『――――り……紫』 誰かが私の名前を呼ぶ。 『まったく、アンタ、いつまで寝ているのよ? 私の家で冬眠する気?』 それは私が会った人間の中で、とても奇妙で、とても可愛らしい人間だった。 『まだ夏よ、早く起きなさい。夏祭りには資金をガッポガッポ増やすのだから!』 平凡な日々を崩す存在。 続かないと判っていても、私はその時間を最大限に楽しんでいた。 「――――ま……紫様、起きてください。また百年ほど寝過ごすつもりですか?」 「うぅ……」 誰かに体を揺さぶられる。重い瞼を無理やり上げるとそこには寝る前に見た自分の式神の姿があった。 布団に埋まっている、重たい体を起こす。 「やっと起きましたか……」 「……あら、おはよう、藍」 「また寝坊ですよ。紫様」 「今度は何年寝たのかしら?」 「今回は三十年ほど寝ていましたよ」 「あら、あまり寝てないのね。じゃあ、もう一眠り……」 「寝ないでください!」 再び布団へと戻ろうとしたら、藍に止められる。 「まったく、ちゃんと起きてくださいよ。霊夢が亡くなってから寝すぎですよ」 式神の言葉に、寝起きの頭がゆっくりだが先ほどの夢を思い出させる。 霊夢は死んだ――大昔の話である。 自分が生きている間のほんの一瞬、砂漠の中の小石のように小さな出来事のはず。 「今ご飯作りますからね、待っていてくださいね」 「いいわ、藍。それより散歩に行ってくるわね」 「え? そうですか?」 「夕食を食べるから豪華なのを用意しといて」 式神の答えを聞かず、紫はなんとなく、何も考えずに境界の中へと入った。 幻想郷――――世界から切り離された美しい場所。 何千年と、まったく変わらない風景を続ける神々が住む里。 紫は幻想郷と外の世界を知る数少ない妖怪の一人。 多くの人間と妖怪に会い、その大半はこの世から居なくなっている。 どうせ必ず別れがあるのだ。最初から判っていたことなので、知人が死んでもそこまで悲しくないと思っていた。 だけど、その中で唯一、大昔の友人であった博麗神社の巫女――博麗霊夢は本当に不思議な存在だった。 人間、妖怪問わず、平等に接し、いつもお金に困っている不思議な巫女。 彼女の神社には何回も足を運んだ。そして数々の妖怪や人間とも酒を飲み交わし、交流をした。 彼女と居る時はとても楽しく、自分が生きていることを感じた。 心の中に「この時間が続けば」と少なからず思っていた。 ――――だけどある日、霊夢が死んだ。 寿命だったのか、病気だったのか、詳しいことは聞かなかった。 何日も前から霊夢は寝込むようになっており、外に出ていることは滅多に無かった。 布団の中で、今にも消えそうな命の灯火を見せながら、彼女はいつも通りの強気な振る舞いを見せていた。 その痛々しい霊夢の姿に、知人の妖怪たちは次第に神社に来るのを止めていった。 それでも私は彼女が死ぬまで毎日神社に行った。 体調が良好の時には縁側で時間が許す限り世間話をした。 彼女の娘や孫もその時、神社には居たがあまり覚えていない。大昔のことだ。 そして霊夢が死んだ日、彼女は最後まで強気で笑って息を引き取った。 葬式の日には妖怪が来るかと思ったが、妖怪は誰一人来ず、人間の参列者ばかりだった。 あれだけ仲が良かったのに、不思議と悲しくは無かった。泣くことは霊夢が喜ばないと思ったから。 私は神社へと行かなくなった。 それ以来、紫は不貞寝に近い睡眠を繰り返していた。 一度眠ると、紫が起きたいと思うまで眠り続け、百年でも二百年でも眠り続けた。 そうしていたら、いつの間にか何千年も経ってしまった。 多くの友人が幻想郷から消えた今、知人と呼べる存在は数えるほどしか居ない。 そして今、紫は数少ない知人に会う前に、ある場所へと居た。 博麗神社――その空を紫は浮かんでいた。 眼下には大昔と変わらない博麗神社とその敷地が広がる。 何千年も前とは大きく違い、神社には人間が溢れていた。 人間の輪の中には紅白の巫女装束を着た少女が一人。 見た目だけなら霊夢に似ているかもしれないが、雰囲気が違う。 現博麗の巫女は霊夢の血が殆ど無いだろう。記述として霊夢の存在を知っていても、彼女の姿は知らない。 今思うと、霊夢は本当に妖怪を轢きつける変な力があったのだと。 昔を懐かしみながら、紫は目的の知り合いの居る館へと向かった。 「久しぶりね、今回は早起きじゃないの?」 そう言うと、目の前の吸血鬼は自分で淹れた紅茶を紫の前へと置く。 「そうね、今回は早く起きたかったのよ」 目の前に置かれた紅茶を口へと運ぶ。 数少ない知人である吸血鬼は紫と対になる椅子へと腰を下ろす。 紫は数少ない知人の一人である、見た目は子供だが不老不死の吸血鬼が住む紅魔館に現在は居る。 部屋の中は太陽の光を遮断するカーテンで窓が隠されており、部屋の中はランプの灯りだけがぼんやりと光る。 吸血鬼の癖に真昼間から起きているのはどうかと思ったが、どうやら誰かを待っているようで、その誰かが来たら寝るようである。 「それにしても、貴女が紅茶を淹れるなんてねぇ……何かあったのかしら?」 以前、会った時は紅茶なんてメイドに淹れさせていたはずなのに。 その問いに吸血鬼は静かに笑って答える。 「何故かしらね……ただ自分で淹れてみたいと思ったのよ」 「ふぅん」 この吸血鬼は昔と比べたら大きく性格が変わった。落ち着いたというべきか、昔のような血の気の多さは無くなった。 今の彼女の姿を見たら、霊夢やここのメイド長だった咲夜はどれほど驚くだろうか。 「ねぇ、貴女のお姉様は何処に居るのかしら? フランドール」 名前を呼ばれた吸血鬼の妹は手に持ったティーカップをテーブルへと置いた。 「お姉様は図書館よ」 「あら、前に来た時もレミリアは図書館に居なかった?」 前と言っても三十年ほど前だが。 「前にも言ったと思うけど、今はお姉様が図書館の管理をしているのよ」 そういえば、そんなことを聞いたような、聞かなかったような。まだ寝ぼけているのか思い出せない。 紫は昔の記憶を掘り出しているうちに、ティーカップの紅茶を飲み干した。 「……変わったわね、貴女も」 空になったティーカップに紅茶を注ぐフランドールを見つめる。 一瞬、フランドールは呆気に取られたような顔をするが、すぐに破顔する。 「変わったんじゃないわよ、変えさせてくれたのよ、お姉様たちが」 遠くを見つめるように、静かに語りだす。 「咲夜が死んで、お姉様は変わったのよ。地下に閉じ込めていた私を徐々にだが外に出していった。最初は私が暴走し、お姉様を傷つけてしまった。だけどお姉様はそんな私に優しく接してくれて、悔しくなるほど悲しくなった。パチュリーも私に様々な知識や生きることに必要なことを教えられて、今考えるとその時が一番楽しかったかも……」 その眼に一瞬だが悲しみの色が浮かぶ。 「だけど、パチュリーが居なくなった時、初めてお姉様の涙を見たの……一滴だけど、お姉様は泣いていた。それからお姉様は図書館の管理を始めたの……それがお姉様とパチュリーの約束……そしてお姉様に変わって館の管理をする、それが私とお姉様の約束……きっとこのためにお姉様たちは私を外に出したりしたのね、何百年もかけて、普通の吸血鬼になるように……」 何かを紛らわすようにフランドールは紅茶を口へと運ぶ。 見違えるように変わった妹に、全てを任せるように姉は図書館へと篭った。任せられると思ったから、レミリアはフランドールへと館の管理を任せ、自分は広大な図書館の管理に回ったのだ、友人との約束のために。 「私は思うわ……」 「何をかしら?」 自分を見つめる吸血鬼の妹へと聞く。 「生きている者は何かしら変わると思うの、本人が変わっていないと思っていても、生きている者は変わると。人間や妖怪でさえ、必ず消えてしまう。消えない私でさえ変わったわ」 静かに、紫はフランドールの言葉へと耳を傾ける。 「大昔から変わらない貴女は、生きているのかしら?」 ただ無言で、目の前の大昔と変わった吸血鬼を見る。 「貴女は咲夜が生きていた頃と何も変わっていない。紅白巫女が死んでからは寝てばかり。何もやろうとはせず、現状を維持したままの貴女は生きているのかしら? それとも変わるのが怖いのかしら?」 「あら、大層な言い分ね。私は生きているわよ、それに貴女が知らない場所では変わっているはずよ」 それは嘘だ。 自分でも判っていた。周りはどんどん変わっていくのに、自分はずっと同じ状態を維持している。変わることでなにかを失いそうで、それを恐れている。 大昔は感情的で手をつけられないはずのフランドールに言葉で言い負けそうなるなんて、私も衰えたかしら。 「あら、そうなの? でもその口調は相変わらずね」 「失礼ねぇ」 クスクスと、二人の笑い声が部屋に響く。無理やり出したような笑い声を混ぜながら。 「じゃ、そろそろ私は帰るわね」 あまり長くこの場には居たくない。だけどまた来るつもりではある。紫の数少ない知人に会うために。 「あら、そう? またね」 フランドールは、また会うことを前提に、紫へと軽く手を振る。それに答えるように紫も手を振って境界へと消えた。 「……ふぅ」 部屋の中に静寂が満ちる。 この時間はいつもメイド妖精と会話をして暇を潰しているか、寝ている場合が多い。 今日はお姉様がいつもより長く起きているから、自分もついでに待っている。 その時やってきたのが何十年ぶりに姿を見せた数少ない大昔から知人である紫。 特に会話をするでもなく、ただ紅茶を飲んで少し話してからすぐに何処かへ行ってしまった。 相変わらずよく判らない奴だ。 その時、部屋のドアがゆっくりと開く。 振り向くとそこには大切な姉の姿があった。 「お姉様、お休みになられます?」 世界で一番、大切で、大好きな姉へとフランドールは無邪気に近づく。その姿は昔と何も変わらない子供っぽい動きだ。 「あら、まで寝てなかったの? 私を気にせず寝ればよかったのに」 それに答えるように姉である、レミリアは静かに笑って、子供のようにはしゃぐフランドールの頭を撫でる。 「お姉様と一緒に寝たいの。早く寝ましょう、お姉様」 「あ、こらこら、引っ張らなくても大丈夫よ、フラン」 子供のようにレミリアの腕を引っ張るフランドールと、その行動に困ったような顔をしながらレミリアは寝室へと向かった。 そこにあったのは、大昔からずっと続いていた姉妹の絆。 フランドールは気づいていない、たしかに生きている者は何かが変わる、だけどその中でも変わらない物は必ずある。それが生きている者、全てにあることを。 「それで……なんで私の店に居るの?」 「いいじゃない、三十年ぶりに起きて小腹が空いたのだし、焼き鳥の一本ぐらい食べさせてよ」 香ばしい肉の焼ける匂いが鼻先を突付く。 店の中にはその香ばしい匂いと、焼き鳥を焼く煙、それを食べているか待っている人間と妖怪が各座席に座っている。 ここは大昔から営業している焼鳥屋。 「一本だけ頂戴〜、一本だけ〜、一本一本〜」 目の前に居るのは、この焼鳥屋の店主――藤原妹紅である。 霊夢が生きていた頃からの知人の一人、不老不死の体であるために死ぬことは無い。 彼女の焼く焼き鳥は絶品である。流石に何千年も前からやっていることはある。 繁盛しているのに焼き鳥をせびりに来るのもどうかと思うけど、紫にとってはあまり関係が無いことである。 すると焼き鳥の串を一本持った腕が紫の前へと突き出される。 「おろ?」 「一本あげるから帰りなさいよ、仕事の邪魔よ」 「あら、ありがとう」 手渡された焼き鳥を口に運ぶ。噛むほど口の中に味が広がる。歯ごたえもあり、タレも効いていてとても素晴らしい味である。 「やっぱり、貴女の焼き鳥は美味しいわね〜」 「じゃあ帰りなさい」 「あら酷い」 妹紅は焼き鳥を焼くのに必死で本当に構っていられないようだ。 つまんないわねぇ……。 妹紅とは別に店内を忙しなく歩き回る目立つ姿へと視線を移す。 大昔は人間や妖怪の姿が疎らだった焼鳥屋とは思えない変わりようだ。 その時、フランドールが言った言葉を思い出す。 ――――生きている者は必ず変わるのよ。 その言葉が頭の中を一瞬横切った。 何を考えているのだろう……、別に気になることじゃないだろう。 残りの鶏肉を口へと運び、租借していると、店の入口が乱暴に開かれる。 「も……妹紅様!」 店の入口には初老の男性が慌てた様子で息を切らして立っていた。店内に居る、人間に妖怪、全ての視線がその男へと集中する。 「どうしたの?」 店の静寂の中で、妹紅の声だけが響く。 「む、むす、娘が一人で迷いの森に!」 酷く慌てた口調で男性が喋る。 「なんで、一人で!?」 「いえ……自分とちょっと口論になって……」 「親子喧嘩か……」 「はい……」 店内に苦笑交じりの声と溜息が広がる。 妹紅も溜息を吐くと、厨房から出て男性へと近づく。 「探しに行くわよ……すぐここに来たのならまだ竹林に入って間もないはずだ、早く探すわよ」 「は……はいッ!」 駆け出すように妹紅と男性の姿は見えなくなる。 その後、店内には微妙な空気が流れる。 店主である妹紅が居なくなって、焼き鳥は誰が焼くのだ? という心配ではなく。あの人か……と店内の人間や妖怪は苦笑いしている。 「…………よし、じゃあ私が焼こうかしらね」 店内に声が響く。 その声の主は、先ほどまで店内を駆け回っていた人間。 「さぁ、皆、待っていてね、すぐに焼くから」 その人間は厨房へとゆっくり入り、妹紅の焼きかけの焼き鳥を焼き始める。 「妹紅様の方が美味しいんだけど」 「旨く焼けないからいいよ……」 「妹紅さんが戻ってくるまで待っているから、俺たち」 店内から人間、妖怪問わず文句が出始める。 「五月蝿い!! 私が焼くって言ったら焼くの! 別に不味くは無いでしょ!?」 厨房に居る人間が今にも飛び掛りそうな顔で怒鳴る。 それでも店内の文句は続く。 「不味くは無いですけど……皆、妹紅様の焼き鳥が目的だし……」 「妹紅さん、早く帰ってこないかなぁ……」 「時間無いですし……輝夜様でもいいかなぁ……いや、しかし」 「あんたたち、私と弾幕ごっこでもする?」 「「「いえ……すいませんでした」」」 「まったく……」 不満な顔をしながら、蓬莱山輝夜は焼き鳥を焼き始める。 大昔、藤原妹紅と蓬莱山輝夜は様々な因縁と共に殺し合い、憎みあう仲であった。 それが何があったか、何千年もの間でその関係は氷のように融けていき、二人はいつの間にか同じ店で働く仲になっていた。 紫の寝ている間に何があったかは知らない。 だけど、永遠亭に住んでいた者は輝夜以外、昔居た兎たちも居なくなってしまった。 今は新しい兎たちと共に妹紅と輝夜の二人で永遠亭に暮らしているらしいが、本当に生きている者は不老不死であっても、変わるのだろうか。 それに、妹紅も大昔と比べれば大きく変わった。 前は人間の癖に人間を恐れ、近づきもしなかったのに、友人である慧音の薦めで焼き鳥屋を始めた。最初は客商売なんて出来るか薦めた本人である慧音も少なからず心配していたらしいが、時が経つと次第に妹紅も人間と接するようになっていった。今では明るく他人とも話せ、人間や妖怪からは尊敬に近い感情を持たれている。 だから……慧音も安心して、消えたのだろう。 妖怪とて、いつかは死ぬ。 人間と同じく寿命を持ち、必ずは消えてしまう。 「……ちょっと焼きすぎたかな」 ボソッと厨房から声が漏れる。 その瞬間また店内から文句の嵐が吹き荒れる。 「やっぱり、輝夜様はあまり焼かないんだから失敗するのですよ」 「藤原様と蓬莱山様は焼いている年数が違うし……」 「早く帰ってきてくれ、妹紅さん!」 「いちいち、人の失敗に文句を垂れないの! 私だって百年くらいは通算で焼いているわよ!」 酷い言われようである。 「いや、妹紅さんは何千年も前から焼いているし」 「藤原様の味は十代以上前の爺様から絶賛ですし……」 すると輝夜の手には掌大の札が一枚。 「……神宝……ブディスト……」 「うわッ! 待った待った!」 「輝夜様! お、おお、落ち着いて!」 「ひぃ! 蓬莱山様がキレたぞ!」 「冗談です! 冗談!」 店内が慌しく、世界の破滅のような慌てぶりになった。 なんかもう一本くらい催促したかったが、そんな状況じゃないので早々に立ち去ろう。 「お、おい! 妖怪の誰か! 輝夜様を弾幕ごっこで止めるのだ!」 「できるかッ!! それより、人間の説得する話術でなんとか……そんなこと言っている場合か!」 「そうだなッ! 輝夜様! 落ち着いて! 落ち着いて〜!」 「輝夜さん、すいません、口が過ぎました!」 店内に変な連帯感が生まれていた。 数少ない知人との会話を終えて、陽も傾いてきた。 そろそろ家に帰ろうかと思ったが、無償にある場所に行きたくなった。 「……相変わらず息苦しい場所ね……」 そう呟き、紫は目的の場所へと境界から出る。 辺りは何千年も前から同じ風景を続ける幾つもの樹と、そこら中に生える化け物茸が胞子と瘴気を放つ森。 魔法の森と呼ばれる森。 大昔には紫の知人と呼べる者は二人居た。 しかし、その二人も消えて、死んでしまった。 今居る場所は、その知人の一人、白黒の魔砲使いが住んでいた家……いや、家が在った場所。 その場所には家が在ったのかも判らないほどに草木、樹の根がむき出しになっており、本当は何も無かったんではないかと思うほどに荒れている土地。 だけど、少しだけ。 本当に少しだけだが、誰かが住んでいると感じる物が地面に散らばる。 何千年も前にはここに一人の少女が住んでいた。 その少女は、言動が男臭かった。 いつも語尾の最後に「ぜ」とか、弾幕ごっこの会話の時は「弾幕はパワーだぜ!」とか言っているほど、男臭い少女だった。 それでも細かい仕草や、想い、内なる全てが自分の知っている知人の中で一番の少女の可愛さを持っていた。 霊夢とあの子は、よく一緒に居たが、二人の関係はどうだったのだろうか。 それでも悪くは無かったはず。知らないけどそう思う、だって霊夢はそういう人間だったから。 今日は色々考えたから、何かを探すようにここへ来てしまった。 もう一人の知人の家が在った場所に行って、早く帰ろう。 境界の中へと入り、もう一人の知人、七色の人形遣いが住んでいた場所へと行く。 こちらの少女は他人を寄せ付けず、いつも人形と一緒な孤独な少女だった。 途中は変な友人が出来ていたようだが、あまり友人を作ろうとはしなかった。まぁ、他人のことは言えないが。 そして境界を抜けると目の前には白黒の魔砲使いの家と同じ状態になっているはず土地が見える。 「……あら?」 荒れた土地が目の前にあるはずなのだが……。 目の前には大昔と変わらない、七色の人形遣いの家があった。 「…………?」 境界を抜けたら過去に来たのだろうか? それはそれで……。 そんな馬鹿なことを言っておらず、真面目に考えるとここに他の誰かが住み続けているのだろうか。それならば大昔から続く由緒正しい家屋である。と、そんな馬鹿なことを考える前に自ら確かめればいい。 家の周りにはしっかり魔法が張ってあり、化け物茸の胞子や瘴気が家に近づかないようにしてある。本当に大昔のままである。 庭には真っ白なシーツやタオルが何枚も風に靡いている。 家の窓は開け放たれており、黄緑色のカーテンが風に気持ちよさそうに吹かれている。 紫がその光景に呆気に取られていると、家のドアが開かれる。 「…………誰が出るかしら」 小さな好奇心でその開かれるドアへと視線を向ける。 誰が出ても驚かないつもりであった。 しかし、その思いは簡単に突き崩された。 「……アリス!?」 そこには大昔の知人。もう消えてしまった人形遣いが家のドアから出てきた。 本当にアリスと瓜二つの少女が目の前に居た。 唯一違うのは大きな赤いリボンが頭に付けているところだ。 そのアリスとそっくりな赤いリボンのアリスは、手に大きな洗濯籠を持って出てきたが、紫の声でその双眼でこちらを見つめてくる。 「あら、お客様ですか?」 声はアリスとは違う幼く可愛らしい声を発した。 「どうぞ、そんなところで立っては疲れますよ。家の中へ」 そう言って、赤いリボンのアリスは玄関の横へと移動し、紫を家屋の中へと招く。 紫は招かれるまま家屋の中へと入る。その後に続くように、赤いリボンのアリスは家屋の戸を閉める。 「どうぞ、好きな場所に座ってください」 赤いリボンのアリスは台所へと近づき、戸棚を開ける。 やはり似ている……だけどやはり別人よね。似すぎているけど……。 「あ……」 「どうしたの?」 「いえ、お客様が久しぶりだったので、紅茶を切らしていたようです……」 「別にいいわよ、あまり長居できないし」 「どうもすいません」 ペコリと頭を下げる。 あまり時間も無いし、それとなく聞いてみるか。 「……貴女、ここに住んでいるわよね?」 「はい」 「いつから住んでいるの?」 「いつから……時が経ちすぎて、何年ここに居るか判らないです」 「そう……」 妖怪は基本的に年数など気にしない。人間は気にするみたいだが、妖怪は長寿だからそんなの気にしていたら切が無い。 じゃあ、この子は妖怪の類かしら。 「じゃあ、貴女の前に住んでいた人は?」 なんとなく、次の質問までの場を繋ぐ質問であった。 「いえ、この家はマスターの家なので、他には誰も住んでいません」 「マスター……?」 「はい、私のマスターです」 この子のマスター。恐らく式神のような物だろう。マスターは式神を操る者、私みたいなことだろう。 アリスにそっくりな子。その子のマスター。そしてそのマスター以外、この家に住んでいたことは無い。ということは。 「……貴女のマスターって、アリス……?」 「はい、アリス・マーガトロイド様が私のマスターです」 その子は至極当然といった風に答える。 「ってことは、貴女は人形かしら?」 「はい」 その子があまりにも淡々と答えるために、一瞬呆気に取られるが、すぐに胸の奥から笑いがこみ上げる。 「……あは…………はは、ははは――――」 「どうかしましたか?」 「はは……いえ、なんでも無いわ」 そうか……あの子――アリスは言っていた夢を完成させていたのか。自動で動く人形を作ることが夢だと宴会とかで叫んでいたが、本当に完成させているとは……。 霊夢が死んでからはここにはまったく近づかなかったから、まさかこんなことになっているとは。そうか……夢を叶えたのね、アリス。 でも、容姿が貴女に似ているのは少し悪趣味じゃないのかしら? もうちょっと独特な外観にした方がいいような気がするわ。 「……ところで、貴女の名前は何かしら?」 「はい、私は上海人形と呼ばれていました」 上海人形といえば、大昔にアリスの傍を浮かんでいた小さな人形の名前。 なるほど、あの人形が基本なのか。それならば容姿が似ているのも判る。 「じゃあ、上海。貴女に聞くわよ」 「はい?」 「アリスが居なくなってから何千年も経っているはずよ。それなのに、貴女はこの家に居るのかしら? 恐らく掃除や洗濯も全てやっているはず。そして貴女の中には少し魔法の力を感じるわ。その力で家全体を胞子やら瘴気から護っているわね。しかもよく見ると家にも魔法を掛けて、家全体が朽ち果てないようにもしてある。それほどしてこの家を護る理由は?」 少し気になったのだ。 フランドールに言われた言葉をまた思い出しただけ。 生きている者は必ず変わる……しかし、彼女は変わらないままのアリスの家で生きている。その変わらない家を保つために。 なんとなく気になっただけである。 「…………」 その質問に、上海が思考する。 自分で考える人形……アリスは最期に素晴らしい作品を作ったのね。 そういえば、他にも人形が居たような……まぁ、いいか。 「なんで……でしょうね?」 上海は静かに答える。 「私にも判りません……」 窓から部屋の中へと風が吹き込み、紫と上海の髪が靡く。 「それでも、ここを……マスターの家を護りたいのです」 「護る?」 上海の目にはとても綺麗で、人形とは思えない綺麗な瞳が、楽しそうに語る。 「はい……マスターにはご友人が少なく、今はもう知っている方が数少ないのです……だから、だからこそ、ここを護りたいのです」 上海は近くの壁へと近づき、撫でるように優しく壁を触る。 「ここにはマスターが生きていた証があります。だから私は護るのです。私が愛するマスターをお忘れにならないように。ここがある限り、マスターは消えません」 上海は壁に寄り添うように体を預ける。顔は紫の位置からは見えない。そして、その言葉はゆっくりと、弱々しくなっていった。 上海はアリスが居たこの家を無くしたくない。この家が無くなると、アリスの存在も忘れられると思っているのだ。 アリス……貴女、まだ夢を叶えていないわね。 この子はとても弱く、不安定で未完成の人形。 ずっとこの家で、貴女が居なくなってからもこの家を護り続けている。変わることで何かが消えることを恐れている人形。 別にここに住むことは問題ではない。 アリスから離れられない……親離れできていない子供のような存在。 現状を維持して、今の状態が壊れるのを恐れている小さな子供。 外へ出ることへの抵抗。そして恐怖。 なんか、私に似ているわね……。 アリス……しかたないわね。私が少し、貴女の夢を手伝ってあげる。 「……ねぇ、上海」 「……はい」 紫が静かに、壁に寄りそう上海へと声を掛ける。 「貴女は、それでアリスの家を護ることをこのまま続けるの?」 「はい、マスターのためにです」 窓へと視線を移すと、そこには化け物茸が育つ森とは思えない、綺麗な庭と光。 「アリスのために……本当に?」 「え……?」 きょとんとした声で聞き返す上海。 「本当に、アリスのためだと思うの?」 上海の真実を知るために、紫は上海を見つめる。 「は……はい……」 一瞬、上海の言葉に迷いが生まれている。 なんだ、上海も判っているじゃない。ただそれが本当に正しいのか判らないのね。 「多分、それは間違い」 紫は椅子から立ち上がり、ゆっくりと上海へと近づく。 「アリスは貴女の行動を喜ぶと思っている?」 「…………!」 その言葉に上海は目を伏せる。 「貴女はアリスの近くに誰よりも一番居たはずよ。どんな時でも一緒に居たはず。それなら判るはずよ、彼女が貴女のことを見てなんて言うか」 その言葉で、部屋の中の会話が止まる。 息が詰まるほどの静寂。 「…………ます……」 その中で小さく呟く人形。 「怒ります……マスターは私に誇りを持って生きろと言っていました……」 「あら、判っているじゃない」 「でも――ッ!」 今まで顔を伏せていた上海は、今にも泣きそうな顔で叫ぶ。 「どうしたらいいのですか!? 私にはマスターの言う誇りを持って生きる方法が判らないのです! 判らないことはマスターが教えてくれました。でもマスターが居ない今、それが判らないのです!」 感情のままに叫ぶ。 上海はまるで子供のようだ。 親の行動の補佐が全てだった。自分でやるということが少なかったのだろう。 ちゃんと自分が居なくなった後のことも考えて育てなさいよ、アリス。 「……じゃあ、アリスの友人として一つ助言をしてあげる」 「え……?」 多分、これでいいわよね? アリス。 「――アリスのことを忘れなさい」 その言葉に上海は目を大きく開いて怒る。 「な、何を言っているのですか! マスター忘れられるわけじゃないですかッ!」 「そういう意味じゃないわよ、落ち着きなさい」 今にも飛び掛ってきそうな上海を制止させる。 「完全に忘れろってことじゃないわよ。ただ、今のような状態を止めろってことよ」 「…………?」 まだ理解できていないようである。 「そうねぇ……つまり、外に出るってことよ」 「外へ……?」 「そう、外へ。そして多くのことに触れなさい。人間や妖怪、動物や植物、全てに触れて知識を増やしなさい」 この子に足りないのは知識と経験だ。 それが補えて、この子は――アリスの夢は叶う。 だけどそれはいつになるかは判らない。もしかしたら終わりが無いのかもしれない。 それでも、アリスは上海には幻想郷を生きてほしいはずだ。 自分の最高傑作として。 自分の娘として……。 「知識……」 「そう……まぁ、私の助言はここまでかしら。そろそろ私は帰るわね」 そろそろ黄昏時に近づいており、外が朱色に染まっている。紫は境界を開く。 「あ……待ってください」 そう言い、上海は家の奥の扉へと走る。 不思議に思いながら待っているとすぐに戻ってきた。 「あの……これ!」 上海から何かを渡される。 「これは……?」 「ま、マスターの作品です。貴女にあげます」 手渡されたのは黒髪の赤い着物を着た人形。 「あら? いいの?」 「はい、マスターの知り合いの方ですから、貰ってください。マスターも喜ぶはずです……それから」 「ん?」 「……ありがとう……ございます」 頬を染めながら、はにかむように上海は笑う。 「私、どうすればいいか判らなくって……貴女の言葉で、勇気が出ました。ありがとうございます」 「あら、お礼を言われちゃったわね。それほどのことはしていないわよ」 紫はお土産の人形を大事に持ちながら境界へと入っていく。 「あの……貴女のお名前は?」 恥ずかしがるように上海が紫へと聞く。 ここまで感情的だと、人形とは思えないわね。 「紫よ」 「紫さん、また来てください」 ぺこりと頭を下げる上海。 「……アリスが生きていた証ならあるわよ」 「え?」 去り際に一言だけ言っておく。 これはアリスの誇りでもあるのだから。 「アリスの最高傑作である、貴女の存在が、アリスの生きた証よ」 灯台下暗し。上海は気づいていない。自分こそがアリスの存在を証明する最高のことだと。 その言葉だけ告げて境界へと入る。 最後に見えた上海の顔は呆気に取られていたが、最後の一瞬だけ、その言葉を理解した可愛らしい少女の顔があった。 「ただいま、藍」 「うわッ! お、脅かさないでくださいよ!」 悪戯で自分の式神の背後へと出る。 庭の掃除をしていた藍は、そのふかふかの尻尾を揺らしながら紫へと振り向く。 「お帰りなさいませ、紫様……あら? その人形は?」 藍の視線は紫が持つアリスの人形へと集中する。 「これ? これはアリスの人形よ」 「ほぉーアリスの…………アリスのッ!?」 今にも首が?げるかと思うほど勢いよく藍は首をこちらに向ける。 「アリスって……あの、七色の人形遣いの、アリスですか!?」 「そうよ〜」 反応を見ていると面白いからもう少しこの話を伸ばしてみよう。 「いや、で、でもアリスはずっと前に亡くなったはずじゃ?」 「そうよ、でもこれはアリスの人形よ」 「な、なんでそんな物が今頃……紫様、それを何処で?」 「貰ったのよ」 「も、貰ったのですか……一体誰にですか?」 「ふふ、それは会ってからのお楽しみ」 「え? 会ってからって……」 「暇な時にでもアリスの家が在る場所に行ってみなさい。面白いのに会えるわよ」 紫は歩を家の玄関へと向ける。 「え……ど、どういうことですか? 紫様〜」 今回は、長く起きていようかしら。少し気になることも出来たし。 霊夢……貴女の居ない幻想郷、どれくらい楽しいことがあるかしら? 今年は探してみるわよ、自分から面白いことを。 私は貴女のことは忘れないわよ。 いや、貴女のことを知っている者は誰も貴女を忘れない。 貴女は面白い人間だったわよ。 私は、変われるかしら? 霊夢が居ない幻想郷で。 ――――あんたらしくないわね。 …………ふふ。 『――――ねぇ、霊夢』 『何よ?』 『桜は綺麗ねぇ』 『当たり前じゃない、何を言っているのよ』 『このままの姿を保っていれたら、さぞ綺麗でしょうね』 『昔みたいに春を集めたりしないわよね?』 『あの子とは違うわよ。でもそうだったら綺麗じゃない?』 『たしかに綺麗だとは思うけど…………』 『けど?』 『年中桜が咲いていたらありがたみが無いじゃない? 短い間だけ咲いて、また来年を楽しみにするのがいいから、桜が綺麗だと思うんじゃない?』 『そうかしらねぇ? 私は咲いていた方が綺麗だけど……』 『あんたみたいにグータラ過ごしている妖怪には判らないか』 『あら酷い』 『何も無い状態から、花を咲かせるのが綺麗なのじゃない。その変わっていく姿が綺麗なのよ』 『変わっていく……ねぇ……』 『そうよ』 『やっぱり私はそのままの姿がいいわね』 『…………あんたに話した私が莫迦だったわよ』 もしよかったら感想をどうぞ。 |
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