「ふふ……御莫迦さん」
 昼時を過ぎて、人も閑散とし静寂に包まれる住宅街。
 それは静かに一つの家を見ていた。
 闇を思わせるほど深い夜色のドレス。その闇と共存するように描かれる白の逆十字の柄が入ったオーバースカート。闇の中で育つ紫の薔薇が付いたロングブーツ。背中には烏のように真っ黒な翼を生やす。闇の中で舞う粉雪のように白い髪を垂らし、鮮血のような二つの瞳を輝かせながらそれは空を浮遊している。
「呑気なものねえ」
 ローゼンメイデン、第一ドール水銀燈=B
 彼女の視線の先には、ある家屋が一つ。
 その家屋に見える、赤と緑の小さな少女たち。
 水銀燈にとってはその二人は自分の夢のための踏み台でしかないのだ。
 しかし緑はいいとして、赤にはミーディアムが存在する。それが問題だ。あのミーディアムは時々恐ろしい力を赤へと送る。そうしたら私が勝つことが難しくなる。
 こちらにもミーディアムが居ることは居るが、それでは…………
「――ふんっ」
 私は何を考えているのだろうか。
 ミーディアムなんて今まで糧とぐらいしか思えない存在だったはずなのに…………
 何故だろうか、あのミーディアムのことになると何か……そう、何かがおかしい。
 それが何なのかは判らない。
 しかし、ミーディアム――めぐは…………
「…………うん?」
 水銀燈の心の中の迷いは、ある姿を発見したことで綺麗に消えてしまった。
 それは赤と緑が居る家屋から五件ほど離れた家屋の屋上に立っていた。
「あれは……」
 それは水銀燈とは反対と言える存在。
 服装は感情を感じられないほど白で作られたミニスカート、白い編み上げロングブーツ。『無』という言葉が似合うほどの白いロングヘアをツーサイドアップにしており、左眼からは骨のように白い薔薇が生えている。頭部には左眼と同じ白薔薇の髪飾りが二つ。
 それは死人のような表情で不気味に水銀燈を見上げていた。
 ローゼンメイデン、第七ドール雪華綺晶=B
 全てが謎で不気味な存在。
 力量や考えなども全て不明な妹。
「…………」
 水銀燈は訝しみながら、あちらはこちらに気づいているようなので無視するわけにもいかない。
 水銀燈がゆっくりと雪華綺晶が待つ家屋へと向かう。
「何のよう?」
 相手を威嚇するように声を上げながら、水銀燈は雪華綺晶の前に降り立つ。
「ごきげんよう、お姉様」
 その視線を気にせず雪華綺晶は水銀燈へと微笑む。
「お姉様に会いたくて」
「……ふうん」
 視線を離さず雪華綺晶を見つめる水銀燈。
 何か裏があるに決まっている。そうでなければわざわざこんな微妙な場所に居る訳が無い。
 すると雪華綺晶はゆっくりと水銀燈へと歩み寄ってくる。
 だがそんなことで一々態度に表していたらローゼンメイデンの長女として示しが付かない。
 毅然とした態度で水銀燈は言う。
「ただ会いに来たわけではないでしょう? きっとつまらないことを――」
 水銀燈が喋る中、ゆっくりと近づいた雪華綺晶は一瞬の躊躇も無く唇を近づけた。

 水銀燈の唇へと――――

「――――ッ!」
 明らかな危険行為に水銀燈は身を反らしてそれを避ける。
 そして一気に雪華綺晶との距離を広げる。
「――な……何よ、いきなり!」
 怒気を込めながら水銀燈は叫んだ。
 いきなり相手にくちづけをするなんて何を考えているんだ。
 まともな思考とはとても思えない。
 もしかしてあれは何かの攻撃なのだろうか。ならこれは奇襲? 判らないがとにかく雪華綺晶は私へと危害を加えるに違いない。
 臨戦態勢へとなった水銀燈は背中の黒い羽を広げる。
「――――――のです」
 小鳥のように呟く雪華綺晶。
 水銀燈は臨戦態勢に入っていたので聞き取れなかった。
「……何?」
 雪華綺晶は軽やかに近づいてくる。
「聞いたのです」
「何を?」
 悪びれることもなく雪華綺晶は微笑む。
「私がローゼンメイデンの長女になる方法を」
 明らかに異様な雰囲気を出す雪華綺晶が近づくたびに水銀燈は後退りをする。
「なんですって?」
 ローゼンメイデンはお父様がお創りになった順に姉妹は決まる。人間でも母親から最初に生まれた者が長女だ。それを変えられるわけが無い。
 しかし雪華綺晶が言っていることは至極簡単な答えかもしれない。
 そう、簡単なことだ。
 他の姉妹が消えてしまえば残った者が長女になれるということを。
 だがそれはかなり莫迦らしい答えだ。他の姉妹が消えても長女になれるわけが無いのに……誰かに唆されたのか?
 だけどアリスゲームに勝つために貴女の力が欲しいわ。予定が狂ったけど貴女のローザミスティカから貰ってあげる。
「そう……それは――」

「他の姉妹とキスをすることです!」

 力強く叫び固まる雪華綺晶。
 あまりのことに理解できずに固まる水銀燈。
 そしてその場が全て固まる。風も、生き物も、光も、全てが止まったように感じる世界。
 水銀燈は思った。久々に本当の御莫迦さんに出会った、と心の中で何度も繰り返して、自分の姉妹がこれほど莫迦なわけが無いと否定しながらため息を深くついた。
「だからお姉様!」
 沈黙を破る雪華綺晶の声。近づく白い影。
 相手に殺意が無いことが判ったがこれはこれで危ない。
 水銀燈はすぐに翼を広げて宙へと舞う。
「――何くだらないことを言っているの! そんなのあるわけ無いじゃないの!」
 水銀燈は当たり前の常識を、当たり前のように雪華綺晶へと叫ぶ。
 しかしそれが通じたらこんな状況にはなっていないか。
 雪華綺晶の左眼の白薔薇が水銀燈へと矢のような速度で伸びる。
「くっ――」
 水銀燈は黒色の翼で白薔薇を弾く。
 雪華綺晶の能力は未知数……今回は一先ず退却することにしよう。
「この御莫迦さん。貴女みたいな娘に構ってられないわ」
 水銀燈は雪華綺晶に背を向けて一目散に逃げる。
 まったく、なんでこんなことになったのだろうか。そういえば誰かに聞いたとか言っていたわね。そんなくだらないことを教えるなんて誰かしら。
 愚痴を思い浮かべていると、突然、地上から白薔薇が急速に伸びてきた。
「ちっ!」
 体を回転させて白薔薇を避ける。さらに続く第二、第三の白薔薇の追い討ちを華麗に避けながら雪華綺晶の居場所を探す。
 恐らく、雪華綺晶は無傷で私を捕縛するつもりなのだろう。白薔薇は倒すというより捕まえるような動きが多い。
 白薔薇の蔦をなぞりながら発生元を探す。発生元は水銀燈の進行方向に建っている家屋の屋上でその姿を隠さずこちらを見上げていた。
「いつの間に……」
 ぼやきながら水銀燈は雪華綺晶へと真っ黒な翼を羽ばたかせながら矢のように直進する。
 雪華綺晶もすぐに何かの行動を行うが、恐らく白薔薇をこちらに向かわせているのだろう、だが……私のほうが速い!
 水銀燈は背中の翼を止め雪華綺晶へと向けるが勢いが付いた体の速度は変わらず、そのままの勢いで翼から無数の黒い羽根を弾丸のように雪華綺晶へと飛ばす。
 雪華綺晶は素早く後方へと飛び退くと、一瞬眼を離した。
 ――もらった!
 水銀燈は雪華綺晶が一瞬眼を離した瞬間、相手の左側に急速に方向転換した。
 雪華綺晶の左眼は白薔薇があるので視野は無いはず。ならば左側から攻撃すれば一瞬の隙ができるはずだ。その間に相手を捕まえれば……。
「――――!」
 次の瞬間、左側に白薔薇の真っ白な姿が猛然とこちらに向かってくる。
 反射的に右側へと跳び退きながら雪華綺晶へと白薔薇の先端を弾き返す。体を捻りながら地面へと着地すると同時に雪華綺晶の白薔薇は再び左眼に元通り戻っていた。
 流石に……一筋縄じゃいかないか……
 卑屈な笑みを作りながら水銀燈は不気味に微笑む雪華綺晶を見つめる。
 住宅街の静けさが二人の緊張を強める。呼吸するのも重苦しく、全てが動くのを拒むような空間。
 両者が相手の出方を見ている。

「かしら〜」

「――――!」
「…………?」
 均衡を崩したその陽気な声がする方へと顔を向ける二人。
「今日こそカナはやるかしら!」
 二人の上空。空を、ふわふわと漂う黄色い塊。
 黄色を基調としたデザインの服にオレンジ色のドロワーズを穿いた服装。髪型は緑色の髪をお下げのロールヘアを左右から垂らし、頭部にはハート型の髪止めをしており、瞳の色は緑。黄色い日傘を差しながら、それは空を漂っていた。
 ローゼンメイデン、第二ドール金糸雀=B
 金糸雀は下界の状況にまったく気づかず、意気揚々と空中散歩をしていた。
「今日こそ真紅たちに一矢報いるかしら!」
 彼女が向かうのは、先ほどまで水銀燈が見ていた赤と緑が居た家屋。
 水銀燈は金糸雀の存在に一瞬呆気を取られていたが、数瞬で現状をもっとも簡単に打破する方法を思いついた。
 黒い翼を広げ、能天気に漂う金糸雀に向かって猛然と向かう。
「今日は真紅たちを――かな?」
 水銀燈は空中散歩を楽しむ金糸雀の襟首を掴むと、一気に地上の雪華綺晶へと投げつける。
「か、かなああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 突然のことに悲鳴を上げながら金糸雀は雪華綺晶へと一直線に向かう。
 雪華綺晶は向かってくるそれを、体を少しずらして避ける。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ――――へぶっ!」
 顔面から激突する金糸雀。
「……なんで、こう……なる、の……かしら」
 意味も判らず投げられて、何処かの家の屋上に激突して卒倒する金糸雀であった。
「その娘にくちづけすれば次女になれるわよ!」
 水銀燈が雪華綺晶へと告げる。
 見た目や行動が幼い金糸雀といってもローゼンメイデンの次女。長女になれなくとも次女なら我慢してくれないだろうかと思い、水銀燈はこの行動を起こした。
「……私はお姉様とくちづけをしたいのです」
 駄目だったか……。というかなんで長女に拘るのだろうか。
 一瞬の思考がいけなかった。
 その一瞬で雪華綺晶の白薔薇が水銀燈の体へと絡みつく。
「しまっ――」
 水銀燈の体に纏わりついた白薔薇は、水銀燈から自由を奪い、背中の翼も使用できないよう纏わりついていた。
 雪華綺晶は白薔薇の蔦を回収するように空中に浮かび上がり、水銀燈の目の前に、ふんわりと止まる。
「さあ……お姉様」
 雪華綺晶は両手を水銀燈の頬へと当てる。そしてゆっくりと唇を近づける。
「ちょっと! ま、まちなさ――――」
 水銀燈の言葉は最後まで続かず、雪華綺晶の唇によって塞がれてしまった。
「――――! ――――!」
 唇を離そうとするが、白薔薇に全身を固定され身動き一つできない状況であり、雪華綺晶にされるがままだ。
 雪華綺晶は長い時間くちづけをしている。というか生きているのかも怪しいぐらい微動だにしない。
「…………ん?」
 突然、雪華綺晶は水銀燈から唇を離し、不思議そうに首を傾げる。
「長女になりませんよ?」
「あ、当たり前じゃない! そんなことで変わるわけが無いじゃないの!」
 頬を染めながら水銀燈は雪華綺晶へと怒声を上げる。
 それを聞いた雪華綺晶は上を向いたり、左を向いたりした後、水銀燈に絡みつく白薔薇を解く。
「……まったく。こんなくだらないことを教えた御莫迦さんは誰なのかしら?」
 服を掃いながら、水銀燈は雪華綺晶へと横目で視線を送る。
「お姉様の……ミーディアムから聞きましたわ」
 平然とした口調で答える雪華綺晶。だが、水銀燈はその言葉に眼を見開き、全身を硬直させた。全身を、わなわなと震わせて壊れかけの人形のような動きで顔を雪華綺晶へと向ける。
「め……めぐが、言ったの……?」
「はい」
 さらりと答える雪華綺晶。
 その瞬間、水銀燈の中で何かが切れた。
「…………雪華綺晶、私はめぐの所に戻るわ」
 静かに、怒りに満ちた声で言う水銀燈。
「はい。それではごきげんようお姉様」
 その気配を知ってかしらずか軽くお辞儀をする雪華綺晶。それを見ることなく水銀燈は背中の翼を広げて一目散に青空へと飛び立っていた。


          ☆


 視界の先に見えてきた真っ白な建物。
 無数の窓硝子からは、無数のカーテンが見える。
 その無数の窓の奥には同じような造りの部屋。車椅子で部屋を移動する少年、ベッドに寝込む中年男性の傍で座る洋服の中年女性など様々。
 その中の一つ、何時も部屋の窓を開けて、ベッドの上から外を眺めている黒髪の少女が居る部屋。
 弾丸のように向かってくる水銀燈に気づいた少女は軽く手を振る。
 水銀燈はその部屋の窓枠へと軽やかに降り立つ。
「水銀燈、おかえりなさい」
 その少女は柔らかく微笑む。
「め〜ぐぅ〜……」
「どうしたの? そんな怖い顔して?」
 彼女の名前はめぐ。私のミーディアム。
「……貴女、雪華綺晶に変なことを教えなかった?」
「きら……」
 下唇に人差し指を当てて天井を見つめるめぐ。しばらく思考すると。
「――ああ。あの真っ白な娘ね」
 水銀燈はめぐを睨みつけながら頷く。
「どう? あの娘、貴女の所に行った? その様子だと来たみたいねえ」
 子供のような無邪気さでめぐは聞いてくる。
 その様子に呆れながら水銀燈はめぐが居るベッドへと腰を下ろす。
「……一体どういう積もりなのかしら?」
「ん……あのね、昼前に病室で水銀燈を待っていたら、窓の外を黄色いお人形さんが傘を差して浮かんでいたの」
 ――なんかさっきも同じような物を見たような。
「でね、そのお人形さんが『真紅にローゼンメイデンはキスすると姉妹が変われると教えて仲間割れを起こすかしら!』って言っていたのよ。あのお人形さんって水銀燈の姉妹かと思って、水銀燈が帰ってきたら話そうと思ったんだけど、そしたらあの白い娘が来たから水銀燈の姉妹だと思ってふざけて教えたら、なんか喜んで外に行っちゃったと思ったら。やっぱりそっちに行っていたのね」
 金糸雀…………次会ったら一番にジャンクにしてあげる。
「それで……」
 めぐが水銀燈の両脇を持ち、太股へと乗せる。
 水銀燈が頭を上げるとそこには笑顔のめぐ。
「水銀燈〜私、まだキスってしたことが無いんだ」
 不気味なほど同じ笑顔と口調で喋るめぐ。その笑顔に何か恐怖を感じる。
「め、め……ぐぅ?」
 恐る恐る問いかけるが、めぐは笑顔のままで水銀燈を見下ろしている。
 すると、両肩にある手をゆっくりと水銀燈の全身を撫でるように、首、胸、腰を撫でていく。
「ちょ、と! 何するの! うひゃっ! 止めな、さ――」
「死ぬ前にキスとか色々しておきたいのね……」
「大丈夫! めぐは、生きる――から、あっ……」
「スキンシップ、スキンシップ〜」
 めぐは鼻歌を歌いながら水銀燈をベッドへと押し倒し、覆いかぶさるように水銀燈を見下ろす。
 水銀燈は思った、めぐはこんなに活発的な娘だっただろうか。そういえば前にも似たようなことがあった。めぐとキス……少しならいいか――――
「やっぱり、これはちがっ――」
 彼女の台詞は最後までなかった。






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