ここは幻想郷。未来、過去、現在から切り離された場所。
「パーフェクトフリーズ!!」
 そして妖怪の山の麓にある、霧に包まれた湖の片隅。
 そこでは大蝦蟇が今まさに氷漬けにされた。
「やっぱり、アタイって最強ねッ!」
 それの上を飛ぶ、全体的に青い少女は腕を組んで自分の強さに高笑いをしていた。
 氷の妖精――チルノはいつものように蛙を氷漬けにする悪戯をしていた。
 彼女は妖精の中ではかなりの力を持っているが、とてつもなく頭が弱い。
 自分の力量もよく判っていないため、この悪戯もたまに失敗する。
 それでも彼女は自分が最強だと思っている。
「さて、今日は他に何をやろうかな」
 チルノが意気揚々に次の悪戯を考えながら湖の周りを飛んでいる。
「他の妖精を冷やしてやろうかしら」
 そんな悪戯を考えて湖の周りを飛んでいると、チルノはある『モノ』を見つけた。
「……ん?」
 目に映ったのは、湖の岸辺に座る何か。
 はっきりと確認できなかった。
 いつもなら霧のために錯覚して見えた幻か何かかと思ったが、それはいつもよりとても気になった。
 だからチルノは岸辺に居るそれへと近づいた。
 ゆっくりと近づくと、それの姿ははっきりと輪郭が見えてきた。
 そこには水色の着物を着た少女が座っていた。
 見た目はチルノとは殆ど変わらない体躯。少しチルノより大人っぽい顔つきである。
 その少女は湖を見つめ続ける。
「ねぇ、アンタ、何やっていんのよ?」
 妖怪の山に近く、人間の里から離れているこの湖は人間にとってはかなり危険な場所だ。
 それに、ただ湖だけを見つめている少女に少しばかり気になったのだ。
「…………」
 少女はチルノにまったく気づかないように、湖を見つめ続ける。
「……ねぇ、ちょっと」
「…………」
 とことん無視される。
「ねぇってば! アンタ、聞いているの!?」
「…………」
「……そう……このアタイを無視するとはいい度胸ね……アンタを氷漬けにしてあげようか!」
「…………」
 脅しを入れてみたが、まったくの無反応。眉毛の一つくらい動かしてもいいと思うのだが、拍子抜けである。
「……むぅ、変な奴」
 変な奴だけど、何か気になる。
 じゃあ、これならどうだ。
 チルノは少女の横へと掌を向けると、その先に雪を混ぜた冷たい風の渦が現れる。
 するとそこには少女と同じくらいの大きさの蛙の氷像が現れた。
「どうだ!」
「…………」
 口も動かしやしない!
「うきーッ! なら今度は蛙家族よ!」
 今度は先ほど作った蛙の氷像の横に、一回り大きい蛙の氷像と、一回り小さい蛙の氷像を手早く作る。
 即興命名、蛙家族。
 流石アタイ、即興ながら最高の作品よ。
「…………」
 こ……こんな素晴らしい作品を見ても視線を動かさないなんて。
 うう……泣けてくる。
 もう帰ろうかな……。
 あ……本当に涙が……。
 石像のように微動もしない動かない少女から背を向けて帰る。
「……泣いているの?」
 聞いたことの無い声が後ろからする。
 あれ、まさか。
 驚きに後ろへと振り向くと、そこには上半身だけを捻って、こちらを見ている少女の顔がある。
 突然のことにチルノの頭では理解が間に合わなかった。
「泣いているの?」
 少女が再び喋る。
 その言葉にチルノの弱い頭は怒りという感情と共に融けそうなほど熱くなっていく。
「な……泣いていないわよ!」
 慌てて目元の涙を拭きながら、少女へと大股で近づく。
「私の何処が泣いているのよ!?」
「そこ」
 少女が目元を指してくる。
「これは目にゴミが入ったのよ! それより、アンタはここで何しているのよ!?」
「私?」
 コクコクと首を縦に動かす。
 少女はチルノを見つめながら、少しの間。
「……お母さんを待っているの」
 少女は小さな声で言った。
「お母さん?」
「そう」
 すると少女はまた湖へと視線を戻した。
 なんでこんなところで待っているのだ。人間なんてこんなところに滅多に来ないのに。
 でもそんなことを考えるのも面倒になってきたので、他のことをしよう。
「ねぇ、アンタ、そんなところに座っていても暇なだけよ。アタイとなんかする?」
 人間を誘うなんて初めてのことであるが、何故か誘いたくなった。
「…………」
 しかし、少女は再び沈黙してしまう。
「……ねぇ!」
「…………」
 向こうから勝手に反応して、こっちから話しかけたら無視。
「……もういいわよ! 帰る!」
 自分勝手な少女から踵を返し、今日はもう帰ることにする。
 このアタイだって怒るわよ。こんな変な人間なんて初めて見るわよ。他のことでもして気を紛らわせよう。



 朝の冷たい空気を鼻で嗅ぐ。それは全身に残る眠気を徐々にだが減らしていく。
 チルノは霧が一番濃い時間帯に、霧の湖に居た。
 彼女は気になっているのだ。昨日の少女のことを。
 あの少女から別れてからは悪戯をして遊んでいたから少女のことは気になっていなかったが、今朝目覚めたら、少女のことを再び思い出していた。
 だからチルノは眠気が残る体を動かして、霧の濃い湖を飛んでいた。少女が居た場所に。
 しかし、こんな朝に居るわけが無いと思った。

 ――――だが、チルノの眠気は一瞬にして覚醒した。

 少女が――昨日見た少女が、昨日とまったく変わらない姿で座っていたのだ。
 あまりの驚きに開いた口が戻らないが、ここに居ては何も始まらない。チルノは少女が居る場所へと近づく。
 そして昨日と同じように少女の傍へと降り立った。
「…………」
 少女は昨日と同じように湖へと視線を向けていた。
「ねぇ……アンタまだ居たの?」
「…………ん」
 昨日は石像のように動かなかった少女が、今日は微妙に反応した。
 少女は一瞬こちらに視線を向けて、また前へと視線を戻した。
 一瞬驚いたが、質問にはまだ答えられていない。
「アンタ、昨日からここに居るの?」
「…………ん」
 湖に視線を移したまままた頷くようなか細い声。
 昨日よりはちゃんと受け答えされている。
「昨日からって、人間の癖に頑張るわね、どうしてそんなに頑張るのよ」
 アタイは氷精だからこれぐらいの寒さは問題無いけど、人間はどうなんだろう。寒いのかな? 他の妖精は寒いの嫌いとか言っていたけど。
 その質問に少女は、湖に向けていた顔、ゆっくりとこちらに向けた。その瞬間、少女の長い髪の毛が風に靡く。
「……お母さんを待っているの」
 昨日と同じ回答。
「だから、そのお母さんはいつ来るのよ」
 昨日と同じ言葉。内容によって一日くらいは問題無いけど、今回は問題ありだ。
 問われた少女はチルノを見つめたまま、唇をゆっくり動かす。
「お母さんが来るまで待っているの」
 少女は同じようなことしか答えない。
 その言葉には、一瞬だか何かがあった。
 でもチルノにはそれが判らなかった。
「……むぅ、よく判らないけど、迎えに来ないなんて酷い人間ね」
「お母さんは、酷く無いッ!」
 何気なく言った言葉に、少女は目を見開いて怒りのまま叫んだ。
 突然の大声と少女の感情らしい感情にチルノは驚き、身を少し引く。
「な……何よ……そんなに怒らなくっても……」
「謝ってよ」
 少女はチルノを睨みつけたまま怒気を込めて言葉を放つ。
「な、なんでアタイが謝らないといけないのよ!」
 アタイは何も悪いことはやってないわよ。
「お母さんを侮辱したことを謝って」
 少女は頑なにチルノの謝罪を求めてくる。
 それほど少女にとって母親は大切な存在なのだろう。
 だけどチルノにとってはそんなことは関係無い。
「知らないわよ! このアタイが謝るなんて絶対しないからね!」
 何も悪気があった訳じゃない、ただ普通に言っただけなのに、なんでこんなに言われなければいけないのだ。
 チルノは一歩足を前に踏み出して、少女へと怒号を上げる。
「謝って!」
 少女も一歩も引かずにチルノへと要求を続ける。
「い、や、だ!」
 チルノも頑なに拒否をする。
 冷たい空気が湖全体に存在しているが、二人の間には熱い火花が散っていた。
 すると少女はその交差する視線を外し、「ふんッ」と一言、再び霧に包まれる湖へと視線を戻した。
 何よ、この人間。アタイを馬鹿にして、本当にムカツク!
 チルノも怒ったまま少女から背を向けて、大股にその場から離れる。
 気になって来たアタイが馬鹿だった。人間なんて構っていないで他のことでもしたほうがよかったのよ。
 山の向こうから太陽の光が薄っすらと強まってきた。
 チルノは通常より早く起きたので、もう一眠りしようと帰路に着く。



 もう、ここには来ないと思っていた。
 あれほど不快にされたのに、それなのに、目が覚めたらまたここへ来たくなっていた。
 昨日はあれから一度寝て、目が覚めたらすっきり忘れているはずだったのに、頭の片隅にいやらしいほど微妙に残っており、それに触れるたびに肥大していった。
 その不快な感覚を残したまま、次の日へと変わった。
 そして目の前には昨日と同じように座っている少女が居た。
 背中を見せたまま、少女は動かない。
 昨日の気まずい別れをしたままの状態のため、少女の背中が少し怖い。
 一歩近づくが、何を喋ろうか戸惑う。
「あ……」
 一瞬一瞬がとてつもなく長く、息が詰まるような感覚である。
「――ごめん」
 チルノが先に口を開く前に、少女が言葉を発した。
 少女がゆっくりとチルノへと向く。その顔は何か節目がちであり、申し訳なさそうな顔をしていた。
「……私、言いすぎた。お母さんのことになるとつい」
 その言葉に、チルノの中にあった複雑な気持ちは音を出して壊れていく。
「え……いや、アタイこそ……」
 一度崩れてしまった物は簡単に壊れる。
 不安が崩れ、次に現れたのは胸の奥底から出てくる笑い。
 今まで気を張っていて、それが馬鹿らしくなってきた。笑いを我慢できなくなる。
「……あは……ははははは」
「ふふ……ふふふふ」
 チルノの笑いに釣られるように少女も、堪えていた笑いを我慢できず、笑ってしまう。
 冷たい霧に包まれる湖の中に二つの明るい笑い声が響く。
 出会いというのは突然で、偶然により知り合う。それが何をきっかけなのかも判らず、知りもしないかもしれない。
「……よし、じゃあアタイと遊ぼう!」
「え?」
 お互いの間にあった壁も殆ど無くなってしまった。
 だからチルノは少女と遊びたくなったのだ。この少女と出会った時から費やした時間分を。
「でも……ここで待っていないと……」
 しかし、少女もこの場からあまり動きたくないようだ。
「じゃあ……この辺りで一緒に遊ぼう!」
 あまり離れなければいいだろう。
「でも何やって遊ぶの?」
「ふっふー、それはこの幻想郷最強のアタイ、チルノ様に任せなさい」
 この幻想郷最強で、遊び王のアタイにとって、遊びを探すのはお茶の子さいさい。
 チルノは真横へと掌を向けると、少し離れた場所に氷の塊が現れた。
「この、氷の塊をどれだけ先に砕けるかって遊びよ!」
「いやいや、私には無理だよ」
 少女が困った顔をして手首を左右に振る。
「むぅ……じゃあ、この氷をどれだけ食べられるか……」
「それも無理」
「我侭だなぁ……」
 人間とは我侭な生き物だ。こんな遊び簡単なのに。でも、こんなのはアタイの遊びの一部でしか無いのだよ!アタイの遊びは百――――



 ――――人間とは本当に我侭だ。
 蛙を凍らす遊びも拒否されたし、あっという間にネタが尽きてしまった。
 なんか本人から氷像作ってとか言われたから今作っているところである。
 すっかり陽も傾いてきて、時間を掛けているので結構な出来の氷像になりそうだ。
 後はこの鼻先を綺麗に……慎重に削って……。
「よしッ! 出来たわよ! 我ながら最高の出来よ!」
 そこにはチルノの三倍の大きさはある、巨大チルノ氷像が出来上がっていた。
 髪のラインや、体のバランス。この最強のアタイを表現するのに申し分無い出来だ!
「どう!? 凄すぎて言葉が……あれ?」
 作業を始める前まで少女が居た場所に目を移したが、少女の姿は無く、地面に生える雑草が風に揺らされている。
「おーい、何処に行ったー?」
 辺りへと視線を移動させる。
「チルノちゃーん、こっち」
 声がする方へと視線を向けると、氷像の足元に少女がこちらに向かって手を振っていた。
 む、あんな場所に。
 チルノは少女の横へと軽やかに降り立つ。
「凄いね、これ」
 少女は横にある氷像を感心するように見上げる。
「アタイの最高傑作よ!」
 チルノは殆ど無い胸を張って自慢する。やはり自分の作品を褒められるのは嬉しい。
「じゃあ、頑張ったチルノちゃんにはこれをあげる」
 すると少女は手に持った野花で作った冠をチルノの頭に乗せる。
「おろ? なんでアタイの名前を?」
 名乗った記憶は無いのだが。
「さっき思いっきり『チルノ様に任せなさい!』って叫んでいたよ」
「そうだっけ?」
「うん」
 記憶に無いなぁ。そんな細かいことなんてイチイチ覚えてられないわ。
 チルノは自分の頭に乗った花冠の花びらをツンツンと触る。
「どう? 気に入ってくれた?」
 少女が首を傾げながら聞く。
「うん、ありがとう」
「そう」
 チルノの答えを聞いて少女は嬉しそうに微笑んだ。
 最初に出会った時はまったく想像できないほどの感情。最初は凍ったように冷たい感情を全身から出していたのに。
「……よし、決めた!」
「ん?」
「アンタをアタイの999番目の友達にしてあげるわ!」
 こんなに仲良くなったのだ、特別に友達にしてあげるわ。
「999番目って、また凄い友達が居るのね」
「大体よ、大体。それぐらい私は友人が多いのよ!」
 アタイは最強だからねッ!
 少女が険しい顔で首を傾げているが、開き直ったように顔を崩す。
「……まぁ、いいか、うん。じゃあ私はチルノちゃんの999番目の友達ね」
「そういうこと! アタイの友達になれるってことは名誉なことなんだから!」
「……うーん、判った、そう思っておく」
 すると陽が山に隠れ始め、黄昏時が近づいてきた。
「む、もうこんな時間、アタイ今日は頑張ったから疲れちった」
 今日もいつもより早く起きて、こんなに力も使ったから全身から悲鳴が聞こえてくる。
「そう、じゃあ、私はお母さんを待っているわね」
「うん、判った」
 あれ、何か大切なことを忘れている気がする……けどなんだっけ。
 頭の片隅で何かがあることは判るが、なかなかそれに触れられない。
 顔をすっぱくして悩む。
「……どうしたの?」
 疑問に思った少女が問いかける。
 その問いかけで一瞬引っかかりそうになった記憶がまた離れてしまう。
「うーん……まぁ、いいか」
「…………?」
 多分あまり重要なことじゃないんだ。きっとそうだ。うん。
 チルノがすっかり頭の片隅の記憶のことを忘れ、少女に背を向ける。
「ほいじゃー、アタイは帰るね」
「うん」
 帰路に着くために空へと飛ぼうとするが、地面から人間一人分程度浮き上がった場所で滞空する。そして少女が居る方向へと体ごと向ける。
「明日、この花冠の変わりに何か持ってくるね」
 チルノは頭の上の花冠を指差して言う。
「え、いいよ。自分で作ったのだし」
 少女が軽く首を振る。
「大丈夫大丈夫、じゃ、明日ね」
 チルノは少女の言葉を聞く前に、空へと飛び始めた。
 今日はチルノにとってはかなり楽しい一日だった。
 ただ氷像を作っていただけだが、新しい友達と一緒に居るのが楽しかった。
 明日も早く来るから早く帰って何か持っていくのを探そう。



 今日は楽しかった。
 ただ、お母さんを待っているだけの日々なのに、変な妖精さんと仲良くなった。
 妖精さんの友達なんて始めて出来た。
 ちょっと頭が弱いけど、素直で可愛い子。
 今日は本当に楽しかった。
 お母さんにも紹介しないと。

 ――――お母さん?

 頭の中で、自分の母親を思い出すが、湖のように霧の掛かった姿しか思い出せない。
 あれ、お母さんって……あれ、どんな顔だっけ。なんで思い出せないの……あれ、なんで私はここで待っているの? あれ?
 自分の待っている者の姿をまったく思い出せない。
 その不安は自分の心の中で急速に広がっていく。脈拍も早くなり、息苦しくなってくる。
 あれ、私は……私は誰……?
「――――こんなところに居たのか」
 混乱する少女の背後から声がする。
 ゆっくりと背後へと振り返ると、そこには長身で、美しい赤髪を靡かせている女性が少女を見下ろしていた。
「だ……れ……?」
 今にも途切れそうなか細い声で少女は赤髪の女性へと問う。
「たく、探すこっちの身になってくれよ。まぁ、アタシが見失ったのがいけないけど……」
 そして少女は、全てを思い出した。



 チルノは上機嫌に少女が待つ湖の岸辺へと向かう。
 昨晩は色々漁ったが、なかなかいい物が見つからなかった、多分これでいいよね。
 手に持ったプレゼントを握り締め、少女が待つ場所へと向かう。
 今日は何をして遊ぼうか。考えると楽しくなる。
 チルノは上機嫌で向かった、霧が濃い湖へと。
 そして少女が居る場所へと到着し、そこには居た。

 長身で、美しい赤髪を靡かせた女性が立っていた。

「だ……誰よ、アンタ……」
 その女性を怪しみ、チルノは警戒するように問う。
 問われた女性はチルノへと面倒くさいように視線を移動させる。
「妖精……アンタがチルノか?」
「そうだけど、アンタは誰よ!」
「私? 私は小野塚小町、死神だよ」
 小野塚小町と名乗った死神は、チルノを足の先から頭の頂点までゆっくりと観察し、そして頭の頂点から足の先に視線を動かす。
「じゃあアタイは仕事があるから手早く伝えるわよ」
「伝える……?」
 何がなんだか判らないまま、小町は話を始めた。
「ここに居た娘からの伝言だ」
「え……?」
 アイツからの伝言?
「『私、もう会えないの。私のことを忘れてね、チルノちゃん』だそうだ」
 その瞬間、頭の中が真っ白になり、チルノは小町が言った言葉を理解出来ていなかった。
 ただ、頭の中で『会えない』という台詞が何度も響いていた。
 なんで、どうして? お別れ? どうして!?
「じゃあ、アタイは帰るね、ほいじゃ――」
「待った!!」
 帰ろうと動いた小町の腕に無我夢中で飛び掛る。
「うお! な、何するのだい!」
「会えないってなんのこと!? なんで!? どうして!?」
 教えて……どうしてなのよ……教えて……。
 チルノは自分が何を言っているのかも判らなくなっている。ただ目の前に居る小町に答えを求めている。
 感情が乱れ、自然と目尻が熱くなる。
「あの娘が言った通りだなぁ……アンタ、本当に気づいていないのか?」
 小町は手で額を押さえて言う。
「な……何に?」
 アイツには何があるのだ? 普通の人間としか思えなかったけど。
「……はぁ、アンタ、案外馬鹿ね」
「だから何がよ!」
 小町は「やれやれ」といった風に首を振ると、チルノを見据える。

「――――あの娘は、幽霊だぞ」

「え……?」
 小町の言葉に、チルノは呆気に取られる。
「まぁ、かなり実体化していたから人間にはある程度近いが、普通は気づくはずだよ」
 チルノは今まで少女のことを人間だと思っていた。
 しかし、チルノは案外鈍いので人間と幽霊の違いも気づかなかったのだ。
 幽霊であるから、少女はいつもこの場所に居たのだ。
「アタイのミスで娘が何処かに行ってしまったんだよね……映姫様に気づかれる前に見つけたからよかったものの……って、ちょっと離してよ」
 小町はチルノが掴んでいる腕を振り解こうと力を込めるが、チルノはその腕を必死に掴む。
「……アイツは、何処に居るの……」
 人間でも幽霊でも関係無い。アタイの友達なのだ。いきなりお別れなんて嫌だ。
「三途の川で待たせているよ。本当はすぐにでも連れて行きたかったのだが、どうしてもアンタに伝言を頼まれたのだよ。アタイも甘いなぁ……」
 小町は困ったように照れながら自分の頬を人差し指で掻く。
 酷いよ……お別れくらい……ちゃんと会ってしてよ……。
 こんな別れ方は悲愴感しか生み出さない。
 お互い辛いはずなのに、なんでアイツは……。
「連れてって……」
「……は?」
 アイツが会う気が無いのならこちらから会う。
「アイツに会わせてよ」
「いや……生きている者を連れて行くのは……」
「お願い……お別れがしたいの……」
 どうしても会って、一言言いたい。
 最初に出会った時は変な奴だけどとても気になっていた。そして昨日、友達として遊んだ時、いつもする悪戯とは違った楽しさがあった。気が合う友達が出来たと思ったのに。一回言ってやらないと、この感情はどうにも出来ない。
「…………ああぁッ! もうッ! 判ったよ! 連れて行くよ!」
 小町が諦めたように乱暴に言い放つ。
「や、やたぁッ!」
「アタイも甘いなぁ……」



 目の前には一面真っ赤な血のような川、とてつもなく広大な川。
 水面には今まで見たことが無いような不思議な魚が泳いだり、飛び跳ねたりしている。
 ここは現世と死後の世界、冥界と現世の中間にある境界、三途の川である。
 三途の川の停泊所で待つ魂が居た。
 彼女は自分の母親を待ち続け、自分の死んだことに気づいていなかった。
 だけど全て思い出したのだ。
 だから彼女はチルノに会わずに、死神へと伝言を頼んだ。
 自分はもうすぐ転生するか、成仏してしまう。
 それが判っていて、チルノに会うと、涙が止まらなくなるかもしれない。
 久しぶりに笑ったかもしれない。チルノに会ってから、少しの間だったけど楽しかった。記憶が蘇らなければずっと一緒に入れたかもしれない。
 でもそれは出来ないこと。
 だから私はチルノにはもう会わない。
 一日程度一緒に遊んだ仲だ。もしかしたらチルノの方が長く覚えていないかもしれない。
 それならば嬉しい。私のことを覚えていてはチルノが悲しいだけである。それならばいっそ忘れてくれた方がいい。
「――――お待たせ」
 背後には私を迎えに来た死神の姿。
 そしてその横へと立っている自分の友人――――
「チルノちゃん……」



「なんでよ……」
 小町について来て、三途の川までやってきた。
 そして目の前には昨日まで湖に居た少女の姿。
「なんでよ……」
「…………」
 チルノの怒りに、少女は顔を伏せたまま何も発しない。
「なんで、勝手に行っちゃうの……」
「私は、人間じゃ無いのよ、幽霊なのよ」
「そんなの! 関係無い! アタイとアンタは友達よ、だから勝手に居なくならないでよ!」
 言葉に力が入り、全身が震える。
 人間だろうが、幽霊だろうが、妖怪だろうが関係無い。アタイが友達を思った者なら誰でも一緒だ。
「……ごめん」
「謝るなら勝手に居なくならないでよ!」
 少女の言葉に不満と怒りが溜まっていく。感情が高ぶり、少女へと掴みかかる。
「今からでも……あの場所に戻ろう? アタイと一緒に遊ぼう?」
 悲しむように顔を伏せる少女へと、震える声を出しながら見つめる。
 なんで? どうしてそんな顔をするの?
「……ダメだよ、私はそっちに居ちゃダメなのよ」
「そんなこと……」
「ダメなのよ……私はこれから閻魔様に会って、地獄なり天国なりに行かないといけないのよ……それにあの死神さんも困ると思うし」
「いいのよ、そんなこと!」
「ちょ、ちょっと待て! アタイはその娘をちゃんと連れて行かないと映姫様に――――」
 背後から小町の声が途切れるが、今はそれどころではない。
「アタイは、アンタと一緒に居たいのよ!」
 これは心の底から出た想い。本心。
「アタイはいつも、悪戯ばっかりしているから友達も少ないのよ。いつも強がっているけど、本当は寂しいの。いつも一人で寂しいの……それを誤魔化すように悪戯をしているの。だけど、アンタを見つけた時、なんか凄い気になったのよ」
 湖の岸辺に一人寂しく座る少女を見て、チルノの心の中には親近感に近い、自分の姿を重ねるような感覚が生まれていたのだ。
「友達になってくれるって言ってくれて、本当はとても嬉しかったの……だから……行かないで……」
 感情が高まってくる。目には涙が溜まり、抑えきれなくなる。
 止め処無く瞳から涙が流れる。
 友達を失う恐怖がチルノを押しつぶしていく。
 不安に包まれ、涙でぐしゃぐしゃになった顔を少女の胸へと埋める。
「チルノちゃん……」
 少女は顔を埋めるチルノを、優しく、割れ物を扱うように抱きしめ、小さな頭をゆっくりと撫でる。
「私……全部思い出したの、お母さんのことを」
 ゆっくりと、少女はチルノに話す。
「私、あの場所で、お母さんに『待ってなさい』って言われたの……でも本当は違うの。お母さんは私をあそこに捨てたの……」
「ぐじゅ……え……?」
 鼻を啜りながら埋めている頭を上げた。
 見上げる少女の顔はとても悲しく、今にも泣きそうな顔だった。
「私の家、貧しかったから、子供を減らしたかったみたい……だから私を捨てたの……そしてそれに気づかないで私は死んでしまったの。死んだ後、死神さんに連れて行かれたけど、またあの場所に戻ってお母さんを待ち続けたの。お母さんが私を捨てたことを忘れて……」
 チルノの顔に、水滴が落ちる。
 少女の目から涙がぼろぼろと零れ落ちる。
「私……馬鹿だよね……捨てた人を待っていたなんて……」
 無理やり笑おうとするが、悲しみに崩れた下手な笑顔しか作れない。
「だけど……私、チルノちゃんに会って、よかった……最初は五月蝿い妖精さんだと思ったけど……元気で、ちょっとおてんばだけど、本当は優しい子。一緒に居て楽しかった。別れたくなかった……」
 チルノを抱きしめる少女の手に力が入る。
「だけど……それは出来ないの……」
 少女の声が震える。
「存在している者には何かを必ずやらないといけないの……幽霊だって、冥界に行かないといけないの……」
「嫌だ……」
 チルノにとって、少女の説明は少し小難しいところもあった。だけど、別れたくないが、それ以上何を言えばいいか思いつかない。駄々を捏ねるしか出来ない。
「チルノちゃん……お別れだけど、また会えるよ」
 少女は微笑む。
「ふえ……?」
「私は冥界に行くけど、きっと……きっと転生して、チルノちゃんに会うよ」
「転、生……?」
「そう、魂がまた何かになってこの世に戻るの。閻魔様が決めるのだけど、頼んでまた幻想郷に転生出来るように頼むね」
「生き返るの……?」
「生き返るというより、記憶も何も無くなり、私とは別人の存在が生まれるの」
「それじゃあ、会えないのじゃ……」
「それも、閻魔様に頼んでみるけど、チルノちゃん……私のことを忘れないでね。他の人の記憶から私の存在を忘れられた時、私は本当に消えてしまうの……だから、ね?」
 少女は笑顔で、本当に美しい笑顔でチルノへと笑った。
「……うん」
 それに答えるように、チルノは笑い返した。
 別れは悲しいが、自分が悲しんでは相手も悲しむはず。だから次に会える可能性があるならば、それを信じるだけ。
 チルノはスカートのポケットに入れた物を取り出す。
「これ、あげる」
 チルノは手に握り締めていた物を渡す。
「リボン?」
 それは黄色いリボン。受け取った少女が珍しそうに観察する。
「昨日言っていた、お返し」
 チルノは恥ずかしそうに、そして少し不安そうな顔をする。
「これしかなかったから……いらない?」
「ううん……ありがとう……大事にするよ」
 少女は嬉しそうに、受け取った黄色いリボンを大切に握る。
 本当に幸せそうな、だけどその表情には翳が掛かっている顔をした少女がチルノを見つめる。
「……じゃあ、そろそろお別れだね」
 その言葉を聞いて、チルノは人差し指を立てて左右に振り強気に振舞いながら、チッチッチと言う。
「お別れじゃない、また会うんでしょ?」
 少女は一瞬呆気に取られたが、すぐに破顔し、チルノへと答える。
「……そうだったね。うん、また会おうねチルノちゃん」



 話は戻ること少し前。チルノが少女を連れ戻そうとした時。
「ダメなのよ……私はこれから閻魔様に会って、地獄なり天国なりに行かないといけないのよ……それにあの死神さんも困ると思うし」
「いいのよ、そんなこと!」
「ちょ、ちょっと待て! アタイはその娘をちゃんと連れて行かないと映姫様に――――」
 小町は突然襟首を持たれて後方へと引かれる。
「んう?」
 突然のことに驚きながらも、後ろへと目を向けるとそこには素晴らしいほどの笑顔でこちらを見つめる女性が一人。
 小町にとって、今一番会いたくない存在。
 自分の上司である、閻魔大王――四季映姫が笑っているが笑っていない笑顔で自分を捕まえていた。
「え……映姫様! 何故ここへ――ふごッ!?」
 上司へと言い訳をしようと焦りながら喋ろうとするが、その上司の手によって口が塞がれる。
 突然の上司の行動に意味も判らず、視線を送ると上司は顔を近づけて小声で喋る。
「……向こうで二人が大事な会話をしているのです。静かにしなさい」
 映姫が指差す方向には幽霊少女と氷精の別れの場面である。
 上司の言葉に小町は小声で喋る。
「……映姫様。なんでこちらに居られるのですか?」
「貴女がなかなか魂を運んでこないので、サボっているのかと思ったらこんなことになっているとは……」
 映姫は小さく溜息を吐くと不満な視線を小町へと向けてくる。
 たしかに少女の魂を探してここ数日魂を運んでいないけど、最近は魂の数が少ないので数日程度なら運ばなくても問題無かったのだが、上司に気づかれてしまったようだ。
「小町……三途の水先案内人である貴女が魂を見失うとは……とんだ失態ですね」
「あの、映姫様、それはですね……色々あって……その……」
「さらに、生きている者を三途の川まで連れてきて……そう、これは罰しないといけないようですね」
 その言葉に小町の顔から血の気が引いていく。
 いつもは仕事をサボり、上司のゲンコツを貰っていた。しかし、生きている者を三途の川や冥界に連れてくることは職務規定に反することであり、かなり重大な罪である。そして白黒はっきりつける能力を持っている映姫はいつも以上の罰を自分へと与えるだろう。
 すると映姫は手に持った卒塔婆を無造作に振り上げる。
 小町は卒塔婆を使った強力な罰の類かと思い、身を強張らせ、瞼を力の限り瞑る。
 強力な罰の恐怖に、小町が震えていると、ぽん、と頭に軽く何かが置かれる感覚。
 恐る恐る目を開けると、卒塔婆が自分の頭の上に軽く置かれている。目の前に居る上司を脅えながら見つめる。
「……これが今回の罰です。しっかり反省するように」
 こほん、と一息吐くと映姫は再び幽霊の少女と氷精へと視線を移す。
「まぁ、三途の川の前ですし、会う程度なら許してあげますよ」
「え……映姫様ッ!」
 いつもより優しい上司に、小町は感極まって抱きつく。
「ちょ、ちょっと、小町! やめなさい!」
 恥ずかしがるように映姫は自分の部下を離そうとするが、小町はなかなか離れようとはしない。
「…………やはり、甘いかしら……」
 映姫の呟きに、小町は一瞬顔を上げるが、その瞬間抱きついている体を離された。
「まったく……小町、向こうの二人の話が終わったら早く連れてきなさいよ。間違えても氷精は連れてこないように」
「は、はい」
 映姫はそう小町に命令し、足早に三途の川の先にある、自分の仕事場へと飛んでいってしまった。
 いつもは威厳があって厳しい上司だが、本当は心優しい閻魔様。そんな上司だから、小町はこの仕事を続けられるのである。尊敬する、大切な上司。
 そして、アタイは映姫様のことが……。
 自分の思いに赤面しながら、小町は別れを惜しむ幽霊少女と氷精が会話に終わったことに気づく。
「ほい、じゃあそろそろ行こうか」



 チルノは少女が居た湖の岸辺に立っていた。
 昨日まではここに寂しそうに少女が座っていた。
 だが、今、少女はここには居ない。
 ただ一人、その場から消えるだけで、寂しく、周りの風景が悲しいものになる。
 佇むチルノを湖から吹く風が髪を靡かせる。
 少女は冥界へと旅立った。
 最後まで少女は笑顔だった。だけどその笑顔には悲しみの色が混ざっていた。
 何故、そんなに悲しい顔をするのか。また会える……いや、会うんでしょ? なら笑って別れようよ。
 しかし、チルノはそれを少女に最後まで言えなかった。
 少女を乗せた船を、ただ呆然と見詰め、その姿が霞み、見えなくなるまで三途の川に居た。
 そして、すぐにここへとやってきた。
 理由など無かった。ただ少女の居た場所に行きたかったのだ。
 チルノは、ここに居た少女にはもう会えない。
 もしかしたら、もう会えないかもしれないと思った。
 少女は会えると言っていたが、あの表情からはそれが難しいことが語られていた。
 チルノはそれを認めたくなかった。
 そんなことを認めたくないため、チルノは少女とまた会えると希望を無理やり作っていた。
「…………あれ……?」
 チルノの頬を一滴の水滴が流れる。
 突然のことに疑問を抱きながら、片手でそれを拭うと、反対の頬にも水滴が流れる。
「あれ……なんで……アタイ、泣い……て……」
 両目からは止め処無く涙が流れ落ちる。
 チルノが止めようとしても、穴の開いた水袋のように涙は止まらなくなる。
 手では拭いきれないほどの涙が出てくる。何度拭っても止まらない。
「アタイ……は、幻想……きょ、う……最……強……泣くわけ……ない……」
 涙が止まらない。
 自分の中を……心の中を悲しみが埋め尽くす。
 何も出来ない自分への不満。友人を失った悲しみ。
 それがチルノの弱い心を押しつぶす。
 足腰が立たなくなり、全身から力が抜けていき、チルノは雑草が無造作に生える地面へと座り込む。
「なんで……なん……で……」
 会いたいよ……アイツと一緒に遊びたいよう……お願い……私の友達を返してよ……お願いだから。
「う……ぐす……ううぅ…………」
 チルノの泣き声が、湖全体に広がる霧のように響く。
 その小さな姿を心配するかのように、風に揺られた波紋が湖に広がる。
 それは、チルノが自分の弱さに泣いた、悲しい一日だった。



 周りはとても広く、威厳に満ちた部屋。
 天井までは自分の何十倍と言えるほど高く。部屋の隅は霞んで見えるほど遠い。
 ここは死んだ者が三途の川を渡って初めに来る場所、閻魔様の裁判所である。
「……どうかしましたか?」
 こんな場所なんて始めてみるので視線がついつい四方八方に飛ぶ。
 自分の裁判を行なっている閻魔様が怪訝そうな顔でこちらを見つめる。
「いえ、すいません。珍しい場所だったので」
「裁判中なので、あまり余所見はしないように」
 叱られてしまった。
 しかし、閻魔様とは巨大で恐ろしい人物かと思っていたが、目の前に居る閻魔様はとても小さく、可愛らしい少女の姿をしている。だが、その見た目とは裏腹に、閻魔様からは威厳と偉大さを感じる。
「それでは、貴女への判決を言い渡します」
 閻魔様は今まで私の生前の内容などを読み上げていた。
 自分で聞いていてもなんだが、結構真面目に善良な人生を送っていたことが判る。
「貴女は亡くなるまで、誤った行いをせず、正しい行いをしてきました。ここまで素晴らしい魂も久しぶりです。次の転生はなるべく早く行なえるように取り計らっておきます。貴女が湖に居たことは部下の手違いなので、お咎めは無いです」
「あの……転生って、希望をお願いしてもいいですか?」
 見た目は少女でも、閻魔様である。この質問をするのには少なからず勇気を必要とする。
「内容によります。まぁ、貴女のような魂なら少しの変更なら問題が無いでしょう。何に転生したいのですか?」
 閻魔様は優しい微笑みで聞いてくる。
「私……幻想郷に妖精として、生まれ変わりたいです」
「妖精……ですか?」
「はい」
 少女の言葉に、閻魔様は怪訝そうな顔で問い返した。
 自分の最後の友人であり、今までの中で最高の友人へと再び会うために。
「……妖精は人間よりも弱い存在であり、一度妖精になると二度と他の種族には転生できませんよ。妖精たちは一種の不老不死でありますからね」
 閻魔様はあまり妖精への転生は進めていないようだ。
 だけど、私はそれでいい。
「大丈夫です。私、妖精になりたいのです」
「……理由は聞きませんが、貴女がそれを望むなら」
「ありがとうございます!」
 閻魔様の答えについ笑みが零れる。
 すると、手に持ったある物を思い出す。
「……それからもう一ついいですか?」
「なんでしょうか?」
 自分の手に持っていた、友人からのプレゼント、黄色いリボンを閻魔様に見えるように出す。
「これを……転生した時の私に持たせて欲しいのです」
「リボン……ですか」
 閻魔様はリボンを見つめて顔を顰める。
 何か不味いのだろうか?
 少し思考し、閻魔様はその小さな口を重たく開く。
「……転生は基本的には魂の存在以外は持って行ってはいけないのです。なので、そのリボンはダメです」
「そうですか……」
 やっぱり、無理かぁ。再び会うという願いは、やはり無理だったかな。強がってまた会えると言ったけど、嘘吐いちゃった。ごめんね。
 少女が悲しみに暮れていると、背後から足音が近づいてくる。
「映姫様。いいじゃないですか、リボンくらい。別に記憶を持っていくと言っているわけじゃないんですから」
 自分の肩に、先ほどの長身の死神が片手を置いて目の前の閻魔様へと言う。
「小町! 貴女、また仕事をサボって!」
「まぁまぁ、そんなに怒らず」
 にへらにへらと笑い、死神は自分の持っていたリボンを手に取る。
「じゃあ、こうしちゃえばいいのですよ」
「あ、こらッ!」
 閻魔様が死神の行動を止めようと裁判長席から立ち上がろうとするが、死神が手に持ったリボンへと力を込める。
 リボンは微かに光を放ち、また元の黄色いリボンへと変わる。
「よし……」
 何か成功したのを確認して、死神は自分の頭へと手を置く。
 すると、先ほどまで頭に結べなかったリボンが、今度は髪を結べるようになっていた。
 死神は自分の頭部の髪の毛を上部で一束に纏めて結ぶ。
「あれ? なんで?」
 この現象を聞こうと死神へと視線を送ると、死神はニカッと笑った。
「そのリボンにアタイの魔力をほんの少し入れたのよ。だからこのリボンはアンタと同じ魂の存在になっているはずだよ」
「小町ッ! また貴女は何をやっているのですか! 職務違反ですよ!」
 閻魔様の怒号が飛んでくる。
 それでも死神は反省の色がまったく無い、崩れきった顔をしている。
「まぁまぁ、いいじゃないですか。この魂は元々霊力が高かったのですし、これぐらいの微細な変化なんて大丈夫ですよ。それに映姫様だって御阿礼の子に記憶を引き継がせているじゃないですか!」
「いや……それは…………まったく、なってしまっては使用がありませんね。後で小町にはゲンコツの罰を与えます」
「ちょ、そ、そんなッ!」
 閻魔様は部下の勝手な行動に苦笑いをした口を卒塔婆で隠し、死神はこの後のお仕置きに恐怖する。
 少女を置いて勝手に話が進んでいくが、とにかくリボンを持っていけるようだ。
「……ありがとうございます」
 閻魔様と死神、二人に対してお礼の言葉と、お辞儀をし、自分の今出来る最大の気持ちを込める。
 少女のお礼の行動に、閻魔様は椅子に深く腰掛け、力を抜くように笑い、死神は今まで恐怖に染まっていた顔を破顔し、照れるように頭を掻いた。
 閻魔様や死神はもっと怖い存在かと思っていた。でもこの二人はその考えを簡単に覆した。
 たしかにちゃんと仕事をしているが、二人とも根が優しいのだ。それを感じ取れる。
「……では、貴女の希望通りに手続きを行なっておきます。部下のせいで魔力やら霊力やらが少しばかり高まってしまったので色々手続きが増えて時間が掛かりますが、いいですね?」
「はい、お願いします」
「それから……貴女は元々力が強く、私の部下のせいでさらに強まってしまったようなので、妖精へと転生しても、普通の妖精ではなく、大妖精へとなって他の妖精の面倒を見てもらってもよろしいですか?」
「お安い御用です、妖精になれるのならなんでもします」
「では、転生が完了するまでは向こうの扉から外に出て、時が来るまで待機していてください」
 閻魔様が卒塔婆で示す方向には巨人が通れそうなほどの巨大な扉。
 はい、と頷くと、少女は閻魔様にもう一度お辞儀をして、その巨大な扉へと向かう。
 その扉までの距離はとても長く、常人ならば行くまでに疲れ果てるだろう。しかし、今の少女はとても足取りが軽く、それぐらいでは疲れない気がした。
 すると閻魔様が少女へと声を掛ける。
「……本当に、よろしいのです? この選択は」
 その言葉に、少女は迷い無く、最高の笑顔で答える。
「はい、友達が、待っていますから」



 過去、未来、現在から切り離された世界。幻想郷。
 そんな不思議な場所でも日々は必ず過ぎていく。
 誰かが生まれ、誰かが必ず亡くなる。
 そんな当たり前のことでさえ、この幻想郷には通じないことがある。
 幻想郷で数多く見られる存在、妖精は一種の不老不死、死んでもまた同じ姿で蘇る。
「パーフェクトフリーズ!!」
 そして妖怪の山の麓にある、霧に包まれた湖の片隅。
 そこでは、また大蝦蟇が氷漬けにされた。
「やっぱり、アタイって最強ねッ!」
 氷精であるチルノは、いつものように蛙を氷漬けにしていた。
 少女と別れ、湖で泣いた日からどのくらい経過しただろうか。それでもチルノは日々を楽しく、気丈に振舞っていた。寂しさを隠すために。
 時々、その寂しさに押しつぶされそうになる。
 だけど、チルノは悪戯などをし、それを紛らわせ、孤独へとなっていく。チルノはどうすればいいかは判らず、ただ毎日を生きていた。
 最近は、もう少女には会えないと心の中に疑問が生まれ始めていた。

「――ねぇ、貴女」

 すると突然声を掛けられる。
 声がする方向へと振り返る。そこには緑の髪を風に靡かせ、チルノに似たような洋服を身に纏った妖精が居た。
「アンタ、誰? 見ない顔だけど」
 突然現れた妖精に、チルノは疑問の目を向ける。
 それを聞かれた妖精は、首を傾げながら逆に質問をした。
「私は大妖精。名前はまだ無いよ。生まれたばかりだもの」
「ふーん、生まれたばかりねぇ……よし」
 名案が思いつき、チルノは偉そうに胸を張る。
「この幻想郷最強のアタイの武勇伝を――」
 チルノは気づく。
 目の前に居る、生まれたばかりだと思われる大妖精と名乗った妖精の髪の毛が一束に結ばれていることを。
 それは別にいいのだ。その結んでいる物に見覚えがあった。

 黄色い、リボン――

 それは以前、少女に渡した自分のリボンとそっくりだった。
「あ……アンタ、そのリボンは!?」
 驚きが隠せないまま、チルノは大妖精へと詰め寄る。
 大妖精はチルノの声に驚き、身を一歩引く。
「え……な、何?」
「だから、そのリボン!」
「あ、これ? 私もよく判らないの、生まれた時から結ばれていたから……でも、これは私にとって大切な物だと思うの」
 大妖精は黄色いリボンを優しく撫でる。
「ちょ、ちょっと見せて!」
 大妖精の返答も聞かずに、チルノはリボンを食い入るように見入る。
 そして、リボンの一部に文字が書かれていた。下手で蚯蚓が踊るような文字で『ちるの』と書かれていた。
 そう、これはチルノが少女へと渡した、自分の黄色いリボン。
 見間違えるわけが無い。これは自分が書いた文字。
 そう、目の前に居る大妖精は三途の川で別れた少女。よく見ると面影が残っているような気がする。
「え……何? 何?」
 食い入るように見つめるチルノに迷惑したような顔をして、大妖精は距離を開ける。
 この大妖精の反応を見ると、チルノのことを覚えていないようだ。
「えっと……私、貴女に会ったことがある?」
 大妖精は不思議そうに、チルノを見てくる。
 別にここでチルノのことを話しても、思い出せないだろう。
 ならば。
「いや、なんでもないよ。それよりアンタ、まだ生まれたばかりなのよね?」
「そうだけど……」
「じゃあ、アタイがこの幻想郷を案内してあげるよ、アタイはこの幻想郷最強なんだから」
「本当に? ありがとう!」
 目の前の大妖精は喜びを表に出す。少し喜ぶと、チルノを見つめる。
「……えっと、貴女の名前は?」
「アタイ? アタイはチルノって言うんだ!」
「うん、よろしく、チルノちゃん」
 これがあの少女の求めたことなのだろうか。それはもう誰にも判らない。
 だけど、チルノは嬉しかった。少女が約束を守ってくれたことを。心の底から喜んだ。
「あれ……どうしたの?」
 目の前の大妖精がチルノを心配するように近づいてくる。
 チルノは一瞬、何を言っているのかは判断出来なかった。しかし、頬を一滴の水滴が流れ落ちることが判る。
 心の中からの喜びに、涙が自然と出てしまった。
 以前、少女と別れた日のような冷たい涙ではない。暖かい、嬉しさに満ちた涙。
「大丈夫……ただちょっと目にゴミが入っただけ……」
 笑顔を作って誤魔化す。それでも大妖精は心配したようにチルノを見る。
「そういえば、アンタ結構な力を持っているじゃない。まッ! アタイよりは弱いけどね」
「なんでだろうね? 私にも判らないの」
「ふぅ〜ん。まぁ、いいや。じゃあさっさと行くよ」
「あ、チルノちゃん待って〜」
「ほらほら、早く行くよ」
 これは、始まりであって、終わりが無い日々の始まり。だけどチルノはこれからの日々を楽しみだと思っていた。
 小さな思い、大きな思い。全てを一つに纏めて、幻想郷の日々は過ぎていく。
 これは物語の始まりより、ずっと昔のお話。出会いの物語。
 何十年も先の未来に、湖の霧は紅くなり、紅白の巫女と白黒の魔砲使いがここへと訪れる。
 その時になるまでその事実は誰も知らない。だけど、それはチルノにとっての大きな出会いになるだろう。
 出会いとは偶然で、奇跡なのだから。




 もしよかったら感想をどうぞ。


前のページに戻る


TOPへ戻る