況を笑顔で返されると困る。
 先ほど一体フージンが破壊したので後九体か。それに今も尚、戦闘中らしいのでもしかしたら減っているかもしれない。
「なんであんなのがこの機体に来るんだよ。俺も殺されそうになったんだが」
 つい先ほど体験した九死に一生を思い出し、苦い顔をしながら言った。
 だが神無は俯き、顔に影を落としながら喋った。
「実は、私は最近秘密裏に命を狙われているのです。用は暗殺ですね」
「何サラッと怖いことを言っているんだ」
「いえ、同じことが何回も前にあったので。しかし、今回のことは知る者は多くないはずなのですが……。それに私の殺害が目的ならこの専用機ごと破壊するはずなのですがね」
「…………」
 先ほどからの恐怖の連続が続くので、もう反応に困る。
「向こうは、無傷でこの機体を手に入れたいようですね。でも重要な物は何も存在しませんし、私の殺害もしたいのでしょう」
 腕組して神無は首を傾げて悩んだ格好になる。異常なほど落ち着いているが、微かに遠くから銃撃音とあのロボットの摩擦音が響いてくるのでハラハラしているツカサ。
(……ん? 地面を擦る音?)
 連続した発砲音が響いているが、摩擦音が何個か重なって大きくなってきた。
 ツカサの心に嫌な予感が増加すると同時に、摩擦音の音が幾重にも大きくなる。
 そしてそれは、背中にある両開きのモダンドアから聞こえてくる。
 危ない。考えることはできるが、体が動かない。呪縛のように恐怖という感情が全身を締め付ける。
 離れないと離れないとはなれないとはなれないとはなれないとハナレナイトハナレナイトハナレ――。

「ツカサ! そこから離れて!」

 神無の声。反射的にドアの前から飛び退く。それと同時に扉の前から連続する発砲音。そして、蜂の巣のように穴が無数に開いた扉とアームチェア。
 すると、先ほど体験したように両開きのモダンドアが風に吹かれた木の葉のように吹き飛ばされる。
 先ほどの繰り返しのようにロボットが間接から機械音を鳴らして侵入してくる。
 しかし、違ったのはその数だ。
 先行してして侵入してきた一体。斜めから見ているため、よく分からないがその後方に一体以上いることが確認できる。
 先頭の一体の胸元に光る黄色い光が体ごとツカサへと向けられる。
 先ほどと同じ展開に危機感を覚え、回避しようとするが現在は尻を向けながら四つん這いになっており、首を後方に曲げてロボットを確認している状態。

 ガチッ――――。

 右側から、何か接合時の音が一瞬聞こえた。
 次の瞬間、乾いた破裂音が甲高く連続で響いた。
 撃たれた! と思い、目を力の限り瞑った。
 ――――痛みが無い。
 恐る恐る目を開こうとすると、重い物質が倒れこむ音が響いた。
「――!?」
 ゆっくりと開いていた瞼が、その音で勢いよく開かれた。
 音のした方向を見ると、先ほどまで立ち構えていたロボットは力なく床に倒れ伏していた。
 さらに続いて右側から甲高い破裂音が連続で響く。倒れている機械の頭上を何筋もの光が横切る。そしてガラスに亀裂が走る音や金属同士がぶつかる甲高い音が響き。刹那、重い物質が倒れこむ音が響く。
 この現状の原因がした方向。右へと首を曲げる。
「大丈夫ですか? ツカサ」
 今日、一体何回目の驚きだろうか。
 休む暇なく驚くこの現状をどうにかしてほしいと思う現状だが、物語とは始まると止まらない。
 白い寝間着の姿で黒髪を背中に垂らす神無は、和服が似合う淑やかな少女だと思っていたが。
 彼女の右腕には黒々しくゴツゴツとしているが、美しさを感じる直線を描いている大型の銃。神無の右手の親指は引き金に掛かっており、左手は大型の銃を支えるように持っている。
 その顔は真剣その物、まさに軍人の顔。先ほどまで説明していたとは別人だ。
 次の瞬間、神無は横へと跳ぶ、と同時に神無が今までいた場所に銃弾が嵐のように撃ちこまれた。
 ガチャ、という音と共に入り口から倒れたロボットを踏み潰すように新たなるロボットが侵入してきた。
 次の瞬間連続した発砲音が響いた。しかし、その音にロボットも反応して胸部を左腕で守るように防ぐと、瞬く間に金属の腕に銃弾は着弾した。左腕は銃弾が当たる度。カンカン、と鉄板に小石を大量に当てた音がし、着弾の度に左腕が大きく揺れる。
 ロボットは左腕がボロボロになり、胸部が銃弾に晒される可能性を感じ、壊れかけの左腕を投げ捨てるように左腕を振り、重心を横へとずらす。そして尚も続く銃弾の嵐。
 刹那、ロボットが投げ捨てた左腕と、左胸部から左肩に掛けて爆裂した。
「うわっ!」
 思わず声を上げ、驚いて後方に仰向けに飛び退く。そして、すぐ後方にあった部屋の壁に頭を打った。
 痛みに耐えながらも急いで起き上がると、そこには中央の黄色い光がゆっくりと点滅し、今にも消えそうな弱さになり。中央の光から手の拳大で二つほどしか離れていない左胸部から先が無くなっていた。
 破損した部分からは火花が飛び散り、黄色い液体が勢いよく噴出していた。
 黄色い光はギョロギョロ、と激しく四方へ移動している。
 まるで、生きているかのように光を動かし、黄色い液体は血液を思わせるように流れ出る。
 全身に不快感を感じ、不気味としか言いようが無い。
「いい加減、眠りなさい」
 神無がロボットの胸部へと銃身を向けて引き金を、引く。



「……全滅か。以外に早かったな。あんな娘っ子だが、並の軍人でも太刀打ちできないからな。所詮一個小隊では無理か。……まぁいい。あの娘っ子は私が近くにいることに気づいていないからな、暗殺する機会など幾らでもある」
 その者はブツブツと呟いた。
 誰にも聞かれない小さな、小さな声で呟いた。



「――ふむ、銃撃音も聞こえなくなったみたいですし、戦闘が終了したみたいですね」
 神無が大型の銃を肩で担ぎながら、扉が無くなった入り口を見ながら言っている。
 雰囲気的には最初の神無に戻っているが、銃を持っているのがなんだかアンバランスである。
 部屋の扉は銃弾で蜂の巣にされて部屋の隅へと追いやられ、皮製のアームチェアは扉と一緒に蜂の巣にされたので、見るも無残な姿になっている。
 部屋の壁には2箇所だけだが大量に銃弾が当たった痕がついていた。
 そして床にはロボットの無残に中身の部品や黄色い液体を流している一体とほぼ無傷の一体が部屋の中で横たわり、部屋の入り口の前にも無傷なロボットが転がっている。
 かなり無残は光景だ。その光景の中で凛々しく立つ神無は美しいといえば美しいが。
「……合わないなぁ」
 ボソッと呟く。
「え? 何ですか?」
「いや、なんでもない」
 聞かれたがもちろん否定する。
 すると廊下から人の走る音が響いてきた。そして、現れたのが片手に拳銃を持ち、黒いスーツに調えられた黒髪、黒の丸渕のサングラスを掛ける、立派な体躯の男、フージンが後方に同じような格好をし、武器は軍隊が持つような大型の銃を持った男二人を従えて神無の部屋へと駆け込んできた。
「頭首! 大丈夫……みたいですね」
「はい」
 部屋の中を見て、安心したように一息吐いてから言うフージン。それを笑顔で返し、大型の銃を肩から下ろす神無。
「申し訳ありません。三体ほどそちらに向かってしまいましたが大丈夫だったみたいですね。対人形弾は今回あまりありませんでしたので苦戦いたしました」
「はい。それで被害は?」
 神無の表情に影が落ちる。
「私の部下六名死亡、四名重症、メイドが巻き込まれて一名死亡、執事が巻き込まれて一名重症。機内は飛行に支障が起こりそうな損害はありません」
「そう……ですか……」
 淡々と答えるフージン。神無は俯き、唇を咬んでいる。
「……では、我々は残党の確認と侵入口の閉鎖を行います」
 フージンはそれ以上言わず、早々に部下を連れて立ち去ってしまった。
 その後、神無は俯いたまま動かず。ツカサも動けず、尻餅を着いたままだ。
「…………」
 重い沈黙に包まれる。
 先ほど神無は、自分が狙われると言っていたが、多分それで他の人が死ぬのを悲しんでいるのだろう。自分のせいで他人が傷つく、それを嫌っているのだろう。
 こういう時はなんと話しかければいいのだろうか。
 それとも何も言わない方がいいのだろうか。
 神無はブンブン、と頭を振るとゆっくりと顔を上げる。
「……悲しんでも仕方が無いですね。死んだ者のために頑張ります」
 笑顔、無理をして笑っている神無。
 一国の党首と言っても所詮は少女。そこまで心が強く無いのだろう。
「しかし、貴方の能力を少し期待したのですが。まだ、能力が目覚めたわけでは無いようですね。やはり意識や気持ちの問題でしょうか?」
 神無は毒舌かもしれないという感覚を持ちながら頭首専用機の夜は更けていった。





 その後、眠れない夜を過ごした。
 自室は先ほどのロボットの攻撃により破壊されたが他の部屋をすぐに割り当ててくれた。
 九死に一生を二度も体験してしまったので、心はまだ落ち着かない。
 一体何時間経っただろうか。窓から外の流れる風景を眺めている。
 すると突然、窓ガラスが白く濁りだした。
 あっという間に窓から外は見えなくなる。
「……?」

 コンコン――――。

 扉をノックする。
「はい」
「ツカサ君。そろそろライズラスクに到着します。準備をしてください」
 フージンの声が扉の向こうから響く。
 もうすぐ到着ということは先ほどの窓の現象も地上から見えなくする処置だろう。
 しかし、準備といっても家から持ち出した物は無く、今着ている服装だけが現在のツカサの持ち物だ。
 すぐにドアに向かい、部屋の外へと出る。部屋の前では丸渕のサングラスを掛けているフージンが微笑みながら立っていた。
「では、行きましょうか」
 フージンは革靴を鳴らしながら廊下を歩いていく。ツカサもその後に付いて行く。
「フージンさん。今、一体何時なんですか?」
 ツカサは時間感覚が微妙に麻痺しているので質問をした。
「んー、ツカサ君の国の時間でですか? それともライズラスクですか?」
 この男、最初は人のことを『さん』を付けて呼んでいたが。現在は『君』を付けて呼んでいる。格下げされたのか、親しみを持っているのか表情からはまったく分からない。
「……どっちも、お願いします」
「はい。ニホンでは現在、午後十一時二十一分です。ライズラスクでは現在、午前〇時四十一分です」
「じゃあ、五時間ぐらい飛行機に乗っていたのか」
「いえ、車での移動に二時間ほど掛かったので実際は三時間ほどフライトです」
「以外に早く着きましたね。なんかもっと時間が経っていたような」
「この機体は最新機ですし、ニホンとの科学力が違うのでこれぐらいで到着できるのですよ」
 実際に色々な出来事が起きて、頭は既にパンク寸前である。それで時間が長く感じたのだろう。
「あまり眠られていないようですし、到着して自室に案内しましたらすぐにでも休息してください」
「そうします……。そう言えば、秘書と言われても何をするんですか? 俺」
 秘書となり神無の友達としてこれから生活することになるのだが。秘書とはどんな仕事をするのだろうか。スケジュール管理だろうか、やはり。
「大丈夫ですよ。秘書なんて名目だけです。実際は頭首のお話相手をなさってくださればいいのですよ」
「なんだ……」
 安心して胸を撫で下ろす。
「ただ……」
 突然フージンが立ち止まる。つられてツカサも止まる。
「頭首にもし、何かしましたら……」
 笑顔のままツカサに向く。いや、サングラスの黒いレンズの奥に薄っすらと見える瞳はまったく笑顔ではなかった。声も低く、相手を脅すような声である。
「は……はい」
 ツカサはその迫力に恐怖し、ゆっくりと頷いた。
 すると、黒いレンズの奥の目は笑顔になり。声も先ほどのようの元に戻る。
「……それに前の生活よりは何倍も豪華な生活が出来ますし、ご希望であれば学校にも行けますよ。ただし、かなりレベルの高い学問ばかりですがね」
「高いって、どれくら高いんですか?」
「そうですねー」
 天井を見ながら考える。少しして。
「基本的に数学、科学、物理、歴史、現代史、自然地理、美術、体育はそちらの国とはあまり変わりませんね。言語は基本的に統一されていますので問題無いでしょう」
 フージンのその言葉に疑問が思い浮かぶ。
「あれ? そう言えば言葉とか通じるのですか? 今普通に話しているけど……」
 天空都市は語源が統一されており全ての国は通じるが、地上の国は通じるのだろうか。
「大丈夫ですよ。地上も空も語源は同じなので大丈夫ですよ」
 フージンは笑顔で返す。
「後は、地球史、月面史、火星史、世界歴、経済学、天文学、医学、工学、薬学、軍事学――」
「ちょ、ちょっと待ってください! いったい何教科あるんですか!?」
 終わりそうに無いので、ツカサが無理矢理言葉で遮る。
 フージンは言葉を中断されたことを気にせず答える。
「そうですね、三十教科ぐらいですかね。さらに先ほどの教科から何個か別れますので。それを五歳から二十五歳まで全て学びます」
「そんなに……」
 文明の進歩により学ぶことが多くなった事実に驚きを隠せないツカサ。
「やっぱ……学校は、まだいいです……」
「そうですか」
 フージンは笑顔で頷き、また歩き出した。



 広い飛行機だな。と思いながら赤い絨毯の上を歩くと廊下の途中に白い蜘蛛が描かれた真紅の着物を着ている神無がこちらに気づき、軽く手を振っている。神無の後方には真っ黒なスーツを着用し、真っ黒なサングラスを掛けているの男二人が立っている。
 ツカサも答えるように軽く手を振る。
「お待たせしました、頭首」
 合流する二組。
「では、参りましょうか」
 神無が言うと、真っ黒なスーツの男の片方が廊下の壁に近づく。
 神無とフージン、壁に近づいた男とは逆の男が壁へと向き直る。
「……?」
 三人が向いているのは壁。出口が存在しないようだが、それ以前にもう着地したのだろうか。そういう衝撃などは無かったが。
 男が壁を弄ると、壁の一部が上がり掌より少し大きくしたようなパネルが出てきた。
 男はそのパネルに手を当てるとパネルが光る。そして電子音がそこから響く。
 空気が抜ける音と共に目の前の壁に二メートルほどの長方形の線が入り、右側の壁へとスライドしていく。
 そして壁の外には暗く輝く夜空が広がり、生暖かい風が機内へと流れ込む。
 目の前の壁があった場所から機械音が聞こえる。
「――――さぁ、どうぞ」
 フージンが先頭を切って歩く。それに続いて壁のパネルに手を当てていた男。
「さぁ、行きましょう」
 神無がツカサの手を取って連れて行き。最後に残っていた男が歩く。
 飛行機から外へと出ると、すぐにエスカレーターが地面へと続いていた。
 周りは頭首専用機に乗る前に見た、軍事基地のように滑走路が続いており、巨大な照明が明るく照らしている。軍事基地と違ったのは戦闘機を収めるような格納庫は無く、他の滑走路が周りに続く。遠目にだが、街の灯りのような物が無数に煌びやかに見える。
 エレベーターで降りているが、神無はまだ手を繋いだままなので顔が自然と赤くなる。
 そのままエレベーターを降りきると、フージンが近づく。
「頭首。一応国内なのでそういうことはお止めください。後々に関わります」
「そういうって?」
 多分、手を繋いでいることだろが。神無は気づいていないようで惚けた顔をしている。
「その手です」
「その……?」
 フージンが指差すほうには神無がツカサの手を握ったままの手がある。
「――ッ!」
 神無は顔を赤らめながら急いでツカサの手から離す。
 もう少し握っていて欲しかったが、フージンが怖いので「ハハ……」と苦笑いしながら残念と思う。
「……」
 神無は口元に丸めた拳を当ててコホン、と軽く咳をした。
「ようこそ、ツカサ。ライズラスクへ」
 神無は誤魔化すように平静な声で言った。
 そう、ツカサはついに来てしまった。
 クアドラプルの中心国。ライズラスクへと。





 頭首専用機から滑走路へと降りた後、黒塗りの豪華なリムジンが現れた。
 そのリムジンは今まで空中都市でみたような物ではなく、車に付いている四本の丸く真っ黒なタイヤが付いていなかった。
 それはまさに未来の空を飛ぶ車。外観が何故リムジンなのかが謎ではある。
「私に言われても……。フージン、なんでですか?」
「そうですねー……。地上も空も建物や物、ファッションや食生活も似ていますからね。それなのに地上で技術は進歩していますし、しかし何か似ていますね、矛盾しています。聞いた話では、地球の西暦二千年代がモデルと聞きましたが、まったく分かりませんね」
 と乗っている本人たちも分からないようだ。
 現在ツカサはそのリムジンに乗り、頭首官邸に向かっているらしい。運転席にフージン。後部座席、といっても中央の座席と後方の座席が向かい合っており、広々とした空間、車とは思えないほどの豪華さ。それなのに後方の座席、運転席を正面に置く席の中央に神無が座り、ツカサはどこへ座ろうか悩んでいると、
「ツカサ、ここに座ったら?」
 と神無は自分の隣を指差していた。
 広いのだからわざわざ隣に座らなくてもと思ったが進めてくれるなら仕方ないと思い、ツカサは座った。運転席からフージンの気配がかなり伝わってきたが気づかなかったふりをする。
 先ほどいた、フージンの部下と思われる男二人は、このリムジンと別の黒塗りの車に乗り。このリムジンの前方と後方を守るように走っている。
 車窓から見える風景は、高層ビルの窓という不思議な光景が広がっていた。
 地上は遥か下に存在し、街灯の灯りのようなものが豆粒のように小さい。下にも動く光が見られるので恐らく車が走っているのだろう。
 中央線と思われる空中に浮く光の道。その対向車線からも多くの車が行きかう、だがどの車も空中都市で見た記憶のあるデザインの車だった。
(一応、文明はこちらのほうが未来とさっき聞いたんだが。外観があまり変わっていない気がする)
 不思議な感じに包まれながらツカサは一人で苦笑する。
「――ツカサ。何か面白いの見えるの?」
「ん――っ!?」
 車窓の風景を眺めていると神無が身を乗り出してきた。ツカサの太股に神無の腰が着物を通して当たっており、顔もツカサと頬が当たりそうなほど近づいている。
 しかし、神無自身は車窓の風景を眺めていて現状に気づいていない。
(あー、この状態いいかも)
 そんな煩悩丸出しのツカサだったが、運転席からかなり強い咳払いが聞こえた。
「――か……神無、顔! 顔!」
「はい……? ――――ッ!」
 神無はそのまま横を向くのでもうキスでもしそうなくらい近い状態になり、やっと気づいたようだ。顔を赤らめて反対の車窓まで移動した。
(天然なのかな……)



 その後、リムジンはゆっくりと高度を下げて行き。巨大な鋼鉄の正方形の前で止まる。
「これは?」
 ツカサが疑問に思っていると、いつのまにか隣に戻ってきた神無が説明する。
「頭首官邸の入り口です。ここで厳重にチェックを行って、やっと官邸に入れるのです。官邸の周りを囲むように特殊なレアメタルでできた外壁で囲んでおります、どんな攻撃でも耐えれます。唯一は入れる入り口がこの門だけなのです」
「厳重だな」
「はい、一応この星の代表なので。それに官邸内部には特殊なサーバーがあり、この星の重要なデータが入っていますので厳重になっているのです」
「……かなり重要だな……」
「えぇ、それに空から太陽光が入るように半球の透明な特殊フィルムが覆っておりまして、そのフィルムも特殊なレアメタルでできておりまして、外壁と同じ強度になっています」
「要塞だな……」
「そんな大層な物じゃないですよ」
 重要性を分かっていないような笑顔の神無。
 すると車は再び動き出した。
 特殊なレアメタルでできているという門を過ぎる。

 そこには外壁からは思えない一面真っ赤な地面が車を囲むようにあった。

「うわ……」
 それは真っ赤な花だった。
 門の先には無数の照明に照らされた花が無数に存在し、それが一直線に奥にある建物へと続いていた。
「花……?」
「えぇ、芍薬です」
「しゃく、やく?」
 聞いたことの無い花だ。しかし、ここまであると絶景だ。
「牡丹の一種です。赤くて綺麗でしょ? 赤色は魔を祓うと言い伝えられていたので、ライズラスクの頭首は代々、赤い色の服を着ることになっているのです」
「だから赤い着物」
「はい」
 そんな意味があるとは知らなかった。そう言えば神社の巫女なども袴が赤いな、と思いながら。しかし、未来の文化なのに着物ってのも変な気分だ、と心の中で呟く。
 しかし、ここまで赤いと気が滅入る気もする。赤は人の感情を興奮させると聞いたことがある。
 その芍薬が作る真っ赤な地面に唯一開いた一本道の先には、照明で照らされた真っ赤なレンガ作りの洋館――いや、宮殿が堂々と聳え立っていた。
「あれが、頭首官邸です」



「――この国では空中都市のように官邸は、その国のトップが執務に使うのではなく。頭首になった者はこの頭首官邸にて次の頭首に変わるまで生活をし、仕事をこなすのです」
 無数の小さなシャンデリアが天井に飾られ、床には頭首専用機のように一面に真っ赤な絨毯が敷かれていた。
 ツカサは現在フージンと神無に先導されて、これから自室になるという部屋に案内されている。
 右手には無数の窓ガラスが存在し、左手には無数の絵画が真っ白な壁に飾られている。その光景が何十も続いており、廊下の先は小さく見えている。
「何か不気味な廊下ですね。同じような道が延々と続くと」
「先ほどまでいたフロアが執務を中心に行って。この渡り廊下を行くと私や何名かの選ばれた方が住む住居フロアになるのです。でも、たしかに長いですね」
 ツカサはリムジンを降りた後、横幅が異様に長い石段を上る。石段の先には赤煉瓦で建設された宮殿が眼前に広がる。
 その宮殿も端から端までもとてつもなく遠く、窓ガラスは無数に存在するが、全ての部屋にはカーテンが掛けられて内部は確認が出来ない。
 内部はさらに豪華で煌びやかな装飾が多く存在し、床一面に真っ赤な絨毯、玄関ホールでは舞踏会が開けそうなくらい広い。そして、中央の天井には巨大な花が描かれたステンドガラスから光が漏れ、真下の床へとそっくりそのまま映し出されていた。そのステンドグラスの絵が写る床を挟むように左右に巨大なシャンデリアが存在し、その真下に半円を描きながら二階へと繋がっている階段がそれぞれ存在した。
 そのフロアは、ライズラスクや同盟国の執務を全て行う執務フロア。
 何百もの関係者が毎朝あの厳重な門を通り、また夜になるとあの門を通って帰宅するそうだ。部屋の数は二百五十一部屋、全てがその執務のための部屋らしく。頭首の執務室は最上階の中央に存在する。
 そこから長い渡り廊下を渡ると、厳しいチェックを受けて合格した者だけのみ住み込みが出来る住居フロアが存在する。
 住居フロアに到着した三人。
 そこは渡り廊下と同じく、天井に無数に小さなシャンデリアが吊り下げられ、床には一面真っ赤な絨毯が存在した。
 しかし、絵画や窓の変わりに木製のドアが無数に存在していた。
「うーん、これもこれで目が回る光景だ」
「等間隔にドアが無数にあるのでたしかに変な気分ですが、ツカサもその内慣れますよ」
「その内か……ははは……」
 些か不安になってきたが、もう後戻りはできない。
 さらに住居フロアを奥へと進むと、一際豪華で巨大な扉が存在した。
「ここが私の部屋。頭首専用部屋です」
 流石、というか当たり前というか。
「じゃあツカサ、明日から私の『秘書』として付き添ってもらいますから頑張ってくださいね」
 そういうと、神無は扉の向こうへと消えていった。
 残されたツカサとフージン。しかしフージンは気にせず神無の部屋の隣の扉の前に移動する。
「こちらがツカサ君の部屋になるので」
「神無の部屋の隣なんですか」
「不本意ながら」
 澄ました顔で言っているが、きっと本音だろう。
「頭首がどうしてもということなので隣にしましたが、……本当は頭首官邸に入れる予定では無かったのですがね……」
「そう……ですか」
 その場合はどこで生活するのかが気になったが、これ以上嫌味を言い続けられるのも嫌なので、軽く頷いて自室の前へと移動する。
「部屋の中には秘書用の着衣、ある程度生活に困らない家具や電気製品が揃っています。洗面所、バスタブ、トイレも部屋の中にあるので問題ないですが。この住居フロアには大浴場があるので気が向いたらそちらをお使いください、ここから左手に行った方向にあります。それからツカサ君の部屋にあった物は全てこちらに移動しときましたので。部屋の鍵は貴方の指紋なのでドアノブに触れば開きます、もう登録しましたので大丈夫です」
「いつの間に……ありがとうございます」
「では……」
 軽くお辞儀をするとフージンは今来た道を引き返していった。
 フージンの後姿を見送り、ドアノブを手に取ると扉から機械音が流れて続いて鍵が外れる音が響く。
 ドアノブを回すと扉は開き自室へと入る。
 室内は薄暗く家具と思われる物やバスルームへの扉の輪郭が薄らと浮かび、扉を開けたまま入口近くを見渡すと壁にスイッチが三つ存在した。
 その三つのスイッチの一番上に存在するスイッチを押すと玄関周辺の灯りが照らす、しかし部屋の奥の灯りは点灯せずまだ暗いままだ。
 さらにその下、中央のスイッチを押すと部屋の奥が点灯し、部屋全体を明るく照らす。
 部屋の内部にはベッド、木製のクローゼットにアームチェア、何も入っていない五段の本棚、三面鏡の化粧台、大型の冷蔵庫に台所まであった。部屋の中央にはダンボール箱が五つほど重なって置かれていた。
 中は白を中心に飾られており、今まで赤を見ていたので何か落ち着いた気持ちになってきた。
 ツカサは部屋の奥へと進み、中央にあるダンボール箱の一つを開けると中にはツカサの衣服が置いてあった。たしか連れ去られてから一直線に向かったような気がするのだが、それなのになんで先に衣服が先に着いているかが謎だがきっと未来なりに便利が機能などがあるのだろう、もう驚くことさえ無駄な気分になってきた。一通り部屋の中を見て周る。
 部屋の奥にある扉の向こうには洗面所、洗濯機に乾燥機まで存在し。さらに奥にはバスルームがあり、一般の浴槽より明らかに二周りはでかい浴槽が存在した。
 貧乏生活からいきなり富豪生活に変わり、過去から来た侍、いや平成初期から現代まで来たような感じである。
 微妙な環境の変化ではあるが、変わったことには変わりない。
 前の生活はかなりギリギリな生活だったので恐らくここでは安定した生活が出来るだろう。
 しかし、自由があるかが謎である。何より知った人間が存在しないのがきつい。だが、あそこにいても自分を見てくれる人は少なかった。
 自分の中に何か不思議な能力が存在するらしいが、どんな力が存在するかも分からないままである。本当にそんな能力が存在するかも謎である。
 ベッドへと向かうと体を預けるように倒れこむ。
 視線を横へと向けると壁掛け時計があり、時間は十一時三十分を指していた。
 真っ白な天井を見上げて、色々思考を巡らせようとするが瞼は次第に閉じていく、思考も働かなくなり意識はゆっくりと途切れた。



 ――――。
 微かな物音に目が覚める。
 辺りを見回すと部屋の電気をつけっぱなしのままで寝てしまったようだ。
 時計を見ると現在の時刻は三時十分。
 眠気の残る頭でベッドから起き上がる。
(そういえば、風呂に入っていないな)
 空中都市で生活していた時は銭湯に入っていたのでたまに入れない日もあった。今日といっても日付が変わっているので昨日だが、二日ぶりの銭湯に行こうと思った矢先、拉致されて今現在に至る。
 明日から秘書、名前だけだが頭首の秘書なのだから人前に立つのだろう。それで風呂に三日入らないのは流石にまずい気がするので風呂に入るか。
(そういえば、フージンさんが大浴場があると言っていたな)
 こんな真夜中ではきっと誰も入っていないだろう。まだ他の人に会っていないのにこんな真夜中に見知らぬ人物が歩いていたらきっと何か言われるかもしれない。それに浴槽もここにあるのだから無理に入らなくてもいい気もするがなんとなく気になる。
 ツカサは元々広い場所が好きである。まだ人がいない銭湯に入ってゆっくりするのが好きなのである。この広い部屋も好きだ。前の部屋と比べると運動できるほど違う。
 きっとこんな真夜中に大浴場に行くだけなら問題は無いだろう。
 ツカサはダンボール箱の中から代えの下着とバスタオル、大き目のタオルを取り出す。
 バスタオルに下着とタオルを包み部屋の入口へと向かう。
 扉を開け廊下に出ると、廊下の明かりは部屋に入る前と変わらず明るく照らされていた。
 ツカサは部屋の照明のスイッチを押すと部屋は暗くなる。
 そして、フージンが言っていた方向へと歩き出す。
 廊下、扉、赤い絨毯、白い天井が延々と続く。
 直進し、曲がり角を一回曲がるとそこには赤い暖簾が垂れ下がっていた。
(なんか旅館に来た気分だな)
 そんなことに苦笑しながらも暖簾を潜るとそこにはまさに旅館のような脱衣場が存在していた。
 脱衣場で服を脱ぎ全裸になると腰にタオルを巻き、浴場へと向かう。
 擦りガラスを開けると浴場に湯気に包まれており、中にはかなりの広さの浴場が広がっていた。浴槽は何個もあり、サウナと思われる部屋も何個か存在した。シャワーも何十個も配置されている。
 浴場は水が流れる音だけが響き、静かな世界になっている。
 ツカサはシャワーの一つに座る。木製の風呂椅子に座ると木製の桶に水を入れて体を濡らす、温度を設定し蛇口で暖めた後にシャワーへと切り替える。シャワーから暖かい水が流れ頭を濡らしシャンプーを泡だ出せて水で洗い流す。その後、体を洗っていき、一通り洗い終えると桶にお湯を溜めて体を濡らす。
 浴場の中はサウナ室が四つ、サウナ室の近くに冷水の浴槽、ジャグジー風呂、湯が黒い浴槽、逆に白い浴槽、湯が無色の浴槽が四つ存在していた。
 ツカサはとりあえず湯が黒い浴槽の隣にある湯が無色の浴槽へと入る。
 ちょっと熱めだがそこまで気にする温度ではない。
 風呂に入りながら息を吐き、肩まで浸かると全身が温まり、かなり顔が緩みきっている。
 
 ぽちゃ――――。

 隣から水面に何か落ちる音が響く。
 何事こと思い、音がしたほうへ向くとそこには――――。
「…………」
「うおっ!!」
 黒い湯の中から顔が半分出している少女の顔があった。
 その少女は水に濡れて水分を含んだ黒髪を水面に垂らしながら口を水面下に、鼻を水面ギリギリに出ている。目は細めながらツカサは一点凝視していた。
「か……神無」
「…………」
 神無はまだツカサを凝視している。
「……な、何やっているんだ?」
 このままでは何の反応も見られないので問う。
「……ぶぐぶぐゴボッ」
 口を水面下にやったまま喋ったようでお湯を飲んだようだ。水面に口を出して咽ている。
「大丈夫か……?」
「――――は、はい……大丈夫です」
 落ち着きを取り戻した神無。何か思い出したようにツカサに向き直る。
「……なんで、ここにいるのですか」
 かなり不機嫌な顔でツカサを睨むが意味も分からず言われるのも癪なので。
「それはこっちの台詞だ。ここは混浴なのか?」
 その言葉に神無が何かを思い出したようにはっとする。
「……そういえば、ここは混浴でしたね」
 五指を揃えて額に当てて苦笑する。
「なんでこんな時間に風呂に入っているんだ」
 別に部屋についている浴槽を使えばいいのに、なぜわざわざ大浴場に入るのだろうか。人のことは言えないが。
「えーと。私、広いお風呂を独り占めするのが好きで、こんな広い場所なのに誰もいない感じが気持ちよくて」
 神無は恥ずかしそうに笑いながら言う。
 なんだ、神無も同じ理由だったのか。そう思うと笑いがこみ上げてくる。
「む。何笑っているんですか!」
 くすくすと笑っているツカサを見て神無が柳眉を顰めて怒った。
「いや、神無も俺と同じ考えなんだなと思ったら可笑しくて」
「え……ツカサも同じ考えなんですか?」
 神無は驚いて眉を上げる。
「あぁ、広い風呂に一人で入ると何か落ち着くって言うか、気持ちがいいんだよな」
「……えぇ、そうですよ」
 神無もくすくすと笑い出す。
 二人だけの大浴場に笑い声が響いた。
「ん……?」
 ツカサはあることに気づいた。今までは顔から下は全て包帯に包まれていたのだが、今の神無は全裸かタオルを体に巻いているだけに違いない。
 流石に包帯を巻いたまま風呂に入っている訳が無い。ツカサは下心のままに視線は神無のほうへと向かう。
 神無の体は黒い湯により、胸元から下は見えず、顔のように真っ白で美しい肌がある。

 ――――はずだった。

 そこにあったのは予想を遥かに超える物だった。
 神無の頭から下の肌は、無数の生傷や痣、変色した肌に縫い付けられた痕、黒く腐敗した肌に抉り取られたように変にへこんでいる肌。そのような生々しい痕が無数に存在している神無の肌、まるで頭と体がまったくの別物のように見える。
 ツカサはあまりの光景に絶句するだけだった。神無はツカサに気づかず笑い続けている。
 次の瞬間、笑っているのが自分だけだと気づきツカサへと向くと、ツカサが自分の肌を見て驚いていることに気づき、慌てて黒い湯に首が隠れるほど浸かる。
「…………」
 神無はツカサから目を離して黙ってしまった。
 沈黙。先ほどまでの笑い声が消えて、大浴場にはただ水が流れる音だけが響く。
 ツカサは見てはいけない物を見てしまった。
 あの包帯は数々の傷を隠すために巻いていたのだろう。普通じゃ決してありえない傷跡は何かあったに違いない。
 腐敗したまま変わらないほどである。一日でつくはずが無い。
 沈黙は続く。そんなに経っていないはずなのだが分からない、のぼせるほどではないのでそう時間は経っていないのだろう。
 神無は黙ったままである、言いたくなければ言わなければいい。人にはそれぞれ過去がある。言いたくない過去だってあるかもしれない。その人が話す気になれば聞こう。ツカサはそう思っていた。
 神無は静かに、視線は正面を向いたまま口を動かした。
「……この傷は、昔の親、と言っても本当の親ではないですけど。親が私に虐待をした時についた傷跡の数々なのです」
「――――ッ!!」
 さらに驚愕し、ツカサは神無へと視線を送る。
「その家には子供がおらず、しかたなく私を引き取ったようです。最初は優しくされました。でも、ある年にその家に子供が生まれたのです。そうしたら私はいらない子。しかし、捨てるのは世間体に悪く生かしておいても子供がいるから邪魔なだけ……だからその家の亭主は私をストレスや欲求不満などの捌け口にしました。刃物で切り刻まれる日があれば熱しられた鉄を肌に当てられたり、電気を全身に流され肉を削がれたりもしました。多すぎて覚えていませんね。数年間その生活が続き、やはり世間体が悪いから顔だけは傷つけられず、頭から下は包帯を巻いて夏でも長袖の服など着て肌を隠していましたね。それが三年前のある日にその家に黒服の男が着て、私を連れて行ったのです。親は流石に虐待が発覚すると思い、抵抗したようですが私は連れて行かれたのです」
 空中都市でフージンに攫われた時を思い出したツカサ。
「その日に前頭首に会い、私が神の申し子と言うことを知りました。そして前頭首の秘書をやることになったのです」
 まさにツカサの現状に似ている。
「それから私は必死に勉強しました。前頭首の役に立てるように。前頭首は別にいいと言いましたが、私は何もしないでいるのが出来ませんでした。覚えることは無駄に得意だったので二年もすれば世界のことを覚えることができました。そして一年前に前頭首が任を降りられたので私が頭首になったのです」
「へぇ、よく頭首になれたな。俺と年齢が変わりないと思うんだが」
「はい、自分もよく分からないのですが。前頭首が何かご配慮なさってくださったらしく、すんなりと頭首に就任できたのです。この国では支持率や能力が高ければその職に着くことができるのです」
「そうなのか……頭首の支持率とかどれくらい必要なんだ?」
「国民の九割が必要で、周辺各国の頭首の六割の支持率が必要なんです」
「……じゃあ神無はそんだけ支持率があるのか」
「そういうことですかね? 意識したことありませんけど」
 ニカッと笑う神無。本当に意識していないようだ。
「しかし、この支持率がある程度下がると現頭首の任が終わり、次の頭首が出るのです。まぁ流石にそんあ支持率が高い人は滅多に現れないので選挙になったりしますがね」
「ほう。じゃあ、神無の前の頭首は支持率が下がったのか?」
 次の瞬間、少しずつ明るかった表情も一瞬で影が落ち、さきほどのように暗い表情になってしまった。
 何か聞いていけないことを聞いてしまったとツカサは確認する。
 そろそろ体が火照ってきたような感じがする。
 これ以上、入っていたらのぼせる可能性が出てきた。
 しかし、どうも場の雰囲気が動けない状況である。
 沈黙が続くと思われたが神無が口を開く。
「……前頭首は、一年ほど前にお亡くなりになりました」
「え……」
 驚き、口を開いたままになる。
「ある日、前頭首の部屋へ行くとそこには血を流しながら冷たくなった前頭首の死体があったのです。他殺だということがわかりましたがそれ以外は何もわからず、犯人は見つからなかったのです」
 暗く影を落としていた顔にゆっくりとだが他の感情が見えてきた。
「その後、閣議により私が次の頭首という声が出てきました。やはり反対も何名かはいましたが、実は前頭首の秘書をして二年目になってからは殆どの頭首の仕事を手伝っていました。外交や社交まで全て行きました。そのことから私は頭首になるために演説をし、国で支持率を調べてみました。そうしたら全ての条件をクリアして頭首になったのです。」
 段々とその感情が表れてきた。
「私は前頭首を父のように慕っていました。優しく、聡明で、美しい人でした。……私は前頭首を殺した犯人を許せません。この手で殺したいくらいです」
 先ほどまでの笑顔や、悲しみの顔が嘘のように思えるほどの憤怒の表情。まるで別人のようにその目には怨みの色が浮かび上がり、唇が千切れそうになるほど噛み、細かく震えている。
「頭首になったので秘密裏に犯人を捜していますが手がかりがまったく見つからないのです。私は絶対犯人を見つけます……」
「……いい人だったんだな」
 自然と声が出てしまった。
「え……?」
 神無は突然言葉を掛けられて驚いた。
「その前の頭首は、神無にとって大切な存在だったんだな。まだ会って時間が経っていないが人前でいつも落ち着いている神無が、人前でそれだけ感情を出したんだ。相当好きだったんだろ」
 ツカサは神無に向いて微笑みながら聞いた。
 一瞬驚いた神無だが、すぐに笑顔になった。
「はい」
 あんな表情は慕っている人でなければ出せれない表情だ。
 恐らくその頭首が死んだ時に神無は泣いたろう。大声で大粒の涙を流しながらその死体にしがみついたかもしれない。
 大切な人を失うとはそんな行動を起こすのだろう。ツカサは物心付いたときには既に両親はいなかった。施設の園長先生が唯一の親だった。
 その園長先生も無駄に元気でまだ死ぬとかそういう感じではない。
「……手伝うよ」
「え?」
「手伝うよ。出来ることは無いかもしれないが、そんな神無を見たら手伝わないといけないと思ったんだ」
「でも……」
 迷うように目線が移動する神無。
 今更何を迷っているんだ神無、無理矢理この国に連れて来られてただ、のうのうと生活していくのも何か気に入らない。女の子のあんな顔を見たら男としてはかっこいい姿を見せたいじゃないか。
 それに、お前は言っただろ――――
「――――言っただろ、俺は神無の秘書なのだから」



 大浴場から戻ったツカサは、自室で早朝までの時間を潰していた。
 現在の時刻は五時丁度である。
 神無の話では明朝六時から業務を始めるらしい。後一時間程度なので寝るわけにもいかずに眠気も無いために起きていることにする。
 大浴場で、神無の秘書宣言をした後はのぼせそうだったので上がろうと思ったが、神無が先に出てしまい女の子が着替えている脱衣所に行くわけもいかず動けなかった。
 神無の入っていた黒い湯の浴槽に手を入れてみたがそう熱くは無く、長時間入浴してものぼせるほどでもない。だから先に入っていた神無は平気な顔をしていたのか。
 脱衣所から神無の気配が消えたのを見計らってツカサは浴場から出て、着替えてから自室へと戻り現在に至る。
 先ほど大浴場で勢い的に秘書をやると認めたが、自分に出来ることは現在のところ何も思いつかない。
 体力だって一般学生の平均と同じで、学力なんて平均よりいい程度。
(そういえば、秘書用の服があると言っていたな……)
 立ち上がるとツカサは一通り自室を見回す。
 恐らくダンボール箱は全て空中都市でのツカサの私物だろう。
 ならば着衣が入っていそうなのは一つ。この部屋のクローゼットだろう。
 部屋の片隅に置かれている高級な作りのクローゼットに近づく。クローゼットの観音開きの扉を開けると中には黒を基調としたスーツ、革靴に真っ白なカッターシャツに靴下、真っ白なTシャツ。これだけならばフージンなどと変わらない姿なのだが、ネクタイだけが何故か真っ赤な色だった。
 今日から秘書として生活するのだろうし、もうすぐ業務とも言っていた。早めに着替えていても問題は無いだろう。
 と意気込んだものの、ネクタイの巻き方が分からない。
 短くなったり長くなったり、首がしまったり緩すぎたりと悪戦苦闘する。

 トントン――――

 部屋の入り口からノック音が響く。
「ツカサ、よろしいですか?」
 神無の声だ。
 変に絡まったネクタイを外して扉へと向かう。
「待ってくれ、今開ける」
 扉の前には白い蜘蛛が描かれ真紅の着物を着た神無が居た。
 神無は着衣が乱れているツカサの姿を見ると。
「ツカサ。スーツを着たこと無い?」
「面目ない……」
 スーツなんて生まれて初めて着ました。
 普通の人は大学の入学式や企業の入社式で始めて着る人が多いだろう。
「もう……しかたないなぁ」
 ため息を吐くと、ぐいぐいとツカサの背を押して部屋に入っていく。
「え……ちょ……」
 部屋に入ると扉が閉じる音が後ろから聞こえた。
 背中を押されて部屋を進む、少しすると背中の手の感触が無くなったので神無の方へと向き直る。
「か、神無。いったい……」
「気をつけ」
 一瞬神無が何を言ったか聞き取れなかった。
「何?」
「気をつけ」
「なんで?」
「気、を、つ、け」
「……はい」
 気迫に押されて勢いのまま気をつけの姿勢をとる。
 神無はツカサが手に握っていたネクタイを奪い取るとツカサの首に巻きつけていく。
「いいですか? ネクタイはこうやって……こう巻いて……」
 神無は恐らくツカサにネクタイの巻き方を教えているのだろうが、もうすぐで密着するほど神無が近づいていてツカサは動揺を隠し切れない。神無はネクタイを見ながら説明しているが、ツカサの視界には神無の頭部がかなり近い部分で見えている。
「……ここに通して……完成です。分かりましたか?」
 神無に見とれていたツカサはネクタイを巻き終え、顔を上げた神無と目が合った。
「あ……すまんが、もう一回お願い」
 見とれていたのだからまったく見ていない。
「しかたないですねぇ……」
 そう言うと神無は綺麗に巻いたネクタイを解いていく。この顔に近さに何か気づかないのか。車内でのこととか思い出さないのか。
「いいですか? こうやって……」
 流石に二回も分からないと言ったら何言われるか分からないので今回はネクタイに集中しよう。
「……それでこうやって、出来上がりです。わかりましたか?」
「おう、ありがとう」
 以外にネクタイの巻き方は簡単なのだな。いや、神無の説明が上手いのだろうか。とにかくこれでネクタイに困ることも無いだろう。
「それからスーツの皺や崩れている所はこまめに直してくださいね。身だしなみはしっかりしないといけませんから」
 そう言いながら神無はツカサの立った襟や皺などを丁寧に直していく。
 しかし、世界を纏める頭首にこんなことをやらせていいのだろうか。否、絶対駄目だろう。人の身だしなみを自ら整える指導者もそうそういるはずもない。多分、今ツカサはとんでもなく凄いことをやっているのだろう。
「だ、大丈夫だよ。それぐらいは自分でできるよ」
「そうですか?」
 一応止めるように声を掛けるが、神無は制服を整えることを止めない。
「…………よし、こんな物でしょうね」
 やっとのことで、恐ろしいことは終了した。
 神無は終わると同時に後ろに数歩下がりながら手を、パンパンと叩きツカサをつま先から頭部までじっくりと見る。
「髪型は……まぁしかたないですね」
「ふむ……」
「ではそろそろ行きましょうか」
「行くって……?」
 なんとも間抜けな声で聞き返してしまった。
「もう時間ですよ……ほら」
 神無が時計へと人差し指を指す。ツカサが神無、神無の指、時計と順番に見ていくと、時計の針は五時五十分を差していた。
「もう、こんな時間だったのか」
 ネクタイに苦戦していて時間の経過に気づかなかった。神無が迎えに来てくれなければ危なかったかもしれない。
「時間に気づかないほど苦戦していたんですか?」
 神無は、くすくすと笑い出す。言い返したいが事実なのだから仕様がない。
「じゃあ、行きましょうか……ふふ……」
 まだ笑っている神無は歩きながら部屋の出入り口の扉へと向かう。
「……笑わないでくれ……」



 部屋から住居フロア、執務フロアへと移動した後は頭首専用執務室へと向かい、部屋に入るなり豪華な皮製の椅子に座る。
 部屋の中にはフージンとスーツを着る三十代前半の女性が待っており、女性はツカサを一瞥するとすぐに手に持っていた薄いパネルに指を触れるとそのパネルの上、空中に青白い長方形の画面が浮かび出た。
 女性は分刻みに神無の今日のスケジュールを読み上げていく。かなり忙しいようで休む暇も無い。
 ツカサは入り口でボケーと突っ立っている。何所へ移動すればいいかが分からないのである。困惑しながら部屋の中を見回すとフージンと目が合う。
 こっちに来てください、と小さく手招きしながら視線を送ってくる。
 ここで立ち止まっていくわけにもいかないので、これ幸いとフージンの近くまで移動する。
 少し待ってください、とアイコンタクトを送るとツカサもそれに従う。
 まだスケジュールを読み続けている女性。内容を聞いてみるとまだ午前のスケジュールを言っている。
 内容は書類の整理や会議に会談、各地を視察したりとかなりのボリュームになっている。
 結局、夜遅くまで隙間無くスケジュールが入っており、かなりのハードスケジュールだ。
 スケジュールを読み上げた女性は軽くお辞儀をするとゆっくりと退室した。
「…………ふぅ。今日も大変ですね」
 神無が机に突っ伏しながら言った。
「頑張ってください。この国の頭首、なのですから」
 フージンはいつのまにか部屋の片隅へと移動して書物が入っている戸棚の一つを開ける。
 すると戸棚の中から大皿を取り出した。
「今日は栗蒸し羊羹です」
 そう言い、フージンは机に突っ伏す神無の横に大皿を置く。
 大皿には切り分けていない所々黄色い球体が見える茶色い和菓子、栗羊羹が切り分けられる前の姿で大皿に三本あり、その横に木製のナイフとフォークが添えられていた。
 神無は突っ伏したまま顔だけ羊羹がある大皿へと向けると、突然顔をがばっと上げて満面の笑みになる。
「わぁ! 美味しそう! 早速頂きますね」
「どうぞ」
 木製のナイフで羊羹を小さく切りながら、切った物を口へ運んでいく神無。
「あの……あれは?」
 流石に気になるのでフージンに小声で聞く。
「栗蒸し羊羹ですよ」
「いや、それは分かるんですがなんで今ここで羊羹なんですか?」
「頭首は甘いものが好物でしてね、かならず業務は私が作った和菓子や洋菓子を食べながらやるのです」
「フージンさんってお菓子を作れるんですね」
「趣味ですから」
「でも多くないですか、あれ」
 ツカサが大皿に乗った羊羹を指差す。
 いつのまにか神無は羊羹を一本食べきり、書類に目を通している。
「あれぐらい食べないと頭首曰く。朝食は沢山食べないと一日気合が入らない、と言うことなのでいつも多めに作っています」
「あれ朝食なんですか」
「頭首という職は休む暇もありませんから朝食を取る暇もありません」
「……俺はご飯どうすれば?」
「そういえば食事のことを言っていませんでしたね。本当は住居フロアに飲食物が販売しているので購入していただき、自室で調理なさって食べていただいてほしかったのですが。昨日言ってませんでしたね、すいませんね」
「ということは、多分夜まで食べ物にありつけないのですか?」
「ですね」
 ツカサはご飯を食べれない悲しさに項垂れる。
 頭首なのだからきっと豪華な食事を食べれると思っていたのだがそんなうまくいくわけはなかった。現実とは厳しい。
「ツカサー。これ食べるー?」
 顔を上げると書類に目を通しながら神無が羊羹を刺しているナイフをツカサへと向けている。
「食べる! 食べる! 夜まで待ったら空腹で倒れそうだ!」
 朝と昼、二食抜いただけで倒れるわけは無いが、先ほど聞いたハードスケジュールを思い出すと本当に倒れそうな気がする。実際ツカサはやるわけではないがそれに同行するのは間違いないだろう。
 ここで糖分を取るか取らないかで命運を別けるに違いない。
 ツカサは神無に近づくとナイフを受け取る。
「ありが……と……う……」
 羊羹を受け取ったツカサの目に不思議な光景が映る。羊羹を翳すとその先が見える。羊羹はかなり薄く切られている。
「…………」
 神無を見るが書類を見ていてまったくの無反応。
 ここで、薄いと言うと男らしくないので仕方なく薄っぺらい羊羹を口に入れる。うっすらと甘い味がするが歯ごたえがまったくない。
「……ありがとう」
 そう言いナイフを大皿に置くと、神無はまた羊羹を切って口に運んでいく。大きく切られた羊羹を。
 ツカサは渋い顔をしながら元の場所へと戻る。
 するとフージンが、くくくっ、と笑っている。不振に思いフージンを見ると。
「……頭首は甘い食べ物になるとかなり変貌しますからね。以前、頭首の洋菓子を食べた官僚が思いっきり殴られましたからね」
 想像しにくい姿だが、先ほどの反応を見るとたしかに予想できる。
「その後、色々後始末が大変でしたがこの国の上層部の暗黙のルールに、現頭首の菓子に決して手を出してはいけない、とルールが出来ましたけどね」
「怖いですね……」
「怖いです。でも頭首自ら人に進んで菓子を与えるのは滅多にありませんよ」
「そうなんですか」
 神無を見るといつのまにか三本目を切っていた。
「なんか凄い勢いで食べてますね」
「朝食ですからね」
「昼食とかも甘いものなんですか?」
「各国との食事会などでは普通の食べ物を食べますが、それ以外の時はほぼ全てが菓子や果物を食べています」
「栄養とか大丈夫なんですか?」
「一日に必要な栄養を全てジェル状にして飲んでいるので大丈夫でしょう」
 流石未来の世界と言うべきか、ついに一回の食事で人間の必要な栄養が取れる時代になったのかとツカサは関心する。
 そして、ツカサは一番気になった質問をフージンに問う。
「そんなに甘い物ばっかり食べたら太ぶほっ!」
 ツカサの質問は国語辞典ほどの大きさの書物が頭部に当たって途切れた。
「それは禁句です」
 フージンが倒れるツカサに向けて静かに言う。
 本を投げた神無は一度もツカサを見ることも無く書類に目を通していた。



 ツカサと神無が頭首専用執務室へ訪れる前のまだ薄暗い時間帯の時。
 頭首官邸内のある一室。
 そこにはある男が小声で何かと話している。
「……あぁ、今日こそ頼むぞ。貴様らには高い金を払っているんだ。昨日のよう失敗は許されないぞ」
『――――』
「ふん……そろそろこちらも怪しまれている。貴様らが早くしないからだ」
 男の声は低く重たい。
『――――』
「……まぁよい、今日のスケジュールを送るが私を巻き込まないように頼むぞ」
『――――』
「約束の機器はすぐにでも用意する、待ってろ」
 すると部屋のどこからか電源が落ちる音が聞こえ、それと同時に部屋の照明が輝く。



 頭部に分厚い本が直撃したことにより悶絶したが、神無やフージンがまったく心配しないので大人しく部屋の片隅で動きがあるまで観察していた。
 神無は顔を赤らめたり、怨みで顔を怒気で染めたり、満面の笑みなどの表情とまた違う、真面目で感情の無いような顔で書類に目を通したり書いたりしている。
 流石頭首と言うべきか、ツカサなんかより何倍も逞しく見える。
 その後、書類整理が終わったと同時に神無は席を立ち、部屋の外へと出て行く、神無を追いかけるようにフージンも歩いていくのでツカサも後に続く。
 先ほどフージンに「私に同行してくれれば指示を出すので大丈夫だと思いますよ」と言われたのでフージンの後を追う。
 三人は官邸前に止まっていた黒塗りの豪華なリムジンへと乗り込んでいく。
 昨日、飛行場から官邸までリムジンで来た時と座席に座るが、ツカサが運転席を背にするように座り神無から見て左側の座席に座る。
 車の中では先ほどの真剣な顔の神無はいなくなり、昨日と同じように無邪気な神無がいた。
「……あの、質問いいかな?」
「はい、なんでしょうか?」
「俺って、空中都市に戻れるのかな?」
「んー、一応神の申し子の力が分かり、安全なら許可は下りると思いますが、空中都市への生活は無理だと思いますよ」
「そうか……予想はしていたぞ。まぁ、元の生活に戻れると言われても約束があるからな、それをほっぽり出して帰るわけにもいかないさ」
「はい」
 大浴場での神無との約束を叶えるまでは俺はこの世界から出て行かないさ。宣言してしまったから、女の子との約束は守るさ。
 運転席のフージンがバックミラーで怪しむように見ていた気配がしたが気づかなかったふりをしよう。
 その後は様々な施設を視察したり、すぐに官邸に戻ってきたと思ったらすぐに会議室に入って国の偉い方々と話し合いがあったり(その時、不思議な物を見るような目でツカサは見られたが)、そしてすぐに書類整理、また視察、また会議、また視察と動きっぱなしである。
 視察の時は児童施設や新設された大学などを回ったりしていた。
 色々な施設に行く度に神無は人々から絶大な支持があることが分かった。
 児童施設では大勢の子供に取り囲まれたりしたが、その施設の周りの塀越しに神無に声援を送る人までいた。もちろん神無もその声に答えて手を振るが。「ちっちゃくて可愛いぞ!」という声を聞くと顔を真っ赤にして怒ったのだが、塀の周りの人々は、どっ、と笑い出したり、可愛いー、という者ばかりだ。神無は、うぅー、と呻きながら首をがっくりと落とした。
 神無の周りにはフージンとツカサしかおらず、他のボディーガードは遠めに待機しているのである。
 近くにいなくて大丈夫なのかとフージンに聞くと、
「やはり周りに黒服の男たちが無数にいたら国民が嫌がると思われたので最少人数で護衛しているのです」
 と答えられた。
「襲われたらどうするんですか?」
「大丈夫です、頭首はお強いですし」
 何か安楽的な考えだが昨日の飛行機内での戦いを思い出すと納得できるようなできないような。
 行く施設でよく人々にからかわれる神無なのだが、人々に愛されていることは分かる。
 それに恐らく演説をする時は先ほどのように落ち着いた顔で、自信のある明確な内容の演説をするのだと想像できた。
 その後、激しい移動を繰り返しツカサは移動中のリムジンの中でただ同行しているだけなのに体力の限界を感じていた。
 それでも今日は楽らしい。大変な日は各国を回らなければいけないらしい。
 神無は移動という休息時間の合間にはフージンが持ってきた洋菓子や和菓子を美味しそうに食べている。
 クッキーを頬張っている神無を見る。本当に幸せそうに食べる、これもまた可愛い。小動物を見ている感覚になる。
 その小動物頭首を乗せたリムジンは日が落ちた現在、他の四台のリムジンで囲まれるように走行している。
 一台にはお偉いさんが乗っているらしく、他の二台にはそのボディーガードが搭乗しているらしい。
 この後になにやら他の国のお偉い方々との話し合いがあるらしい。
 ただ同行するだけのツカサにはあまり関係の無いことだ。
 リムジンの窓から下を見ると様々な車両が複雑に交差しながら高層ビル郡を車道の区切りとして走っている、現在見える一番下など霞んでいる。
 逆にリムジンの上はすっきりと雲しか見えない。多分ここが一番高い車道なのだろう。
 外の風景はある意味で殺風景だ。
 高層ビル群と思われる世界は屋上が全て同じ高さになっており、その同じ高さのビルが規則的に間を開けて無数に立ち並んでいる。
 この国ではビルの高さは一定の高さ以上は禁止されているらし。
 神無はクッキーを頬張り続ける。
 ツカサは今までのハードワークをこなしてきた体は疲れがたまり、眠気を誘う。
 ウトウトと瞼が重くなり、深い眠りに入ろうとした。

 しかし、その眠気は車両の急停止により吹き飛んでしまった。

「――――! なんだ!?」
 体が跳ね起き、覚醒した頭を必死に使い現状を理解しようとする。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 私のクッキーが――――!!」
 目の前では神無がクッキーを地面に撒き散らして悲嘆している。
 しかし、その顔も般若のごとく怒りの顔になり、運転席のフージンを睨む。
「いきなりなんですか! 止まるならいいなさい!」
 怖いよ、怖すぎるよ神無。食べ物の恨みは本当に恐ろしい。
「私の楽しみをよく――――」
 怒り心頭の神無だったが、言葉が突然区切れて前方を注視したまま目を見開いて動かなくなる。
 そういえば、なぜ急停車したのか。それは簡単だ、車両の前で何かあったからだ。
 ツカサは振り向くように車両の前方へと視線を送る。
 そこには前方を走っていた黒塗りのリムジンがいた。

 先ほどまではいなかった人形を車外に乗せて。

 胸部には黄色く光る目を持ち、全身を黒光りする金属で覆う体躯を持つ人型。昨日ツカサたちを襲ったロボット、人造人型機動人形兵器こと人形と呼ばれる殺戮兵器。
 人形はリムジンの上部に二体、ボンネットに一体、後部に一体が張り付くように取り付いていた。
 リムジンは張り付く人形を振り落とすように蛇行運転をするが、人形は張り付いたまま動かない。
 次の瞬間、リムジンは人形と共に爆砕した。



 ボディーガードが乗ったリムジンが爆砕した光景が眼前に写る。
(今とは聞いていないぞ。私を巻き込むなとあれほど言ったのを無視しおって……一先ずここは退避せねば)
 男は唇を噛み締めながら正面を睨みつけた。



「……頭首、ここは一先ず退避します。しっかり捕まって――」
 フージンが言い終わる前にツカサが乗るリムジンは大きく揺れた。
 ボンネットには黄色く光る目を揺らしながらリムジンを覗くように屈んだ人形がいた。
 そして、ボンネットの人形が着地してから微かな間を空けてリムジンの上部に二つの何かが着地する音と、後部に人形が着地して車体を大きく揺らした。
「くっ……」
 フージンの判断は早く、急発進をして人形を振り落とそうと走行するが、人形はまったく落ちる気配が無い。
 このままでは先ほどの爆砕したリムジンと同じ状況になることが想像できた。
「フージン、上部を開けなさい」
 正面の人形に注目していたが振り向くと、先ほどまで神無が座っていた座席の下から昨日飛行機内で持っていた大型の銃を取り出そうとしていた。
「はい」
 フージンが軽く応答すると運転席にあるスイッチを押す。すると後部座席の上部が機械音と共にスライドして開いていく。
「――――ッ!!」
 その開いた天井の先には空――ではなく人形の巨大な体躯があった。
 その人形がこちらに気づき、その不気味な黄色い目を車内へと向ける。
 昨日体験した飛行機内で起きた九死に一生の体験を思い出す、これで三度目だ。
 だがその目は乾いた甲高い発砲音と共に吹き飛ばされた。
 そして人形は黄色い目を吹き飛ばされた勢いで剥がれるように天井の開いたスペースから消えて後部で張り付いていた人形と共に遥か下界へと落ちていった。
 その光景を背後にしながら、神無は見ようとせず、開いた天井に銃口を向けながら睨みつけていた。
 そして迷うことなくそこから上半身を出して銃口を構えると共に発砲音が響く、神無はすぐに屈むように上半身を車内へと戻すと開いた天井の上を人形が通り過ぎ、下界へと消えていく。
 瞬く間に車体に取り付く三体の人形を撃破した神無は前方の最後の一体へと視線を移す。
 ツカサもその視線をなぞるように前方へと視線を送ると、ボンネットに張り付いた人形が手を着く、するとその場所から火花が飛び散る。何かやっていることは分かるがツカサにはそれが何か分からない。
「フージン! ブレーキを!」
 神無が叫ぶ。それに答えるように車体が急減速する、ツカサの体は見えない力で押さえつけられる。目の前の神無はも床に手を着きながらそれに耐える。
 車両が急減速すると人形はバランスを崩したように火花が飛び散っていた腕を離す。そこには小さな穴が一つ開いていた。
 神無は人形がバランスを崩して車両が停車したの確認すると同時に立ち上がり、天井から上半身を出して銃を構えと同時に発砲音が響く。
 ボンネットにいる人形がゆっくりと後ろへと倒れこみ、黄色く光る目が消えた漆黒の鋼鉄は下界へと消えていった。
「た、倒したのか……?」
 命の危険性が消えたことに安心し、確認するように呟いた。
「だと、良いのですがね」
 それに答えるように車内へと戻り、後部座席に腰を落ち着かせる神無が険しい顔をしていた。
「フージン、何か変化は?」
 神無がフージンへと問いかける。
「……エンジン部分がやられました。恐らくこの車両が防弾車両だと分かって、内部から破壊しようとエンジン部分を弄っていたようです。爆破は免れましたが長時間の走行は無理です、近くに停車いたします」
 フージンが淡々と告げる。
「構いません」
 リムジンはゆっくりと高度を下げていき、ビルの屋上へと着陸する。
 神無は銃を持ったままリムジンの外へと出る。ツカサも後を追う。
 そこには真っ白な地面が延々と続いている。暗く星空が光り、無数の屋上は明るく照らされていた。
 するとツカサたちがいるリムジンの周りへと三台のリムジンが着陸する。
 二台からは黒服の男が八人ずつ降り合計で十八人、もう一台からは黒服の男が二人と茶色のスーツを着た五十代後半の男が降りて神無へと駆け寄る。
「頭首! お怪我はありませんか!?」
 五十代後半の男が神無へと駆け寄る。
 この男はライズラスクの副頭首。神無を補佐する男。
「問題ありません、そちらは?」
「はい。こちらは護衛が一つやられました。それ以外は被害はありません」
 黒服の男たちが神無と副頭首を守るように囲む。それぞれには大型の突撃銃を持ちながら辺りを警戒する。
「ここは危険です。移動します」
 フージンが神無に近づき言うと副頭首も頷き、無事なリムジンの一台へと向かう。
 ツカサも後に続く、ふと空を見上げる。
 そこには無数の星々が爛々と輝く。
 そして夜の空というキャンパスの真ん中には満月が光る。
 
 満月の中央には黒い何かが見える。

「…………?」
 訝しみ、それを注視する。
 それは段々と大きく、はっきりと輪郭を現してきた。
「ッ!!」
 それが何か分かると目を見開き、驚愕に顔を染める。
「上だっ!!」
 反射的に叫ぶ、悲鳴に近いような叫び声。
 それに反応するようにこの場にいる全員が空を見上げた。
 見上げた先に存在する黒い何か――人形はツカサたちがいる場所目掛けて落下している。
「頭首を守――――」
 フージンが叫びきる前に人形は鈍い音と共に屋上に亀裂を作って着地した。
 黒服の男たちは一斉に手に持っていた銃を人形へと構えた。
 だが、引き金を引く前にツカサたちを囲むように無数の人形が鈍い音と共に着地する。
 その数二十体、いや三十体は軽くいる。
 三十体の人形が一斉に神無へと黄色く光る目を、ぎょろりと移す。
 一番最初に降り立った人形が腕を上げようとした瞬間、黄色く光る目を銃弾が数発貫いた。
「何をしているのです! 頭首を守るのです!」
 拳銃を持ったフージンが叫ぶ。
 それを合図に黒服の男たちが周りの人形へと発砲していく。



 自分を攻撃してくる人間に対応するため、黄色く光る目は神無から様々な人物へと移動する。
 ツカサが呆気に取られていると手首を捕まれた。
 ビクッ、と驚くと神無がツカサの腕を掴んでいる。
「離れないでください」
 神無は言い終えると、人形へと向かい発砲する。
 人形は胸部を貫かれて倒れこむ。
 神無はツカサの手を引きながら、的にならないように動きながら敵へと対応する。
 フージンも二人を守るようにこちらへ黄色い目を光らす人形へと射撃していく。
 黒服の男たちも人形を撃破していくが、数で押されて犠牲が増えていく。頭を撃ち抜かれて即死する者、致命傷だがまだ息があり呻いている者。
「フージン、ツカサ。このままでは危険なのでリムジンまで移動します」
「はい」
「わ、分かった」
 三人は駆け足で先ほど向かったリムジンへと走る。
 しかし、そうはさせまいと四体の人形が左右から三人へと銃身を向ける。
 神無とフージンはそれぞれ左右の人形を二体ずつ撃ち抜き、さらに駆け足を早めてリムジンへと向かう。
 周りには既に壊れた人形のみが存在し、黒服の男たちと銃撃している人形も数えるほどしか残っていない。
 しかし、なんだろうかこの違和感は。
 まだ、何かがいる気がする。
 それが何かが分からない。
 周りにはそう変化は無い。
 ということは…………。

 上か――――っ!!

 ツカサが何かを感じ取り、空を見上げた。
 そこにははっきりと月明かりを背にした影があった。
 いや、殆ど目と鼻の先ほどに近かった。
「――――!!」
 ツカサは反射的に神無の腕を引っ張る。
 あれほどの巨大な銃を撃つ神無を止めれるか心配だったが、ツカサは神無を止めなければ死んでしまう、無我夢中に神無の腕を引いた。
 神無が強烈な腕の力で引っ張られて足を止めるて、驚いたようにツカサの顔を見る。
 刹那、このまま止まらずに走っていた場所に何かがそこを潰すように屋上の床を粉砕する音と共に落ちてきた。
 それは今までのような漆黒の巨大な体躯を持った人形とは違い、全身は白銀に輝き、人形とは違い胸元に黄色く光る目は無くそれにはしっかりと首と頭部が存在し、頭部は骸骨のような形をしており紫に輝く両眼と額には赤く輝く光があった。腰周りや四肢が骨のように異様に細く、左腕は刀の刃のように細長く輝いていた。
 その音に気づき、神無が振り向くと新手は三つの目を神無へと向け、なんの迷いも無く刀のような左腕で神無を薙ぎ払う。
 神無はツカサを守るように突き押し、反射的に後方へ飛び退いたが、腹部を斬られ鮮血を飛び散らせる。
「――くっ!」
 神無は大量の血を流す腹部を押さえながら地面に膝を着き呻く。
「頭首!!」
 フージンが叫び、拳銃を構えその人型に向け発砲する。
 しかし、その人型は今までの人形とは違い、素早い動きでその射線上から飛び退く。
 そして人型は左腕の刀で銃弾を弾きながらフージンへと近づき、右腕でフージンを殴り飛ばす。
「がはっ!」
 フージンは吹き飛ばされ、リムジンへと激突する。
 一瞬の出来事。
 神無は腹部から血を流し、フージンはリムジンに激突した後に動く気配が無い。
 ツカサは血を流す神無へと近寄る。
「か、神無! 大丈夫か!?」
 血塗れの神無を抱き起こす。
「ツ……カサ……逃げ……て」
 神無は切れ切れに言う。顔面は蒼白になり、息も苦しそうに吐く。
「何を言っているんだ! 置いていけるわけ無いだろう!」
 怪我をした人を置いていけるわけが無い。
 それにどこへ逃げろというのだ。ここは何も無い屋上が続く場所、それにツカサはこの国をまったく分からない、そんな国でどうしろというのだ。
 ガチャ、という金属音で顔を上げるとそこには神無を斬りつけ、フージンを吹き飛ばした人型が立っていた。
「――――!」
 恐怖が全身を包む。今までの人形は感情を持たずに機械としか思えなかったが、この人型はあの人形と同じ部類のはずなのだが何か不気味な雰囲気を出している、まるで生きているようだ。

「ふははははははははははははははは、まったく手こずらせおって」

 その場の緊張を崩すように声が響いた。
 声の主を探るとそこには今までどこに居たのか副頭首が大口を開けて笑っている。
「……何、笑っているのですか?」
 ツカサが副頭首を睨みつける。
 副頭首は、くくくっ、と握りこぶしを口に当てて笑う。
「それは面白いさ。その娘っ子がくたばるのだからな」
「何……?」
 その言葉にツカサが眉を顰める。そして気づいた、全ての黒幕を。
「まさか……お前がこれをやったのか!」
「くくく……そうさ、私がこいつらを仕向けてその娘っ子を殺そうとしたのさ」
 副頭首の顔が醜く歪む。
「なぜ……です……か……」
 神無がゆっくりと副頭首を睨みつけながら言う。
 副頭首は醜い笑い顔を解き、神無を虫けらのように見下す。
「……ふん。貴様がいなければ、次の頭首は私だったのだぞ。それがいきなり現れて私の地位を奪いおったのだ。だからお前が死ねば私が次の頭首に就任できるのだ」
「そんなことで……そんなことで、こんなことをしたのか!」
 ツカサが叫ぶ、こんな奴の私情のために神無が死にそうになるなんて許せなかった。
「黙れ! そんなことだと!?」
 副頭首は激昂し、声を荒げる。
「私は頭首になるのにどれだけ苦労したと思っているのだ! やっとここまで上り詰めたのを、その娘っ子が奪い取ったのだ!」
 感情を表すように叫ぶ。
「……なぜ」
 出血が止まらない神無は目も虚ろになり始めた。
「……昨日……頭首……専……用機を……」
 神無の問いに副頭首は、ふんと鼻で笑い飛ばす。
「なぜ、頭首専用機をそのまま破壊しなかったか分からないだろう。簡単だ、あれは私の物になる物だ、勿体無くて壊せないだろう?」
 副頭首はゆっくりとツカサと神無へと近づく。
「……さぁ、お喋りはここまでだ。人形よ、やれ」
 冷徹で無情な声が響く。
 しかし、命令を受けた人型は動かない。
「……ん? どうした、さっさとやれ」
 副頭首が眉を顰めながら人型を睨みつける。

『――――断る』

 突然、低い男の声がその場に響く。
 ツカサはその声の主を探した。
 この場にはツカサ、神無、副頭首しか人間は居ない。
 その声ははっきりと聞こえた。人型から。
「な……貴様! レベル一〇か!?」
 副頭首は驚愕に顔を染め、恐怖する。
『レベル二〇だ。私の主の細胞の二〇パーセントだ。貴様は我々の要求を実行する気配が皆無だ。上から貴様の抹殺命令がきた』
 人型は左腕の刀を副頭首へと向ける。
「ま……待て! 私が頭首になれば神の申し子の情報は全て手に入る! それまで待ってくれ!」
 恐怖、絶望が副頭首を染め、全身を小刻みに揺らす。
『貴様は、用済み』
「ま――――」
 副頭首の言葉は最後まで続かず、頭と体は人型の刀により永遠の別れが訪れ、切断部分からは大量の鮮血が噴水のように飛び散る。体は糸が切れた人形のように倒れこみ、空高く舞った頭部は鮮血を撒き散らしながら地面へと衝突した。
 唖然としながらツカサはその光景を見続けていた。
『……愚かな姫君よ。現在存在する神の申し子とそれの探査装置の場所を言え』
 人型は左腕を神無へと向ける。
「どう……て……そん……」
 既に危険な量の血液が流れている。早く処置しなければ命に係わる。
『貴様たち、神の申し子は生きていてはならない人間なのだよ。我々は全ての神の申し子を抹殺する』
 人型の言葉にツカサと神無の目が大きく見開かれる。
『言わないのなら、抹殺するのみ』
 人型は左腕を振り上げる。

 なぜだろうか。
 体が自然と動いた。
 神無を守らないと。
 約束を守らないと。
 そんな考えよりも先に体が動いた。
 無我夢中に神無の頭を自分の胸に治めるように抱き込み、人型に背を向ける。
 副頭首のように首を斬られて死ぬかもしれなかった。
 それでも体を張って、女の子との約束を守りたかった。
 胸元に顔を埋めた神無が何かを叫んでいるが聞こえない。
 背後から殺意の篭った凶器を感じる。
 死ぬと人はどうなるのだろうか。
 天国に行くのか、地獄に行くのか。
 それとも何も無いのだろうか。

 世界は真っ白だった。
 何も無い世界。
 明るいようで明るくない。
 暗いようで暗くもない。
 太陽が無ければ月や星も無い。
 空が無ければ地面も無い。
 そんな世界でツカサは唯一存在する。
 ここが死後の世界なのだろうか。
 結局死んでしまったのだ。
 神無を守れなかったのだろうか。
 今となっては分からない。
『パンパカパーン!』
 悲しみに暮れようとした時に、幼い少女の間抜けな声が真っ白な世界に響いた。
『おめでとうございます! 名前、ツカサ・キリュウ。正式名称、GSCOCP−24。貴方は今回の経験によりクラスチェンジなされました!』
 声だけが響く、ツカサはその世界を見回すが何もいない。
「クラス……チェンジ?」
『はい、クラスチェンジです。貴方の非常に強い想いに貴方の神々の申し子の力が目覚めたのです』
「え……俺死んだんじゃないのか?」
『いえ、現在は貴方の精神内で起きていることなので外との時間は関係ありません。後一秒もしないで死ぬ直前ですが』
 声の主はなんとも緊張感が無い。
 しかし、まだ死んでないとは。
『改めて挨拶を致します。私は神々の申し子それぞれを補佐するプログラムの一つ、クープとお呼びください』
 クープと名乗った声はどんどん話を続ける。
『私たちは神々の申し子が力に目覚めた時に、その人物を補佐するのが役目です。この世界で進む時間は現実の世界とは関係ありませんので、この世界で三時間いても現実の世界では〇秒、時間が経過しませんので安心してください』
「はぁ……」
『今回、貴方は守護者にクラスチェンジいたしました。クラスチェンジしたばかりなのでまだレベルTですが頑張ってレベルを上げてください。レベルは]までありますので』
「はぁ……」
 勝手に話が進んでいくので頷き生返事しかできない。
『守護者レベルTになりましたのでスキルを覚えました』
「スキル?」
 ツカサはとにかく白い世界を見回すが何も無いので適当に視線を送って聞く。
『スキル名、自動防御。効果、自分へと危害を加えるものを大小問わずに自動で防ぐ能力。最大三つまで防げます』
「んー、言われてもどういうのか実感が持てない」
 腕を組み、目を細めて首を傾げる。
『まぁ、この世界が終わったら死の直前なのですぐに効果が出ますよ』
「無責任な奴だな」
『では、ご不明な点がありましたら私の名前を呼べばすぐにこの世界に行けますので呼んでください。しかし、一日一時間のみなので気をつけてください』
「もう色々不明な点があるのだが」
『では、頑張ってくださいねー』
「聞けよ!」
 そして世界は暗転した。



「ツカサ――――!!」
 神無は叫んだ。
 自分を包み込むように守ってくれる人を。
 無理矢理連れてきたのに、私を助けてくれると言った。
 私は嬉しかった。
 初めて友達が出来たと思った。
 でもその友達が私を庇って死のうとしている。
 いやだ、そんなのいやだ。
 私が、弱いから。弱いからだめなんだ。
 弱いから皆を傷つくんだ。
 もう、大切な人が傷つくのはイヤだ。
 私が――――

 ――――カッ。

 金属を弾く音が聞こえた。
『なんだと?』
 人型の声も聞こえてきた。
「驚いた……まさか本当とは」
 そして初めての友達の声が聞こえた。
「大丈夫? 神無」
「は……はい」
 すぐそばにツカサの顔がある。神無へと笑顔を向けて。
 たしかに人形の刀により私たちは斬られるはずだった。
 しかし、何か音が響き、二人とも傷ついていない。



『貴様! なんだそれは!? その光は!!』
 人型がツカサへと問いかけるように叫ぶ。
 ツカサの背中には、緑色に輝く六角形がツカサを守るように浮いていた。
 ツカサは首だけを背中に向けて、それを確認した。
 先ほどクープと名乗った声が言っていた、自動防御の能力と。
 胸に抱きこんだ神無をゆっくりと体から離す。
 ズボンを見ると、真っ赤な血が大量に付着していた。神無の血だ。
 しかし、神無は顔を真っ青にしながらもツカサを驚いたように見つめる。
 人型に向き直ると、六角形が消える。
『……そうか、力に目覚めたようだな』
「…………」
 人型の赤い目の光が一層強く光る。
『そこの死にぞこないより、貴様を抹殺を最優先にする』
 人型がツカサへと刀を向け、一気に踏み込む。
 人型は一瞬でツカサへと近づき、左腕を切り上げる。
『――――!!』
 しかし、その刃はツカサへと届かず、先ほど緑色に輝く六角形が突如現れて刀からツカサを守るように浮遊し、人型の刀を弾く。
 人型は弾かれた左腕を素早く斬り返し、六角形が存在しない頭へと振り落とす。
 だがその振り落としも、新たに現れた六角形により防がれた。
 人型は一旦、ツカサから距離を置き、相手の反応を窺っている。
 ツカサは今までの攻撃に微動だにせず、余裕を持って人型を見ている。様に見ている者には見えた。
(……あぶねぇぇぇぇぇぇ!)
 目と鼻の先に死が訪れたのだ。昨日まで一般人だった人間が平静でいられるわけがない。
 ツカサは余裕な顔をして動かなかったのではない。恐怖により顔が引きつって動けなかったのだ。
 先ほどの説明で効果は知っていたが、実際目の前に凶器があると当たらないと分かっていても怖い。
 恐らく、あの人型にはかなり俺を警戒しているはずだ。
 しかし、それ以上何もできない。
 この効果は防御に徹した物だ、攻撃なんて何も無い。
 そして、四箇所以上同時に攻撃されるとどれかは防げず、自分を傷つけるのだろう。
 人型はそれにまだ気づいていないはずだ。
 気づかれたり、神無へと攻撃されてしまったら終わりだ。
 その前になんとか奴を倒さなければ。
 だが、どうやって…………。
 窮地に陥ったツカサは現在混乱し、自分がどんな状態のでさえ分からない状態である。
 とにかく落ち着かなければいけない。
(どうする、どうする、どうする!)
 と、落ち着こうと思っても感嘆には落ち着いてはくれなかった。
(……そういえば、クープが何でも自分に危害を加える物を防ぐと言っていたが……)
 先ほどの説明で何かヒントが無いか考えたが、攻撃に使えそうなのは皆無だった。
 だが相手は待ってくれなかった。
 人型は踏み込み、ツカサへと近づき一直線に来ると数歩手前で左へと飛び退き、ツカサの首へと一直線に突き刺す。
 しかし、その攻撃も六角形に弾かれる。
 人型の左腕は後方へと飛び、体を大きく捻られて白銀の右腕がツカサの眼前に現れた。
 ツカサは兎に角何かをしなければいけないと感じ、その右腕へと飛びつく。
 人型は腕に張り付いたツカサを振り払おうと腕を振り回すが、ツカサが必死の思いで力を込めているためになかなか外れない。
 なかなか腕を離さないツカサに業を煮やし、人型は体を屈めて右腕を上げる。
 そして力の限りに人型はツカサを地面に叩きつけるように振り下ろした。
 だが、ツカサの体は地面すれすれの位置で六角形を間に挟み無傷でいる。
(……やっぱり、命に関わることは武器に限らずなんでも防ぐのかうおっ!)
 自分の能力に感心していたが、すぐに人型は腕を振り上げて再び地面へと叩きつけようとするが、やはり六角形が現れてツカサを守る。
(傷つかないが倒せるわけでもない。どうするか……そろそろ腕がきつくなってきた)
 激しく振り回され、ツカサの腕は限界が近くなってきた。
 人型はツカサに左腕の刀で斬りつけるが六角形により再び防がれる。
『貴様の能力は未だに不可解なことがあるが、殺傷能力は無いようだな』
 人型は静かに声を発した。
 ツカサは焦った。防御以外何もできないと分かればきっとツカサを無視して他の人へと危害を加えるだろう。
『そうと分かれば貴様以外を全て抹殺し、その後研究所で――――』
 人型の言葉は最後まで続かなかった。
 乾いた破裂音。それが何個も響く。
 そして人型の胸部に幾つもの小さな穴が開いていく。
 音がしたほうへと視線を向ける。
 人型の後方。数歩しか離れていない場所。地面を真紅に塗り替えて、その中央にうつ伏せになっている神無が黒い巨大な銃を持っていた。
「囮……苦労……様……ツ……サ』
 笑顔を作りながら、弱々しい声で言う。
『それだけ……出血しながら動けるとは……』
 人型は静かに、神無へと頭を向けて輝く三つ目で見ながら呟く。
 そして人型は前のめりで倒れる。
 ツカサは六角形に守られて無傷で地面に着地する。
『今回は……我々の負けのようだ……』
 倒れながら人型の頭はツカサへと向く。
『……まさかこれを……狙っていたとはな』
「いや……そういう……」
『だが貴様たちは生きてはいけない……存在……いずれ……他の人形が来る……』
 人型の三つ目が揺らぐ。
 今後、また今日みたいに狙われるかもしれない。
 神無を今日みたいに傷つけるかもしれない。
 だけど――――
「――――何が来ても、神無を、人々を、俺が護る」
 ツカサは決意した。
 力を手に入れた、その力を最大限に活用する。
 クープが言ったのだ、俺は守護者と。
 守護者は護る。大切な人を。
『ふ……でき――る――かな――――――』
 ジジジ、という音を鳴らしながら三つ目は光を失っていく。
 赤く輝いてた光が消えた場所には目があった。
 人形のレンズの目ではなく。
 人の、人間の目玉が硝子に守られるように存在していた。
 その目玉はツカサを見上げていた。
 ただ、その目に焼き付けるように。
「…………」
 ツカサは完全に機能を停止した人型を見つめる。

「……神無っ!」
 最後の力を振り絞り、人型を倒した神無へと向く。
 神無は血の海に顔を埋め、力なく倒れていた。
 ツカサは神無へと駆け寄る。
 神無の周りは既に黒く酸化した血で染められていた。
 血の海を歩くたびに血が飛び散る。
「神無! しっかりしろ!」
 血の池に膝を躊躇無く着き神無を抱き起こす。
 ぐったりとした神無は、ツカサの言葉にも反応せず、ただ目を瞑り続けている。
 唇からは血の気が失われ、顔面蒼白になっている。
「おい! 死ぬな! お前はまだやることがあるだろ!」
 神無へと叫ぶ。
「前の頭首を殺した奴を探すんだろ!?」
 せっかく力を手に入れたのに。
 護る力を手に入れたのに。
「…………死ぬなよ……死なないでくれ……」
 胸が痛い。
 自分が。護れなかった自分が許せない。
 頬を伝って涙が流れる。
 嗚咽が漏れる。
 神無を強く抱きしめる。
 大粒の涙が神無へと落ちる。
「……サ……」
 目を開ける。
 神無が弱々しく目を震わせてツカサを見つめている。
「……めんな……さい」
 唇はゆっくりと、残りの命を使うように喋る。
「わた……初め…………て……友達……」
 神無は目に涙を浮かべている。
「嬉し…………た……」
 神無は焦点の合わない目でぼんやりとツカサを見る。
「ありが……とう……」
 笑う。
 神無が満面の笑みで、力強く笑う。
 そして、カクンと頭が力無く垂れた。
「か……んな?」
 神無は満面の笑みのまま、動かなくなる。
 冷たく、冷えきった体。
 護れなかった。
 大切な友達を。
 護れなかった――――



 木々が生い茂る。
 その中に聳える真っ白な建物。
 無数の窓が存在し、幾つかの窓からはカーテンが靡いていた。
 その中の一つ。
 特殊専用病室と書かれた病室、
 室内は大部屋並の広さがあり、ベッドも木製の豪華な作り。
 そこに一人の少女が座っている。
 黒髪を背中に垂らし、頭部以外の全身を包帯でぐるぐるに巻いてその上に患者衣を着ている少女。
 少女はベッドに座りながら静かに周囲の音を聴く。
「…………」
 周囲からはまったくの無音。
 看護士も先ほど来たので、暫くは来ないだろう。
「よし……」
 少女はベッドから起き上がり、ベッドの下へと体を潜り込ませる。
 そしてベッドの下から隠していたピクニックバスケットを取り出す。
 鼻歌を歌いながらベッドに再び座り、膝の上にバスケットを置く。
 バスケットを開けると中にはぎっしりと詰まった彩り様々なクッキーが入っていた。
「ふふふ」
 少女は幸せそうに笑いながら、白いクッキーを口へと運ぶ。
 もぐもぐ、もぐもぐ。
 美味しさに顔が緩む。
 もぐもぐ、もぐもぐ。
 もぐもぐ、もぐもぐ……。

 ――――ガラッ

 突然、扉が開く音がした。
 少女は慌てて入り口から背中を向けてバスケットを入り口から見えないベッドの横へと置いた。
 そして入り口へと向き直るとそこには友達が立っていた。
「なんだ……ツカサですか」
 少女はホッとして胸を撫で下ろす。
「なんだとは失礼な。神無、どうせクッキーでも食べていたんだろ?」
 ツカサの言葉に神無はビクッと体を硬直させた。
「……なんのことでしょうか」
 惚ける神無。ツカサと視線を合わさない。
「病人なんだからあまり食べ過ぎるなよ」
「だからなんのことでしょうか」
 徹底的に惚ける神無は足でバスケットをベッドの下へと追いやる。
「まったく、菓子ばかり食べて。太るぐはっ!」
 ツカサの顔面に神無が書類整理に使っている辞書大の本がめり込む。
 神無はそっぽを向き、ツカサに再び背中を見せる。
 ツカサは顔を押さえながら地面を転がる。
「うぉぉぉぉぉ…………自分の命に関わること以外なら当たるってのがきついぜ……」
「あんなこと言う貴方が悪いですよ、ツカサ」
 ツカサからは神無の背中しか見えない。
 神無は笑っている。
 まだ生きていられる。
 大切な友達と一緒にいられる。



 神無の命が消えようとした瞬間。
 ツカサはまたあの何もない真っ白な世界へと飛ばされた。
 だけどそんなことはどうでもよかった、大切な人を護れなかったのだから。
 ツカサは俯いたまま大粒の涙を流す。
『たくー、男が泣くんじゃない! それでも私の持ち主か!』
 幼い少女の声――クープの声がツカサの耳に入る。
「……五月蝿い。大切な人を護れなかったんだ……、こんな能力があっても意味がない…………」
 自分の不甲斐なさと、この力への怒りにツカサは満ちていた。
『あー、それなんだけど。助けれるよ』
「…………な!?」
 クープが適当に答えるので気づくのに一瞬遅れた。
「神無を、助けられるのか!?」
 ツカサは立ち上がり、何も無い空を見上げる。
『それぞれのクラスにはレベルが上がることに覚える通常スキルと、最初から使える特殊スキルがあります』
 クープは楽しそうに説明を始める。
『守護者の特殊スキル。技名、生命守護』
「生命……守護……」
『この能力は、死に直面した他の人物から死という脅威を護ることができる技です』
 その言葉を聞き、ツカサの心に一筋の光が差し始める。
「その技を使えば神無を助けれるのだな!?」
『はい、貴方の意思や死の直前でなければいけないと色々ありますが、貴方の大切な人を助けることはできます』
 ツカサは歓喜に震える。
 神無が助かる。
 今、自分の腕の中で死のうとしていた人が助かる。
 高鳴る胸の鼓動。
 全身が熱く震える。
「その、その力を使う――――」
『ただし』
 ツカサの声はクープにかき消される。
 クープの声は、今までのように気楽な声とは違い、低く冷たい、何かを忠告するような声。幼い少女の声とは思えないほど低くい。
『ただし、その能力を使うには貴方に代償を払っていただきます』
「代償……?」
『…………その代償は』
 クープは、静かに、重く言う。

『――――貴方、です』

「え……」
 その条件に驚き、目を見開いて宙を見る。
『貴方、と言いましても、全身では無く体の一部です。その時その時で支払う体は違いますが最初の一回目は心臓や脳などの命に関わる部分では無いので安心してください。まぁ、小指の第一関節だったり左腕全てなどランダムです。それでも使いま――――』
「使う」
 暫しの沈黙。
『今なんと?』
「使うと言ったんだ」
 ツカサの顔には迷いもなく、恐れもない。
「体の一部が無くなるのは大変だが、神無に拾ってもらった命だ、神無へと使うのは当たり前だ。それに最初は命に関わることはないのだろ?」
 決まりきっていた。
 大切な人を護るためにこの身を使う。
 カッコイイことじゃないか。
『いいんですね?』
「もちろん」
 迷いは、無い。
『了解しました。特殊スキル、生命守護を発動します。これで貴方の大切な人は助かります。今回の代償は…………あら、貴方の左目ですね。良いのか悪いのは貴方次第ですが、これで左目は見えなくなりますが見た目は変わらないので安心してください』
「あぁ、分かった」
『ではー、今回のスキル使用を終了だよ。また呼んでね』
 クープは最初のように軽い喋り方に戻り、世界は暗転した。



「しかし、あんだけ血を流しながら生きているとは凄いな」
 ツカサはベッドの横にある丸椅子へと座る。
「本当ですね。たしかに致死量の血液が流れていたのですが、殆ど死の直前だったらしいですね」
 神無はベッドに腰掛けながらツカサの横にいた。
 あの真っ白な世界から戻ると、腕の中の神無は暖かく、顔色もよくなっていた。
 腹部の出血も止まっており、すやすやと眠っていた。
 あのスキルの代償としてツカサは左目が見えなくなっていた。視界の半分が見えなくなるだけど安楽的な考えをしていたが以外に生活に支障が出る。
 左側から来る物の姿を確認できないことと、遠近感覚が鈍っていること。これは今後、神無を護ることに必ず支障が出る。なんとか周りに気づかれずに打開策を考えるしかない。
 しかし、神無はそのことを知らない。
 生死の境を彷徨い、なんとか生きていると思っているのだ。
 数日入院すれば退院できるらしい。
 あの後、屋上にいた人形は全て破壊され、負傷した人たちはすぐに病院へと運ばれた。
 人型に弾き飛ばされたフージンは全身打撲、腕の骨と足の骨、肋骨数本を折ったが流石は未来。こんな大怪我でも一ヶ月ほどで完治するらしい。
 フージンは「頭首を守れなく、面目無い」と落ち込んでいた。
 あの場での生存者はツカサ、神無、フージン、黒服の男が二人だけであった。
 残りは全て亡くなり、無残な死体も多数あった。
 人形部隊を送り込んだ組織も結局分からずじまい。
「それにしてもよかったですね」
「何が?」
「ツカサの能力ですよ。目覚めなかったら私たち危なかったですよ」
 神無が笑顔で言う。
「だけど、攻撃能力が無かったから最後は神無が止めを刺したけどな」
 苦笑いしながら神無を見る。
「でも凄い能力ですよ。全自動の防御なんて。やはり貴方は特別な神の申し子なんですね」
「特別ねぇ……」
 どこがどう凄いのかもまだ分からない。
 しかし、人の命を助けたのだ。きっとそれが特別なのだろう。
「……ツカサ」
「ん?」
 考えていると神無が俯いてこちらを見ていた。
「あの……その……」
 節目がちに視線が四方八方に飛ぶ。
 一体どうしたのだろうか。
「……その……これからも……一緒に……」
 神無は顔を真っ赤にしながらツカサを見る。
「一緒に……いてくれますか?」
 肌の色が違うと思うほど真っ赤にし、目を瞑って下を向いた。
「何言っているんだ? 俺はお前の秘書なんだから当たり前だろ?」
「いや……そういう、意味じゃ……」
 神無はさらに口篭り、何を喋っているか分からない。
 何を言っているのだろうか、ツカサを神無を見つめる。
 その視線に気づいた神無は顔をより一層赤くする。
「……なんでも……無いです」 
 それっきり黙ってしまう。
 しばらく待っても反応が無いので、ツカサは立ち上がる。
 神無をそれにつられるように顔を上げる。顔はまだ紅色に染まっていた。
「元気そうだし、俺はフージンさんに会いに行くね、お見舞ついでに数日どうやって過ごせばいいか聞かないといけないし」
「そうですか」
 神無が笑いながら答える。
「神無、顔が赤いぞ、熱でもあるのか?」
 真っ赤な神無の顔を見ながら言うと、神無は慌てて手を振って否定した。
「いえ、ち、違いますよ」
「それならいいのだが」
 神無の反応を不信に思いながらもツカサは病室の入り口へと向かう。
「ツカサ」
 呼び止める声。
 振り向くと神無が美しい笑顔で座っていた。
「何?」
 聞き返す。
「これからも、よろしくお願いします。私の大切な秘書さん」
 その言葉にツカサも笑い、嬉しそうに答えた。
「こちらこそよろしく、頭首さま」






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