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 氷の妖精、チルノ。
 趣味は蛙イジメ。

     ☆

 早朝の濃い霧が湖全体を踊るように漂う。
 十メートル先は霞んでおり、視界は最悪。こんなところで妖怪に襲われたらひとたまりもない。
 ここは幻想郷にある一際大きな湖の霧の湖と呼ばれる場所。
 人間の里から離れた場所にあり、吸血鬼が住む館や妖怪の山がすぐ近くにあるため、滅多に人間が訪れることはない。
 だが、人間はいないが、他の者はいる。
 それは妖精と呼ばれる存在。
 人間や妖怪と違い攻撃性はなく、見た目の容姿は手のひらサイズから人間の子供くらいまでの大きさがあり、背中からは透明で薄い虫のような羽が生えている、悪戯が大好きな存在である。
 聞こえは悪いが自己中心的な考えを持っており、自分たちが楽しければそれでいいのだ。
 と言っても他人が困る程度の悪戯しかやらない。いや、妖精はそこまで大きな力を持っているわけではないので、嫌がらせ程度のことしかできないのだ。
 だけど、この湖には普通の妖精が持つ力を明らかに超えている妖精が一匹いる。
「えいっ」
 その妖精は今日も湖の片隅で、いつも通りの遊びをしている。
 妖精のそばには手乗りサイズの小さな氷が一つ転がる。
 だけどそれはただの氷の塊ではない。
 中には蛙が一匹。
 先ほどまでこの湖の周りを跳ねていたのだが、運悪くこの妖精に掴まって氷漬けにされてしまったのだ。
「ぽーん」
 妖精がそう呟くと、氷は高い音を響かせながら四方へと砕け散ってしまった。
 なかなかむごい光景ではあるが、妖精は楽しそうに笑いながら、その砕け散った蛙の一部を見ている。
 これが妖精の趣味である。
 妖精にとってこれが毎日の日課である。
 しかし、最近は冬場が近くなり、蛙が冬眠を始めてきたため、数が激減してきたのだ。
 先ほど見つけた蛙は一週間ぶりの蛙であったりする。
 遊ぶ相手が少なくなり、暇になってきた妖精。だけど他にすることもなく蛙が完全にいなくなるまで探すつもりではある。
 見つからなくなったら、他の妖精や妖怪と遊べば問題なかった。
 それにイタズラもたまにだが行なっている。
 妖精は最近人間の里で木を丸々一本氷漬けにして人間を驚かせたりしていた。
 なかなかその時の反応が面白く、目を見開いた人間たちがワラワラと氷漬けにさせられた木に集まって、度肝を抜かれていた。
 その時、姿を見られ追いかけられたが、地面を凍らせ追ってきた人間たちを転ばせ腹を抱えて笑ったのは妖精にとっていい思い出である。
 氷を砕いて無邪気に笑う妖精に近づく影。
 長々と生い茂る雑草を無造作に踏み進むため、大きな音を周囲に鳴らしている。こんな場所なのに警戒心の欠片もない。
 妖精もその音に気づいて振り向く。
 そこには人間が一人、妖精を見下ろしていた。
 真っ白な短い髪と、手入れをしばらくしていないかのような無精髭を生やし、顔には年期の入った深いシワ。
 結構な歳の人間の老人だが、その瞳は若々しい覇気のような物を宿している。
 妖精よりも頭三つ分大きく、ガッチリとした体躯はとてもじゃないが顔とつりあっていない。
「お前さんかい、氷が出せる妖精ってのは?」
 歳相応の寂声。だけど相手を威圧するような雰囲気はない。
「そうだけど、人間がなんのようだい?」
 妖精は普通、人間や妖怪が近づいてきたらすぐに逃げ出してしまうほどの臆病な性格の生き物であるが、この妖精は力があるためか、あまり逃げるといった行動を取らない。
 少し頭が弱いためでもあるが、基本は警戒心がないのだ。
「……噂通りの様子じゃな。バカっぽいが本当に大丈夫かの……」
「バカって何さ!!」
「おっと、つい本音が口に出てしまった。すまんのう」
「な、なななななな!!」
 老人は口元に笑みを浮かべながら軽い感じで妖精へと謝るが、妖精は眉間にシワを作って今にも掴みかかりそうな体勢をしている。
 だけど老人は気にも止めずに話を続ける。
「実はな、お前さんに氷の塊を一つ作ってほしくっての」
「なんでアタイが、人間のために氷を出さないといけないのさ!!」
「ほう、出せないのじゃな。期待して損したわ」
 老人がわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「バ、バカにすんじゃないよ! 氷の一個や二個、アタイには簡単なことだよ!!」
 顔を真っ赤にしながら、眉を吊り上げて妖精が氷を作り出そうと大きく振りかぶるが、老人が片手を突き出して妖精の行動を制止させる。
「おっと、ここで出すんじゃないぞ」
「……なんでよ?」
「なんじゃ、ワシがせっかく氷を作るのに難しーい場所に連れてってやろうとしたのにのう……まさか、ここでしか出せんのか!?」
 そして今度は一歩後ろに下がりながら、信じられない! という大袈裟な動きを老人がした。
「い……い、いいだろう! アタイはどこでも氷を出せるんだ! アタイはサイキョーなんだから!!」
「ほう、最強なのか。なら連れてってやろう、こっちじゃ」
「早く連れてってよね!」
「ほっほっほ」
 老人は楽しそうに笑い声をあげながら、無精髭を撫でる。
 そして妖精はその老人の後ろを大股でがしがし歩いていく。

 これが氷の妖精チルノと、人間の老人との出会いだった。

     ☆

「さっ、ここじゃ、ここじゃ」
 チルノが連れてこられたのは霧の湖から入り組んだ獣道を進んだ先。
 妖怪や妖精もその場所に近づかないほどの長い草木が無造作に生い茂り、その中に隠れるように低い崖のような場所にある一つの洞穴。
 そこは熊などが冬眠に使う洞窟だろうが、今はその熊などはおらず、なんとも寂しい場所である。
 場所が場所だけあって、まさかこんな所に洞窟があったなんてチルノでさえ知らなかった。
「よーし、ここなら氷を作り出すのは難しいじゃろ」
 少し肌寒い洞窟の中で、老人が自分の身長よりも少し高い箇所まで手を上げて、何もない空間を撫でる。
「これぐらいの大きさの氷を出してほしいんじゃが、やっぱ無理かのう?」
「そんなの簡単さ! よーく見るんだね!!」
 そう言って、チルノが大きく振りかぶり、物を投げるかのような動作を行なう。
 次の瞬間、チルノの正面に空気が集まるようにうねり、洞窟内の温度を下げる。
 そしてその空気の中心に水が凍るようなパキパキッという音を響かせながら固体が現れ、みるみる肥大していった。
 あっという間にチルノの正面には老人の身長より少し高い巨大な氷の塊が現れたのだ。
 氷を通してチルノから老人の姿がはっきり見えるほどの透明度。
「へっへーん! どんな物だい!」
 絶壁と呼べる胸を張りながら、チルノは鼻を高くする。
 しかし、天狗状態のチルノを無視するように老人は氷へと駆け寄り、隅々まで調べ始める。
 流石にチルノも老人の反応に動揺する。
「ちょ、ちょっと! 私の凄さが判った!?」
「あーあー、判ったから後にしてくれい」
「な……」
 自分にたかった虫を払うように老人が手を振る。
 その態度を見てチルノは頭に来た。
 内心怒りを爆発させたチルノの様子なんて知らないといった勢いで老人は氷の周りをうろちょろする。
「そうかい……それなら……」
 眉をぴくぴくと動かし、明らかに怒りの表情をするチルノは、背中を向ける老人を凍らせようと一歩一歩近づく。

 妖精は死なない。

 一応死ぬことは死ぬのだが、また同じ存在が生まれるのだ。
 一個体が死ぬと、別の個体がまったく同じ姿で生まれるのだ。
 厳密に言えば妖精はしなない。そして中身は人間の子供のように無邪気である。
 つまり、死という言葉の意味が理解できていないのだ。
 だからチルノは老人を凍らすことになんの違和感もなかった。
 凍った後、砕け散ってどうなったは知らない。蛙と同じように人間も同じだと思った。
 老人はその身を氷漬けにされるというのに、まだ氷に夢中である。
 すると老人がもそもそと懐に手を突っ込み、何かを取り出す。
 それは少し錆びている鉄でできた刃のような先に、年期の入った古木でできた柄の部分。
 老人が取り出した叩きノミ。彫刻家などが使う大きな彫刻刀である。
 叩きノミを左手に持ち、今度は右手で懐を探る。
 今度取り出したのは叩きノミと同じくらいの年期の入った古木の棒に、円柱の古木が突き刺さっている木槌である。
 老人が叩きノミの刃を氷へと向ける。
「よっと!」
 その掛け声と共に老人が木槌を持った腕を大きく振り上げ、そして叩きノミの底部分に目掛けて振り下ろした。
「――――!?」
 氷の砕ける甲高い音が洞窟内に響き渡った。
 その突然の音にチルノは今まで考えていたことが頭の中から吹き飛んでしまった。
 今、洞窟内に響き渡ったのはチルノが蛙を凍らせ、砕いた時にいつも聞いていた音。
 チルノにとってその音は遊んでいる実感をくれる楽しい音だった。
「……ん? 嬢ちゃん、どうした? 近づくと危ないぞ」
「え……あ……」
「見ていたいなら、少し離れて見ているんじゃな」
「う、うん……」
 老人のニカッとした笑みを見ながら、言われたとおりにチルノは老人から少し離れた場所に移動する。
 呆気に取られながら、再び氷を削りだす作業を始める老人を見つめた。
 チルノにとって楽しい時間を感じさせてくれた音を洞窟内に響かせながら。

     ☆

 老人に氷を出した日から、チルノは毎日のようにあの洞窟へと足を運んだ。
 理由は二つ。
 一つは蛙が本格的に冬眠を始めてきたため、見つけにくくなり暇を持て余しているから。
 そしてもう一つは、あの老人がやっていることが非常に気になったから。
 あの氷の塊から、叩きノミと木槌を使って何かを作り出そうという試みがチルノの興味をそそったからである。
 他の妖精や妖怪とも遊んでよかったのだが、それはいつでもできる。だからこっちを選んだのだ。
 洞窟内はチルノの出した氷のお蔭ですっかり真冬並の寒さに温度が下がっていたが、氷精であるチルノはそんなことまったく気にせず内部へと歩を進める。

 カンッ、カンッ、カンッ――――

 響き渡る何かを打ち付けるような音。
 そしてその音と少しずれて、硬い物が地面に落ちて砕け散る高い音が聞こえる。
「いるいる」
 その音で洞窟内に誰がいるかチルノはすぐに判った。
 まぁその人物以外はいるはずはないのだが。
 響き渡る音にあわせるように、軽やかなステップを踏みながらチルノが進むと、すぐに見えてきたのはチルノが出して、少し削られ小さくなった氷。
「やっほー爺ちゃん、来たよー」
「お、またきおったのか」
 そこにはあの老人がいた。
 人間には流石にこの洞窟は寒いのか、蓑などの防寒対策を羽織った老人がチルノに向かって軽く腕を上げる。
「毎日来るのは別に構わんが、よく飽きないのう」
「見ていると面白いからね!」
「こんなのが面白いとわの、ほっほっほ」
 独特な笑い声をあげながら、老人は叩きノミの底で顎を掻く。
 この老人はチルノが氷を作り出してから、毎日のようにこの洞窟に訪れている。
 一応人間の里から離れており道中妖怪に襲われる可能性があるかもしれないのに、老人はそんなことを気にしていないかのようにチルノより早くこの洞窟に来ているのだ。
 そして夢中になって、まるで子供のような目で氷を削っている。
 そんな老人を、チルノは見ていると面白かった。
「だが来てくれたところで悪いんだが、一回休憩しようかと思ったところじゃ」
「えー」
「まぁ、老体に無茶をさせるんじゃないぞ」
 ニカッと笑いながら老人が足元にあるお酒が詰まった一升瓶を掴む。
「まだまだお天道様が頂点に上っていないが、体を暖めるために酒でも飲むかのう。嬢ちゃんも飲むか?」
「お酒? 飲むー!」
「ほっほっほ、嬢ちゃん用の升を持ってきてよかったわい」
 そう言いながら片手に一升瓶、もう片手には懐から出した木製の升を二つ持ちながら、老人が洞窟の壁側へと移動する。
 チルノもその後ろを子供のようについていく。
 少し平らな岩へと腰掛け老人は丁度チルノが立っている状態と目線が同じ高さとなっている。
 老人が持っている升を「ほれ」と言って一個出すと、チルノは「ありがとー」と言って受け取った。
 一升瓶の木の蓋を外し、一番酒をチルノの升へと豪快に注ぎ込んだ。
「わぁ」
 その光景を見てチルノが楽しそうに声を漏らす。
 そしてすぐに升の中は透明な液体で満たされた。
 なんともきつい臭いを出しながら。
「さ、一気にのみな」
「よーし」
 老人にはやし立てられ、チルノは升の中身を一気に口の中に注ぎ込んだ。
 なんとも豪快に、腰に手を当てて、弓のように体をしならせて!

 そして飲みきった瞬間、チルノはそのまま豪快に地面へと倒れた。

「あら、あらひ……あらひはひゃいひょー」
 顔をトマトのように真っ赤にして目で渦巻きを描いている。
 呂律が回っておらず、一発でできあがってしまったチルノ。
「ほっほっほ、嬢ちゃんには少しきつかったかのう」
 顔をほんの少し赤くしながら、のびているチルノを見て老人が高笑いをする。
 妖精だってお酒を飲む。だからと言って人間より強いわけではない。
 妖精だけに係わらず、妖怪だって神様だって、酒に強い者や弱い者がいる。
 だが、今チルノが飲んだのは普通の酒とは大きく違ったのだ。
 今、幻想郷にある酒で、かなり上位まで行くほどの強い酒なのだ。
 そこそこ酒に耐性がある者でも一口飲んだだけで噴出すほどの酒。ちなみに火がつくらしい。
 味はかなり美味いらしいのだが、あまりの強さに味が判りにくい。
 そんな酒を普段あまり酒を飲まないチルノが飲んだのだ。それも一気に。
 倒れても無理はない。
「ほっほっほ」
 老人は笑いながら、升いっぱいに入った三杯目の酒をぐいっと飲んだ。

     ☆

 カンッ

「う……うーん」
 何かを打ち付ける音が眠りに落ちるチルノの頭の中に響いた。
 すっかり酔いつぶれていたチルノが上体をもそっと起こし、まだはっきりしない寝ぼけ眼で周囲を見回す。

 カンッ

 また何かを打ち付ける音が聞こえる。

 カンッ

 音が聞こえる方向へとチルノが頭を動かす。

 カンッ――――

 そこには老人が再び氷を削っている横顔があった。
 しかし、それは先ほどまで笑っていた老人とは別人に見えた。
 叩きノミで氷を削る一回一回の動作を真剣に、そして楽しそうな表情をしている。
 今自分がやっていることに生き甲斐を感じているかのような若々しい笑顔。
 チルノはその老人の表情に見惚れてしまう。
「……あたッ!」
 しかし、見惚れていても強い酒を飲んで気絶した後、目が覚めてすぐの状態だ、頭に痛みが走る。いわゆる二日酔いに近い物だ。
 チルノはぐわんぐわん回る頭を抑える。
「お、嬢ちゃん目が覚めたかい」
 老人がチルノの声に気づき、作業の手を止める。
 今の老人は、先ほどのような真剣な表情は消えてしまい、酒を飲む前のニカッとした笑顔が似合う表情に戻っていた。
「爺ちゃん、おはよう」
「ほっほっほ、よく寝れたかのう」
 頭を振り子のように左右へと大きく振りながらチルノは喋る。
 どれくらい寝たのか、チルノははっきりしない頭で考えるが、あまり関係ないと思いすぐに止めた。
「うーん……ねぇ、爺ちゃん」
 それより気になったのが一つあるのだ。
「なんじゃい?」
「爺ちゃんって、なんで氷なんか削っているのさ」
 それはチルノが最初から持っている疑問。
「なんでと言われてものう……趣味じゃからのう」
「氷を削るなんて変な趣味」
「おっと、まだ完成していないからの。完成したらワシの趣味の凄さが嬢ちゃんにも判るはずじゃ」
 得意げな顔をしているが、チルノはイマイチよく判らない。
「ふーん」
「なんじゃ、信じておらんのか」
「んー……人間ってよく判らないや」
「ほっほっほ、ワシもよー判らん」
「なんじゃそりゃ」
「まぁ、人間の趣味なんてこの氷のような物じゃの」
「氷?」
「綺麗に輝いてはいるが、最後は何もなくなってしまう」
「そんな物なの?」
「さあな」
「なんじゃそりゃ」
「ほっほっほ」
 首を傾げるチルノの頭に老人の手が置かれる。
「どうだい嬢ちゃん、高名なワシがじきじきに今やっていることを教えてやろうかのう?」
「面倒だから嫌だー」
 即答。
「それは残念」
 と言いながらも、老人は大袈裟な動きをしながら大きな溜息を吐いた。
 しかし、顔は落ち込んでおらず、苦笑いしている。
「へへ」
 その苦笑いにつられるようにチルノは微笑む。
 老人と一緒にいる時間は、チルノに別の楽しさを感じさせていた。

     ☆

 時が経てば経つほど、氷は老人の手によってその姿を現していった。
 今にも飛び立とうかと思えるほどの力強い翼を広げ、鋭い眼光で獲物を狙う。しかし、氷なのに軟らかそうに見える滑らかな体のライン。
 足はまだ削られておらず、作り出されたままの状態だが、なぜか削られた部分のほうが手をつけられていない部分より美しく見える。
 老人が氷から作り出そうとしているのは鳥である。
 まだ未完成ではあるが、まるで生きているかのような覇気を放っている。
 その鳥の姿がはっきりと作られていくたびに、チルノが子供のように目を光らせてはしゃぎ、
「すげぇ!!」
 とそんな言葉を連呼しながら氷像に近づく。
「こら! 触るな!」
 近づこうとするたびに老人の怒鳴り声と共にゲンコツを一発必ず食らっていた。
 だが、叱られてもチルノは毎日のように洞窟に訪れ、楽しそうに老人と氷像を見に来ていた。
 次の日には叱られたことを忘れているチルノの行動力に苦笑いしながら、老人は特に文句も言わず、彼女に氷像の製作を見せていた。
 触ろうとすると問答無用でゲンコツが飛んでは来るが。
 チルノにとって、これは蛙を凍らせるよりも面白いことになっていた。
「ねぇ〜、まだ完成しないの〜?」
「ほっほっほ、焦るんじゃないぞ。それにこんな病弱な老人に無茶をさせるんじゃないわ。ごほごほ」
「うー」
「……少しは心配せんか」
 そんな無邪気な会話を続けている内に、チルノと老人はまるで友人同士のように仲がよくなっていった。
 見た目の容姿や種族、性格など全てが違うはずなのに、なぜ二人はこんなにも一緒に笑い合えるのか。
 それはチルノと老人が一つのことにバカみたいに夢中になっているから。
 氷という共通点が二人の距離を縮めているのだ。
 バカみたいに氷を削り、バカみたいにその行為を見ている。
 それは簡単そうで難しいこと。
 一つのことに集中するのは難しいのだ。
 難しいことをやっているから二人は友人のような関係を築いているのかもしれない。
「へへ……」
「どうした、嬢ちゃん」
「んー、なんでもないー」
 この時間が、二人にとって幸せな時間かもしれない。

     ☆

 しかし、同じ時間がそう続くわけがない。
「……え」
 今日も今日とてチルノは老人が待つ洞窟へと足を運んだ。
 だけどそこで見たのは、ひと欠片も想像していなかった光景なのだ。
「おう、嬢ちゃん」
 いつものように老人がチルノに向かって軽く手を上げる。
 だが、その横にあるはずの氷像がどこにもないのだ。
 そして昨日まで氷像があった周囲には、粉々に砕けている無数の氷の欠片が散らばっていたのだ。
 チルノはその光景を理解できず、目を見開くしかなかったのだが、老人はあまり驚いていない様子である。
「熊か何かかのう。冬眠しようとこの洞窟に来たが、氷で洞窟全体が冷えていて頭に来たのだろう。ほっほっほ」
 怒りや悲しみなどはなく、老人は笑っていた。
「な、何笑っているの!? 爺ちゃんの氷が壊されたんだよ! 壊したヤツを捕まえてとっちめないと!」
 暢気な老人に向かってチルノが声を張り上げる。
 彼女は自分が楽しみにしていた作品が無残に壊されたことに怒っているのだが、それよりも老人があれほど頑張って作っていた作品が壊されたことに対してさらに頭に来ているのだ。
 それでも、老人はいつも通りの表情である。
「そいつを懲らしめても、作った作品は戻らんぞ?」
「で、でも……」
「いいんじゃよ、本当にいい作品は形で残る物じゃないんじゃよ」
「え?」
「本当にいい物は心に残る物なんじゃ」
「ここ、ろ?」
「作品を見た相手が覚えていてくれれば、その人の中でワシの作品は残り続けるからの」
「でも……まだ誰も爺ちゃんの作品を見ていないじゃないか!」
 チルノは老人のあの凄い作品をもっと沢山の者に見てもらいたかった。
 知り合いの妖精や妖怪。できるだけ多くの者に見てほしかった。
 だけど老人はチルノのその言葉を聞いて首を傾げる。
「何を言っているんじゃ? 嬢ちゃんが見ていたじゃないか」
「アタイ? でもアタイだけしか見てないし……」
「それでも十二分じゃ。誰かに見られないまま消えてしまうのは作品が可哀想じゃしの」
 満足したかのような老人の笑み。
 だけどチルノはそんな終り方は嫌だった。
「やだ……」
 せっかく完成を楽しみにしていたのに。中途半端に終りたくなかった。
「アタイ……まだ爺ちゃんの氷を見ていないんだ! 完成した氷が見たいんだ!」
「嬢ちゃん……」
「だから作ってよ! もう一回、あの鳥を!!」
 必死に高まった感情で涙を流さないようにチルノは叫び、その声は洞窟全体に反響するように拡散した。
 老人は驚きチルノを見つめるが、チルノはこれ以上顔を上げていることができずうつむいてしまう。
 その行動に老人は困ったように無精髭を撫でるが、大きく溜息を吐いて肩を上下させる。
「……すまんの嬢ちゃん。まさかそこまでワシの作品を見たかったなんて知らなかったのじゃ」
 ポンッと老人がチルノの頭の上にシワが目立つ手を置いた。
「もう一度作るから、氷を出してくれんかのう?」
 その言葉にうつむいていたチルノが勢いよく頭を上げた。
 チルノの目元には今にも流れそうなほどの大粒の水滴があったが、その水滴を吹き飛ばすように破顔した。
「うんっ!」
 子供のようにチルノの明るい笑顔に釣られるように、老人も口元が緩んだ。

     ☆

 再び老人はチルノが作り出した氷を削り始めた。
 また一からの製作だが、鳥の氷像が姿を現すのにそう時間はかからなかった。
 一度製作した作品は老人の頭の中に設計図が残っているため、あまり考えながら削らなくてもいいらしい。
 チルノにあれほどまで必死になって頼み込まれては、老人はやるしかないと思った。
 自分の作品を求めている者がいるなら誰であろうと、その期待に応えるまでだけのことだった。
 そしてチルノは、もう老人の作品が壊されないようにと洞窟に寝泊りをして氷の番を始めたのだ。
 老人が「そこまでせんとも」と言ったが、「アタイが爺ちゃんの氷を絶対守るよ!」と聞く耳を持たなかった。
 そんなチルノの守りもあってか、氷は頭と翼が削りだされ、現在は体の部分が作り出されている。
 老人は真剣な表情で氷を削っていき、喋りかけれる雰囲気ではない。
 流石に見ているのが好きだからと言っても、長時間見ているのはチルノでも目が疲れる。というか飽きる。
 だけど喋りかけるわけにもいかず、チルノは他のことをして気分転換をしようとする。
「んー……」
 チルノは以前見ていた完成間際の鳥の氷像を思い出していた。
 何度思い出しても、その美しさがチルノの頭の中に蘇る。
 そして彼女はふと思った、『アタイにもあんなの作れないかな』と。
 チルノは夢中になって氷像を作っている老人の背中を見つめ、もうすぐ完成しそうだった氷像を思い出し、水をすくうように手のひらを合わせる。
 すると、パキパキと空気中の水分が凍る音を洞窟内に響かせながら手のひらに氷の塊ができあがっていく。
 老人に出した自然な氷の塊とは違い、それは作られた造形物の形をしている。
「むぅ……」
 できあがったのは手乗りサイズの小さな鳥の氷像。
 しかし、それは足がなく、老人の前の作品を模したというのがよく判るが、なぜか酷く不恰好だ。
 作り物感が否めなく、老人の作品とは雲泥の差がある。
 マネしているのなら少しでも似ていていいはずなのに。チルノはそう疑問を浮かべながら首を傾げる。
「ほっほっほ、なかなか苦戦しているようじゃの」
 するとまた優しい表情となった老人が休憩ついでに上からチルノを覗き込んできた。
「んー、なんでうまく作れないのかな」
「ほっほっほ、どんなのを参考にして作ったのかな?」
「爺ちゃんの前の氷」
「あれかー、それはいかんのう」
「ふえ?」
 間抜けな声を出しながら、チルノが老人を見上げる。
「ワシの作品を参考にしちゃいかんな」
「なんで? あんなに綺麗なのに」
「綺麗だからって所詮は作り物じゃ、実物を想像せんとな」
「実物?」
「例えば、鳥なら空を飛んでいる生きている鳥をよく見るんじゃな。それで頭の中で自由に大空を飛んでいる鳥の姿を想像しながら作ってみることじゃ」
「う、うーん……」
 首をさらに傾げながらチルノは唸る。
 チルノは頭の中で老人に言われた通りに空を飛んでいる鳥の姿を想像してみたが、飛んでいる鳥なんて普段そこまでチルノはまじまじと見たことがなかった。
 頭の片隅からせめて羽ばたいている鳥の姿を思い出そうとするが、ボンヤリとしか出てこない。
「まぁ、練習あるのみじゃな」
「うーん……」
 チルノの首はそれ以上傾かず、体が傾いている。
 老人は必死に考えているチルノを見ながら、「ほっほっほ」と楽しそうに笑っている。

     ☆

 はっきりしないぼんやりとした世界。

 自分の作品を見て誰かが笑ってくれるのが心の底から嬉しかった。
 少し変人として周囲の者からは見られてはいるが、それでも自分の作品に興味を持ってくれる者が一人でもいるなら石像を作るだけだった。
「――――ちゃん」
 父親のぼやがかかったような後姿を見つめていると誰かの声。
「――――爺ちゃん」
 その声に、夢の中から現実へと戻される老人。
 瞼を上げた先にはチルノの子供っぽい表情が見える。
 チルノは眠る老人の体をゆさゆさと揺らしている。
 どうやら老人は酒を飲んで体が温まり、居眠りをしてしまったようだ。
 元々厚着をしていたためそこまで寒くはなく、むしろ酒を飲んだせいで暖かかったほどである。
「む……寝ちまったようじゃの」
「爺ちゃん、アタイの氷を見てよ」
 チルノは手のひらに乗せた鳥の氷像を差し出す。
 だけど先ほど見せられた氷像と差ほど変わりはなく。相変わらずの不恰好な氷像である。
「さっきとあまり変わっておらんの」
「ぐぅ……」
 目を線のようにしながらチルノはなぜ上手に作れないか首を傾げる。
 初々しいチルノの反応を見ながら、老人の表情は自然と笑顔になる。

     ☆

 それからチルノは洞窟の番をしっかりとやりながら、入口から見て飛んでいる鳥をじっくりと観察していた。
 晴れた日はもちろん、雨の日も可能な限り鳥の姿を観察していた。
 しかし、もうすぐ冬が近づいてきているため、鳥の数は少ない。
 それでもチルノは熱心に鳥の観察を行なっていた。
 そして一日の終わり、老人が帰る時に氷像として作り、見せていた。
 だが、数日で急に上達するわけでもなく、老人の評価はあまりよろしくなかったが、チルノはへこたれずに毎日のように氷作りの練習をした。
 チルノにとってこの練習はさほど苦痛ではなく、むしろ楽しかった。
 だから毎日のように作っては増えてゆき、チルノの作品がどんどん洞窟の奥に溜められていった。
 老人はその光景を眺めながら、毎日持ってくる酒を飲んで、チルノを暖かい視線で見つめていた。
 洞窟の中は寒いのに二人の関係はとても暖かかった。
 いつまでも続けばいいと、チルノは心の奥底で自然と思っていた。

 だけど、同じ時間は続かない。

 ある日から、突然老人が洞窟に姿を見せなくなったのだ。
 毎日のようにチルノとバカ騒ぎして酒をガバガバ飲んでいても、必ず次の日の朝にはひょっこりとやってくるのだ。
 しかし、老人が洞窟に来ない日があった。
 チルノはどうしたのだろうかと疑問に思ったが、何か用事でもあったのだろうと納得して一日を氷の練習に費やした。
 だけど次の日も、また次の日も、一週間経っても老人はやってこなかった。
 流石のチルノも老人が来ないことに動揺して、老人を探しに行こうかと思ったが、もしかしたらすれ違いになるかもしれない。もしかしたら動物が来て氷が壊されるかもしれない。そういう不安がチルノの体を洞窟に抑えつけていた。
 きっと老人はやってくる。チルノはそう思い、氷像の練習を続けよとするが彼女の頭の中はすぐに老人のことでいっぱいになる。
 不安は時間が経てば経つほど肥大していく、まるで生きているかのように。
 寂しさに押しつぶされ、何もできない苛立ちに体が引き裂かれる思いでチルノは待った。
 チルノは寂しさに耐え切れなくなり、膝を抱え込む。
「爺ちゃん……」
 その呟きが静かな洞窟に響、そして消える。
 外に吹く冬の寒い風が動物のように洞窟の壁に反響する。
 寂しさにチルノは泣きそうになるが、膝をもっと引き寄せ、うずくまり我慢する。
 洞窟はチルノだけ。
 誰もいない、寂しい、寂しい、一人の洞窟。
 無限かと思える時間の中、チルノは――――
「ほっほっほ、嬢ちゃんどうしたのじゃ」
 するとチルノの耳に、聞きなれた寂声が入ってきた。
 チルノはその声に首が吹き飛ぶかと思えるほどの勢いで頭を上げる。
 頭を上げた先、チルノを見下ろすように無精髭を撫でる老人がそこにいた。
 相変わらずの笑顔で、独特の笑い方で。
 目の前に、あの老人が立っている。
「まさかワシがいないからって、泣いておったのかの? 嬉しいのう」
 その言葉に慌てて、ごしごしと目元にできていた水滴を乱暴に拭き取り、チルノが飛び起きるように立つ。
「そ、そんなわけないじゃない! ちょっと目にゴミが入ったんだ!」
「ほっほっほ、強がらなくってもいいぞ」
「だから違うって!」
 頬を赤くし、チルノは腕を組んで不機嫌な表情を作りながらそっぽを向いた。
 表面上は怒っているように見えるが、彼女は内心飛び跳ねるように喜んでいる。
 もう来ないかと思っていた老人が来たのだ。それは嬉しいに決まっている。
 だけど恥ずかしくってチルノはその嬉しさを隠している。
「……嬢ちゃん、実はな」
 しかし、老人の重く消え去りそうな声がチルノの耳に届いた。
 口元が緩んでいるチルノは、いつもと違う老人の声色に嫌な予感を感じていた。
 それ以上聞いてはいけない。そんな気がチルノの中に生まれる。
 だが老人は言葉を続ける。
「今日は、嬢ちゃんに別れを告げに来たのじゃ」
「え……?」
 その言葉を理解できず、チルノは呆けたように目を見開いた。
「ワシはもう死んじまったのじゃ。人間いつポックリ行くか判らんのう。……だからこの世に別れを告げる前に嬢ちゃんだけには言っておかないと思ってな」
 いつものようにニカッとした笑顔を作る老人。
 だけど老人の言葉がチルノの頭の中で何度も反響し、彼女を混乱させる。
 なぜ? なぜ? なぜ? と。
「ちょ、ちょっと待って! それはど――――」
 ちゃんとした理由が聞きたかった。なぜなのか。
 その思いを老人にぶつけたかったから。チルノは老人のいかつい腕に掴みかかった。
 だけどチルノの手は老人の腕を、まるでそこに何もないかのようにすり抜けた。
 掴もうとした勢いのままチルノは老人をすり抜けて、地面へと前のめりで倒れこむ。
「いだッ!!」
 冷たい洞窟の堅い地面に顔をうちつけたことより、チルノが小さな悲鳴を上げる。
 鼻の頭を赤く腫らせながら、チルノは今起きたこと、現状にただ驚くしかなかった。
 なぜ、あのがっちりとした老人がそこにいるのに触れないの? 新たな疑問がまた生まれ、チルノの中に不安が無尽蔵に増えていく。
「……嬢ちゃん、ワシはもう死んじまったと言ったじゃろ。もうすぐあっちにも行くのじゃ」
「あっち……?」
「三途の川を渡った先じゃ、ワシもどんなのがあるか判らんがの」
「え……え……」
「おっと、まだ理解できていないようじゃな。判りやすく言うともうワシと嬢ちゃんは会えないのじゃ」
 死の概念がない妖精にとって、死を理解するのは難しい。
 そしてチルノはまだ大きな別れを体験したことがないのだ。
 知り合いの妖精は、たまにいなくなってもひょっこり同じ姿で戻ってくる。
 だから老人もすぐ帰ってくるとチルノは思っていたが、老人はそんな表情をしていない。
 チルノは、倒れた全身の痛みや、この苦しい感情で涙を流しそうになりながらも、地面に転がる酷く重たい体を起こした。
「……何を言っているのか、アタイ判んないよ。お願いだからあの氷を完成させてよ」
 どうすればいいか判らない。ただ自分の言いたいことを伝える。
「ほっほっほ、あれに完成なんてないのじゃよ。今の状態で完成であり、未完成なのじゃよ」
「あの、どこが……完成なのさ」
 震える指でチルノは洞窟の奥を示す。
 そこには大きく広げる翼と、鋭い眼光を持った鳥の頭だけの未完成の氷像がある。
 これで完成と言われても、チルノは納得することはできなかった。
「物に完成なんてないのじゃよ。人間のワシも、妖精の嬢ちゃんも皆作っている途中なのじゃよ。じゃが、未完成の姿でもワシもワシという完成品じゃし、嬢ちゃんも嬢ちゃんという完成品なんじゃよ」
「判んないよ、そんなの……」
「ほっほっほ、嬢ちゃんには少し難しかったかの」
「判んないよ……作ってよ、早くしないと氷が溶けちゃうよ」
「溶けて消えてしまっても、嬢ちゃんの心の中に思い出として残ると言っただろ?」
 老人がチルノの胸……いや、心を指差す。
「判んないよ……」
 判りたくなかった。
「ほっほっほ、すまないのう」
 言葉とは裏腹に明るい老人の声色が洞窟の壁に吸収されるように消えていく。
 お互いそれ以上何も言わない。そして言えない。
 風の音だけが洞窟内に寂しく響く。
「……ワシは、嬢ちゃんとの一緒の時間はそれなりに楽しかったぞ」
 重い空気に耐え切れず、老人が口を動かす。
「こんな老いぼれの趣味を楽しそうに見てくれて嬉しかったのじゃ。周りの連中と来たらワシが奇妙な行動ばかりとるから怖がってまともに話しかけてこんかったわ! その点、嬢ちゃんはワシと対等に接してきて久々に楽しかったわい。ありがとな」
 いつものように「ほっほっほ」と独特な笑い声を出す。
 チルノも老人と一緒にいた時間は、蛙をいじめるよりも最高に楽しい時間だったことを伝えたかった。
 人間の癖に面白いヤツだと思った。
 だけど、老人との別れを突きつけられ、やりきれない思いとどうすればいいか判らない苛立ちに言葉が出なかった。
 ただうつむいて、チルノは洞窟の地面を見つめる。
「氷は……」
 老人は、語る。
「氷はいつか消えてしまう。だがそれが判っているから氷は美しく見えるのじゃ、いつか綺麗に消えてしまう儚い存在として」
 まるで遠い物を見ながら喋っている声色で。
「少しでも力加減を間違えると崩れたり、大きなヒビが入ってしまい作品としてはなりたたない。そんな難しい存在だからこそ、ワシの最期の作品の題材として氷を選んだのじゃ。いつか消えて忘れられてしまう。だけど最期まで美しく、華麗な存在としてワシはこの鳥を作ろうとしたのじゃ」
 説明されなくってもチルノはそのことをなんとなくだが判っていた。
 あれだけの時間、ずっと一緒にいたのだから。 
「しかし、ワシもそろそろ寿命を感じての氷像を作ろうと思ったのじゃが、氷ができる時季ではないし困っておったのじゃ」
 苦笑いするようなそんな声。
「そんな時に、里で嬢ちゃんの噂を聞いての。氷を操る妖精に木を一本氷漬けにされたとな。その妖精ならワシの求める氷を作ってくれると思っての、湖を探し回ってやっと見つけたのじゃが、少し心配じゃった、嬢ちゃんはバカっぽそうだったしの」
「バカって……言うな……」
「ほっほっほ、すまんの。だが一直線な娘で安心したわい。そんな心の持ち主だから嬢ちゃんはあんな綺麗な氷を出せるんじゃな」
 チルノの出す氷は素晴らしいほど美しかった。
 氷を通して向こう側がはっきりと見え、一点の濁りもない。
 チルノのように純粋な氷。
「やっぱり嬢ちゃんと出会って本当によかったわい」
 チルノはもう聞きたくなかった。
 そんな言葉、聞きたくなかった。
 あんなに笑っていたのに、あんなに楽しかったのに。
 なんで別れないといけないの。なんで終らせないといけないの。
 痛いほど歯をかみ締め、チルノの歯と歯が擦れる鈍い音が響く。
 痛みで誤魔化さなければチルノの心は崩れてしまいそうだったから。
「……そろそろ時間かの。長居をしては未練が残ってしまうからの」
「ま、待って!」
 唐突に告げられた別れの言葉にチルノは反射的に叫んだ。
 しかし、引き止めることが何かあるわけではなかった。
 少しでも別れたくなかったから、バカみたいに酒を飲んで騒いだり、バカみたいに笑ったり。そんな時間を続けたかったから。
 泣くのを必死に我慢しているチルノの表情は、酷く辛そうに見えた。
「アタイ、頑張ったよ……」
 そう言い、水をすくうように手を合わせる。
 彼女は老人に教えられた通りに氷像を作り出す。
 もうすぐ冬だというのに空を自由に飛びまわっている生き生きとした鳥を頭の中に想像させ。
 そして老人と過ごしてきた時間をこめるように、自分を、全てをその氷像へと注ぎ込む。
 空気が凍り、パキパキと音を響かせる。
 このまま時間も凍りつけばいい。
 そうすれば老人と一緒にいれるかもしれない。
 まるで永遠と思える時間の中、チルノは笑った。
 離れたくないという自分の素直な気持ちで、脆く、力を加えたらすぐに壊れてしまいそうなほどの笑顔で。
 悲しいのにそれを我慢する。こんなことはチルノにとって初めてかもしれない。
 誰かのために自分の感情を隠すなんて苦しいことでしかない。
 チルノは苦しみながら笑う。
 そして、自由気ままな妖精が、全力をかけて作った氷像がチルノの手のひらの上に現れる。
 最初に作った氷像よりも鳥らしい形をしているが、まだまだ不恰好。老人の足元にも及ばない粗末な物。
 老人の翼を広げる巨鳥とは違い、こっちは親鳥の足元を走り回っているような小鳥。
「相変わらず、下手じゃのう」
 すぐに聞こえてきた、残念がるような老人の声。
 その声を聞いた瞬間、チルノは老人の顔を直視していることはできなかった。
 うつむき、老人の期待に応えれなかったことを、最後まで褒められなかったことに絶望する。
 もうどうすればいいかチルノには判らなかった。
 せめて苦笑いでも、少しでも笑っていてほしかった。
 もう顔を上げたくなかった。
 上げたら老人がいなくなっているかもしれないから。
 チルノはただ地面を見つめる。
 冷たそうな、洞窟の地面を。ただ、まっすぐに。

「……だがな」

 するとうつむくチルノの頭に誰かの暖かい手が置かれる。
「嬢ちゃんらしい、バカ元気な形をしとるわい」
 チルノは見なくても、老人がどんな表情をしているか判った。
「バカはバカらしく、外で遊ぶもんじゃよ。いつまでもここにおらず、外に出て嬢ちゃんの作品をもっと沢山の人に見せるんじゃよ。ほっほっほ」
 あのバカみたいに豪快な笑顔で。
「バカって言う――――」
 少しでも強気に振舞うために、チルノは眉間にシワを作りながら、老人を威嚇するように怒鳴りながら頭を上げた。

 だけど、上げた先に老人の姿はなかった。

 ただ寂しい洞窟内に一人残されるチルノ。
 まるで最初から何もいなかったかのように。
 チルノだけを残して。
「…………ひぐっ」
 誰も、いない。
「……ひぐっ……バカって……ひぐっ……」
 妖精に死の意味なんて判らない。
「バカって……うぅ…………ぐず……」
 チルノも死の意味なんて判らない。
「ぐずっ……爺ちゃん……」
 だけど彼女の胸の中には悲しさがあふれ出すほど湧き出ていた。
 意味も判らず悲しくなって、止め処なく出てくる涙。
 いくら乱暴に目をこすろうとも、涙は決して止まらない。
 彼女の涙が涸れるまで、出続けるだろう。
 ずっと、ずっと、無限と思える凍った時間と共に。
 別れの意味を理解するまで。
 チルノの嗚咽だけが、氷像のある洞窟に、寂しく響いていた。

 ずっと、ずっと――――

     ☆

 人間の里で一人の有名な彫刻家が亡くなったそうだ。
 彼の作り出す石像はまるで生きているかと思える覇気を放っていた。
 生涯嫁を持たず、ずっと一人身だったが、彼は石像のことばかりを考えていたからあまり気にしていなかったようだ。
 そんな彼を、里の者は頑固者で奇妙な偏屈爺と呼んでいた。
 石像を作るために妖怪の山に単身乗り込んだり、他人の家の石壁を勝手に削ったりと、はちゃめちゃな行動ばかりしていた。
 そんな彫刻家も流石に歳には勝てず、病に倒れてしまった。
 本当はもう石像を作れるはずはなかったのだが、強い酒を飲んで病に蝕まれる体を誤魔化していた。
 自宅の寝床で、生死の境を彷徨っていた彼は何を思っていたのか。
 しかし、今は彼が死んでしまって判らない。
 ただ、老人は病に苦しみながら「嬢ちゃん、すまんのう……」と誰かに謝り続けていた。
 その「嬢ちゃん」とは誰なのか、知る者はいない。
 老人とここ最近話した女性はおらず、該当する者はいなかった。
 だが老人が病に倒れる数日前からどこかにでかけていたことが関係するかもしれない。

     ☆

 霧の湖から入り組んだ獣道を進んだ先。
 妖怪や妖精もその場所に近づかないほどの長い草木が無造作に生い茂り、その中に隠れるように、低い崖のような場所にある一つの洞穴。
 そこは熊などが冬眠に使う洞窟だろうが、今はその熊や他の動物の姿はない。
 洞窟の内部は外よりも寒く、冬眠できそうにないからである。
 その生き物がいない洞窟内に、一匹の巨大な鳥がいた。
 だけどその鳥は未完成。もう二度と完成することのない氷像。
 それでもその氷像は生き生きしていた。
 未完成でも自信を持っているかのように。
 そしてその氷像の足元にはもう一匹の鳥がいる。
 それは巨大な鳥とは似ても似つかないほどの小鳥。
 だけど二匹はまるで親子のように寄り添っている。

 見た目は違うけど、本当に幸せそうに。

     ☆

「どうだい! アタイの作品は!」
 濃い霧が相変わらず漂っている湖周辺で、チルノは妖精たちを集める。
 そして彼女は集まった者に自分の氷を見せていた。
 相変わらず不恰好な氷像だが、仲間内ではなかなか人気がある。
 チルノは老人と別れた日から、もうあの洞窟には近づいていない。
 それは彼女なりの決意であり、寂しさを誤魔化しているのだ。
 あの氷像を見ると、胸が苦しくなるから。
 外に出て、自由気ままに遊ぶ普通の妖精へと戻ったのだ。
 前と違うのは、遊びの合間に氷像を作ることが増えた。
 毎日のように氷像を作り、以前よりは格段に上手になってきた。
 だけど作れるのはまだ鳥だけだったりする。
「ねぇねぇ、チルノちゃん。どうして急に氷作りなんて始めたの?」
 ある日、一匹の妖精がチルノに対してそう質問をした。
 チルノは下唇に親指を当てながら、空を見上げ、少し考えた後、
「……んー、面白いからかな」
 と答えた。
 氷像を作っていると楽しいから。皆興味津々で見てくれて嬉しいから。
 チルノは以前老人に聞いた、なぜ氷を削るか、その答えが判ったような気がした。
 彼女は老人との最期の約束を守っている。
 自分の作品をもっと他の者に見てもらうために。
 そして何より、あの楽しい時間を忘れないためにも。

 氷の妖精、チルノ。
 趣味は蛙イジメと、氷作り。




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