貴女はどこか遠くへ行ってしまいそう。 私を置いて行ってしまいそう。 貴女は私を思っていてくれる。 私のことを護ってくれる。 私を護ろうと先へ行ってしまう。 私を置いて行ってしまう。 私はそれを望んでいない。 独りは嫌。 孤独は苦しくて嫌。 別に貴女に護って欲しい訳じゃない。 私はそんなことを求めていない。 求めているのは、貴女の隣を歩みたい。 貴女と一緒に歩みたい。 貴女と同じ時間を過ごしたい。 だから、お願い私を―――― ☆ 新しい年を迎えて十数時間。 肌寒い風が吹く昨日と変わらない昼過ぎ。 妖怪兎の私――鈴仙・優曇華院・イナバもこの時季は辛いものがある。 鼻先が寒さで赤く腫れ上がり、手袋なしのむき出しの手では痛いだけの空気。 吐く息は白く、私の兎耳も寒さに反応してピクピクと何度も震える。 今日は新年ということで博麗神社で新年会が開かれることになっている。 開かれると言っても、適当に集まって飲み食いするだけのいわゆるいつもの宴会。 空は雲が何個かあるだけの晴天で、新年会には持ってこいの天気ではあるが、寒さが問題だ。 できれば永遠亭でぬくぬくと布団に篭もっていたかった。 寒いんだもん。 肌も乾燥しやすいし、あまり好きな季節じゃない。 だけど永遠亭の主である姫様と師匠が参加すると言って、私も参加しなさいと言われてしまった。 お酒を呑めるのは良いけど、姫様の相手が面倒だし、色々用意も大変だろうなと、億劫な気持ちになっていた。 しかし、私は今永遠亭にいない。 「鈴仙、下の棚にある塩取ってもらって良い?」 「うん、判ったよ」 私は言われた通りに台所の下にある棚を開けると、ガラスの小瓶を手に取り、貼ってある紙の名称を確認する。 書いてある文字は異国の文字でちゃんと読み解くことはできないが、長年この家に通い詰めただけあり、どの小瓶に入っているのがどの調味料か、この小瓶に書かれている文字は何を表しているのかは大体覚えていた。 間違えたとしても、この家の家主である彼女が気づくだろうし、大丈夫だろう。 私は手に取った小瓶を隣の女性へと差し出す。 肩まで伸ばした癖のついた輝く金髪を靡かせ、頭には真っ赤なカチューシャをつけている女性。 「はい、アリス」 人形のように精巧な美しい顔つきをし、粉雪のように白い肌と、吸い込まれそうな双眸を煌めかせる。 冬用で暖かそうな白のケープや長袖のシャツ、青色のベストとロングスカートを身につけ、その上からでもなんとなく判る華奢で繊細な体型。腰に巻いたピンク色のリボンは可愛らしい。 女性の私から見ても美人な彼女は、何をとっても美しく、ひとつひとつの動作が見ていて飽きないほどだった。 この家主であり、私の大切な相手――アリス・マーガトロイド。 彼女の香水の爽やかな花の匂いが鼻腔を擽る。 隣にいるだけで胸が熱くなるほど強い存在感。 私は、当初永遠亭で新年会用の用意などが色々あったのだけど、アリスがお弁当を作るのを手伝って欲しいと頼まれたのでここにいる。 アリスの頼みだったから、師匠に無理を言って許可をもらったけど、代わりに後で永遠亭の庭掃除をしろと言われてしまい、先を考えると非常に億劫になってしまう。 ……庭掃除、寒いだろうなぁ。 まぁアリスといられるんだし、良しとしよう。 アリスと二人きり。 嬉しいな。 意識すると頬が自然と紅潮してしまう。 そんな私の反応に気づかないのか、アリスは何事もなく差し出された小瓶を受け取る。 「ありがとう」 受け取ったアリスの笑顔は眩しかった。 私と違う、眩しい笑顔。 彼女の近くにいるだけで、心休まる。 そんなアリスは今一生懸命料理を作っている。 だけど、それは夕食とかではなく、新年会用の料理だ。 博麗神社で新年会があると言ったが、実は酒や料理は各自持ち込みという内容だった。 まぁあの貧乏巫女では仕方がないし、最初から博麗神社の宴会で飲食が出るとは毛ほども思っていなかったし。 そんな訳で、新年会用の料理をアリスの家で作っているのだが、若干の疑問があるんだよね。 私が住んでいる永遠亭でも、永遠亭内の新年会と博麗神社の新年会参加用に料理を大量に作っているから、任せてくれれば料理や材料費などはこちらが……というか私が負担したのに。 ずっと引きずっている疑問に首を捻っていると、アリスは大きめの弁当箱の最後の隙間に卵焼きを詰めていた。 二段の弁当箱には赤、緑、黄と色彩鮮やかな料理が数々収まっている。 見ているだけで涎が出てくるほど美味しそう。 私も一応手伝ったのだが、全体の二割程度で残りが全部アリスの手作り。 まぁ彼女は魔法使いで人形遣いであるから、可愛らしい西洋の人形たちを操り私の何倍の早さで料理を作っていったから、最初から同じ量を作るのは難しいと判っていた。 先ほどまで料理を手伝っていた人形は、やることは弁当箱に詰めるだけとなったため、今はソファのほうで行儀良く座っている。 私より綺麗で、料理も上手、さらには魔法にも長けている。なんて理想の女性像というのだろうか。 天は二物を与えず、なんていうのは嘘っぱちというのがよく判る。 あっ、でもそれは人間用のことわざだっけ? まぁいいや、とにかく私もそれぐらいできたらなぁ。 羨ましい。 なんて羨ましい。 私も頑張らないと。 「……うん、これで完成かな」 腰に手を当てながら、アリスは自信満々に頷く。 文句なしの出来に少ししか手伝っていないけど、達成感が私にもあった。 だけど、一番頑張ったのはアリス。 彼女を労わないとね。 「お疲れ様、アリス」 「手伝ってくれてありがとうね、鈴仙」 アリスへ言葉をかけると彼女は私を見て微笑む。 無邪気とも呼べる自然で、他意のない笑み。 見ているだけで心が癒される。 可愛いなぁ。 綺麗だなぁ。 そう思う度に胸が高鳴る。 ……っと、ただお礼を言われただけで私は何赤くなっているのか。 冷静に行かないと。 話題を変えるつもりで先ほど思いついた疑問を彼女へ向ける。 「ううん。そういえば、なんでお弁当を作ろうとしたの? 私に任せてくれたら永遠亭で作ったのに。そのほうがアリスも楽だろうし」 明らかに永遠亭で作ったほうが労力を使わなくても良いし、効率的のように思えた。 しかし、私の言葉を聞いた途端、アリスは眉間にシワを作り、ポツリと聞き取りにくいほど小さな声で呟いた。 「……私は鈴仙と……」 「え?」 「……なんでもないわ」 不機嫌に眉をひそめながら顔を背けるアリス。 あれ、アリス、まさか怒っている? えっ、私、何かまずいことでも言ったの? ど、どうしよう。 心当たりがないことに焦ってしまうが、アリスは黙々と弁当箱を重ね、それを大きめの白色で花が描かれた黄色の布で包んでいく。 その間も、アリスは若干不機嫌な様子。 ああ、なんだか判らないけど、きっと私が悪いんだ。 謝らないといけないけど、彼女が怒っている内容が判らないので、ただ謝ってもさらに怒りを買うだけに違いない。 どうすれば良いのだろうか。 本気で怒っているようではないけど、気まずい。 誰か助けてほしい。 私しかいないけど。 暗い気持ちのまま、ふと壁掛け時計を見ると宴会の開始時間がもう始まっていることに気づいた。 別に急ぐ必要はないのだが、この場の空気を誤魔化すついでに、アリスへと提案するように話しかけながら用意ができた弁当箱へと手を伸ばす。 「お……お弁当もできたし、そろそろ行こうか」 「……ええ、行きましょう」 アリスの声色はいつも通りだけど、視線を向けるのがなんだか怖かったから。 内心怯えてしまっている自分に情けない。 こういう時にちゃんと喋られるようになりたい。 でも難しいだろうな、私が一番判っているし。 ため息を吐きそうになるが我慢して、弁当箱を持とうと手を伸ばす。 指が弁当箱に触れた瞬間、手に他の何か別の柔らかい物が触れた。 それは誰かの指。 真っ白で細く綺麗な五指。 この家にいるのは私以外に一人しかいない。 もちろんアリス。 彼女の指が私の指に触れている。 伝わってくる温もり。 アリスの指と自覚した瞬間に、体に電撃が走ったような感覚が広がる。 心臓が高鳴り、喧しいほど鼓動していた。 反射的に腕を少し引くと彼女も驚いたように指を少し引く。 だけど、そんなに離れていない、また少し動かせば触れられるほどの近さ。 「あっ! ご、ごめん……」 「う……ううん、こちらこそ……」 先ほどの不機嫌な表情は綺麗さっぱり消え去り、頬を紅潮させながらアリスは苦笑していた。 ただ手が触れただけなのに、胸がドキドキする。 次の言葉が出てこない。 先ほどとは別の気まずい微妙な空気が漂う。 なんでこんなことになったのか。 まず、なぜ彼女の指が私の指に触れたのか。 もしかして、アリスは弁当箱を自分が持っていくつもりなのだろうか。 そんなことされたら私が手ぶらになってしまう。 彼女は料理のほうを頑張ったのだから、ここは私が持たないといけないような気がする。 でも、アリスはきっと自分で持つと言ってきそう。 という訳で、アリスが再び弁当箱へと手を伸ばそうとする前に、私は素早く動き弁当箱を掴む。 「ゆっくりしていると冷たくなっちゃうし、行こうか?」 私の行動に「あ……」と声を漏らし、行方を失ったように片手で空気を掴むような動きを見せるアリス。 とても弁当箱を持ちたそうな表情を浮かべている。 このまま顔を合わせていたらアリスは自分が持つと言ってくるかもしれない。 言われても、私は譲らない。 この仕事は渡したくない。 せめてこれぐらいはやらせて欲しい。 押し問答が行われる前に私は弁当箱を片手に持ち、近くに椅子にかけていたマフラーを手に取り、玄関へと歩き出す。 「……うん」 アリスの漏らす小さな声が背後から聞こえてきた。 声色は落ち込んでいるような暗い感覚。 悪いことをしてしまっただろうかと、胸が痛む。 ごめんね、でも私もアリスばかりに頼っちゃダメだし、貴女に少しでも良いところを見せたいの。 罪悪感があるけど、私はそれを紛らわせながらマフラーを首に巻き、玄関の扉を開ける。 すると外から突き刺すような冷気が室内へと一気に入りこんできた。 ぶるっと肩を震わせ、外に出る気力を一気に奪ってくる風。 なんなの、この寒さは。 私だって寒いのは嫌なのよ、もっと暖かくしてよ。 つい心の中で誰に宛てた物ではない愚痴が出てしまう。 アリスの家はすきま風とかが少なく、そこまで広い部屋でもないため、暖炉ひとつで快適な屋内になっている。 年期の入っている永遠亭とは大違い。 アリスの家に住み着きたいと思うが、アリスに迷惑だし、きっと彼女と生活していたら裸とかも見てしまい理性が飛ぶ可能性も……って私は何を考えているの! なんでアリスに対してそんな考えを思い浮かべてしまったのか。 そんな思いでアリスを見ていたなんて私はなんて愚かなんだろうか! バカ、バカ、バカ! 私は大切な相手をなんて目で見ているのか! 自己嫌悪が酷い。 勝手に想像して沸騰してしまった頭が熱い。 そんな私を見て笑っているのか一陣の風が私の体を撫でる。 再び、ぶるっと震えるほど冷たい空気。 熱くなった頭がある程度冷える。 「寒ぅ……」 声が自然と漏れる。 先ほどまで部屋の中で暖まっていた思考は、理由もなく外なんてそこまで寒くないだろうと楽観的に思っていたが、予想を上回っていた。 防寒対策をしていないとすぐに風邪を引いてしまうのではないかと思える気温。 だけどお蔭で沸騰してきた頭が下がってきたので助かってはいるけど。 「雪が降りそうなくらい寒いよアリス。しっかり暖めて行かないと」 そう言いながら振り向くと、「ええ、判ったわ」と応えてアリスが既にソファに用意していたマフラーや手編みのポンチョを身に纏っていく。 するとまたイタズラな風が私を撫で、屋内へと入っていった。 玄関を開けっ放しにしているせいで室温は下がっていくのが判る。 開けっ放しは良くないよね、と思いながら私はひと足早く外へ踏み出し、静かに玄関の扉を閉じる。 なんで暖かい中に入らなかったのか。 たぶん、まだ先ほどのことを引きずっているのかな。 自分自身の感情がいまいち掴めない。 頭を冷やすついでに外で待つのも悪くない。 玄関前から少し離れて、寒空を見上げながら色々考え込んでしまう。 晴天だけど、冬独特の薄暗さが広がっている空。 曇っていたら雪が降りそうなほどの寒さ。 私みたいな妖怪ならまだしも、アリスの体には色々酷な気温かもしれない。 彼女は人形遣いであり魔法使いだ。 魔法使いは色々な魔法の実験をやるらしい。 その実験って危険な金属などを使用するらしく、魔法使いたちは大半がその金属の毒で着々と体が蝕まれていると聞いたことがある。 私としてはアリスにそういう実験はして欲しくなかった。 だけど彼女はそれを好きでやっている。 彼女の趣味を私が止めることはできない。 大切な相手の体が蝕まれていく姿を眺めていることしかできない。 師匠に助けを求めたとしても、それは私が彼女に対して何もできていないのと同じ意味。 彼女の力になりたいのに、何もできない。 元気に笑うアリス。 病に蝕まれているなんて嘘みたいな笑顔。 その笑顔の下は苦痛で歪んでいるのだろうか。 無理しているのか、判らない笑顔。 彼女は優しいから聞いたとしても教えてくれないかもしれない。 私は護りたい。 アリスを護りたい。 そう思えるほど、私にとってアリスは大切な存在。 肌がむき出しになっている顔と手が徐々に冷えていく。 思いに耽った心にはその空気が酷く痛く感じられた。 胸を締め付けられるような思い。 吐く息が白くなり、宙を舞う。 ふと、何も持っていない片手を誰かが握る。 「え……?」 驚きながら視線を横に向けるとそこにはアリスが笑っている。 いつの間に来たのか、扉を開ける音なんて聞こえなかったのに。 いや、恐らく響いていたのだろうけど、そこまで意識が集中していなかったのかもしれない。 だけど驚きはなかった。 酷く冷静な意識。 彼女の細い指が私の特長もない指を握っている。 彼女の温もりや存在が伝わってくる。 冷えていた手が暖められていく。 「こうすれば暖かいよね? ……嫌?」 鈴のように高い綺麗な声が私の鼓膜を震わす。 アリスは頬を薄ら紅潮させながら、私を見ていた。 少し不安げな双眸。 ポンチョとマフラーをつけた彼女は肌の露出がさらに少なくなり、ますます人形のように可愛らしかった。 隣に並んで立っているアリス。 彼女の存在をいつもより何倍も濃く感じる。 「そ、そんなことないよ! 嬉しいよ!」 慌てて否定するが、声が裏がえってしまう。 しかもなんてことを言っているんだ私は。 そんな必死に『嬉しい』なんて叫ばなくても良いのに。 言ってしまったことをどうこう言っても遅い。 顔から炎が出るのではないかと思うほど熱くなる。 すると私の手を握るアリスの指に力が入る。 「うん、ありがとう」 微笑みながらアリスは心から喜ぶ声色を響かせた。 花のように鮮やかで綺麗な笑顔。 見ているだけで顔が熱くなり、この寒さでものぼせそう。 だけど、そんな異変を気づかれ、問いつめられたら恥ずかしくって死んじゃいそう。 私は恥ずかしさを紛らわせたいという思いと、この寒空の下で動かずにいたらお互い体に悪いという思いが合わさり、さっさと目的地へ移動することに決めた。 「じゃ、じゃあ行こうか」 「ええ」 若干ろれつが回っていなかったが、アリスにちゃんと伝わったようで静かに頷いた。 私が歩き出すと、彼女は手を離さないようにぴったりと隣を歩いてくる。 私はアリスを護りたい。 こうやって隣同士で歩くよりも彼女の前に行って護りたい。 だけど、並んで歩いていくのも嫌じゃない。 私はまだまだ未熟。 隣にいるアリスに助けられることもしばしば。 アリスにとって私はどう見えているのか。 情けないように見えているのか。 危なっかしくて目を離していられないのか。 ごめんね、こんな私じゃ迷惑かけるよね。 だけど頑張るよ。 アリスを護れるように頑張るよ。 「鈴仙」 「ん、どうしたのアリス?」 ふと、アリスが呼びかける。 首を捻りながら顔を彼女へと向ける。 「……置いていかないでね」 心臓が胸内を叩く。 アリスの不安げな視線。 私の本心を探っているような視線。 置いていかないで、って何を示しているのか。 もしかして私が先に家を出たことを言っているのか。 いや、なんだか違うような気がする。 判らない。 聞いてみないと判らない。 だけど、なんだか聞く勇気がなかった。 彼女の真剣な瞳を見ていたら、急に臆病風に吹かれてしまう。 何を言われるか判らなかったし、怖かった。 「うん、置いていかないよ」 アリスが私を頼ってきてくれる。 彼女の思いは判らない。 判らないのにそうやって頷くのは無責任かもしれない。 だけど頷くしかできなかった。 頷かないと彼女が悲しんでしまいそうだったから。 言い訳だよね。 でも、臆病な私にはそれしかできない。 彼女の望むことを、私はできる限りやるしかない。 そうすれば彼女は笑ってくれるから。 彼女が幸せそうな表情を浮かべるから。 アリスと一緒の時間をたくさん作りたい。 彼女の儚い華奢な手を優しく握り直し、指を絡ませる。 一瞬、アリスが驚いたような視線を向けてくる。 だけど、彼女は何も言わずに微笑みながら握り返し、私の手を離さないようにした。 博麗神社までの道のりは空を飛べばほんの少し。 その短い時間だけでも今の彼女の存在を感じていたい。 彼女は私の中の太陽みたいなもの。 大切な、大切な存在。 冷たく、寒い空気。 一人だったら辛い風。 だけど今はアリスと一緒。 嬉しくて、暖かかった。 もしよかったら感想をどうぞ。 |
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