清々しいほどの晴天に浮かぶ真夏の日差しが、幻想郷すべてを明るく照らし、額に汗が溜まり、気力を削ぐような蒸し暑さが周囲を取り巻く。
 人間や妖怪は総じて、熱気という強敵に対して試行錯誤を繰り返して、様々な涼み方を実施しているようだが、すべてその場凌ぎとなっており、あまり効果が出ていないようだ。日陰や川辺、各々が暑さを凌げる場所へと移動している。
 暑さが縦横無尽に動き回る幻想郷の一角、人間の里に隣接する竹林。天高く伸びた万年竹がいくつも生え、入った者はいつまでも続く竹林の光景に方向感覚を失い二度と出てくることはできないと言われる、別名迷いの竹林。
 そんな竹林の中央部に、一つの屋敷が静かに建っている。
 妖怪兎たちが住み着く屋敷、永遠亭である。
 万年竹に囲まれる屋敷は、直射日光が疎らとなり、ある程度の暑さを軽減している。
 それでも暑いことには変わりなく、庭掃除や屋敷周辺の畑作業担当の妖怪兎たちは、滝のように流れ出る汗を拭い、兎耳を通すことができる特殊な麦わら帽子を被っている。
 そんな日に外の当番にならなくて良かったと、屋敷の掃除や食事担当の妖怪兎たちは、心底安心して胸をなで下ろしていた。
 仕事が早く終わった者や、まだ仕事の担当時間ではない妖怪兎たちは、バテるように風通しのいい日陰がある場所で休んでいる。
 やる気の出ない陽気が永遠亭を漂う中、一羽の妖怪兎が縁側の日陰で大の字になって寝転がっていた。
 癖っ毛の強い肩まで伸びた黒髪から、二つの大福のように丸い兎耳を垂らし、人間の子供のような容姿と体躯を持つ妖怪兎。
 永遠亭に住み着く妖怪兎たちのリーダーである、因幡てゐもこの陽気にやられてしまった犠牲者の一人……もとい、一羽であった。
 てゐも、どうにもならない暑さに四苦八苦し、あー、など、うー、など言いながら、無駄に体を動かさないようにじっとして、暑さを耐えようとしているようだが、大した効果はないようで、眉尻を寄せて苦悶の表情を浮かべていた。
「……………………あああああああ! もうッ!!」
 意地なのかてゐはしばらくその体勢を続けていたが、暑さに負けて、まとわりつく物をすべて払いのけるかのように叫びながら、寝転がっている姿勢から乱暴に起きあがった。
 明らかに不機嫌な表情をしながら、見えるはずがない陽気を睨みつけようと宙を見て、握り拳を作る。
 その姿勢を何秒か続けていたが、すぐに空気が抜けるように肩がストンッと落ちた。
 ぶつける相手がいないため、生まれ出た不満が解消されず。ぶつけたところでこの暑さがどうにかなるわけでないと、てゐは虚しい思いにため息を吐く。それでも暑さをどうにかできないかと、首を捻って考えてみる。
 だがすぐに思いついたらこんなにも苦労するはずはない。
 本当は自分だけ涼める方法はいくつでも思いついているのだが、他の妖怪兎たちに見つかったら色々と面倒であり、顰蹙を買うのは目に見えて判っていた。
 妖怪兎のリーダーであるてゐにとっては、他の妖怪兎たちの信用を失うのは、今後のイタズラ協力などに支障が出るため避けたかった。
 なので妖怪兎すべてが納得できるような涼み方を、必死に考えていた。
 最初に出た案は、水浴びであるが、こちらは永遠亭の水の許容量を軽く超えてしまい、水がもったいないということで主の輝夜や、永琳の許可が降りないと判っていた。
 次は、避暑地などへの遠足というのを思いついたのだが、実際これも永遠亭の妖怪兎たちをすべて連れていかないといけないため、留守の間誰もいなくなるということで、安全面の問題で却下されるのは間違いなかった。
 迷いの竹林で守られているからと言って、留守にするのはさすがにまずいという結果になっていた。
 あまり他の物を使用せず、永遠亭内でできる、妖怪兎たちが楽しめるような涼み方。何か名案がないかとてゐが首を再び捻る。
 しかし、てゐの目的はこの暑さを打破するだけではなく、暑さでぐったりするような平凡な日々を打破するため、刺激のあることをやりたかっただけであった。
 暑さであまり機能していない頭を、てゐが必死に動かしているとある妖怪兎のことを思いついた。
 薄紫色の細長く輝くような長髪に、見とれるような真紅の双眼。他の妖怪兎たちとは体つきが異なり、まるで大人のように細長い体型。不自然な折り目のようなシワが入った兎耳を生やしている兎。月の兎である、鈴仙・優曇華院・イナバのことであった。
 大人びた顔つきに、誰に対しても優しい性格で、永遠亭の地上の兎たちから人気を集めている。数多くの兎が鈴仙に対して、尊敬や憧れの眼差しを持ち、恋心を抱いている。
 てゐもそんな恋する乙女の一羽である。
 鈴仙のことが大好きで大好きで仕方なく、本当ならいつもくっついていたい、ずっと傍にいたいと思っていた。
 しかし、他の妖怪兎たちの手前、軽率な行動は後々にからかわれるネタとなり、今後バカにされ続けるという考えから、てゐはその思いが悟られないよう、鈴仙から少しだけ距離を置いたように接している。
 ふと、てゐは鈴仙に対して思いを巡らせていた。
 鈴仙様はこの暑さにどうしているのか。鈴仙様は何をやっているのか。そんなことが色々と。
 自然と鈴仙への思いが頭の中を巡り、てゐは暑さを忘れて思いに耽っている。
 てゐが持つ鈴仙への思いは永遠亭一とも言えるほど強い。まるで実の姉のように慕い、隙あればベタベタと彼女にくっついていた。
 鈴仙の体温を感じられることは、てゐにとって至福の時間でもあり、より一層鈴仙への思いを強めることでもあった。
 最近は気温の上昇と共に、抱きついて鈴仙に迷惑な行為と思われ、嫌われるのではないかと恐れ、まったくと言って良いほど鈴仙に触れていなかった。
 そう考えると、てゐは鈴仙に触れたいという思いが強くなっていった。
 涼み方と、鈴仙に抱きつきたいという思いが交差する。
 考えることが増えたことにより、てゐの苦悩がさらに増加の一歩を辿るのであった。
「……あ、そうだ」
 フッとしたことに、てゐはポツリと声を漏らした。
 苦悩の原因である二つの問題を両方同時に解決できる方法を思いつき、あまりにも素晴らしいことだったので、てゐは喜ぶよりもなぜ気づかなかったのだろうかと首を傾げる。
 思い立ったのならば、素早く行動するのみと、てゐは立ち上がり日陰が少なくなってきた縁側を、ある人物がいる部屋へと向かって床を軋ませながら残された日陰の上を進んでいく。


     ☆


 永遠亭の端にある一室。
 この部屋は三方向が縁側に接しており、部屋は明るく風通しは抜群、これぐらい暑い季節では別世界のように涼しい部屋となっている。
 永遠亭では人気の部屋の一つとなっており、いつもこぞってこの部屋で涼もうとする妖怪兎たちでごった返していたが、涼しい部屋でも密度が高くなっては意味がないと言える。
 そんな部屋なのだが、今は妖怪兎たちがおらず、二人の女性が部屋の中央で涼みながら、耳掃除をしている状態であった。
「――――いいんじゃない? イナバたちの気晴らしになると思うわよ」
 膝枕をしながら耳掃除をしてもらっている、永遠亭の主の蓬莱山輝夜は無邪気にてゐへと言い放った。
 整った顔立ちに幼さが残る表情、どことなく高貴な雰囲気を放ち、漆黒の潤った黒髪が畳に流れるような曲線を描いて垂れている。
 衣服は夏用の薄い生地を使用し、見た目は暑苦しそうに見えるが、輝夜本人はそんなことがないような表情で、汗一つ流していない。
「まぁ、姫がそう言うのなら」
 すると、輝夜を膝枕しているもう一人の主である、八意永琳は至って普通に、輝夜の耳掃除を続けながら答える。
 白銀に輝く髪を三つ編みにして背中に垂らし、顔立ちは妖艶と言えるほど怪しく、言葉を失うほど美しい容姿を持ち、上半身の衣服の上半身の右半分と下半身の左半分を紅色に、上半身の左半分と下半身の右半分を蒼色に染められた看護服のような衣服を身にまとう。
 膝枕をしてもらっている輝夜の従者と本人は言っているが、実際のところ永遠亭の全権を握っているのはこの永琳である。
 と言うか、輝夜は基本面倒くさがり屋なので、必然的に永琳が妖怪兎たちに指示を与えたりしていることとなり、全権を握っている形となっているのだ。
「はい、ありがとうございます〜」
 永遠亭の主から許可が下り、てゐは嬉しそうに喜んだ。
 てゐは先ほど思いついた名案を実行に移そうと、まずはこの二人に言いに来たのである。
 やはり突然イベントを実施させ、妖怪兎たちを永遠亭のどこかに集合させた場合、確実と言って良いほど永琳や輝夜の文句が来るに決まっていた。
 なので一番上の者から許可をとっておけば、あとで文句を言われることもなくなり、心配せずにイベントを実施できる。
「そうだ、イナバ」
「はい?」
 安心して胸をなで下ろしていたてゐに、耳掃除をされて気持ち良さそうに顔を綻ばせる輝夜が問いかける。
「それは私たちも参加してもいいのかしら?」
「え? はい、誰でも参加可能なので……なんでですか?」
「いや、ちょっと確認しておくだけよ」
「はぁ……」
「あと一つ」
「なんでしょう……?」
「好きなことをしていいわよね?」
「…………決まりごとを守って頂けるなら……」
「そう、判ったわ」
 不適な笑みを浮かべながら、輝夜は再び耳掃除に集中するかのように瞼を閉じた。
 あからさまに不自然な質問を受け、訝しむようにてゐが輝夜を見つめるが、輝夜は耳掃除を堪能しているようで反応が伺えない。
 それではと永琳へと視線を移動させるが、こちらも耳掃除をしていて視線がこちらを向いていない。
 ただ、不気味な雰囲気を二人から感じ、てゐの背中に寒気が走った。
「し……失礼します……」
 問いただすと何か恐ろしいことになると思い、てゐは逃げるように部屋から駆け足で出て、ドタドタと縁側を踏みながら音を鳴らし、輝夜と永琳がいる部屋から離れていく。


     ☆


 輝夜と永琳にイベントの許可をもらったところで、てゐは次にイベントの告知を行うこととした。
 イベント決行は夜を予定しており、あまり時間がないということで素早く妖怪兎たちに伝達しなければいけなかった。
「――――と言うことをやるんだけど、参加する?」
「面白そうですね〜」
「もちろん参加します〜」
「よし、じゃあ他の子たちにも伝えてきてね」
「はーい、判りました〜」
 腰辺りまで伸びた黒髪の妖怪兎二羽へとイベントの内容を告げると、二羽はとても楽しそうにはしゃぎ、イベント参加を了承した。
 予想通りの反応をしながら、その妖怪兎たちは廊下をパタパタと駆けだした。
 これでイベントは口コミで広まるはずである。
「――――――――」
 するとてゐの丸い耳に、誰かの喋り声が微かに聞こえてきた。
 妖怪兎であるてゐの耳は、人間とは比べ物にならないぐらい発達しており、常人が聞き取れないような遠くの微かな音でさえ、彼女たちの耳はしっかりと聞き分ける。
 そしててゐが聞いた声は、彼女が大好きで仕方がない相手の鈴のように綺麗な声だった。
 相手が判った瞬間、てゐの頬は朱色に染まり、胸がトクンとときめいた。
 その声はまごうことなき鈴仙の声であった。
 何十回、何百回、何千回と聞いてきた、好意を持った相手の声をてゐが聞き間違えることはなかった。
 鈴仙は本日、人間の里へと出かけ、永琳に頼まれていた薬草や製薬器具などを買いに行っていたのだが、どうやら既に永遠亭へと帰ってきていたようだ。
 愛しの鈴仙がいることに、てゐは逸る気持ちを抑えることはできなかった。声が聞こえた方向へと大股で駆けだし、一秒でも早く鈴仙に会いたかった。
 てゐは兎特有の脚力で跳ぶように床板を踏み、羽根のように軽やかな体で通り抜ける風を感じていた。
 そしてすぐに鈴仙の声が聞こえた部屋へと到着すると、空気の循環のためか開け放たれている部屋の入口から中をのぞき込んだ。
「鈴仙さ…………」
 喜んでいる声色だが、その声が最後まで口から出ることはなかった。
 部屋の中は家具などが一切置かれておらず、ここしばらく使用された形跡が見つけられない。
 永遠亭には数多くの妖怪兎たちが住み着いているが、それ以上に部屋の数も多く、空き部屋となっている部屋も多い。先ほど輝夜と永琳がいた部屋もその空き部屋の一つである。
 そんな日焼けした畳の上に、先ほどとまったく同じ光景があったので、てゐは言葉を失ってしまったのだ。
 薄紫色のサラサラな美しい髪の毛を床に広げ、不思議な兎耳を生やし、スカートから見える美しい脚線はてゐの視線を集中させる十二分な魅力を持つ鈴仙が、女性に膝枕されているではないか。
 青色を基調とした洋服を身にまとい、肩に掛けた真っ白なケープと、腰につけたピンク色のリボンが可愛らしく、肩まで伸ばし輝くような金髪をなびかせ、まるで人形のような精巧な容姿を持つ女性が、鈴仙を膝枕した状態で、固まっているてゐへとその宝石のような碧色の双眸を向けてくる。
「あ、てゐ、どうしたの?」
「てゐ、こんにちは」
 膝枕されている鈴仙と、その女性は至って普通の挨拶をてゐへと向ける。
 その女性は魔法の森に住み着く魔法使いのアリス・マーガトロイド。魔界出身で人形を使うことから、人形遣いとも呼ばれる女性。
 一見、和風の永遠亭にはあまり合わない容姿を持っている彼女がなぜここにいるかと言うと、アリスと鈴仙は友人関係であるのが原因である。
 出会いはとある異変でお互い敵同士であったが、異変解決後に仲良くなり、幻想郷の外からやってきた同士仲良くなったようである。
 しかし、そんなことはてゐにとってどうでも良かった。
「な……」
「な?」
「なななななな、何やっているんですか!?」
 てゐは動揺する気持ちを抑えることはできず、震える指先で鈴仙とアリスを指さした。
 突然の問いに鈴仙は面食らったような表情を作る。
「え……な、何って……?」
「何アリスが鈴仙様を膝枕しているんですか!?」
 てゐにとって鈴仙は思い人。
 その思い人が他の相手に膝枕をしてもらっているのである。動揺を隠すことができるはずなかった。
「えっと……そのぉ……」
 そんな彼女の思いを知らずに、鈴仙は少し照れるように頬を紅潮させて、言葉を探すように視線を右往左往させていた。
 困った表情を浮かべる鈴仙を見かねて、膝枕をしているアリスが先に口を開いた。
「えっとね、鈴仙が暑さで体調が悪いって言っていたから、横になったほうがいいと思ってね」
「なんでそれで膝枕になるのよ!?」
「畳に直接寝たら痛いと思うし……なんとなく?」
 てへっ、と微笑むようにアリスが首を捻る。
 あまりはっきりとしない理由に、てゐは文句を言おうかと思うが、膝枕される鈴仙が目に入り、喉から出かかった声を飲み込む。
 鈴仙とアリスは本当に仲が良い二人である。
 はたから見ていると恋人のように見えることがあり、周囲には二人が付き合っているのではないかと予想する者も現れた。
 しかし、鈴仙のことを慕っているてゐにとっては、アリスは邪魔で邪魔で仕方がなかった。なので二人の仲が良いことはあまり認めたくなかった。
 てゐはあまりアリスと仲良くしたくはなかったし、できることなら二人の仲を離したかった。
 だが今は、この場所に鈴仙もいるからそれはできない。
 鈴仙は周囲から見れば、真面目でとても優しい性格の持ち主である。特にアリスに対しては特別な感情を持っていることが判りやすく、アリスにはとても優しい。
 ここでアリスに対して文句を言った場合、鈴仙が確実にてゐを叱るのは目に見えていたので、てゐは言葉を飲み込んだ。鈴仙に嫌われてはいけないと思い、不満を抱きながら頬を膨らませるぐらいしかできなかった。
 そんな不満を溜めこんでいると、てゐはある根本的なことに気づいた。
「と言うか、なんでアリスがいるの!!」
 膝枕うんぬんより、まず先にそちらを気づくべきであった。
 最近アリスが永遠亭を訪ねる回数が多くなり、必然的にてゐは彼女と出会う回数が増え、いることが不自然とは思えない状況まで進んでいた。
「人間の里から帰る時にアリスと会ってね、荷物が多いからって手伝ってもらったのよ」
「あー……なるほど……」
 なんともまぁ正当な理由であり、いても不自然な回答ではない。
 あまりにも正当な理由であったため、てゐはそれ以上文句は言えず、不満を少し含みながら納得するしかなかった。
「それでてゐ、何か私に伝えることでもあったの?」
「え? ああ、そうでした」
 興奮しすぎて伝達事項を忘れていたてゐは、鈴仙に聞かれて遅れながら本題を思い出し、彼女へと報告する。
「今夜、怪談大会を行うのですが、鈴仙様も出てくれますか?」
「怪談大会?」
 首を傾げる鈴仙。
 今回てゐが思いついたイベントとは、怪談大会である。
 これならば永遠亭の大部屋に集めるだけで、無駄な消費や外出などしなく楽しめることができる。
「はい、最近暑い日々が続いておりますので、気分転換も兼ねて各々がとっておきの怪談を発表し、投票で誰の話が良かったかを競う大会です」
「へぇ、確かに気分転換になっていいとは思うけど、師匠や姫様には許可を取ったの?」
 ちなみに、師匠とは永琳、姫様とは輝夜のことを指している。
「はい、お二人とも二つ返事で了承してくれましたよ」
「まぁあの二人ならこういうこと好きそうだしね……」
「それで参加してくれますか?」
「いいわよ、って言ってもそこまで話が思いつかないから、ただ聞いているだけだと思うけど」
「はい、それでも全然構いませんよ」
 鈴仙が参加してくれることに、てゐは心の隅で小さく握り拳を作って喜んだ。
「ねぇ鈴仙」
「ん? どうしたの、アリス?」
 すると、今の今まで言葉を発していなかったアリスが、不思議そうに首を傾げながら、膝枕で横になっている鈴仙へと問いかけた。
「怪談って何?」
「え? 知らないの?」
「うん……なんか聞いたことがある単語だけど、思い出せないの……」
 意外な言葉に鈴仙はもちろん、てゐも驚きを隠せなかった。聡明に見える彼女にも知らない言葉があるんだと、二人は関心を抱く。
 ふふふ、と微笑する鈴仙は優しく怪談の説明を簡単にする。
「怪談ってのは、怖い話のことだよ」
「えッ!?」
「ど、どうしたの?」
「え……いや、な……なんでもないわ……」
 怖い話、と言う単語を聞いた瞬間、アリスの表情がはっきりと青ざめていた。
 てゐは、もしかしてアリスは怪談が苦手ではないのかと思い、同時に恋敵であるアリスがこのまま帰ってくれるのではないかと心の中で歓喜した。
 どこからどう見ても明らかに拒んでいるような苦笑している表情のアリスを、普通なら誘うなんていう空気の読めない行動を行わないはずである。
「そうだ、アリスも参加しない?」
「ふぇッ!?」
 だがしかし、空気の読めない鈴仙は、アリスのその反応に気づいていないようで、何気なくという表情で彼女を誘ったではないか。
 鈴仙の行動にてゐは言葉を失うほど驚き、アリスは間抜けな高い声を出して驚いている。
「聞いているだけでもいいから、きっと面白いよ」
「え……でも……私は……」
 予想通りというか、アリスは鈴仙の誘いを断ろうとするが、予想外であった鈴仙の誘いに動揺して言葉が上手く出てこないようだ。
 しどろもどろなアリスの挙動に、さすがの鈴仙も嫌がっていることを感じ取ったかのように眉を寄せる。
「……いや、だった……?」
 恐らく純粋な気持ちで鈴仙はアリスを誘ったのだろう。
 ここで誘ったのがてゐだったら、ただ意地悪をしているようにしか見えず、何事もなかったかのようにアリスは断っていただろう。
 しかし、鈴仙は心の底からアリスを誘いたい気持ちがあったようで、判りやすく肩を落として残念そうな表情をしていた。
 この光景を見れば、どう見ても断ったアリスが悪役のように見える。実際に一部始終を見ていたてゐでさえ、アリスが悪いように見えたのだから。
 慌ててアリスが言い訳をしようと、言葉を発する。
「そ……そんなことはないけど……その……」
「本当!? じゃあ参加してくれるのね! ありがとう!!」
 どうやら鈴仙はアリスの気持ちに気づいておらず、承諾したとは判断しづらい言葉で、アリスが怪談大会へと参加したいと勝手に理解して、声を弾ませるように喜びだした。
 子供のように無邪気にはしゃぐ鈴仙は、てゐやアリスから見れば見た目とのギャップでとても可愛く見えた。
「え…………あ…………うん…………」
 先ほどまで断ろうとしていたアリスだが、あまりにも鈴仙が嬉しそうに喜び、あまりにも可愛かったものだから、断るに断りきれなくなったようだ。ひきつったような笑顔で、アリスの顔は青ざめているように見える。
 とにかくこうして、アリスの怪談大会への参加が半ば強制的に決まってしまった。
 この予想外の結果にてゐは心の奥底で、ヒシヒシと嫌な予感を感じていた。
 こういった予感はよく当たる物である。


     ☆


 陽が山陰へと沈み、幻想郷を夜の闇が取り巻いた。
 人間たちは眠り始め、妖怪たちが活発になる時間帯。
 無数の星々が浮かぶ満天の夜空に、一つだけ大きく輝く半月がうっすらと地上を照らす。
 迷いの竹林内は陽の光を遮断するように竹林が存在し、昼間でも薄暗い場所であるので、夜間になったらなったで月明かりはまったく届かず、暗いと言ったらありゃしない。
 これでも満月の夜ではそれなりに光が射し込むため、明るいと言えば明るく、うっすらと映し出される竹は美しく見える。
 永遠亭は空が開けているため、月明かりは竹林内よりも多く差し込むが、やはり暗い。
 りりり、と周囲の草から虫が大合唱し、昼間とは違い涼しい時間帯となっている。
 永遠亭内では、何十羽の妖怪兎たちが一つの大部屋へと集まり、何羽かは襖を開けっ放しにして隣の部屋、または縁側にて発表される怪談を傍聴していた。
 部屋の中には灯りがまったくなく、中央には蝋燭が一本のみ置かれ、ゆらゆらと揺れる微かな灯りは部屋を薄暗く照らす。まさに怪談にピッタシな雰囲気を醸し出していた。
 怪談を発表する者は一羽ずつ、蝋燭の横に置かれた座布団に座る。
 発表者の正面には、特等席として、輝夜と永琳、そして鈴仙が座って怪談を楽しんでいる。
 急遽開催されたイベントだから、あまり発表者がいないかと思われたが、意外と多くの者が発表者として名乗りを上げ、イベントとしての形は成り立っていた。
 怪談の内容は、心霊現象、奇妙な話、伝説などなどの当たり障りのない語りをする者もいれば、おバカな話や失敗談など怪談とは言い難い者もいた。
 実際のところ、永遠亭にいる者は妖怪兎が大半であり、普通に幽霊が買い物をしている光景を見られる幻想郷では、心霊現象系の話をしてもあまり受けは宜しくない。
 もちろん永遠亭の住民はそれを理解しているので、最初はあまり怖い話などを発表する者は少なかった。
 てゐもそれ系の話をする者は少ないと思っていたが、なぜか今はほとんどの発表者が怖い話をしている。
 全員が全員、まるで意図的と思えるような様子で語っていた。
 その原因は、発表者の正面にいる鈴仙……に寄り添い、体を震わせて怯えているアリスであった。
 現在は黒髪を腰まで伸ばした妖怪兎が、山奥にある廃家へと迷い込み、そこで出会った老婆の幽霊に苦しめられる話をしているのだが、先ほどからアリスは顔を真っ青にして怯えている。
 物語などは誰かに聞いてもらい、何かしらの反応をもらえれば語り部にとっては喜ばしいことこの上ない。
 怖い話をすれば判りやすいほど反応を返してくれるアリスは、発表者が楽しめる最高の傍聴者であった。
 そして、アリスは永遠亭では珍しい髪の色や、雪のように白い肌、人形のような容姿などもあり、妖怪兎たちはアリスのことを綺麗だと思っていた。
 そんな相手が見せる怯えた姿は、妖怪兎たちが持つイタズラ心に火をつけるには十二分であった。発表者はこぞって怖い話を発表し、アリスの怯える姿を楽しんでいた。
 大会の目的が変わってはいるが、妖怪兎たちは大会よりもアリスを怖がらせるほうに力を入れている。
 しかし、一羽だけその光景が気に入らない兎がいた。
 それは鈴仙に思いを寄せるてゐである。
 てゐにとってアリスは恋敵である。その恋敵が怯えている姿は、とても愉快な光景であった。
 だが、それはアリス単体での話である。
 アリスは今怯えながら、てゐの好きな相手である鈴仙にひっついているのである。
 心の奥底で、何度も何度もアリスに対して、離れろ! と呪詛のように呟き続けていた。今にも血涙が出そうな形相をしながら貫きそうな視線を送るが、アリスはそれどころではなく気づけるはずがなかった。
 今にも怒鳴りそうな雰囲気なのだが、さすがのてゐもこの場の雰囲気を壊す訳にもいかず、ギリギリと歯を食いしばって我慢していた。嫌な予感は見事に的中し、彼女の計画は破綻したのだ。
 今回てゐは怪談大会を開催して永遠亭内に気分転換をする以外に、もう一つ目的があった。
 それは怪談大会を利用して鈴仙へと抱きつくことである。
 昼間、ふと彼女は鈴仙に抱きつきたいと思った。だけど何も理由なく抱きついたら嫌われるかもしれない。
 名案はないかと思考した際、怪談大会のことを思いつき、怪談で怯えて抱きつけば良いとの答えにたどり着いた。
 もちろん、妖怪兎のてゐは怖い話などで怯えることはなく、今まで聞いていた怪談も楽しんでいる程度である。だが、てゐはわざと怯えたフリをして、鈴仙に抱きつこうと考えたのだ。
 ちゃんとした理由があり、かつ自然に抱きつけるので、てゐは自分の賢さに笑いがこみ上げてきた。
 怪談大会が始まったら、話が盛り上がったところで抱きついて、鈴仙の温もりを感じようとしていたてゐだが、現状の通りアリスによって計画は潰された。
 アリスは怪談大会が始まった時から既に怯えており、てゐは抱きつくタイミングを失ってしまった。
 そのアリスに抱きつかれている鈴仙は、嫌がる素振りを見せるどころか、頬を紅潮させながら少し照れるようにしている。むしろ喜んでいるように見える。
 発表者が物語を語り終えると、パチパチと拍手が静かに鳴らされると、アリスの体が一瞬ビクッと上下し、安心したのか薄暗い中でも強ばる体が和らいだのが判る。
「……アリス、大丈夫?」
 照れていた鈴仙も、さすがにアリスに悪いかと思ったのか、心配したように静かに問いかける。
「だ……大丈夫……」
「ほ、本当に? かなり疲れた表情しているよ?」
「ど……どうってことないわよ……た……たかが怖い話程度……」
 強がっているアリスなのだが、言葉や体は震え、まったく説得力がないほど狼狽しており、鈴仙の心配はより一層高まる。
 明らかに怖がっているじゃない、早く帰りなさいよ、むしろアンタは怪談で語られるほうじゃない、とてゐは必死にがんばるアリスに対する不満を露わにしている。
 鈴仙とアリスの後方へと近づいて、てゐはできることなら力ずくで二人を離したかった。
 語りが一旦終了し、次は誰が話すかと周囲の妖怪兎たちがざわめき始める。
 本来、ここで仕切るのはてゐなのだが、てゐとしては今はそれどころではないようだ。
「じゃ、私が話そうかしら」
 その時、透き通るような大人びた声がざわめく部屋に響き、妖怪兎たちは口をつむって声の主へと視線を向ける。
 声の主、特等席に座る永琳は静かにその美しい腕を天井に向けていた。
 まさか永琳が発表者になるとは誰も予想しておらず、想定外の者の挙手に、妖怪兎たちの間に動揺が走った。
「え……し、師匠が話すのですか?」
 動揺する雰囲気に耐えかねたのか、鈴仙が口を開く。
「あら、私は語っちゃダメなのかしら、てゐ?」
「え? い、いえ、そんなことはありませんよ……」
「じゃあ、問題ないわね」
 突然話しかけられて意識が定まらないてゐが勢いで頷くと、永琳はすくっと立ち上がり、中央に置かれている座布団へと近づき流れるように正座する。
 部屋の中の者はすべて永琳の行動を固唾を呑んで見つめている。
 背筋を伸ばして座る永琳は、蝋燭の灯りに照らされ、妖艶な美しさを醸し出していた。
 ゆっくりと動く時の中、永琳は静かに語りだした。


 ――――森の中のある寂れた屋敷に、とある人間の男女が迷い込みました。
 男女は、陽が暮れてしまい、森の中は危険な野犬や妖怪がいるということで、その屋敷で一泊することとなりました。
 住民はいないようで、中は荒れ果てて人がいなくなってからしばらく経っていることが判ります。灯りがまったくなく不気味な雰囲気を醸し出しており、女性が男性に怯えたようにくっついていました。
『おい、動きにくいだろ、ちょっと離れろよ』
『いやよ、だって怖いんだもん』
 古くなった床板を、きぃ、と耳障りな音を鳴らしながら休める場所を探すために男女は屋敷内を歩くと、人二人が横になれそうな部屋を見つけました。
 薄暗くってよく判らないけど、部屋の中はあまりちらかっておらず、新築のように綺麗に見えました。
 部屋の壁は何やら模様が彩られており、特別な部屋だということが判ります。
 男女はその部屋で一晩を明かすことを決め、森をさまよい続けて疲弊した体を休めるため、すぐに就寝しました。
 さらさらと夜風に揺られて草木の揺れる音が響き、不気味ながらも男女の子守歌。
 さらさら、さらさら。
 さらさら、さらさら。
 しかしその時、草木の揺れる音以外に別の音が聞こえました。
 ぴちゃ……ぴちゃ……。
 湿った音に、眠りに落ちそうな男女は目を覚ましました。
 幻聴かと思い、二人はお互い顔を見合わせます。
 ぴちゃ……ぴちゃ……。
 再び湿った音が響き、二人は幻聴じゃないことに気づきました。
 しかもその音は男女がいる部屋から聞こえてくるのです。
 ぴちゃ……ぴちゃ……。
 そして部屋の中に何かがいる気配を感じました。
 明らかに人じゃない何かの気配。
 男女はその気配に恐怖しました――――


 永琳が淡々と語り続ける中、てゐは首を傾げていた。
 てっきり永琳が語るのだから、想像外の話が出ると思っていたのだが、内容は至って普通な話である。
 言ってしまえばよくあるような怖い話。
 傍聴している妖怪兎たちの何羽かも、永琳のこの行動に首を傾げている。
 この程度の話なら怖がる者はいないだろうと、てゐは思っていたがやはり一人だけ怖がっている者がいた。
 もちろんアリスである。
 妖怪兎たちには怖がることのほうが難しい話なのだが、アリスは目を瞑って怯えながら鈴仙にしがみついていた。そんなに怖いなら耳でも塞ぐなりにすれば良いのだが、なぜかそれをしないアリス。
 再び鈴仙とアリスが密接しているので、てゐは永琳の話よりそちらのほうへと意識が集中する。
 だが、永琳が語っている際に叫ぶ訳にもいかず、再び鬼の形相でアリスを睨む。
「――――すると、男女はその何かの気配が近づいてくることを感じました」
 永琳の話が早くも終盤に差し掛かったようである。
 だけどそんなことより、てゐはいい加減ひっつきすぎなアリスを離そうと腕を伸ばす。
 ボソッと、離れなさいよ、と呟こうとした瞬間、てゐの手より先に誰かの手がアリスの肩に触れた。
 肩を触れられたアリスはもちろん、触れようとしていたてゐもその突然現れた手に驚き、肩ビクッと上下させる。
「その気配は男女の背後から近づいてきます」
 緊張した意識が、静寂の中に響く永琳の声が酷くはっきりと聞こえた。
 他の妖怪兎たちは永琳の話でどんでん返しがないか期待しているが、てゐとアリスはその謎の手に固まってしまう。
 てゐは息が詰まり、胸が弾けるかと思えるほど強く鼓動した。
 そしてまるで壊れかけた人形かのように、青ざめたアリスの体が鈍く動く。
「そして……男女がゆっくりと背後に振り向くと……」
 夜風に揺れる草木の音や虫の音がシンッと静まり返り、耳が痛くなるほどの静寂の中で永琳の声のみが聞こえる。
 てゐも横から出されている手をなぞるように、視線を移動させる。
 細長く、筋肉がまったくついておらず、アリスのように白くはないが、日焼けしていない肌、病弱とも受け取れるほどの腕。
「男女の背後には……」
 まるでてゐとアリスの状況を語るかのように、永琳の声が静かに綴られる。

『――――黒髪の女が、ニヤリと笑っていた』

 視線の先に、異常とも言えるほどの長い黒髪に、顔は前髪に隠れているが隙間からチラチラと見える不健康そうな肌や、濁ったような双鉾が暗闇の中でうっすらと見えた。
 それがなんなのか一瞬判らなかったが、てゐの心臓が大きく高鳴り、全身を嫌な感覚が駆け巡った。
 突然現れた黒髪の女……それがアリスの肩を掴んでいた。
 裂けているかと思えるぐらいの引きつった笑みを口元に浮かべ、女は前髪に隠れる双鉾をアリスに向けていた。
 あまりの驚きにてゐは悲鳴をあげることさえできず、ただ呆然とその女を見つめた。
「きやああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」
 耳をつんざくような悲鳴が静寂に満ちていた永遠亭を斬り裂いた。
 部屋にいる者はその突然の悲鳴に驚き、視線を声の主へと移動させる。
 悲鳴を上げたのは、顔面蒼白で恐怖にひきつった顔をし、頬に大粒の涙を流しながらゼエゼエと大きく呼吸をしているアリスであった。
 酷く狼狽しており、今にも気絶してしまいそうなほど視線が疎らになっていた。
 背後に現れた女を見て、アリスの緊張の糸はプツンと音をたてて切れてしまったようで、悲鳴で驚く鈴仙に必死になって抱きついていた。
 いつも冷静沈着なアリスからは想像ができない慌てぶりであった。
「ぷっ……あはははははは! そんなに驚くなって!」
 と、黒髪の女は腹を抱えて笑いだした。
 その笑い声で、驚いていたてゐも女が誰か今気づいた。
 それは先ほどまで永琳の横に座って、怪談を楽しんでいた輝夜ではないか。
 輝夜が隠すように垂れている髪をかき分けると、いつものような高貴な顔が、子供のように無邪気にはしゃぐ笑顔で現れた。
「姫、こんなに驚くとは、少しやりすぎたのでは?」
「いいじゃない、目的は達成したのだから」
 永琳が肩をすかせて言うと、輝夜は悪びれる様子もなく、クスクスと微笑しながらアリスを見ていた。
 この状況を把握しててゐは、ああなるほど、と永琳の話の内容がやけにありきたりな理由が判った。
 どうやら最初からアリスを驚かす目的でやっていたようで、恐らく輝夜が永琳に、怖い話をしている間に私が脅かすから何か発表して、とお願いしたものだから、先ほどのようなありきたりな怪談となってしまったのだろう。
 自分も驚かされたことに、てゐは少し恥ずかしくなり、ポリポリと頬を掻きながら、喜ぶ輝夜に苦笑いを送ることしかできなかった。
 すると、さすがにここまで怯えるアリスを見て思い立ったのか、抱きつかれている鈴仙が輝夜に抗議した。
「姫様! アリスが怯えているじゃないですか!」
「あらイナバ、でもその子のそんな稀有な姿を見れて、少し楽しんでいたんじゃない?」
「え……いや……」
 主である輝夜に勇気ある抗議をした鈴仙であったが、返しの言葉ですぐに言葉に詰まってしまった。
 反応を見る限り図星のようで、周囲から見ていてもアリスに抱きつかれて鈴仙が喜んでいることは目に見えて判っていた。
 だが、一人だけそれを今初めて知った者がいる。
「えぐっ……れ、鈴仙……ほ……ぐずっ……本当?」
 嗚咽を漏らすアリスが、涙を浮かべる瞳で鈴仙を見つめている。その瞳には軽蔑するような色が混じっていた。
 そのアリスの反応を見て、鈴仙は顔を真っ青にして、慌てて弁解をしようとする。
 でも、明らかに狼狽しており、本心を隠す言い訳というのが誰の目から見ても明らかだった。 
「い、いや! そんなことないよ! 確かにアリスの怯える姿が見られて良かっ……あ」
「ひ……酷い……ぐずっ……」
「待って! ご、誤解だかフボッ!!」
 勢いでポロッと本音を漏らしてしまい、慌てて弁解しようとした鈴仙を突き飛ばすように、アリスは身を離した。
 自業自得と言えば自業自得だが、突き飛ばされて頭を畳に打ちつけた鈴仙は、後頭部を手で押さえながらもだえており、可哀想に思えてきた。
「って、うわっ!?」
 もだえる鈴仙を見つめていたてゐに、離れたアリスはなんの迷いもなく抱きついてきた。
 予想外の行動にてゐは驚き、周囲の者たちもその光景に目を見開いた。
 てゐはアリスの行動にすぐさま抗議した。
「何よ! は、離れなさいよ!!」
「うえええん……鈴仙なんか信じられない……この中でまともなのは、てゐだけだよぉ……」
 だが泣きじゃくるアリスは、てゐの抗議をまったく聞いていないようで、てゐの小さな頭を抱えるように抱きしめている。
 頼られるのは嬉しいことなのだが、恋敵のアリスをすんなりと受けいれることができず、必死で離れようとしているてゐだが、アリスはがっしりと抱きしめて離さない。
「だからって私に抱きつかないでよ!」
「お願い……怖くって帰れないから……一晩だけ一緒にいてぇ……」
「ひ、一晩!?」
 てゐとしてはアリスに早く帰ってほしかったのだが、どうやら本人にその気は毛頭ないようだ。
 アリスにとって、現在永遠亭で信頼できるのはてゐであるのは、てゐ本人でも予想できた。
 永琳と輝夜は脅かした者、鈴仙は自分の反応を楽しんでいた薄情者、他の妖怪兎たちはあまり面識がない者多数。
 必然的に、特に何もやっておらず嫉妬の炎を飛ばしていただけの、てゐということになってしまった。
 もちろんアリスはその嫉妬に気づいていたらこうなる訳もなく、必死になっててゐを抱きしめていた。
 周囲の妖怪兎たちは、抱きしめられるてゐを羨望の眼差しで見つめているが、てゐにとっては迷惑極まりない。
 鈴仙に抱きつくという目的は失敗してしまい、なぜか恋敵に抱きしめられるという意味の判らない状況。
 てゐはことごとく自分の計画が破綻する現状に、ただ頭を抱えることしかできなかった。
 アリスはいくら突き放しても、この様子から何度も抱きつくと思われ、恐らく今夜は寝苦しい一夜を過ごすことは間違いなかった。
 怪談大会もこの一連の出来事で、自然と終了となった。
 優勝者が決まらなかったが、妖怪兎たちは満足したようで、明日の仕事のために寝床につくことになった。
 アリスにふられてしまった鈴仙は何度か関係を修復しようとしたが、アリスは口を利いてくれなかった。
 傷心してしまった鈴仙は頭を垂れて、判りやすいほどがっくりしながら自室へと帰っていったが、その背中にてゐは何度も助けを求めたが、結局状況は変わらなかった。
 血の気が失せ、苦笑するしかないてゐは、心の中で小さく、今日一日のことをまとめた。

 ――――変に手の込んだこと、するんじゃなかった。




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