☆ 陽は昇り、山陰へと隠れ、月夜がやってくる。そんないつもの光景を繰り返し続けると、幻想郷は冬から春へといつの間にか変わっていた。 積もった雪もその姿は欠片もなく、草木潤った姿を陽の光に反射させ、極彩色な花も春を告げるように華麗に咲く。それでもいつもと代わり映えしない万年竹が生え揃う迷いの竹林は、季節なんて関係ない様子でその迷路のような光景を作り出す。 一度迷い込んだら二度と出られないとまで言われる竹林。だけど慣れてしまえばそんな複雑な場所ではない。ただ同じ光景が続くように見えるだけで、実は地面の土や竹が生えている箇所などの細かい違いで区別できる。 そんな迷いの竹林の奥深くあるいつからか建っているのか判らない威厳がある日本家屋の屋敷の永遠亭。外壁や廊下は朽ちている様子はなく、まるで新築のように美しかった。真っ黒な瓦が何千枚も使用されている屋根は先日降った雨で綺麗になっている。 正門の扉は大きく口を開け、永遠亭の敷地内と正面玄関へと一直線に続く石畳の道が続く。砂埃や落ちてきた笹などは微塵もなく、常に掃除されているのがよく判る。 永遠亭内に住んでいる真っ白なワンピース風の衣装を身に纏う見た目は年端も行かない少女たち。洗濯物を詰めた籠を持つ者、掃除道具を担ぐ者、春の陽気にやられたのか大の字になって寝ている者、様々な者たちで賑わっている。 その少女たちは顔や髪型、細かい装飾品などの違いがあるが、総じて頭から真っ白な大福のように丸い兎耳を二本垂らしていた。 私の頭にも彼女たちと同じ兎耳があるのだけど、細くてシワが入っている周囲と異なる形をしている。 白のカッターシャツと赤いネクタイに水色のスカートを身に纏い、薄紫色の膝まで伸びた髪という私の容姿は永遠亭の兎たちと見比べると大きく違った。 「相変わらずここの子たちは自由気ままで可愛いね」 永遠亭内の廊下を歩きながら、仕事を放棄してサボっている兎たちを横目で見てため息を吐くと、優しい声色で隣にいる女性が笑い声を漏らした。 視線を向けると宝石のように輝く青い双眸と重なる。 空に輝く陽のように眩しい金髪を肩まで伸ばし、赤いカチューシャがつけられ髪の色をより一層目立たせる。人形のように精巧な美しい顔立ちに、痩せすぎでも太りすぎでもない柔らかそうな体躯と白い肌を持っている女性。 身長は私よりも少し小さい程度。手首まで伸びた真っ白なシャツの上に青色のベストと白いケープを纏い、同じく真っ青なロングスカートを靡かせる。腰には白いフリルのついた桃色のリボンを巻いて可愛らしい。 自分自身とは比べ者にならないぐらいに女性らしい女性である――アリス・マーガトロイドは無邪気な表情を見せていた。 「自由すぎて仕事を何もしないことが多いんだけど」 「鈴仙とは大違いね」 私の名前を呼びながらアリスは微笑む。 「私だけでもしっかりしないと、収拾がつかないしね」 「うん、鈴仙ってしっかり者だからね。私はまとめ役みたいな貴女は好きよ」 「え……う、うん……」 彼女の口から出てきた言葉に一瞬胸が高鳴り、動揺してしまう。言われて嬉しいのだけど、反応に困ってしまう。兎耳の先まで熱くなるのが判る。 なんでそんなことを簡単に言えるのだろうか。 私はそんなことを面と向かって言う勇気はない。 むず痒い感覚に困惑し、人差し指で頬を掻く。 本当は好きだとはっきり言わないといけない。 だって私はアリスに好きだと想いを告げたのだから。 ふとしたことから出会った私たち。 最初は彼女に対して特別な感情はなかった。だけど彼女の優しさに触れて、いつの間にか惹かれていた。 彼女の容姿、彼女の仕草、彼女の声、彼女の香り、何もかもが愛おしく感じられた。 一世一代の大勝負とはまさにその時のことであった。心臓が張り裂けるほど高鳴り、酷く呼吸が乱れたことも記憶に新しい。どんなことをしていたのか大雑把にしか判らない。考えて喋ることはできずに、本能のままにアリスに好きだと伝えた。 伝えたんだけど、情けないことにその時の私はいっぱいいっぱいで自分の言葉を詳しく覚えていない。 変なことを言ったのではないかと不安だった。 しかし、アリスは私のことを好きだと言ってくれたことは覚えている。 嬉しかった。意識を失いそうなほど気が高まった。 私はアリスのように女性らしくないし、美しくもない。いつもオドオドしていて頼りがいがないのも自覚している。それなのに彼女は私を受け入れてくれた。 女性同士なのに変なことを言ったと思ったが、彼女は否定することはなかった。 順風満帆な結果になった、と思った。 それからアリスは暇さえあれば私に会うようになってくれた。もちろん前から会うことが多かったが、告白前と比べると倍増している。 しかし、若干の問題も増えてしまった。 想いを告げた日以降の私とアリスの対応に変化があまりないのだ。 いつも通りに会ってお喋りして、一緒にいる時間を堪能しているのだが、私の考えている恋人関係とは違うように思えて仕方がないのだ。 多分、原因は私にあるのだと思う。 そもそも交際した相手への対応というのを何十年も生きているのにも関わらず判らないのだ。公然と付き合っている者は知人におらず、はっきり言って無知である。 下手に無知のまま恋人らしいことをやろうとしても、頭の中には明らかに変な考えしか思い浮かばないので、いつもの対応しかできなかった。 ちなみにその考えと言うのは、アリスの細い体に触れてみたいという変態のような考えが彼女を見る度に思いついてしまう。その考えでは嫌われるのは確実である。 だって、アリスが可愛いんだもん。 できることなら抱きしめてみたい。 でも、怒られるし嫌われる。 もやもやした感情が胸の内で大きくなっていく。 告白した時に、アリスを抱きしめたことを思い出す。曖昧なアリスの体の感触が頭の中に蘇るが、当の本人を横に何を考えているかと虚しくなってしまう。 せっかくアリスが永遠亭に来てくれたのに……。 恋人同士と言っても、私が原因で実は告白してから手を繋いだこともないのだ。 情けないのは判っているが、意識すると体が過剰に反応してしまうのだ。 こうやって今日もアリスを意識して終わるのだろう。ああ情けなくて泣けてくる。 ……そういえばなんでアリスは? ふと思い出した疑問に首を捻りながらアリスへと声をかける。 「そう言えば、今日はどうしたの? 私の部屋に行きたいって言っていたけど、何もないよ?」 私は一応薬師の弟子ということで色々なことを任されることが多い。 その一つが人間の里で師匠が作った薬を販売する仕事である。永遠亭の収入の一つ。 そんな薬売りをしていると、アリスがやってきた。 別に人間の里で会うのは珍しいことではない。 するとアリスは私をわざわざ仕事が終わるまで待っていた。そして私の部屋に行きたいとお願いしてきた。 特に理由を考えずにここまで来てしまったが、考えてみたら急に気になってきた。 「えっと、それは……ま、まぁ、鈴仙の部屋で言うよ」 「そう?」 なんだか珍しく歯切れの悪い回答である。とりあえずあまり聞かれたくない話があるようだった。 確かに周囲には常に兎たちがいることは多いから、どこで話を聞かれるか判った物ではない。現に周囲には姿が見えないが兎たちの気配をいくつか感じる。 でも別にここじゃなくても……? いったい何を話そうというのか。アリスは照れているようにも見えるので悪い話ではないようでもある。 まぁ、アリスと二人っきりになれるのなら良いか。 不思議に思いながら床板を踏みながら自室へと向かうと、アリスも隣に並びながらついてくる。 しかし、その間、アリスが奇妙な空気を醸し出していたから、会話がなく無言の時間が続いた。 気になったが、悪い空気ではなかったので、特に問い詰めるということはしなかった。 歩いて少しすると自室へと到着したので、襖を左右に開けると、六畳の部屋には大きめの衣装箪笥が置かれているだけの寂しい空間が広がる。 我ながら本当に何もない部屋だが、就寝する時ぐらいしか使わないので散らかっていないのは当然である。もらった物は全て布団を押し込んでいる押入へと収納できるぐらいしかない。 アリスが来てくれたのに何もおもてなしできないとは、不便な部屋だと思ってしまう。 部屋に入ると、ふと締め切っていたせいか空気が悪いように思えたので、入ってきた襖とは反対側に位置している障子を開けようと数歩進む。 「ねぇねぇ鈴仙」 「ん、どうしたの?」 障子へと手をかけようとした時、アリスが声をかけてきたので、開ける動作よりも先に振り向き、彼女へと顔を向ける。 すると彼女は後ろ手に開かれた襖を静かに閉じた。 表情は頬が朱色に染まっており、顔は俯きながら上目遣いをするように恥ずかしがっている。 明らかに先ほどと雰囲気が急変し、空気が変わっていることを直感する。 悪い予感はしないが、不安な感じはした。 恐る恐る声を出す。 「ど……どうしたの……?」 「あのね…………その……」 するとアリスはさらに頬を色濃く染めて、モジモジと体をくねらせはじめた。声量も小さくなり明らかに様子がいつもと違う。 密閉された空間、全身の緊張が増してくる。 周囲から兎たちの声は聞こえてこない。そのせいで耳の中に痛いほどの静寂が広がっていた。 鼓動が強くなり、呼吸も平常ではいられない。 「…………キス……して欲しいな……」 静寂の中で、彼女のその声が響いた。 はっきりと一文字一句が耳へと入ってくる。 彼女が何を言っているのか最初は判らなかった。 永遠かと錯覚するほど時間が過ぎ去った。 時間が停止したように頭の中が硬直する。 |
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