冬の到来を告げる冷たい風が幻想郷を吹き抜け、葉が揺れ静かな合唱を始める。
 朝霧が湖周辺を覆い尽くし、陽の光がぼんやりだが周囲を照らしている。
 野生動物の大半は冬眠を始め、昆虫のその短い命が尽き始めていた。
 湖は気温が低く、人間や妖怪さえも好き好んで近づこうとはしない時間帯。
 だけど私たち妖精と呼ばれる存在はそんなことを気にすることなく、ただ楽しむように駆け回る。
 寒がりや寝ぼすけという珍しい妖精の姿はないけど、身の丈が手のひらサイズや、言葉を発することのできない力のない妖精たちにとっては、寒さは関係ないようだ。
 私は力がそれなりにある妖精であるため、この時間帯だと身震いしてしまう。
 お気に入りの黄色いリボンで髪を結ぶ時も手が震えてしまい一苦労。
 それでもお洒落のために結んだ黄緑色の髪は頭部の左側でひと纏めにしたサイドテールはいつものように風で揺れている。
 いつも着ている濃い緑色のスカートや、胸元に結んでいる黄色のリボン、背中から生える二枚の昆虫の羽が風に吹かれて揺れる。
 本当に寒いのは嫌だなぁ……。
 いや、原因は恐らく私の前で周囲の地面をキョロキョロ探している女の子のせいもあるかもしれない。
「いないなぁ蛙…………」
 青色の大きなリボンをつけた水色の髪を靡かせ、前髪の間からは細い眉が見え隠れする。
背中に氷の結晶のような羽を六枚生やし、リボンと同じ色のスカートを靡かせながら胸元にある赤いリボンを揺らす。
 雪のように白い半袖パフからは健康的な潤った肌を出し、白色のソックスに青色の靴を履きながら足を大きく振り上げる私と同じ身長の女の子はポツリと呟いた。
 私たちは今、湖の畔で蛙を捜索中。
 といっても私は蛙なんかに興味はなく、ただ彼女の後をついて歩いているだけである。
 彼女は生い茂った雑草蹴りながら、隠れていると思われる蛙を探しているが、こんな時季ではもう冬眠とかしていて見つからないと思う。
 でもそんなことを言っても、彼女は私の言葉を聞いてくれず、いつも彼女に振り回されることが多い。
 自分勝手な奴は放っておけば良い、とよく言われるが、放っておいたらどんなことをするか予想ができず、ついつい心配で一緒に行動することが大半である。
 今日もそんな彼女の後をついていく。
 彼女は私がついてくることに何も言わない。
 彼女が私をどう思っているのか判らない。
 迷惑がっていないだろうか、うるさく思っていないだろうか。
 何も言ってくれないから心配である。
 一回確かめたほうが良いのかな。
 でも、どんな返答が来るか判らないから躊躇してしまう。
「あ、大ちゃん」
「……ん、どうしたの、チルノちゃん」
 迷いに迷っていると、彼女が先に話しかけてきた。
 いつもこうだ、こうやって迷っていると彼女が先に話しかけて来る。
 そして思いを伝えることはできずに、いつも言葉を飲み込んでしまう。
 年がら年中体から凍えるような冷気を放っている妖精――チルノちゃんは鮮やかな明るい青色の大きな瞳を輝かせ、人間の子供のように丸みを帯びたような無邪気な笑顔を私に向けてくれる。
 チルノちゃんは何かを発見したようで、それがいる方向を指さしている。
 その指先を視線でなぞると、雑草が生い茂る地面に目的の物の姿がいた。
 四本足で茶色のぬめぬめした肌を持つ蛙。
 もう冬眠に入っていていないかと思っていたが、どうやらまだ寝ていない夜更かしな子がいたようだ。
 見つからないと思っていたけど、チルノちゃんも喜んでいるようなので良かった。
 なぜ蛙を探していたかと言うと、チルノちゃんのよくやる遊びに使用するためである。
 その遊びというのが蛙を凍らせるというやつだ。
 チルノちゃん曰く、元気に動いている蛙を凍らせると、自分が凍らされたことに気づかない様子が面白いらしい。
 しかし、蛙に表情があるとはとても思えず、凍らす前と凍らせた後を見比べても見分けが全くつかなかった。
 それでも長年蛙を凍り付けにしているチルノちゃんには判るらしい。
 頻繁にその遊びをやっているチルノちゃんだが、この時季になると蛙が冬眠し始めるのでできなくなってきている。
 そうなるとあからさまに不機嫌となり、宥めるのに一苦労することも多々ある。
 今日も見つからなかったらどうしようかと思ったけど、これでなんとかひと安心である。
 無邪気に喜ぶチルノちゃん。
 これから凍らされる蛙には申し訳ないが、犠牲になってもらおう。
 ふと、蛙へと視線を再び移動させると、どうやらお食事中のようだ。
 一匹の蜘蛛が今にも食べられそうになっていた。
 腹部が蛙の口に全て収まっており、必死に逃げようとその八本の足でもがいていた。
 だが、早朝の寒さで蛙の動きが鈍いのか、一向に飲み込まれるような気配はしない。
 蛙って蜘蛛も食べるんだ、と思っていると、そんな状況に興味がないチルノちゃんが大きく叫んだ。
「覚悟しろ、この雨蛙!」
 恐らく雨蛙ではないが、チルノちゃんが叫ぶと同時に片腕を蛙に向けて突き出した。
 隣にいた私でも大声に驚き、お食事中の蛙が驚いているかは判らないが、閉じていた口をぽっかりと開けた。
 蜘蛛はその隙に八本足を全力で動かして一気に逃げ出した。
 そして次の瞬間、寝ぼすけな蛙は氷の塊へとなってしまった。
 早く冬眠しないからこういうことになるのだ。
 チルノちゃん特製の雨蛙の氷塊はころころと地面を転がる。
 作成者のチルノちゃんは何度かその塊を転がし、凍って何も気づいていないらしい蛙の表情を確認すると、もう飽きてしまったようだ。
「ふぅ、今日は良い出来だね、大ちゃん」
「そ、そうだね……?」
 チルノちゃんは満足した表情で言ってくるけど、私にはどこがどうなったら良い出来なのか判らないので、答えに困ってしまう。
 疑問系の返答となってしまったが、チルノちゃんは特に気にしていないようでころころと笑っていたから大丈夫だろう。
 本当に楽しく笑うので私も自然と笑顔になってしまう。
 チルノちゃんの作品に首を捻っていると、ふと誰かの笑い声が耳に入ってきた。
 だけどそれは声というよりは音に近いような物だった。
 聞こえた音へと視線を向けると、そこには背中に私と同じような昆虫の羽を四枚生やし、朱色の和服に黒色の帯を巻き、真っ白な足袋で淡い桃色の雪駄を履いている妖精が一匹いた。
後頭部の高い位置でひと纏めにした燃えるような赤髪を揺らしながら、こちらを見てクスクスと楽しんでいるというよりもバカにしているような音を出している。
 チルノちゃんもそれに気づいたようで、笑っている赤髪の妖精に向かって怒声をあげた。
「こらーっ! 何笑っているんだ!」
 すると赤髪の妖精は面白がるように逃げていってしまった。
 チルノちゃんは逃げていく妖精を見て、眉間にシワをよせて鼻息を荒くする。
 こんなことはよくあることである。
 チルノちゃんは私たち妖精の中でも飛び抜けて力がある存在である。
 氷を自在に操り、妖怪とも渡り合えるほどだ。
 だけど、ありすぎる力は彼女を孤独にしてしまった。
 妖精であって、妖精ではありえないほどの力を持っているチルノちゃんは、他の妖精から避けられ、いつも独りでいる。
 いつも独りでいて、普通と違うチルノちゃんを興味半分でからかう妖精も多い。
 そんなことが沢山あったから、チルノちゃんはからかわれると過敏に反応するようになった。
 いつも孤独な彼女。寂しさを隠しているような雰囲気を持っていたから、私は彼女と一緒にいるかもしれない。
 寂しくないように、私は彼女と同じ時間を過ごす。
 本当は彼女も他の妖精たちと遊びたいと思っているはずだ。
 だけど恥ずかしがってそれを表に出そうとはしない。
 いつも一緒にいるから、なんとなく判る。
「チルノちゃん、そんな怒鳴ったら他の子が怖がって近づかなくなっちゃうよ」
「アタイをバカにするヤツなんかこっちからお断りだよ!」
 眉間にシワを作りながら不満を露にしている。
 どうもそれは無理をしているようにしか見えなかった。
 もっと素直になれば良いのに。
 そう言っても彼女は聞いてくれないかな。
 急いでも仕方がないし、ゆっくり待とう。
 私だけでも彼女の味方じゃないと、彼女が独りになってしまう。
 優しく見守るしか今はできない。
「アタイは大ちゃんがいるから大丈夫だよ」
「チルノちゃん……」
 なんの迷いもなくそう答えてくれたチルノちゃん。
 正面を向いて言われると気恥ずかしくなってしまう。
 彼女はそんなことを思わないのだろうか。
 でも素直な心を持つ彼女の言葉に、深い意味はないだろう。
「大ちゃんはアタイの味方だよね!?」
「もちろんだよ」
 味方という言い方が正しいかは怪しい。
 けど、私はチルノちゃんの友達だから、彼女の味方なのは間違いない。
「うん、ありがとう、大ちゃん! 大ちゃんはアタイの最高の味方だよ……味方……?」
 無邪気に喜んでいたチルノちゃんだ。
 しかし、何かに引っかかるように彼女の言葉が止まった。
「味方……味方……」
 先ほどから同じ言葉を繰り返すように呟いていた。
 本能的に何か嫌な予感がする。
 不安に思っていると、チルノちゃんは両手を合わせて声を上げた。
「そうだ、大ちゃん!」
「どうしたの?」
 予想外なことを言ってくるかもしれないから内心ビクビクである。
 そんな私の心配を無視するかのようにチルノちゃんはとんでもないことを言い放った。
「アタイ、今日から正義の味方になるよ!」
 突然の言葉に私は目をパチパチと瞬きをする。
 なんの脈絡もない正義の味方という言葉。
 ある程度予想をたてていたが、これは予想外である。
 もしかして、味方という単語から正義の味方に導かれたのだろうか。
 確かに味方という単語が入っているのだけど、普通は思いつかないだろう。
 それに正義の味方とは、幻想郷の外の世界の物を売っているお店の店主さんが言うには、悪を倒して弱者を助けるという存在だったような記憶がある。
 チルノちゃんはその話にとても興味を持っており、ずっと覚えていたのだろう。
 思いついたのはまぁ別問題として、なぜ正義の味方が今の状況に関係あるのだろうか。
 疑問が急速に増してきたので、思わず聞き返してしまう。
「なんで正義の味方なの?」
「かっこいいから!」
 なんて単純明快な答えなのだろうか。
 単純すぎて逆に考え込んでしまう。
 どうして味方という単語からこんな答えになるのだろうか。
 チルノちゃんの考えは到底理解できないだろう。
 だけど、特に止める理由が思いつかないので、とりあえずどんなことをやるか聞いてみよう。
「でも、正義の味方って何をやるの?」
「何を言ってるの大ちゃん、正義の味方と言ったら悪者を倒すに決まっているじゃない!」
「悪者って、例えば?」
「悪いことをやっている奴だよ!」
「…………」
 答えになっていないが、チルノちゃんだから仕方がない。
 こうやって彼女が何かに興味を持つことは理由はどうあれ良いことだと思う。
 しかし、今のように目的がはっきりとしないこととなると何をするか判らないので、結局いつものように私がついていかないといけなくなる。
 とりあえず、正義の味方という悪いことではないので安心できる。
 する笑い声が聞こえた。
 視線を向けると、先ほど追い払った赤髪の妖精が、またクスクス笑いながらこちらを見ていた。
 チルノちゃんはすぐさまその妖精に再び怒鳴った。
「アイツッ!! ウキィィィィィィィィ!!」
 もう何を言っているか判らない。
 金切り声のようで妖精を威嚇している。
 動物じゃないんだから……。
 妖精は怒鳴られた時点ですぐに逃げ出してしまったけど、チルノちゃんはその意味不明な高音の声を出し続けていた。
 みっともない彼女を止めようとするが、もの凄い勢いで私のほうに振り向いた。
「大ちゃん!!」
「え!? な、何!?」
 突然のことだから非常に焦ってしまう。
 相変わらずチルノちゃんは私の反応を見ていないのか、一人で盛り上がって声を高らかに叫んだ。
「アタイをバカにする奴らを見返してやるから、悪者捜すよ!」
 その瞳にはメラメラと炎が燃えているかのような気迫が映っていた。
 ああそうか、もしかして正義の味方になりたいっていうのは、ただかっこいいという理由だけじゃないだろう。
 きっとチルノちゃんは他の妖精たちと仲良くなりたいのだろう。
 正義の味方とは誰かを助ける存在。
 他の者から感謝されて、誰もが正義の味方を頼るはず。
 だからチルノちゃんは正義の味方になって、他の誰かに頼られたいのだろう。
 そうなれば自然と彼女に友達ができるはずである。
 だけど、そんなことを表に出す訳がないので、私は影ながら応援しよう。
「うん、頑張ろう」
 いつかチルノちゃんが他の妖精たちと遊べるように。
 やる気に満ちるチルノちゃんの背中を見つめながら、私は自然と笑顔を作る。
 朝霧が徐々に消え始め、湖周辺の視界が開けてきた。




前のページに戻る


TOPへ戻る