日差しが燦々と照りつける暑い今日この頃。
 お気に入りの淡い水色のハーフパンツにクリーム色の三段フリルのトップスを身につけ、スケッチブックと鉛筆や消しゴムの入った筆記用具入れを持ち、私はそんな猛暑とは関係ない場所にいた。

 ――――ふしぎ図書館。

 周囲には無数の本棚で囲まれており、本棚の間を隙間なく這うように太い木の根っこのようなものがある。
 芝生の地面が多く、よく見るような普通の草木も生えている空間。
 だけど私が座れるような頑丈で大きなキノコが生えていたりと、ちょっと現実離れした心躍る私たちが日常を過ごしている世界とは少しずれた世界。
 そんな空間の中央に切り株の形をした建物が一つあった。
 私と大切な友達たちのみが知っている秘密基地。
 建物の内部は、薄緑色の木の板の床に淡い桃色の壁、中央に机とそれを囲むように椅子が六つ置いてあり、入口から見て左手の壁には木製の本棚、正面の奥にある横幅の広い階段を上ると三人が腰掛けられるソファと足の短い机が置かれているロフトもある。
 さっそく建物に入るが、中に人の気配がなく、どうやら私だけのようだ。
 今日は私――黄瀬やよいが一番乗り。
 みんなと特に集まる約束をしていた訳じゃないけど、今日は休日で学校もないからとりあえず来てみた。
 ここにいれば誰かしらいると思ったが、予想が外れて寂しい気持ちになる。
 だからと言って、すぐに帰るのもここに来た意味がないので、仕方がない誰かが来るのを待つことにした。
 立って待っているのも足が疲れるので、私は中央にある椅子の一つに腰を下ろす。
 だけど、みんなが来るまで何もせず待っているのもつまらない。
 それなら絵でも描いていよう。
 そう思って、家から持ってきたスケッチブックを開き、筆記用具入れの中の鉛筆を一本握り、真っ白なページに削った鉛筆の先を当てて、かりかりと静かな建物の中で響かせながら描き始める。
 絵を描くことは私の楽しみの一つ。
 こうやって真っ白な紙に絵を描き上げていくのが楽しくて仕方がない。
 暇さえあれば絵を描いていたい。私の中で大好きなもの。
 時間を忘れて集中し、鉛筆を動かす。
 かりかり、かりかり。
 たまに間違えた箇所を消しゴムで消す。
 そんなことを繰り返していると、入口の扉が勢い良く開かれた。
「やっほー!」
 開けられると同時にその声が建物の中に響く。
 鉛筆を動かす手を止め視線を入口へ向けると、そこには女の子が一人いた。
 女の子は肩まで伸びた赤みがかった髪を後ろでひと束に結び、私から見て左側の前髪にバッテンの形で髪留めがつけている。服装は橙色の裾にフリルがついた半袖のシャツ、ショートパンツにハイソックスとブーツを履いている。
 若干小麦色になっているような健康そうな肌、そして引き締まっている腕や脚。
 活発な印象を受ける元気いっぱいな表情を見せる、私の大切な友達の一人。
「おはよう、あかねちゃん」
「あれ? やよいだけかいな?」
「そうみたい」
「そうかそうか、良かったわ〜誰もおらんかったらどうしようかと思っていたわ〜」
 女の子――日野あかねちゃんは周囲をキョロキョロ見回すと歯を見せながらニカッと私に向かって笑った。
 バレーボール部に所属しており運動神経抜群、明るくムードメーカー的な存在で、運動音痴で引っ込み思案の私とは正反対な女の子。
 いつも自信がなく迷っている私の手を引っ張って助けてくれる頼れる友達。
 とりあえず、あかねちゃんが来てくれたお蔭で、一人寂しく絵を描き続けるということがなくて良かった。
 胸をなで下ろしていると、あかねちゃんは入口の扉を閉めた後、私の隣に置いてある椅子に腰を下ろす。
 すると私が持っているスケッチブックに気づいたようで、のぞき込むように体を前のめりにした。
 反射的に恥ずかしくなって描いているページを、自分の体に当てて隠す。
「なんや、やよい。絵描いていたんか?」
「あ、うん、誰か来るまでやることなかったからね」
「どんなの描いてたん? ちょっと見せてや」
「え〜……ま、まだ完成していないから、ダメだよ」
「なんやケチやなぁ〜」
 あかねちゃんはがっかりした表情を見せるが、未完成品を見せるほどまだ絵に自信はない。
 ちゃんと完成させてから見せないと不安で不安で仕方がない。
 あっ、そうだ、完成品ならそういえばあったんだった。
「そうだあかねちゃん、これ見て欲しいんだけど」
「ん? なんや?」
 持っていたスケッチブックをめくり、目的の絵が描かれたページを開いて渡す。
 あかねちゃんは不思議そうに首を捻りながら受け取ると、絵を見てすぐに驚いたような笑顔へと表情が変わった。
「おっ、みゆきやないか、さすがやよいは上手いなぁ」
「えへへ」
 渡したスケッチブックに描かれているのは友達の星空みゆきちゃんである。
 以前にここで眠っているみゆきちゃんを黙ってモデルにして、色を軽く塗り昨日完成した作品で、ちょうどお披露目したかった。
 と言っても二頭身のデフォルメされており、アニメ調の絵柄なのであまり原型を留めていないけど、可愛いから結構良い出来だと自信を持っている。
 あかねちゃんの反応も上々なので、このまま他のみんなに見せても大丈夫だろう。それから勝手にモデルにしたみゆきちゃんに謝っておかないとなぁ。
「で、うちのは?」
 色々なことを考えていたら、あかねちゃんがスケッチブックから視線を私に移動させ、問いかけてきた。
 その質問に最初は何を言っているか判らず、間抜けな声を漏らしてしまう。
「へ? あかねちゃんの……?」
「せや、うちの絵はないんか?」
 至極当然と言った様子で彼女は再度質問をしてきた。
 予想していなかったことに私は戸惑ってしまう。
「えっと……ないけど……」
「え〜、なんでや?」
 聞かれても理由なんてない。
 そう答えようとしたが、あかねちゃんが残念がるような瞳を向けてきていた。
 なんだかこのまま断ったら酷く落ち込ませてしまう、そう思えて仕方がなかった。
 でも、理由がないものはないし、あかねちゃんには悪いがちゃんと伝えないとな。でも、あかねちゃん本当に残念そうな表情だな。もし真実を言ったらもっと残念がるだろうか。
 そう色々なことを考えながら唇を動かす。
「それは……こ、ここ、今度描こうと思って!!」
 ッて、私何言っちゃっているの!
 言い終えた直後、自分の言葉の矛盾に気づいて心の中の私がすぐさま大声でツッコミを入れてきた。
 すぐに気づいたが言ってしまった後では遅い。
 それにあかねちゃんの表情を見ていたら自然と口が動いていたんだもん。
 相手をがっかりさせたくない。そんな思考のせいで勝手に嘘を口走ってしまった。
 だがここで問題に気づいた。
 私が彼女を描いたとしても、期待するような上手な絵を描ける自信はない。描いたら描いたであまりの似てなさに、酷いショックを与える可能性があった。
 嘘なんてついてもろくなことにならないって、以前に学習したばかりだったのに!!
 言ってしまって取り消しができず八方塞がりの状況に後悔してしまうが、私の言葉を聞いてあかねちゃんは目を輝かせて身を乗り出してきた。
「ほんま!? じゃあ、今描いてや!」
「い、今!?」
 突然の無茶な提案に動揺してしまい、声を裏返しながら驚いてしまう。
 見事に嘘が裏目に出てしまったような状況かもしれない。自業自得とはこのことか……。
 このままでは下手な絵を描いてしまって、あかねちゃんをがっかりさせてしまう可能性が高い。それだけは避けなければいけない。
 あ……そうだ、さっき見せたスケッチブックみたいにデフォルメしちゃえばなんとか誤魔化せるかも。
「せや! この前、母の日に描いてた感じのがええなぁ〜」
「えぇッ!?」
 つまりデフォルメせずに人物画を描けと!?
 逃げ道を潰されてしまった……。あかねちゃんは私の心が読めるのだろうか。
 母の日の絵って、ママに送ったあの絵だよね。
 あれは運良く上手く描けただけど、あれレベルの物をもう一回描けなんて自信がない。しかも本人の前で描くなんて恥ずかしいし、緊張してしまう。
「ほ、本人の前で描くのはちょっと……」
「みゆきは描いてるやないか」
「それはみゆきちゃんが寝ている時だったし、それからデフォルメしたやつだから……」
「ええから、一生のお願いや!」
「えぇぇぇ……」
 あかねちゃんは手を合わせながら頭を下げ、懇願してきた。
 なんだかいっさいの言い訳が通らないような状況。
 ひーん……誰か助けてよ……。
 しかし、そう願っている時に限って誰も来る気配がない。
 今は私とあかねちゃんしかふしぎ図書館にいない。
 逃げられない状況。
 嘘の罰というのかな、こういうのって。
 そう思っていると、ふとあることが思いつく。
 そもそもなんでこんなにあかねちゃんは描いて欲しいと頼んでくるのだろうか。
 私の絵なんて何度も見ているはずの彼女の発言は、訳が判らなかった。
 疑問が一度生まれると異様に存在感をアピールしてくるので、気になって気になって仕方がなくなる。
「なんで、そんな私に描いて欲しいの……?」
 疑問を口に出して投げかけると、あかねちゃんは下げていた頭を上げて、私の視線と重ねる。
 そしてすぐにまた先ほどのような明るい笑みを作り、なんの迷いもなく答えた。
「うち、やよいの描いた絵がめっちゃ好きやねん」
「え?」
「やよいの想いがこもっていて、見ていると楽しいしな」
 無邪気な……なんの悪意もない素直な言葉。
 今まで絵を描いていてそんな風に面と向かって言われたのは初めてであった。
 なんだか恥ずかしいような気持ちになってくる。
 自分の絵を誉められるのは嬉しいけど、どう反応すれば良いか困ってしまう。
「そうかな……?」
「そうや、だからやよいがうちを絵にしてくれると思うと、ごっつ嬉しくなって早く見てみたいんや。それに一生懸命描いているやよいは可愛いし見ているのも好きやねん」
「えッ!?」
 またまた彼女の言葉に驚きの声を上げてしまう。
 絵のことで色々言われるのは前からあったけど、絵を描いている私自身のことを言われるなんて思ってもいなかった。
 ましてや可愛いなんて、堂々と言われると気恥ずかしくなってしまう。
 顔の温度が上がっていくことを感じながら、視線のやり場に困る。あかねちゃんを直視するのが難しい。
 動揺し、言葉に困っているとあかねちゃんは眉を八の字になって苦笑いしたような表情になっていた。
「ん〜……嫌やったかな? 無茶言ってごめんな、いつかできたら見せてや」
 笑っているけど、明らかに残念がるような表情を浮かべていた。
 ズキッ、と胸が痛んだ。
 せっかく私の絵を好きだと言ってくれたのに。
 なぜあかねちゃんにそんな表情をさせてしまったのか。
 私が嘘をついたから?
 このまま嘘をついたままで良いの?
「……ううん、大丈夫だよ。まだみんな来ないかもしれないし、時間はあるよ」
 また自然と唇が動いた。
 だけど今度は嘘じゃない。
 嘘をついたら前のようにダメな私のまま。
 それだけは許せない。
 あかねちゃんやみんなに会わなかったら、きっと私は今でも暗い性格だったかもしれない。
 誰かのために頑張ると教えてくれたのは友達のみんな。
 大袈裟かもしれないけど、私はそれぐらい大きなこと。
 すると私の言葉を聞いて、あかねちゃんは暗い表情を一気に明るくした。
「ほんま!?」
「うん……あかねちゃんがそんなに楽しみにしてくれていると思うと、やる気が出てきたよ」
 上手く描けるか判らないけど、出来る限りのことはする。想いを込めて精一杯描く。
 お礼という訳ではないけど、私に勇気を与えてくれた友達への小さいながらも恩返し。
 私の絵で喜んでもらえるなんて本望だった。
「おおきに! やよい!!」
「ひゃぁっ!?」
 そう思って油断していた時、あかねちゃんが喜びのあまりか私に抱きついてきた。
 椅子に座ったままだから倒れることはないけど、驚いて変な声を漏らしてしまう。
 抱きつくほど嬉しかったのだろうか。
 あかねちゃんの肌が私の肌に触れる。
 バレーボールをして引き締まっている彼女の体は、運動が不得意な筋肉のない私の体とは違って弾力のある肌質であった。
 私と違うあかねちゃん。
 彼女の笑顔が嬉しかった。
 こんな私でも彼女を喜ばせられるなんて。
「む……」
 ふと、抱きついているあかねちゃんが声を漏らした。
 なんだろうと思い視線を動かすと、彼女は抱きついている私の髪や体に対して、鼻をひくひくと動かして匂いを嗅いでいるような仕草をしていた。
「ど、どうしたの? 私、変な臭いでもする?」
 お風呂にはちゃんと入っているし、そんな酷いような体臭はないはず。
 だけど彼女の反応を見ていると急に不安になってしまう。
 不安になりながら返答を待っていると、あかねちゃんが私を見つめながら頭を横に振った。
「ちゃうちゃう、やよい柔らかくて良い匂いがするなぁ、と思うてな。やよいはほんま小動物みたいに可愛いわぁ、羨ましいで」
 ニカッと歯を見せてあかねちゃんは笑った。
 なんて返答すれば良いのか困ってしまう言葉。
 喜んで良いことなのだろうか。
 でも、あかねちゃんは本当に楽しそうに笑っている。
 無邪気で素直な笑顔。子供っぽくも見え、今まで見てきたあかねちゃんの笑顔となんだか違っているように思えた。
 窓から差し込むふしぎ図書館の陽の光が彼女を照らす。
 輝くように眩しい笑顔。
 私はあかねちゃんが言うほど羨ましがられることはない。
 言われているような自分自身の良さなんて判らない。
 だけど、あかねちゃんのことは判る。
 あかねちゃんが私の匂いを嗅いだのなら、私だって彼女の匂いが鼻をくすぐったのだから。
 言葉では上手く表現できないけど、あかねちゃんの匂いだっていうのは判る。
 お陽様の匂いと石鹸の香りが混ざっているような匂い。
 私も好きだな、あかねちゃんの匂い。
 私って変なのかな、友達の匂いが好きなんて。
 判らないけど、これは私の素直な気持ち。
 あかねちゃんは私の絵を好きだと言った。
 私の描いている姿が好きだと言った。
 私の容姿を可愛いと言ってくれた。
 あかねちゃんは私に対しての思いを告げてくれた。
 なら、私はあかねちゃんをどう思っているのか。
 私はあかねちゃんの何が好きなんだろう。
 ううん、何がじゃない。
 彼女の容姿、彼女の性格、彼女の明るさ。
 そして彼女の笑顔が好きなんだ。
 私にないから憧れてしまう。好いてしまう。
 彼女は私のお陽様なのかもしれない。
 暗い影の多い私を明るくしてくれるような相手。
 大切な、大切な私の友達。

 ふと胸が一度だけ、トクンと高鳴ったような気がした。




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