梅雨を過ぎ、蒸し暑い夜が続いて満足に寝れない日々が続く今日この頃。
 それでも幻想郷はいつも通りに過ぎていく。
 だけど、住民たちはそんな暑さを我慢できるはずもなく、様々な試行錯誤を繰り返す。
 水浴び、薄着、団扇で扇ぐなどは当たり前、素っ裸や、氷精を抱きしめるなどの方法もある。
 だけどそんなのはその場しのぎでしかない。
 試行錯誤しつくした者は諦めて、暑い暑いと周りが嫌な顔をする呪詛を呟き続ける。
 しかし、そんな者でも特定の日は張り切ることもある。
 それは宴会の日である。
 どんな暑い日でも、宴があると聞けば飛んでいき、どんちゃん騒ぎで暑さを忘れる。
 お酒の力とはなんとも恐ろしいと思う。
 そして今日の夜も宴会が予定されてある。
 場所は博麗神社、のどこか広い場所。
 そして現在の時刻は宴会までまだまだ時間がある。
 だけどそんな神社に一足先に訪れている者も多い。
 博麗神社の裏にある、自宅内の居間ではとある四人が宴会までの時間をまったりと待っていた。
 一人はもちろんこの家の主である、博麗霊夢。
 宴会の用意などをしていたが、手伝いが来たため、以外に早く用意が終わり、居間で水を飲んでいるところである。
 その手伝いというのは、霊夢の正面に座っている二人である。
 一人は肩まで伸ばした金髪を靡かせ、赤いカチューシャをつけている、人形のように可愛らしく精巧な顔立ちをしている女性、アリス・マーガトロイド。
 そしてもう一人は、アリスの横に座り、長い髪は床に扇のように広がって垂らし、頭から二本の長い兎の耳を生やしており、引き締まった大人っぽい顔立ちを持つ女性、鈴仙・優曇華院・イナバである。
 この二人が今日の宴会の用意を手伝ってくれたのだ。
 手伝った理由としては、永遠亭の主が宴会のつまみにでも、ということで鈴仙にたくさんの野菜を持たせたためである。
 早めに博麗神社へとやってきた鈴仙は野菜を霊夢へと渡し、宴会の用意を手伝うと言ったのだ。
 霊夢も手伝ってくれるならと、その願いを快く承諾した。
 しかし、用意を始めて半刻もしないうちになんとアリスがやってきた。
 どうやら永遠亭に行って、鈴仙が博麗神社に先に行っていることを知り、急いでやって来たらしい。
 鈴仙はアリスがやってきたことにとても喜んでいたが、霊夢はその光景を見て少し可笑しかった。
 霊夢にとってアリスは、いつも冷静沈着で、必死になるという姿を見たことがなかった。
 そのアリスが、鈴仙のために永遠亭から博麗神社まで急いでやってきたのだ。そんな珍しい姿を見れて霊夢は可笑しくもあったし、嬉しくもあった。
 そんなわけで、三人で宴会会場の用意をしたらあっという間に終ってしまい、宴会まで雑談で時間を潰そうと思い現在に至る。
 そして、もう一人、居間にいる。
 三人が居間へとやってきた時には既に横になって昼寝をしていたそれは、現在は目が覚めたらしく、ゴロゴロと転がりながら霊夢の脇で横になっている。
 アリスと同じような金髪を腰まで伸ばし、妖艶な顔立ちを持つ女性、八雲紫は暇だから、という理由で霊夢の自宅へとやってきたらしい。
 こう見えても紫は、幻想郷でも上位の大妖怪。泣く子も黙る、はずなのだが、今はそんな気配なんて微塵も感じられない。
 そんな四人が居間でゆっくりとしていた。
 黄昏時にはまだ遠く、初夏の暑い日差しが縁側に降り注いでいる。
 時折吹く風は気休め程度にしか暑さを軽減してくれず、誰もあまり期待していない。
 それでも我慢できる暑さなので、そこまでグッタリしている者もいない。
 気休めの風に吹かれ、風鈴がちりんと鳴る。
 この音のほうがよっぽど涼しくなる。
「ねぇ、霊夢」
「何よ、紫」
 すると寝転がっている紫が、霊夢の近くまで転がって彼女に語りかける。
 首を傾げる霊夢だが、紫は霊夢を見つめるだけで次の言葉を発しない。
 普通は喋りかけたほうが言葉を続けるのが当たり前なのだが、なぜか紫はまるで時が止まったように動かず、霊夢を見つめている。
 さすがの霊夢も紫のその行動に、一瞬体を引く。
 すると紫は芋虫のようにうねうねと畳の上を這いながら、霊夢へと近づく。
 その光景を見ていたアリスと鈴仙は顔を引きつらせ、気持ち悪い動きに霊夢は背筋に寒気を感じるが、逃げる前に紫が霊夢の膝の上へと頭を置いた。
「ど、どうしたのよ」
「はい、これ」
 動揺する霊夢に、紫はどこからか取り出した棒を一本渡す。
 細い木の棒の先に、白い綿毛が一個くっついている道具。
 どこをどう見ても耳かきである。
「何これ?」
「耳かきよ」
「いや、それは判るけど」
「じゃあ、私の耳掃除して」
 そう言って、紫は掃除してほしい耳を霊夢へと向ける。
「耳掃除って……」
「いいでしょー、特にやることないのだし」
「まったく……」
 文句を言っている霊夢だが、紫の性格を知っているため、彼女がこのまま引き下がってくれないと思い、しぶしぶと耳掃除を始めた。
「って、紫、貴女あまり耳掃除していないわね」
「失礼ね、去年の夏くらいにしたわよ」
 世間一般的にそれを耳掃除していないというのだ。
「……そう」
 諦めたように霊夢は大きく溜息を吐き、手入れをされていない紫の耳の中の掃除を再開した。
 紫はなんとも気持ちよさそうな表情をしている、本当にマイペースな妖怪ではある。
 霊夢が耳掃除を始めたため、会話が一瞬止まる。
「皆のお水のおかわりを持ってくるね」
「え、私も行こうか?」
「ううん、一人でも大丈夫だよ」
 畳の上に置かれたおぼんを持ち、鈴仙が四人分のガラス製のコップを乗せていく。
 手伝おうと腰を上げたアリスに向かって微笑んで首を横に振った。
 鈴仙の気遣いは本来、この家の主である霊夢がやらなければいけないことなのだが、現在紫に無理矢理耳掃除を強要させられているからそれもできない。
「鈴仙、悪いわね」
「霊夢も大変だね」
 くすくすと微笑みながら鈴仙は霊夢を見る。
 霊夢も肩を上下させて苦笑いして答える。
 手馴れたようにおぼんにコップを四つ乗せた鈴仙は、とてとてと台所に向かって部屋を出て行ってしまう。
 するとアリスが、鈴仙を出て行った方向を見つめている。不安そうに、まるで子供の心配をする過保護な親のような表情をしている。
 霊夢はやはりアリスのその姿を見て可笑しかった。珍しいアリスである。
「あー、やっぱいいわねー」
 すると紫が突然、わざとらしく大きめの声を発した。
 霊夢は耳掃除を中断し、アリスも紫へと視線を移動させる。
「霊夢は耳掃除の才能があるわねー」
「さ、才能?」
「そう、とっても気持ちいいわよ」
「あ、ありがとう……」
 霊夢に嘘らしいほどの満面の笑顔を向けた後、そのままの笑顔で紫はアリスに顔を向ける。
「ねぇ、アリス」
「な、何よ紫」
 その笑顔は確実に何か裏があると確信しているアリスは、警戒心をバリバリにむき出している。
「貴女って、耳掃除してもらったことある?」
「え……いや、ないけど……」
「あら! そうなの!」
 あからさまに声量を上げ、嬉々とした表情になる紫。
「やっぱり貴女には耳掃除してもらえる相手がいないのね!」
「な、なんですって!?」
「そんな声を荒げちゃって、本当なのね寂しい魔法使いねぇ……」
「失礼な! 私だって耳掃除してくれる相手ぐらいいるわよ!」
「あら、まさかあの兎かしら?」
「え……そ、そうよ! 鈴仙がやってくれるわよ!」
「あの娘ねぇ……あまり耳掃除が上手じゃなさそうねぇ……」
「なんですって! 鈴仙をバカにする気なの!?」
「バカにしていないわよ、ただ上手く想像できないのよ」
「そ、そんなに言うならちゃんと出来ることを見せてあげるわよ!!」
「じゃあ、耳かきを貸してあげるわ」
 そう言って紫はまたどこからか出した二本目の耳かきをアリスの前へと放り投げた。
 頬を紅潮させたアリスはそれを手に取りそっぽを向いてしまう。
 部屋の中に微妙な空気が流れる。
 突然の状況に、霊夢はアリスに聞かれないように紫へと問いかける。
「……ちょっと、なんでそんなこと言うのよ」
「あら、霊夢は見たくないのかしら、あの二人が仲良く接している姿を」
「そりゃあ、見たいけど……」
「だから背中を少し押してあげただけよ、ほほほ」
 そうは言っているものの、紫は明らかに面白がっている様子である。
 相手の反応を面白がることは紫の悪い癖であると霊夢は呆れていたが、実際のところ彼女もアリスの珍しい姿をもっと見たいと思っていた。
 アリスは鈴仙といる時はまるで別人のように性格が変化する。恐らくアリス本人は気づいていないと思うが、まるで恋をした生娘のように初々しい反応をよくする。
 無言が部屋を漂っていた時、新しい水をコップに注いでおぼんに乗せてきた何も知らない鈴仙が部屋に戻ってきた。
 肌を刺すような空気に一瞬、鈴仙は身を引いきながら、霊夢たちとアリスの間におぼんをそっと置いた。
 鈴仙はアリスへと視線をやると、彼女がとても険しい表情で自分を見ていることに気づき、一瞬たじろぐ。
「……あ、アリス?」
「鈴仙」
 不機嫌そうな声色でアリスが喋る。
 そして自分の横の畳をポンポンと叩いた。
 ここに座れということ促していることが判る。
「座って」
「え? う、うん……」
 深く疑問に思わず、鈴仙はアリスの横へと移動し、膝を折って腰を下ろす。
 それを確認した瞬間、アリスが体を倒し、鈴仙の太ももへと頭を乗せるように横になった。
 電光石火の早業と言うべきだろうか、一連の流れはまるで計算したかのように素早く行なわれた。
 そのため、鈴仙も一瞬その行動に気づかなかった。
 パチクリとまばたきをしていたが、すぐにアリスの行動に気づき、
「な、な、な、何しているのっ!?」
 トマトのように顔を真っ赤にし、目を飛び出させるように驚いていた。
 鈴仙の両手はアリスをどかせようと、彼女の体周りを動き回っているが、触ってはいない。
 どうしていいのか判らない、そんな様子で困り果てている。
 霊夢はアリスの行動に目を見開き、紫はくすくすと笑いをこらえている。
「鈴仙!」
「はい!?」
 怒鳴るようなアリスの声に鈴仙はわたわたしていた手を硬直させて、ドキッと体を震わせる。
「やって」
「え……何を?」
「耳掃除!!」
「な、なんで……」
「いいから!」
「でも……耳かきとかないよ」
「私が持っているわ」
 そう言ってアリスは先ほど紫から受け取った耳かきを渡す。
「な、なんで持っているのよ……」
「さ、早く」
 鈴仙に耳かきを無理矢理渡して、アリスは鈴仙へと耳を向ける。
 そして紫を対抗心むき出しで睨んでいる。
 しかし、鈴仙はそんなことに気づくはずもなく、受け取った耳かきを見つめている。
「アリス……」
「早くやってよ鈴仙」
「う……うん……」
 強要しているアリスに、鈴仙は何も言えず耳かきを持ち直す。
 初々しいように頬を染めながら、鈴仙はアリスの耳掃除を開始した。
「……アリス、耳の中綺麗だけど、耳掃除必要ないんじゃないかな」
「い、いいじゃない! 鈴仙に耳掃除やってほしいの!」
「え……私に……う、うん、判った」
 アリスの言葉に鈴仙は顔を綻ばせる。
 鈴仙にとってはアリスに頼られることが嬉しいのだろう。
 しかし、アリスはそのことで鈴仙が喜んでいるとは露とも知らず、紫への対抗意識をメラメラと燃やしていた。
 熱い視線を受ける紫は、そんなことまったく気にせず霊夢の耳掃除を堪能していた。
 その反応にアリスは腹を立てるが、次第に顔から怒りの気持ちが薄れていくのも判る。
 耳掃除というのはなんとも気持ちのよいものである。
 アリスは鈴仙に膝枕をしてもらい、宴会会場の用意などして疲れた体で耳掃除をやってもらっているのだ。
 あまりの気持ちよさに瞼が重くなってきた様子である。
 普通、膝枕や耳掃除などは、よっぽど信用した相手にしか頼まないだろう。言動が不可思議な者などに頼んだら不安で押しつぶされそうになる。
 つまりアリスは鈴仙のことをとても信用しているのだ。
 それだけ信用しているから、アリスは眠りに陥ってしまったのだろう。
 無防備に眠るアリスの顔は無垢な子供のように可愛らしく、そして大自然に生える花のように美しかった。
 霊夢はそのアリスの寝顔に胸がときめいたが、何を考えているのだろうと首を横に振る。
 しかし、それよりもっと危ないのが鈴仙である。
 耳掃除をしっかりとやってはいるが、顔が危ない。
 先ほどよりもさらに紅潮させている鈴仙。今にも襲い掛かりそうなほど瞳孔が安定していない表情である。
 霊夢は鈴仙がいつアリスを襲うか判らない状況に内心ハラハラしていた。
 アリスは鈴仙のことを信用しているみたいだが、霊夢から見たらとても安心できるような兎ではない。
 やはり獣ということだろうか。
 だが、鈴仙も理性があるのかブンブンと頭を左右に振り邪念を払っている。
 まだ安心はできないが霊夢はその行動を見てとりあえず胸を撫で下ろす。
「鈴仙」
 すっかり気持ちよさそうに眠りに落ちてしまったアリスを膝に乗せる鈴仙に、いつの間にかこちらもスヤスヤと寝ている紫を膝に乗せる霊夢が語りかける。
「なに?」
「鈴仙も大変ね」
「……うん」
 気恥ずかしそうに、そして嬉しそうに、鈴仙は霊夢の答えに頷いた。
 張り詰めていた空気は消え去り、暖かい雰囲気が部屋を漂う。
 鈴仙は耳掃除を続け、霊夢も膝の上で眠る居眠り妖怪の耳掃除を続ける。
 宴会までまだもう少しだけ時間がある。
 宴会前のそんなひと時であった。




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