「もし、そこの兎さん、ちょっとよろしいですか?」 清々しいほど晴れた青空の下、師匠の作った薬を売って永遠亭へと戻る途中の道端で、突然声を掛けられた。 全身紅い衣服を体型が判らないほど身に纏い、肌は顔と少し見える指先しか出していない。髪を二つの小さな球状の髪飾りで頭部の片方を留めている、大人びた印象の顔立ちの女性。 「はい……? なんでしょうか?」 こんな目立つ格好の人なら印象に残っているはずなのだけど、始めて見る人だ。 「アリスという名前の魔法使いが住んでいる家は何処にあるでしょうか?」 「え? アリスの家ですか? それならこの先にある魔法の森の奥にありますが……」 突然出た友人の名前に少し驚くが、アリスにだって知り合いの一人や二人は居るだろう。 ……私が見たことのあるアリスの友人と思われるのは魔法使い仲間二人と紅白巫女だけだけど。うん、きっと他にも居るんだ。会ったこと無いだけ。 「そう、ありがとう、助かったわ」 女性は一言、私に向かってお礼を言うと、足早に魔法の森へと向かっていく。 と思ったら突然、その歩みを止めて踵を返してこちらへと視線を移動させた。 「……また迷うのは嫌だから、そこの兎さん、私をアリスの家に連れてってくれない?」 「え? いいですけど……」 特に用事が無いけど、アリスに会えるならいいか……。 しかし、この人はアリスのなんなのだろうか? 恐らく幻想郷の者ではないだろう。では外の者? でもそんな簡単に外の者がここに入れるのだろうか? いつものように慣れた足取りで、魔法の森のギリギリ道と判るような獣道を歩いていく。私の後に続く女性は、初めて通る道とは思えないほど軽快な足取りで付いてくる。というか本当に歩いているのだろうか。足まで隠している洋服のためにまったく判らない。 化け物茸が出す胞子と瘴気に包まれた森を暫く歩くと、そこには一軒の小さな家が現れた。その家の周りは周りの森とは違い、胞子や瘴気がまったく漂っておらず、太陽の光が庭に干されている洗濯物と家全体を照らしている。 ここが目的の家、人形遣い――アリス・マーガトロイドの自宅である。 「ここがアリスの家です――」 目的地に着いたことを告げようと女性へと振り向くが、その言葉は途中で途切れてしまう。 女性が宝物を見つけた子供のような顔で喜んで、食い入るようにアリスの家を見つめているのだ。 呆気に取られていると、アリスの家のドアが開く音が耳に入る。視線をそちらへと向けると丁度アリスが洗濯物を取り込むために家から出てきた。 「あ、おーい、アリ――」 「アリスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」 背後に居たはずの女性は、友人の名前を叫びながら一直線にアリスへと光の速さで近づく。 アリスは私の声で最初気づいたようだが、すぐに自分に向かっていく女性に気づいた、ぎょっとしたような顔で目を見開いて驚き、避ける間もなく飛び掛った女性に押し倒されてしまう。 「あ、アリス!」 慌ててアリスへと駆け寄る。だけどその飛びついた女性が自分の頬でアリスの頬をすりすりと擦っている。 私でさえそんなにアリスに近づいたことが無いのに。なんて羨ましいんだ。 ……あれ、私何考えているんだろう……。馬鹿! 何考えているのよ、私! アリスと私は友達でそれ以上は……。 「アリスゥ〜、会いたかったよぉ〜」 女性がまだアリスに抱きついている。 一体なんなのだ、この女性は。 「神綺様! 離れてください!」 アリスが自分に抱きつく神綺という名の女性を無理やりではなく、説得しようとするが、女性は機嫌を損ねたように眉尻を寄せる。 「アリス! 何度言えば判るの! 私のことを名前で呼ばないでよ!」 「いえ、でも……」 「敬語もダメ! ほらちゃんと言いなさい」 「……う」 何故かアリスと目が合った。 アリスが恥ずかしがるように私から目を離すと、躊躇しながらその小さな唇を動かした。 「――か……母様」 …………………………………………は? 「アリスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ! 貴女って本当に可愛いわねッ!」 女性はさらに舞い上がって先ほどより多めにアリスの頬を自分の頬で擦る。 は? 母様? え? アリスのお母さん? え? ええ!? アリスにお母さんが居るなんて初めて聞いた。いや、やはり親ぐらいはどんな者でも居るだろうが、まさかアリスのお母さんがこんな砕けた人だなんて思わなかった。もっと厳しそうな人だと思っていたけど。 「母様! 離れてください……ッ!」 目の前に居る女性はアリスにべったりと抱きついている。 この人が……? ――――昔、むかぁーし、あるところに一人の女が居りました。 しかし、女の周りには何もありませんでした。動物や植物、空や太陽、地面や空気さえありませんでした。 そこで女はその寂しい空間に、自分の世界を創ることにしました。 まずは地面を創り、次に空を創りました。 だけどそれだけじゃまだ寂しいです。なので次に空気と水を創り、太陽と植物を創りました。 女の周りは数々の植物が生き生きと育っておりました。 だけどそれだけではまだまだ寂しいです。なので女は次に生き物を創りました。小さな昆虫や、可愛らしい爬虫類、凶暴な肉食獣や、自由気ままな鳥類。そして自分の言葉を理解出来る者たちを創りました。 そして最初は何も無かった場所は、いつの間にか世界と呼べるほど豊かで広大な世界になっておりました。 女が作り出した不思議な力、『魔法』がその世界に広がっていたので、女はその魔法の文字を取って魔界と呼ぶことにしました。 魔界では女を「神」「創造主」と呼ぶ者も居りました。 しかし、女はその名前があまり好きではなかったので、自分が創り出した存在に、自分を「母」と呼ばせるようにしました。 そして魔界の母となった女はある日、気晴らしに散歩していた道端で一人の女の子を見つけました。 しかし、自分の創った中に女の子が居ないことに気づきました。 女は女の子を拾うと、我が子のように大切に育てました。 女の子は愛らしく、やること全てが女を満足させる存在でした。 可愛らしい金髪に、可愛らしい朱色のほっぺ、可愛らしい足に、可愛らしい目、全てが可愛らしい女の子。 「――――それが私の可愛い娘のアリスよ!」 「母様、恥ずかしいから止めてください」 アリスが顔を顰めながら神綺の前へと紅茶が入ったティーカップを置く。 今の今まで神綺に昔話を聞かされていた。 昔話から理解すると、どうやら神綺は魔界と呼ばれる世界の神様で、そこでアリスを拾って育てていたらしい。 「母様が居ないと魔界の管理とかはどうするのですか?」 「んー? あぁ、夢子ちゃんに任せているから大丈夫よ。それに私は創った子たちだから私が居なくっても勝手にやっているわよ」 大物なのか、能天気なのか、それともただの面倒くさがりなのか、魔界の神とは思えない人だ。 「……それで、母様は何故ここに居るのですか?」 「何故って、決まっているじゃない!」 力強く神綺は叫ぶ。 「アリスに会いに来たんじゃない!」 「帰ってください」 呆れたように言い放つアリスの冷たい言葉により神綺が涙目になる。 「そんなこと言わないでぇぇぇぇぇぇぇ」 神綺がアリスへと泣きながら抱きつき、アリスの持つティーカップが一つ乗ったトレイを落としそうになるが、バランスを保ってなんとか落とさずに済んだようだ。 「意味も無く来ないでください!」 「だからアリスに会いに来たんだって!」 「……とにかく、母様の存在は強すぎるのです! 幻想郷の他の妖怪を刺激するから早く帰ってください!」 神綺に出会った時から何か強烈な気配を感じていた。いや、恐らく神綺が幻想郷に訪れてから、幻想郷全体にいつもと違う気配が漂っていた。朝から他の妖怪たちがその気配を探っていたが、まさか魔界の神とは思うまい。 「酷い! 親に向かってそんなことを言うなんて!」 「う……とにかく、見つかったら一番ややこしい紅白巫女に見つかったら大変なので早く帰ってください」 アリスの言う紅白巫女――博麗神社の巫女のことだろう。たしかに見つかったら色々ややこしい。 「あら、そういえばあの子にしばらく会ってないわね、挨拶に行こうかしら」 「止めてください!」 あれ、神綺のこの反応は……。 「あのぉ……」 そういえば神綺の存在に圧倒されてさっきから喋っていない。 「神綺……さんは、博麗の巫女と知り合いなんですか?」 その質問にアリスは私を睨んできた。聞いちゃダメだったのか……。 質問された神綺はよくぞ聞いてくれました! と言わんばかりに目を光らせる。 「ほほう、兎さん、聞いてくれたので質問に答えてあげよう。あれは昔、私が魔界で平和に暮らしていた時――」 それは現れました。 紅白の巫女、魔砲使い、悪霊、花の妖怪の四人が魔界へと突然訪れ、好き放題に暴れました。 どうやら魔界の観光団体が人間界へと訪れ、それに怒った者と、興味本位に来た者が魔界で大暴れ。 魔界の者が人間界に行くのはそれなりの許可が必要なので、非はこちらにあるが、それでも好き勝手に暴れた罰を彼女たちに受けてもらったの。 でも紅白の巫女が異様に強く、魔界の神である私を完膚なきまで倒してしまったの。 「あー、思い出すだけでイライラしてくる」 勝手に話し出した神綺は、勝手にイライラし、顔を顰めている。 あの巫女も色々な事件に顔を突っ込んでいるんだ。ある意味感心する。 「その後ね、小さい頃のアリスが私のグリモアを持ち出して巫女に戦いを挑んだふごふご」 「か……母様! 勝手に喋らないでください!」 顔を真っ赤にしてアリスが慌てて神綺の口を塞ぐ。 へぇ、アリスもそんな過去があったんだ。小さい頃のアリス……可愛いのかなぁ……きっと可愛いに違いない。 いつも冷静なアリスがこんなに慌てるなんて。きっと何かあったのだろう。気になる。 暫くしてアリスが神綺の口から手を離す。 神綺は不満な顔をしてアリスへと文句を言う。 「もう、いいじゃない、昔話するくらい」 「止めてください……私が恥ずかしいのです」 どうも神綺はアリスの反応を楽しんでいるようだ。見ているこちらも普段見られないアリスを見られて少し楽しい。ほのぼのした雰囲気。 だがその雰囲気は音も無く突然崩れた。 「――アリス」 今までにへらにへらと笑っていた神綺の顔は一瞬にして引き締まり、その目は全てを見透かすように鋭くなる。 部屋の空気は張り詰め、背筋に寒気が走る。 アリスもそのことに気づき、緊張した面持ちでその場に立ち尽くす。 「貴女が魔界からこちらに来る時の理由は覚えている?」 低く、それでも透き通るような声で神綺はアリスへと問う。 「はい……霊夢……紅白巫女に一泡吹かせるために……」 「それは嘘ね。この魔界の母である私に嘘を吐けると思って?」 アリスは小動物のように脅えている。 これが魔界の神である神綺の威厳。全てを簡単に握りつぶしそうな存在感。博麗の巫女に以前やられたと言うが、それが事実か怪しいほどの力の気配。 私もその存在に圧倒され、息苦しい。指一本さえ動かすことを躊躇う。 「アリス……貴女、あの巫女のことが好きだったんでしょ?」 ――――え? 「母様! 何をッ!」 「いいから答えなさい」 神綺は慌てるアリスへと鋭い視線で答えを求める。 アリスが、博麗の巫女のことが好き? 何を言っているの? そんな素振りなんて一度も見たことが無い。嘘だよね? 女の子同士の恋? アリス……。 鋭い視線に当てられ、アリスは言葉に詰まるが神綺へと答える。 「…………はい」 その瞬間、胸の中が苦しく、言い知れる気持ち悪い感覚が支配する。 だけど私にはそれが判らない。アリスは私の友達であって、それ以上ではないはずなのに……なんでこんなにも苦しくて悲しいんだろうか。 「あの巫女との関係はどうなったの?」 その問いかけに、アリスは顔を真っ青にする。 「あ……いえ、その……」 「アリス」 口篭るアリスへと神綺が顔を顰めて答えを求める。 いつものアリスとは思えないほど、弱気な声で答える。 「霊夢は……私を恋愛対象とは見ず、ただ一匹の妖怪としか見てくれません……私が入る込むことは……」 なんでそんなに悲しい顔をするの? 私の知っているアリスはそんな悲しい顔はしないよ。 アリスの答えを聞いた瞬間、神綺の周りの気配が一気に濃くなる。気を抜けば押しつぶされそうなほど強大で凶悪な気配が生まれた。それはまさに怒りの感情。 その気配を隠す気がさらさら無い神綺は、無言で立ち上がると、玄関へと向かって歩き出す。 「母様……?」 恐る恐るアリスが聞くと、神綺は感情を隠さないままの怒りの表情で振り向く。 「私の可愛いアリスを悲しませる者は、誰であっても許さないわ」 神綺の目には恐らく博麗の巫女への怒りの色で埋め尽くされている。 いや、明確な殺意ともとれる。 「母様! それは止めてください!」 「止めないでアリス。貴女のためよ」 必死に神綺を止めようとするアリスだったが、神綺は聞く耳持たず。 「お願いです、母様! ……これ以上やるなら、もう母様とは縁を切りますよ」 「……ふぇッ!? いや、アリス、それは……ね? アリスのためだから……そんなこと言わずに……ね?」 アリスの予想外の答えに、神綺は今まで神と思える威厳を保っていた表情が一瞬にして崩れて、慌てふためいて狼狽した顔になる。 「幻想郷で暴れたら、母様とはもう二度と会いません」 「う……うん……」 諦めたように神綺は先ほどまで座っていた椅子へと再び座り、明らかに不満そうな顔でアリスを見ている。 その見られているアリスは、安心したように息を吐いて、私の前へと今まで置くのを忘れていた紅茶の入ったティーカップを置いたが、すっかりさまっていた。 するとアリスが顔を近づけて、私に耳元で呟いてきた。 「……ごめんね、鈴仙。少し外で待っていてくれるかな? 母様と話がしたいし。その後に紅茶を新しく淹れてあげる」 「う、うん……」 今この場では頷くことしか出来ない。何よりこの家の息苦しい空気の中に居るのが部外者である私にとって疲れる。 私はアリスのお願いを受けると、足早に家の外へと出る。出る時、神綺と目が合ったような気がした。 先ほど、アリスが取り込もうとしていた洗濯物を、外に放り出されていた籠の中へと丁寧に、それでも不器用だけど、畳んで入れていく。 そんなことをしていないと時間を潰せないのだ。 外に追い出されてから結構な時間が経過した。家の中ではアリスと神綺が話し合っているのだろう。 どんな話をしているのだろうか。気になる。でも他人の内情を聞くのもどうかと思う。 それより頭の中で何度も神綺のあの言葉が反響している。 ――貴女、あの巫女のことが好きだったんでしょ。 そしてアリスはそれを認めた。 アリスは博麗の巫女のことが好きなのだ。 でもそれが判ったとしても私には関係無いはずなのに。なんでこんなに胸が苦しいの? この言葉を聞いてからずっと胸が苦しいのだ。そして今はさらにやり切れぬ思いも混ざり、私の心は既に混沌としている。 私はアリスの友達のはずなのに……なんでこんなに苦しいんだろう。 私はアリスのことを……。 洗濯物を畳み終えるとほぼ同時にアリスの家のドアが開かれる。 「じゃあ、アリス。またいつか来るから」 「はい、お気をつけてください」 神綺が先に家を出て、見送るようにアリスが出てくる。 「……アリス」 見送るアリスを神綺は別れを惜しむような表情を作りながら、我が娘を優しく抱きしめる。 「つらいことがあったら、いつでも魔界に来ていいのよ。母さんたちはずっと待っているから」 「母様……」 そこに居る神綺は、先ほどまであった魔界の神ではなく、娘を大切に思う一人の母の姿であった。 暫く抱擁をした後、神綺は未練がましい顔をしながら、アリスの家を後にした。 アリスは神綺が見える間、一歩も動かず神綺を見送り、神綺は何度も何度もアリスへと振り向いていた。 神綺の姿が見えなくなり、暫く沈黙が続いた後、アリスはいつもの冷静な表情へと戻った。 「……鈴仙、ごめんね、せっかく来てくれたのにこんな面倒なことに巻き込んじゃって」 「え、いや、大丈夫だよ……あ、洗濯物を取り込んでおいたから」 「そ、そう……ありがとう……」 お互いの間に気まずい空気が流れている。 いつもなら気軽に話せるのに、先ほどの思いのせいで言葉が出ない。 アリスと話すのが苦しい。この場に居たくない。 「ねぇ、鈴仙……」 「アリス、私帰るね」 「あ……」 アリスの答えを聞かずに、駆け足でその場から離れる。今の私じゃアリスの顔を見てられない これから会えるかも判らない。もう会わない方がいいかもしれない。 それはつらいけど、私にはもう無理だ……。 兎の跳躍力で魔法の森を駆け抜ける。 走れば走るほど、目尻が熱くなる。 あれ、なんで私、泣いているのかな。なんでこんなに悲しいのかな。 思いを振り切るように疾走する。しかし思いは消えず、肥大し続ける。 魔法の森を抜けた後、こんな顔では永遠亭に帰れない。しばらく時間を潰さないと……。師匠やてゐに何を言われるか判ったものじゃない。 草むらへと座り込み、愚図りながら涙を止めようとしても、なかなか止まらない。 すっかり陽が暮れてしまい、月も夜空に高々昇っている。気づかないうちにもう夜中近い時間になってしまったようだ。 涙も出しつくし枯れ果ててしまったようだ。嗚咽しか漏れない。 なんでこんなにも泣けるんだろうか。 「――あら、兎さん、こんなところで何をやっているの?」 聞き覚えのある声がする。 振り向くとそこにはかなり前に帰ったはずの紅い洋服を着た神綺が立っていた。 「あれ……神綺さん、帰ったんじゃ?」 なんでこんな場所に居るのだろう……。 聞かれた神綺は恥ずかしそうに頭を掻きながらはにかんでいる。 「いやー、道に迷っちゃってー、魔界以外は入り組んでいて判りにくいわね、まったく疲れたわ」 今まで迷子になっていたのか……それもそれで凄い気がする。 首に溜まった疲れを解すように首を左右に動かすと、神綺は私の横へと座る。彼女の美しい銀髪と燃えるような紅い洋服のギャップが目立ち、彼女の大人びた美しさを際立たせている。 「兎さんは、こんなところで泣いてどうしたの?」 「え……いえ、なんでも……」 目が腫れていたのかな。恥ずかしいところを見られてしまった。 恥ずかしさのあまり、目を伏せてしまう。 「少し疲れたから、お話でもしましょう」 私の様子を気にすることも無く、無数の星空を見上げながら喋り始めた。 「貴女、娘との関係は何? 結構仲がよかったけど」 神綺が視線を向けてくる。その視線は何かを探るように見てくる。 「アリスとは、友達です」 友達であって、それ以上では無い。 「友達……かぁ。あの子は極度の人見知りだから、こっちに来て一人にならないか心配していたのよね……でも兎さんのような友達が居るなら大丈夫ね」 安心したように神綺は胸を下ろす。 あぁ、この人は本当にアリスのことが好きなんだ。 自分とはまったく別の存在であるアリスを本当に愛しているのだ。神と魔法使いという差をまったく気にしないほど溺愛している。 だから、神綺はアリスのために感情を表に出したり出来るのだ。 「アリスったら、貴女のことを気にしていたわよ」 「え?」 神綺の言葉に、反射的に反応して顔を上げると、神綺は楽しそうにこちらを見ている。 「貴女が家を出た後は仕切りに外を気にしていたり、『鈴仙の前で何を言っているの』とか『鈴仙が気にしたらどうするの』とか、とにかく貴女のことばっか話すのよ」 アリスが私のことを? その小さな疑問を思い浮かべている間に、神綺が言葉を続ける。 「あの紅白巫女とのことは許してはいないけど、あの子が求めるなら今回は引いてあげる」 また、思い出してしまった。 アリスが好きな博麗の巫女。自分とは違い、天才的なセンスと反射神経。そして何より他の者を集めるカリスマ性。自分よりほぼ全てが勝っている巫女。胸は勝っているが。 彼女の方がアリスの相手に合っているかもしれない。自分よりも……。 「それにあの子ももう紅白巫女のことには未練がなさそうだし」 「え……」 神綺は本当に楽しそうに私の顔を観察している。 「よし、じゃあ兎さん、博麗神社の近くまで案内してもらっていい?」 よいしょ、と声を出してから神綺は背伸びするように立ち上がる。 「は、はい」 催促するように神綺が先に歩き出す。 そっちは神社と反対側なのに……。 神社へと神綺を案内する間、彼女はずっとアリスの自慢話をしてくる。ここまで来ると過保護過ぎないだろうか? あぁ、また同じ自慢話が……。 そして、博麗神社の長階段前へと到着すると神綺は軽く「ありがとう」とお礼を言ってから、神社の階段とは別の方向へと歩いて行く。 「あれ、そっちは違いますよ」 「ん? ああ、この神社の裏山に魔界の入口があるから、ここの巫女に会いたくないし、迂回して言った方が早いのよ」 なるほど。というかこの神社の裏にそんな物があるなんて始めて知った。 裏山へと向かう神綺だが、途中足を止めて、こちらに向き直る。 その顔には何か不安残しているような顔をしている。 「……兎さん、うちの娘とこれからも仲良くしてね」 「……はい」 神綺のお願いの言葉に、まだ先ほどの迷いが混ざっているせいか、一瞬の躊躇が生まれた。 その一瞬の反応を神綺は見逃さなかった。 まるで全て判っているような顔で、優しく微笑みかける。 「あの子は、貴女のことを大切にしているわよ。だからいつもと……昨日までと同じような関係で居てね」 全て……私の心の中を読んでいるような喋り方。 彼女は心配なのだ。自分の言った言葉で、娘が一人になるかもしれないことを。 そうだよね。別にアリスが誰を好きでもそんなのは関係無い、私はアリスの友達なのだ。今まで悩んでいた私がバカみたいだ。 「はい!」 今回は迷いが無い。過去はもう過ぎたこと。だけど未来はこれから作ればいい。 「ありがとう……あの子の過去は、まだ記憶の中に埋もれたまま……」 「え……?」 神綺は本当に悲しそうに、全ての責任が自分にあるかのように喋る。 「だけど、その悲しみに包まれたあの子の過去を……貴女なら、なんとかしてくれるかもね」 「それは、どういう……」 その言葉の意味を問おうとした瞬間、神綺の体は霧のように霞み、そこに何も無くなってしまった。 アリスの過去……? 博麗の巫女が好きだということ? でもあの顔はそのような簡単なことじゃ無い。それに記憶の中に埋もれたまま? 一体どういう……まだアリスの過去があるの? しかも、それをアリスは忘れている、何故。 一つの、大きな疑問を残したまま、神綺との出会いは一先ず終了した。 私の足元に、アリスの大切な人形の一つ、上海人形を残して。 上海を抱き、アリスの家の前へとやってきた。 上海はアリスの横にいつも浮かんでいる。大切な相棒とも言っていた。 その相棒が居なくなるとは、アリスも困っているに違いない。今日中に返しに行った方がいいだろうと思って、今ここに居る。 「アリス」 いつものように、ドアをノックする。暫く間を置いてからドアがギィと音を鳴らしながら開く。そこにはいつものアリスの姿があった。 「あら、鈴仙、どうした……あッ! 上海!」 私の腕の中にある上海を見て、アリスは目を見開いて声を上げる。 アリスへと上海を返すと、「ありがとう」と言って喜んで受け取る。 「鈴仙、何処に居たの? 上海は」 「それが……神綺さんを神社に案内して別れた時に足もとに……」 「母様……勝手に持っていかないでよ……」 大きく溜息を吐くと、「まぁ、入って」と言ってアリスは私を家の中へと招く。 なんの抵抗も無く、いつも通りにアリスの家の中へと入る。 「まぁ適当に座って、紅茶を淹れてあげるから」 「うん」 大切な相棒が戻ってきて嬉しいのだろうか、アリスは足取り軽やかに台所へと向かった。 私はいつも通り、椅子へと座り。アリスを待つ。 台所に居るアリスへと視線を移動させると、本当に嬉しそうな顔で紅茶を淹れている。その横では上海がそれを見守るように浮かんでいる。 そういえば、以前アリスから聞いた話だと、上海は彼女が長年動かしているせいか、無意識のうちに勝手に行動させるらしい。多分、今の上海も無意識だろうか。 「……ん?」 一瞬、上海がこちらを見たような気がした。 「鈴仙」 上海へと視線を向けている時、アリスが台所から私の座る椅子の前の椅子へ移動して座る。 「ん? 何?」 「いや、うん……ごめんね」 「え?」 「今日は色々なことに巻き込んじゃって……本当にごめんね」 アリスが目を伏せる。 「え……大丈夫だよ。気にしないで」 「うん、ごめんね」 何かを気にしているようだ。やはりいきなり帰ったことを気にしているのかな? アリスは本当に優しいなぁ。 先ほどまであんな考えをしていた私が本当にバカに見えてきた。 「ふぁ――むぅ……」 アリスが大きく欠伸をする。 「眠いの?」 「うん……上海を探して家の中を探していたから、疲れちゃった……」 それに数刻ほどで朝日が見えてきそうな時間だ。あ、永遠亭に何も言っていない……師匠怒っているかなぁ。 アリスは眠そうに目を擦っている。 「待ってね、今紅茶淹れるから」 「いや、いいよ。アリス眠そうだし……って」 コクコクと首を揺らしながらアリスは眠ってしまったようだ。よっぽど疲れていたようだ。 「こんなところで寝たら風邪引くよ」 「んう……」 ダメだ、生返事で起きる気配が無い。仕方ないなぁ。 椅子で居眠りをするアリスを起こさないように(深い眠りに入っているようで起きそうにも無いが)彼女の肩と膝の裏へと腕を通す。 抱き上げ、寝室へと彼女を運ぶ。 あれ……何気なく、いつも遊び疲れて寝ているてゐを寝室に運ぶようにやっているけど、今腕の中で寝ているのはアリス。 いつもよりアリスの顔が近く、滅多に無いほど彼女と密着している。 彼女の吐息を感じ、彼女の体温を感じる。 意識すると急に脈拍が速まり、全身に緊張が走る。 あまり見たことが無いけど、寝ているアリスの顔は可愛らしく、綺麗な金色の髪、柔らかそうな唇、粉雪のような白い肌、そして小さく可憐な体。 無性にこの小さな体を抱きしめたい衝動に襲われる。 だけど、それをグッと我慢する。それをやっては友達では居られなくなる。なんとなく。 欲望を抑制しながらアリスを寝室へと運び、ベッドの中へと寝かせる。 寝巻きに変えさせた方がいいはずだが、流石にそこまで勇気は……。 今日はもう帰ろうかな。でもなぁ、こんな夜中に帰ったら師匠たちに迷惑かなぁ。あ、しまった、たしかお湯を沸かしていたはずだから、火を消さないと。 寝室から台所がある部屋まで移動するが、お湯を沸かしているはずの火が止まっていた。 そのお湯で、上海がティーカップに紅茶を淹れている。 「あ、上海。紅茶淹れてくれたんだ、ありが……えぇッ!?」 あれ、アリスが寝ているはずなのに、なんで勝手に動いているの! え、アリスは起きているの!? いや、ちゃんと寝ていたはずなのに。 そんな疑問に襲われながら上海を凝視すると、彼女(?)はこちらに気づいた。 戸惑うこちらを気にすることも無く、椅子を引いて私をそこに座るように促している。 疑問が肥大しすぎて何をしていいのか判らず、とりあえずその椅子へと座る。 上海はいつもアリスと居るような動きをする。ただ一人で。 何故、単独で動いているのだろうか。 そう疑問の目を向けていると、上海はこちらへと視線を向け、微笑んだ。 ――神綺と同じような笑い方を。 「まさか……」 神綺はアリスの母親であり、魔界の神。それに神綺が消えた時に上海が現れたのも気になる。これぐらいの芸当をやっても不思議ではない。 でも何故……。 その思いを知ってか知らずか、上海はアリスの寝室へとフワフワと飛んでいった。 絶対単独で動いている……神綺はアリスにはかなり過保護である。恐らく魔界に居ても判るようにしたのだろうか。それは判らないが、これは意識するとかなり緊張する。アリスに言おうかな……。 そんなことを考えていると、上海がフワフワと戻ってきた、手に紙を持って。 それを私へと渡した。 「何……?」 不審に思いながらその紙にはこう書かれていた。 ――アリスに言ったら、本当に兎にしちゃうぞ♪ 「言いません」 即答。 文字は可愛らしい丸文字だが、内容が冗談に見えない。 その答えを聞いた上海(神綺?)は満足したようにアリスの寝室へと再び向かった。 残された私はどうすることも出来ないので、とりあえず目の前にある紅茶を啜る。 うーん、美味しい。アリスとは違う味がする。 「ふあ……」 なんか眠くなっちゃった……でも早く帰らないと……でも……。 窓から差し込む朝陽により目が覚める。 いつの間に寝たのだろう。 ベッドから起き上がると、衣服は昨日と同じまま。着替えずに寝てしまったようだ。 たしか昨日は鈴仙が上海を持って来てくれて……あ、紅茶を淹れるためにお湯を沸かしていたところで寝たかも。鈴仙に悪いことしたなぁ。 もしかして、鈴仙がベッドまで運んでくれたのかな……もう帰ったよね。 鈴仙に迷惑を掛けっぱなしでどうしよう。 ベッドの横にある戸棚を見ると、いつものように上海が置かれている。 朝の紅茶を飲むため、戸棚の上の上海を動かし寝室からとりあえず出る。 「……あ」 台所へ行こうとすると、少し驚いた。 鈴仙が、テーブルに突っ伏しながら寝ているのだ。 彼女に毛布が掛けられ、傍らには飲みかけの紅茶のセットが置かれていた。 鈴仙は気持ちよさそうにすぅすぅと寝息をたてている。 こんな気持ちよさそうに寝ていると、起こすのも悪い気がする。 しかし、子供のような寝顔をしている。可愛いなぁ。 昨日、母様の言葉で鈴仙が変な勘違いをしてなければいいけど。 たしかに、昔は霊夢のことが好きだった。でも、それは昔のこと。今はもうこれっぽっちも好きという感情は無い。ただの友人。今はそんな関係だ。 「むにゃ……」 鈴仙が顔を横に向ける。すると可愛らしい朱色を帯びた頬が出る。 本当に可愛い。笑みが零れてしまう。なんとなく、その頬を突っつく。 ぷにぷにと軟らかい。気持ちいいなぁ。 「……うぅ……師匠止めてください……それはッ!」 鈴仙が突然、苦悶の表情を浮かべて魘され始めた。 「ちょ、ちょっと! 鈴仙起きなさい!」 それでも鈴仙はなかなか起きず魘されている。 いきなりどうしたのよ!? それから数日間、幻想郷では突然現れ消えた謎の気配の話題が多かった。 でもその正体は結局誰にも判らなかったそうだ。 それはそれで安心してよかった。 もしよかったら感想をどうぞ。 |
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